49話 サーナット卿を酔わせ、心の声を聞こうとしたラティルでしたが・・
◇伝えられない思い◇
ラティルは、サーナット卿が
できるだけ多くの酒を飲むように
誘導しましたが、
彼女の意図を悟られないため、
彼女自身も酒を飲む必要がありました。
ところが、サーナット卿は
続けざまに酒を飲んでも
びくともしないのに、
ラティルは酔っぱらって
呂律が回らなくなったので、
サーナット卿は、彼女に
発音がおかしくなっているから
酒を飲むのを止めるように
助言しました。
ラティルは、身体を傾け、
目を見開き、
自分の発音がどうなっているのかと
聞き返しましたが、
サーナット卿は、
笑って手を差し出して、
彼女が真っ直ぐ座れるように
軽く肩を押しました。
しかしラティルの身体は
10時から2時の方向に
角度が変わっただけで、
真っ直ぐ座ることができませんでした。
その上、
サーナット卿のことを
ピーナッツ卿と呼んだり、
全く無関係な
ウィリアムという名前で
呼んだりするので、
彼は、自分の名前が
跡形も残っていないと
笑いながら知らせました。
ラティルは
すでに正気ではありませんでした。
サーナット卿の本音を聞く計画は消え、
彼女の理性は、
アルコールのプールの中で
あっぷあっぷするのに忙しく、
ついに酔ったラティルは
テーブルに額をぶつけて
そのまま眠ってしまいました。
サーナット卿は笑いながら
首を横に振り、
私を酔わせるつもりでは
なかったのですか?
とラティルをからかいましたが
彼女は寝ているので
返事ができませんでした。
サーナット卿は、
手で自分の顎を支えながら、
アルコールの匂いを
プンプンさせている
ラティルを見ました。
額をしかめる度に震えるまつ毛、
皺が寄ったり、伸びたりする額、
ブツブツ呟く唇が
彼の視線を釘付けにしました。
サーナット卿は、
ラティルの表情一つ一つに
見とれていました。
このような時間が多くないことを
知っているので、
この瞬間が大切過ぎて、
目を瞬くこともできませんでした。
サーナット卿は、
しばらくラティルを眺めていましたが、
ラティルの空のグラスに
自分のグラスの中の酒を注ぎました。
赤い酒が透明なグラスの中で
ゆらゆら揺れているのを見て、
サーナット卿は、
私の気持ちも、
こうやって伝えることができたら・・・
と呟いた瞬間、
遠くない所から声が聞こえたので、
サーナット卿は立ち上がりました。
椅子がキーッと音を立てましたが
ラティルは目を覚ましませんでした。
声の主は、ラティルの乳母でした。
乳母は、ラティルから
彼女が酔って寝ていたら
面倒をみてくれと頼まれていたので、
部屋から何の音も聞こえなくなると
中へ入って来たのでした。
乳母は突っ立って
サーナット卿を見つめていたので、
彼は視線を落とし、
今、聞いたことは
聞かなかったことにして欲しい。
と静かな声で頼みました。
乳母は答える代わりに
サーナット卿とラティルを
交互に見た後、
付いてくるように合図をしました。
サーナット卿を
応接室に連れて行った乳母は、
そこにいた侍女たちを全員追い出し、
彼を、部屋の真ん中に立たせて
私は、人間に必要なのは
恋人だけではないと思っています。
陛下はサーナット卿のことを、
兄であり、友人だと
思っていらっしゃいます。
サーナット卿が、陛下に
そのような気持ちを
抱いているとしたら、
陛下には負担になります。
サーナット卿の心に
応えても、応えなくても、
以前のように接することは
できなくなるでしょう。
サーナット卿は、
陛下が必要なことを任せられる
近衛騎士であって、
力になれない皇配や
多くの側室の一人ではありません。
だから、その気持ちを
隠してください。
今回のようなことも
自制して欲しいです。
と話しました。
乳母の言うことは、
全て正しかったので、
サーナット卿は反論できませんでした。
一方、乳母は
サーナット卿はレアンの友人で
子供の頃から見てきたので
このようなことを言うのを
心苦しく思っていました。
けれども、
ラティルの乳母である彼女は
ラティルを優先させなければ
なりませんでした。
サーナット卿に苦言を呈したことを
謝った乳母に、
サーナット卿は、気を付けると
淡々と返事をしました。
乳母は、
わざとサーナット卿に背を向け、
ラティルを着替えさせて
寝かせるので、
出て行って欲しいと頼み、
ラティルが起きたら、
酔った彼女をサーナット卿が
親切に世話していたと伝えると
話しました。
乳母は寝室に入り、
サーナット卿は応接室から出ました。
扉を閉めて、廊下に出た彼は
沈鬱な表情を
隠すことができませんでしたが、
後ろを振り向くことなく
早いスピードで
ラティルの部屋から遠ざかりました。
その後ろ姿を、
柱の後ろに隠れて見ていた侍女は
どうしてサーナット卿は
いつも悲しい顔をしているのだろう?
と考えました。
彼女は、以前、
サーナット卿が、ラティルの部屋で
血に濡れた身体を急いで洗った時、
血まみれの彼の服を
持っていった侍女でした。
隣で、その様子を見ていた
別の侍女は、
サーナット卿のことが好きなのかと
尋ねました。
最初の侍女は、しばらく考えた後に、
サーナット卿が通ると、
自然と目が行ってしまう。
声もかけてみたい。
けれども、サーナット卿は
いつも陛下とだけ話していて
機会をつかめない。
と素直に認めました。
別の侍女は驚いて
もう一人の侍女の肩を
揺さぶりながら、
それなら、早く家に知らせて、
縁談の席を設けてもらいなさい。
サーナット卿は、
元々、家柄も良いけれど、
陛下の最側近になってから
婿養子として一番人気が高い。
狙っている家門が多いはず。
ぐずぐずしていると先を越される。
と助言しました。
◇次はゲスター◇
翌日、目覚めたラティルは
二日酔いに悩まされました。
喉が、からからだと訴えると
乳母が蜂蜜入りのお湯を
運んできながら、舌打ちをし、
あまり酒が飲めないラティルが、
どうして、
たくさん飲んだのか尋ねました。
ラティルは飲みたくて
飲んだのではないと答えました。
けれども、
サーナット卿を酔わせようとしたことを
乳母に話せば、変に思われるので
彼女は黙って蜂蜜を飲みました。
そしてサーナット卿は
無事に帰ったか尋ねると、
乳母は、酔っ払ったラティルの世話を
よくしていたと答えました。
あの酒飲みは、どうして、
あんなにお酒を飲むのだろう。
いずれにせよ
1回目は失敗したので、
2回目の挑戦をする必要があるけれど
すぐに呼び出して、酒を飲ませたら
自分の怪しい意図が
ばれると思いました。
サーナット卿は
飲ませても酔わないなら
他の方法を探さなければと
思いました。
結局、ラティルは順番を変え、
一番、難易度の低そうな
ゲスターを狙うことにしました。
ゲスターには
仕事を指示したこともなく、
これから指示することも
なさそうだけれど、
宮殿の心臓部に
一緒に住んでいる側室です。
側室たちが裏切ろうとしたら
致命的になりかねないので、
試してみても悪くないと
ラティルは考えました。
その日の仕事を終えたラティルは、
夕方、ゲスターを訪ねて、
お酒を飲ませる状況を導きました。
ラティルは、ゲスターに
お酒が好きかと聞かれると
そうではないけれど、
必要な時に、
時々飲むのはいいんじゃない?
雰囲気が盛り上がるし。
と答えました。
そして、率直な話をしながら、
一緒に酒を飲んでみたかったと
言って、苦笑いしながら、
ゲスターのグラスに
酒を満たしました。
彼は顔が真っ赤になりましたが、
ラティルに勧められるまま
酒を飲みました。
ところが、
酒を一口飲んだだけでも、
酔っぱらいそうなゲスターが
結構酒が強く、
サーナット卿ほど、
無反応ではないけれど、
ずっと、照れくさそうに
微笑んでいました。
しかも、ゲスターの顔は
最初から赤いので
酒のせいで赤くなったのか、
ラティルを見て赤くなったのか、
区別がつきませんでした。
驚いたラティルは、
酒をよく飲むのかと
尋ねました。
すると、ゲスターは
突然、ラティルに身体を寄せて、
飲みすぎたようですね。
ちょっとめまいがします。
実は、私はお酒が苦手です。
陛下にお酒を注がれたので
飲み続けました。
と呟きました。
ラティルが本当かと確認すると
ゲスターは、もちろんだと答えて
大笑いしました。
けれども、ラティルは
騙されませんでした。
酔ったと言っているゲスターから
本音は一言も
聞こえてきませんでした。
◇真剣に接する人◇
次の日の夕方、
立て続けに2回も
計画が失敗したラティルは
クラインを訪ねました。
クラインは興奮して、
一度だけラティルに
本音をばらしたことがあったし、
よく覚えていないけれど、
彼とは一緒に酒に酔って
庭で寝てしまったこともあったので、
サーナット卿やゲスターほど、
酒に強くないはず、
今度こそ成功すると
ラティルは考えました。
彼女はクラインと向き合い、
彼のグラスに酒を注ぎ、
笑いました。
予想通り、クラインは、
目がとろんとしてきて、
うつらうつらし始めました。
誰が見ても、酒に酔っていました。
ラティルは、クラインに
自分の声が聞こえるかと尋ねました。
すると、
こっくりこっくりしている
クラインの心の中から、
(陛下の声。)
と聞こえてきたので、ラティルは
やった!
と心の中で叫びました。
意外とクラインの難易度が
一番低いと思ったラティルは、
この機会を有効利用しようと考え、
彼が気がつかないよう、
もう1杯酒を注ぎながら、
あらかじめ準備した質問をしました。
私のことをどう思う?
(陛下は俺に夢中になっている。)
私が?本当に?
(もちろん、陛下は俺を愛している。
俺を思いやって、それをもっと
表現してくれればいいのに。
俺が片思いしているみたいだ。)
何言っているの?
ラティルは笑い、次に
先帝が亡くなったことを
どう思う?
と質問しました。
この真剣で重い質問は、
このような計画を立ててまで
ラティルが側室たちに
聞いてみたいことでした。
しかし、クラインは
すぐには答えませんでした。
ラティルは、
クラインが目を覚ましたかと思い
酒に酔ってぐったりした彼の顔を
軽く押さえながら
彼が起きているかどうか
確認しました。
幸いにも、
目は覚ましていませんでしたが、
その状態で、
彼の本音が聞こえてきました。
(俺も父上が亡くなって、
陛下がどんなに悲しいかわかる。
兄上は、父上が亡くなった時、
急を要する状況だったので、
まともに悲しむ暇がなかった。
俺が大丈夫かと慰めようとしたら、
皇帝には、
こんな慰めはいらないと言って断った。
こん畜生。
そんなに偉いのか?)
ラティルは、
クラインがヒュアツィンテと
仲が良くないのかと尋ねました。
クラインは、
(陛下もそうかと思い
慰めることができない。
悲しい時に、
それを表に出すことができなければ
大変だと思うけれど。)
ラティルは、複雑な目で
クラインを見下ろしました。
彼は、完全に寝てしまったのか、
考えるのを止めていました。
テーブルに押し付けられた
クラインの片方の頬が
大福のように
平らになっているのを見て
ラティルはため息をついて
彼の肩を叩きました。
以前は考えてもみなかったけれど、
先程のクラインの言葉を聞いて、
ヒュアツィンテが一番大変な時に、
自分がそばにいてやれなかったこと、
裏切り者だと思っていた
ヒュアツィンテにも、
毎晩苦しみながら
泣いていた瞬間があったことに
気づきました。
そして、
ヒュアツィンテが送ったスパイだと
疑っていたクラインが
誰よりも真剣に
ラティルに接しているようでした。
とりあえず、
あなたは犯人ではありません。
そうでしょう?
自分を裏切った元彼の弟が
一番信じられるなんて
おかしなことだと
ラティルは思いました。
ラティルはクラインの肩を軽く叩き
席を立ちました。
彼の侍従に、面倒を見るように言って
寝室に戻ろうとしましたが、
クラインがかすれた声で
ラティルを呼び、
行くなと言って、手を差し伸べると
彼女はクラインを
置いていくことはできませんでした。
彼の手には力がありませんでしたが、
ラティルは動揺しませんでした。
あなたは変な子だということを
知っている?
ラティルは、彼を抱き締めて
背中を軽く叩きました。
◇律法に書かれていること◇
クラインは、
先帝の墓や手紙とは関係なく、
ラティルを慰めたいとしか
考えていないことが分かりました。
翌日、ラティルは、
大神官を試しに行った時、
唯一、自分に本音を見せてくれた
クラインのために、
御守りのような物を
作ってもらえるか頼みました。
クラインが、大事にしていた
大神官の御札を
なくしてしまったことを話すと、
彼は快諾し、
一気にネックレスの形をした
2つの御守りを作ってくれました。
ラティルは
一つでいいのにと言いましたが、
2つの中の1つは
ラティルの首にかけました。
大神官は、
陛下もお持ちください。
かなり効果があるそうですよ。
と話しました。
ラティルはお礼を言いました。
大神官は難しいことではないと
話しながら、
なぜ、酒を持ってきたのか尋ねました。
ラティルは、
一緒に酒を飲むことを提案しましたが
彼は、神官は禁酒だと答えました。
ラティルは、
裸になって自分と寝ようとしたり、
カジノディーラーをやっていた
大神官が、
何を言っているのかと尋ねました。
それに対して、大神官は
陛下と寝てはいけない、
カジノディーラーを
してはいけないと
律法に書かれていないけれど
酒を飲んではいけないと
書かれています。
と答えました。
ラティルは、
そんなことはないと思いましたが、
これに関して、
大神官は頑固でした。
彼は、ラティルが飲んでいる間、
見物はできると言ったので、
彼女は自分はピエロかと呟きました。
すると大神官は
陛下が酔って、私を奪おうとしたら
どうしましょうか?
陛下の御意と理解し、
受け入れるべきでしょうか?
お酒のせいだと理解し
気絶させるべきでしょうか?
と尋ねながら
大神官は服のボタンを外しました。
ラティルは、
彼の厚い腕の筋肉を見て
襲撃者を倒した時のことを
思い出しました。
彼女は大神官とは酒を飲まないと
告げました。
◇倒れたカルレイン◇
その後、ラティルはまっすぐ
カルレインの所へ向かいました。
一緒に酒を飲むことを
ラティルが提案すると、
カルレインは、断りませんでした。
彼は、かすかに笑いながら
ラティルに近づくと、
彼女の首筋に顔を埋めて、
側室たちの所を回っていると聞いて、
いつ私の所へ来られるかと
思っていました。
と嬉しそうに囁きました。
それを聞いたラティルが
彼の背中を叩こうとした瞬間、
何ともなかったカルレインが
突然、倒れました。
しかも、ただでさえ
青白い彼の顔が
いつにも増して青白くなっていて、
今にも息が絶えてしまいそうでした。
ラティルは驚いてカルレインを抱き、
扉に向かって
宮医を呼ぶように叫びました。
自分の兄さえ敵ではないかと疑い、
誰も信じないと決めている
ラティルにとって、
クラインの純粋な気持ちは、
とても嬉しかったのではないかと
思います。
そのような人が1人でも
身近にいたら、安心できると思います。
彼の母親が
どんな人だったかわかりませんが、
息子を皇帝にしたいという欲はなく、
思いやりのある、
心優しい人だったのかなと
思いました。