723話 皇女の部屋がラティルの部屋の隣に移動することになりました。
◇祖父母の喜び◇
アトラクシー公爵は、
軽い足取りで書斎に入りながら
皇帝が孫娘の寝室を
自分の寝室の横に移したそうだと
叫びました。
親しい家門の夫人たちに送る
招待状を書いていた
アトラクシー公爵夫人は
ペンを置きました。
すぐに彼女の顔色が明るくなりました。
それは本当なのかと尋ねながら、
夫の顔を見た公爵夫人は
両手で顔を覆いました。
夫がこんなことで
嘘をつく理由はありませんでした。
皇帝が皇女を嫌っていると
人々が囁いているのが
どれほど気になっていたか
分からない公爵夫人は、
本当に良かったと思いました。
そして、親しい貴族たちに会う度に、
彼らが伝えてくれた
あらゆる宮殿の噂を思い浮かべながら
公爵夫人は舌打ちしました。
何人かは、
心から心配してくれていましたが
何人かは、それとなく
喜んでいる様子だったからでした。
アトラクシー公爵も、
彼らに苦しめられていたのは
似たり寄ったりだったので、
彼らは意地悪だ、
自分たちに嫉妬していると
きっぱり言い切ると、
妻のそばに近づきました。
アトラクシー公爵夫人は、
皇女がハーレムの外で
過ごすようになれば、
会いに行くのが
もっと楽になったと言うと、
夫の手をしっかりと握りしめ、
目を輝かせました。
アトラクシー公爵は
妻の目が輝くと、
眩しくて額をしかめました。
夫が一日二日、
そのようにしているのではないかと
思った公爵夫人は、
立ち上がると、彼の腕を叩き、
赤ちゃんへのプレゼントを
用意しておいたので、
早く包装しなければならないと
夫を急かしました。
◇クラインの出発◇
その時刻、
ハーレムの正門付近の空き地には
クラインの乗る馬車が
停まっていました。
クラインの使用人たちは、
15個ものカバンを
寝室から馬車まで運ぶのに
汗をだらだら流していました。
バニルは馬車の前で
カバンの個数を数えながら、
忘れ物がないか、
最終点検をしていました。
バニルとアクシアンに
出発の準備を全て任せたクラインは
自分がいなくなっても
自分を忘れてはいけないと言って、
見送りに出てきた皇帝に
「陛下2」の人形を差し出しました。
ラティルは、
自分のブレスレットを
ネックレスにしている人形を
受け取りながら、
持って行かなくても大丈夫なのかと
尋ねました。
クラインは、
自分はこれがなくても
皇帝を思い浮かべるけれど、
皇帝は、これがなければ、
自分のことを忘れてしまうからと
答えました。
自分はメラディムかと、ラティルは
ぶつぶつ不平を漏らしましたが、
口をつぐみました。
絶対にそんなことはないと
言おうとしたら、
少し良心が咎めました。
ラティルは仕事が忙しいと、
側室のことを忘れてしまい、
後になって、
思い出したりしたからでした。
ラティルは、
サプライズプレゼントをあげるので
楽しみにしていてと
クラインに告げると、
彼の耳元を優しく触りました。
クラインは、くすぐったそうに
肩を上下させながら、
自分も皇帝に
サプライズプレゼントをあげると
呟きました。
アクシアンが馬車の横で
クラインを呼びました。
ラティルが、そちらを見ると、
アクシアンはぺこりと
頭を下げました。
クラインは「行ってきます」と
名残惜しそうに呟き、
ラティルの手を
一度ギュッと握って離すと
馬車に向かって歩きました。
彼が馬車に乗り込むと、
アクシアンとバニルは
再びラティルに挨拶をし、
続いて馬車に乗り込みました。
馬車が正門を抜けると、
馬の蹄の音と馬車の荷車の音が
心地よく響きました。
遠ざかる馬車を眺めながら
一緒に見送りに来た侍従長は、
大丈夫だろうかと、
こっそりと尋ねました。
ラティルは、
母親の国へ行くので大丈夫だろうと
答えましたが、侍従長は
それではないと返事をしました。
ラティルは、
それでは何かと聞き返すと、侍従長は
どうしても、カリセンとの仲が・・・
と言葉を濁しました。
ラティルは彼が何を言いたいのか
理解しました。
ラティルもまた、タッシールから
変化要因の話を聞いた後、
ずっと心配していたことでした。
ラティルは、
大丈夫。クラインは
自分たちを裏切る人ではないと
希望を込めて呟きました。
しかし、侍従長は、
クライン皇子が
自分たちを裏切らなければ
カリセンも裏切らないと
渋い顔で付け加えました。
◇レアンと会わせたくない◇
ラティルは、
侍従長が残した妙な言葉が気になり、
ぎくしゃくした足取りで
執務室に戻りました。
自分たちを裏切る人でなければ、
カリセンも裏切らない・・・
ということは、
カリセンが裏切るなら
自分たちを裏切るの・・・?
ある意味では
正しい言葉でしたが、
ある意味では、
お話にならない言葉でした。
何よりも、
カリセンと仲違いはしているものの、
まだ、互いに刀を向け合う関係では
ありませんでした。
しかし、じっとしていると
心の中が混乱して来たので、
ラティルは近衛兵と秘書たちを
全員外へ出し、
一人で広い執務室を占めました。
しかし、人々がいなくなった途端、
窓をコツコツ叩く音が
聞こえてきました。
振り向くと、グリフィンが窓枠に座り
羽をばたつかせていました。
ラティルが手招きすると、
グリフィンは勝手に窓を蹴り、
中へ入って来て、
机の上をピョンピョン飛びながら
ロード、ロード、
昨日、また見ました!
と叫びました。
ラティルが、
何を見たのかと尋ねると
グリフィンは、
レアンがアニャに駆け寄り、
ありとあらゆる色目を使ったと
答えました。
ラティルは、
それは本当なのか。
どうやって、色目を使ったのかと
尋ねると、グリフィンは、
レアンがアニャに
どこを見ているのかと尋ねると
アニャはレアンの心の中だと
答えたと、1人2役を演じ、
彼らの声まで真似して報告しました。
まだ2回しか会っていないのに、
二人の仲がそんなに進んだのかと
ラティルは納得できませんでした。
彼女は誇張なしで話せと言うと、
グリフィンは、
アニャは、レアンをけなして
行ってしまったと話しました。
幸いグリフィンは、
今回も過度に誇張したようでしたが
ラティルはグリフィンが出て行った後
焦りました。
この広い宮殿で、二人が何度も出くわし
レアンがアニャに
関心を示している様子だからでした。
そうでなければ、
最初からグリフィンは
何も見ていなかったはずでした。
悩んだラティルは
鐘を鳴らして侍従長を呼ぶと、
対怪物部隊小部隊の志願者が
どのくらい集まったか尋ねました。
侍従長は、
しばらく外へ出て行った後、
ラティルが見たことのない
書類を持って来て差し出すと、
指導者志願者は5人集まったと
報告しました。
ラティルは書類を調べました。
そこには、
志願者の名前と現在の地位、
身分が書かれていました。
顔を見れば
思い出すかもしれないけれど、
アニャを除けば、
皆、知らない名前でした。
ラティルは、
書類を伏せながら
まだ応募が続いているかと
尋ねました。
侍従長は否定しましたが、
とりあえず隊員の応募は
続いていると答えました。
ラティルは、
指導者の募集はこれで止めると
告げると、
チラッとカレンダーを見ながら、
書類を侍従長に返しました。
数日間、応募を受け付けることなく
指導者の募集をやめると言う
ラティルに、侍従長は戸惑い、
訝しさを覚えました。
しかし、ラティルは
どうせ1位は決まっているという
言葉を避けながら、
こういうのは決断力も重要だ。
勇気が必要だからと言い逃れました。
それからラティルは
カルレインを呼ぶと、
指導者志願者たちを
西の門の向こうの野原へ連れて行き
模擬戦をさせるよう指示しました。
カルレインは、
大丈夫なのかと心配しましたが、
ラティルは、
カルレインが
黒死神団の傭兵王であることは
誰もが知っているから大丈夫。
カルレインが候補者たちを調べた後、
順位をつけて知らせに来るよう
指示しました。
カルレインが出て行くと、
ラティルは安心して
背もたれに寄りかかりました。
当然、優勝者はアニャなので、
これで、明後日頃には、アニャを
宮殿の外へ出すことができる。
もう、アニャとレアンが
出会うことはないと思いました。
◇告白◇
クラインとアニャについての対応を
済ませたラティルは
ようやく慌しい気持ちを抑えて
仕事を再開することができました。
そして、仕事を終えるや否や
自分の寝室に上がりました。
夕食も食べず、何もせずに横になり、
明日の朝まで、
ぐっすり寝たいと思いました。
皇帝になれば、大きな権力と力を
持つことができましたが、
残念ながら、休息する時間を
多く取れませんでした。
ところが寝室まで歩いて行く途中、
いつも閉まっている部屋の扉が
開いていました。
ラティルは、
しばらく怪しみましたが、
自分がその部屋に
皇女を連れて来るよう
指示したことを思い出しました。
ああ、もう来たのか。
思わず、ラティルは、
開いている扉のそばまで
歩いて行きました。
意外にも、部屋の中には
ラナムンがいました。
彼は、
ゆりかごの前にじっと立って、
赤ちゃんを見下ろしていましたが
ラティルが来ると頭を上げました。
ラティルは部屋の中に入りながら、
もう会いに来たのかと尋ねましたが
すぐに、自分が馬鹿なことを言ったと
思いました。
ラナムンは、
いつも皇女と一緒にいたので、
こちらへ、皇女を連れて来たら、
一番、皇女のことが
気になるはずでした。
ラティルは
ベッドが変わると
寝られないことがあるけれど
赤ちゃんもそうなのかと尋ねました。
それから、ラナムンのそばに近づいて
ゆりかごを見下ろしました。
ラナムンとそっくりの皇女は
口を開けて
すやすやとよく眠っていました。
この子はよく寝るね。
ラティルは笑いながら、
皇女の頬をつつきました。
ラナムンに似ている頬が潰れると、
皇女は顔をくしゃくしゃにして
口をぱくぱくさせました。
ラティルは、可愛いと思いながら、
額に模様さえなかったら・・・と
いつもと同じことを考えました。
その時、ラティルは視線を感じたので、
横を見ました。
ラナムンはゆりかごではなく、
ラティルをじっと見つめていました。
言いたいことが
たくさんあるように見えたので、
ラティルは、
どうしたのかと尋ねました。
ラナムンは落ち着いた声で
ラティルに会いに来たと答えました。
ラティルは、ぼんやりとして
目をパチパチさせていましたが
後になって、自分が
この部屋に入って来た時にした質問に
ラナムンが答えたことに気づきました。
ラティルは、
それは嘘だと言って、プッと笑うと、
ラナムンの肩をポンと叩き、
視線を下ろしました。
皇女は、頭の上から聞こえる音が
うるさいのか、
さらに眉をひそめていました。
ラナムンは、
前に話したことは本当だと、
もう一度、言いましたが、
ラティルは、
皇女だけを見つめながら、
以前、ラナムンは何を言ったっけと
尋ねると、彼は、
自分は確かに皇帝のことを
心配していると答えました。
ラティルは風の切る音が聞こえるほど
ラナムンを素早く見ました。
ラティルは、
ラナムンと喧嘩をした時に
彼が言った言葉を思い出して
目を大きく見開きました。
あの時、彼は愛について言及しました。
ラティルは急いで頭を下げました。
しかし、
ゆりかごに横になっている皇女も
ラナムンそっくりでした。
ラナムンは、
ラティルが、
自分を見ていようがなかろうが、
お構いなしに、
皇帝は自分の君主だけれど、
それだけでは足りない。
自分は皇帝に・・・
他のものも望んでいると、
ずっと話し続けました。
彼の声が、
ラティルの鼓膜に忍び込み、
フーフー息を吐きました。
ラティルは首筋が痒くなりました。
ラナムンは、
自分の気持ちと皇帝の気持ちが
同じであることを願っていると
言いました。
わざと知らんぷりをしていたラティルは
我慢できなくなって、耳をこすると
再びラナムンを見ました。
そして、
以前は、そうではなかったのにと
言いました。
ラナムンは、
皇帝のことを考えると、
主に腹が立つと打ち明けました。
先程は、
照れ臭いことを言ったくせに、
なぜ、今は八つ当たりをするのかと
ラティルが考えていると、ラナムンは
なぜ腹が立つのか考えているうちに、
自分は皇帝が好きだから、
腹が立つと言う結論に至ったと
話しました。
ラティルは、
心臓がドンドンと鳴っている感じがし
ぼんやりと彼を見つめました。
ラナムンは、ゆっくりと自分の唇を
ラティルの額の上に当てました。
柔らかくて温かい感覚が
くすぐるように
額の上を通り過ぎました。
ラナムンが
ゆっくりと頭を後ろに引くと、
可憐に震える彼の睫毛が見えました。
ラティルは、さっと頭を下げました。
この人は・・・とてもかっこいいと
思いました。
ラナムンは、
相変らず自分を信じられないのかと
尋ねました。
ラティルはラナムンの灰色の瞳を
のぞき込みました。
彼の本音が聞こえれば信じられました。
しかし、悪口と罵詈雑言を中心に
聞かせてくれるラティルの能力は、
ラナムンの本音を
伝えてくれませんでした。
ラティルは
ぼんやりとラナムンを眺めながら、
ラナムンを信じることが
できるだろうか。
彼が、 とてもハンサムに
見えるということ以外に、
あの言葉を信じられるかと
自分自身に問いかけました。
いいえ、信じられない。
ラティルは返事の代わりに
赤ちゃんの髪の毛を撫でました。
◇模擬戦の結果◇
ラティルは、
昨日のことを思い出しながら
ぼんやりと座っていると、
カルレインが
指導者候補たちを連れて行き、
模擬戦をさせた結果が出たと言う
侍従長の声が
近くから聞こえて来ました。
ラティルは、ハッとすると
頬杖をついていた腕を下ろしました。
アニャが1位だと
思っていたラティルは
侍従長が差し出した書類を
半分、魂が抜けた状態で
受け取りました。
しかし、書類を見た彼女は驚き、
侍従長を見つめ、
これはどういうことなのかと
考えました。
プライドが高く、
人と関わることが嫌いで、
人に対して関心もなく、
面倒臭がり屋のラナムンが、
初めて、家族やカルドン、
娘への愛情とは違う、
誰かを愛するという感情に
目覚めたけれど、今まで、
経験したことがないことなので、
自分でも、それが何なのか
よく分からなかった。
でも、ラティルのことが気になるし
心配でもある。
けれども、ラティルには
その気持ちが通じないので、
腹が立つ。
けれども、ようやくそれが
愛だということに気づき、
勇気を出して告白したのに、
ラティルは信じられなかった。
傍から見ると、
酷い仕打ちだと思いますが、
皇帝であるラティルの前には、
彼女におべっかを使う人が
大勢いるし、
家族にまで裏切られたラティルは
猜疑心の塊なので、
ラナムンを含めた側室たちを
信じられるようなるまでに、
まだ時間が必要なのかもしれません。