749話 自分のことが嫌いなのかと、ラティルはザイシンに聞かれましたが・・・
◇ザイシンは神聖だから◇
これは好き嫌いの問題では
ありませんでした。
ラティルは、ワクワクするよりも
当惑する気持ちの方が
もっと強かったので、
再びバスルームに入りました。
彼女は浴室の扉にもたれかかり、
両手で頭を抱えながら、
静かに悲鳴を上げました。
ラティルは、
ザイシンのことが嫌いなわけでは
絶対にありませんでした。
彼のことが好きでした。
しかし、ラティルにとってザイシンは
心臓を密着させて、
汗と体温を交わす存在では
ありませんでした。
彼は神聖で、聖なる領域で、
正義で美しく純粋な心を持ち、
星のように輝く男であり、
煌めく何かでした。
そんな存在を抱くことを
想像しただけでも、ラティルは
心臓を物干し竿にかけて
干すような気分でした。
扉の外でザイシンが
ラティルを呼びながら
扉を叩きました。
ラティルが再びバスルームに入って
出てこないので、
心配になったようでした。
どこか具合が悪いのかと
ザイシンが
尋ねてくるのを聞いたラティルは
避けることだけが能ではないと
自分を叱責すると、
扉を開けて浴室から出ました。
ザイシンは目を丸くしていましたが
ラティルが出て来ると
すぐに近づいて額に手を当て、
少し熱が出ていると言いました。
それから、頭が痛いのかと
ザイシンが聞いてくると、
ラティルは両手を上げて
ザイシンの顔を包み込みました。
ザイシンは、ラティルの手の中に
顔を埋めると、
優しい目をパチパチさせました。
ラティルは、
自分もザイシンが好きだと
告げました。
彼の顔が明るくなりました。
しかし、ラティルが
ザイシンとは、
キス以上のことはしたくないと
言うと、
彼の顔が石のように変わりました。
ラティルは心が痛んで
手を下げました。
ラティルが窓際に歩いていくと、
ザイシンは、
ちょろちょろと追いかけて来て
なぜなのか。
自分に何か問題でもあるのかと
尋ねました。
ラティルは、
ザイシンの外見の問題ではない。
ザイシンは本当に美しい。
けれども、ザイシンは
聖職者だからと答えました。
ザイシンは。
聖職に就いたからといって、
不能になるわけではないと
言い返しました。
その言葉に
ラティルは顔に熱が上がって来たので
彼の腕を叩きつけました。
その穏やかな顔で
そんなことを言わないで欲しいと
思いました。
ラティルは、
ザイシンの体の問題ではない。
自分の心の問題だ。
ザイシンは、
とてもキラキラしているし
神聖だから、
ザイシンの体を手に入れては
いけないと思うと言うと、
ザイシンは、
できるのではないかと尋ねました。
ラティルは、
もちろんうまくいくだろうけれど
自分の心がそう思うと返事をすると
ザイシンは
ひどくがっかりした顔をしました。
ラティルはザイシンを
ギュッと抱きしめると、
絶対にザイシンのことが
嫌いだからではないと
言いましたが、
彼には少しの慰めにも
なりませんでした。
◇愛と神◇
ザイシンが部屋に戻って来てから
話してくれたことを聞き、
安心したクーベルは
正直言って、自分は
皇帝が正しいと思うと言いました。
たとえザイシンが側室になったとしても
クーベルにとって、
まだザイシンは大神官でした。
それに、少なくとも
ザイシン以前の大神官たちは
皆、結婚していませんでした。
ザイシンは、
自分はハンサムで、
自分に色目を使う人が
どれだけ多いか分からないのに
変だと呟きました。
クーベルは、
誰が色目を使ったのかと
尋ねると、ザイシンは、
側室になる前に何人かいた。
それなのに、なぜ皇帝は
皆が認める好色なのに
自分には手も出さないのだろうかと
不思議がりました。
クーベルは、
むしろ好色だから、
余計にそうなのではないかと
返事をすると、ザイシンに
厚い祈祷書を持って来ました。
ザイシンは祈祷書を抱きしめて
腕の運動をしながら、
痛めた心を和らげようと
努力しましたが、 今日だけは
祈祷書も無駄でした。
ザイシンは、
神と運動は一緒にできるのに
愛と神が一緒にできないのは変だと
言いましたが、
クーベルは答えたくなくて
席を外してしまいました。
◇捨てた◇
翌日、ザイシンは
夜明けと共に起き出すと
演舞場を10周し、
下半身の筋力運動を少しした後、
入浴をして、
東宮3階の警察部へ行きました。
ザイシンが扉を開けて入ると、
近くの机に座っていた捜査官は
驚いて駆けつけ、
どうしたのかと尋ねました。
ザイシンが口を開く前に、
周囲にいた捜査官たちは
皆静かに彼を注視しました。
規則通りにするために
大神官を臨時監獄に
しばらく置きましたが、
その後、彼らは
微妙な罪悪感と悪夢に
苦しめられていました。
しかし、ザイシンは、怒ったり、
収監されていたことへの
八つ当たりをする代わりに、
ぬいぐるみを探しに来たと
豪快に答えました。
ぬいぐるみ・・・ですか?
と、捜査官は渋い顔で尋ねました。
彼は、なぜ、大神官が
ぬいぐるみの話をするのかと
不思議がっていると、ザイシンは、
自分が数日前に
ここに連れて来られた時、
所持品を全て押収されたけれど
その中に、
ぬいぐるみが一つあったのに
返してもらえなかったと
説明しました。
捜査官は、押収した物品を管理する
職員を呼びました。
その職員も、最初は戸惑って
ザイシンの言っていることが
分かりませんでしたが、
彼が再度説明すると、
職員は目を見開きながら、
あのぼろのようなぬいぐるみなら、
完全に壊れていたので捨てた。
大神官も、
捨てるつもりではなかったのかと
尋ねました。
ザイシンは口を閉じることができず
ぼんやりと職員を見つめました。
彼もその視線を受けると、
つられて怯えました。
一体、あのぬいぐるみが何のせいで
あのようにしているのか。
中に悪霊でも封印されていたのかと
疑いました。
◇もやもやする◇
ザイシンは、
焼却場とゴミ捨て場を歩き回りながら
ぬいぐるみを探しました。
これを見たラティルの秘書の一人は
心配になり、大神官が、
ずっとゴミ捨て場と焼却場を
歩き回りながら、ゴミの山を
掘り起こそうとしているけれど
大丈夫だろうかと報告しました。
ラティルは秘書の話を聞いて、
昨夜、彼を拒否したことを
思い出しました。
あまりにも、率直に
言い過ぎてしまったのだろうか。
しかし、ザイシンを抱いてしまえば、
ラティルは妙な罪悪感に
襲われそうだったし、
騙したと言うには、
少し曖昧なところがあるけれど、
ザイシンを騙した直後でした。
ラティルは、彼を呼んで来るよう
指示を出すと、額を擦りました。
しばらくすると、
薄いシャツを着たザイシンが、
大神官の制服を腕に持ったまま
現れました。
ラティルはザイシンの顔を見ると、
昨日のことを思い出し、
しばらく声をかけることが
できませんでした。
昨日のことのせいで、
そうしているのかと聞くのも
恥ずかしかったけれど、ラティルは
勇気を出して口を開こうとしました。
しかし、その前にザイシンが
クライン皇子のぬいぐるみが
見つからないと、
ラティルが予想できなかったことを
言い出しました。
ラティルは目を丸くしました。
どうして、ぬいぐるみなのかと
不思議に思いましたが、
遅ればせながらラティルは、
昨日、ザイシンが、朝になったら
ぬいぐるみを探しに行くと
言っていたことを思い出しました。
ラティルは、
警察部にぬいぐるみがなかったのかと
尋ねました。
ザイシンは、
ぼろだと思われて捨てられたと答えると
彼の眉の端が下がりました。
ラティルは、
ほっとして彼に近づくと、
彼の肩を叩きました。
抱いてあげることを拒否して
残念がっているのでなければ、
いくらでも慰めることが
できるからでした。
ラティルは、
大丈夫。
クラインが少し大騒ぎするだろうけれど
仕方がない。
ザイシンのミスではないからと
ラティルは、繰り返し
大丈夫だと言って
ザイシンを慰めましたが、
彼は安心できませんでした。
ぬいぐるみを持って来たのは
誰だかわからない犯人で、
ぬいぐるみを壊したのは皇女。
彼が刑務所に捕まったのは
レアン皇子のせいで、
捨てたのは捜査官。
けれども、ぬいぐるみの件で
皇帝を失望させたのは自分だと
考えると、
珍しく悔しい気持ちが
湧き起こって来ました。
ラティルは、
雨に濡れた子犬のように変わった
ザイシンの表情を見ると、
つられて心が重くなりました。
いくらロードがすごいとしても、
捨てたぬいぐるみを、
再び現れるようにしてあげることは
できませんでした。
ザイシンはよろめきながら
ハーレムに戻ると、
演舞場の階段に座りました。
昨日は皇帝に拒否され、
今日はぬいぐるみを
見つけられなかったことで
悲しみました。
ところが、ザイシンが
しばらくぼんやりと座ったまま
湖を眺めていると
隣に誰かが並んで座りました。
ぼんやりと、
そちらを向いたザイシンは、
タッシールを見ると、
驚いて後ろに下がりました。
元々、ザイシンは、
タッシールに対して、
このような態度を取らないけれど
昨日、皇帝への愛を
一緒に告白したせいなのか、
彼はタッシールの顔を
笑って見るのが困難でした。
しかし、タッシールは、
クライン皇子のぬいぐるみを
なくしたそうですねと
平然と聞いて来ました。
ザイシンは、
どうして分かったのかと尋ねました。
タッシールは、
あちこちで聞いたと答えました。
考えてみれば、
自分が失くしたわけではないので、
ザイシンは膨れっ面で
つま先を見下ろしました。
タッシールは、
ヘラヘラと笑いながら
その姿を見ると、
自分がそれを探してあげることは
できないけれど、
代わりに同じ物を
作ってあげることはできるので
そうしてもいいかと提案しました。
自分の靴を
ぼんやりと見つめていたザイシンは
さっと顔を上げて、
それが可能なのかと尋ねました。
タッシールは、
今ならまだしも、
クライン皇子がここへ来た当初は
皇帝はカリセンで
有名な人物ではなかったので
カリセンで皇帝に似たぬいぐるみを
作ることはできなかった。
だから、ぬいぐるみは
皇子がここに来た後、
注文製作して作ったものだと
答えました。
そこまで深く考えてみなかった
ザイシンは、
口をポカンと開けました。彼は、
ゴミ捨て場でぬいぐるみを見つけたら、
糸で繕い、洗うつもりでした。
タッシールは、
誰がぬいぐるみを作ったのか
簡単に見つけることができるだろう。
クライン皇子が、安い材料で
適当に作ったはずがないからと言うと
ニヤリと笑い、
ザイシンの腕を親しげに叩いて
立ち上がりました。
そして、このタッシールだけを
信じればいい。
意気消沈した大神官の姿を見ると
心が痛むと言いました。
ザイシンは、すっかり感動して
瞳が揺れました。
タッシールは、昨日、大神官が
先に自分を治療してくれたではないか。
だから、
少しも負担に感じないで欲しいと言うと
自分の侍従を連れて立ち去りました。
ザイシンは、その後ろ姿を
安堵して見つめました。
隣でクーベルが
本当に良かったと呟きました。
ザイシンも頷きましたが、
不思議なことに、
本当に嬉しくはありませんでした。
妙にもやもやした気持ちが
湧き上がって来ました。
なぜだろうかと、
ザイシンは首を傾げました。
◇真面目な大神官は◇
大神官から
かなり離れた場所まで来ると、
ヘイレンは、後ろをチラッと見ながら
なぜ、そこまで大神官を
助けようとするのかと尋ねました。
そして、
大神官はいい人だけれど
ぬいぐるみについては
命に関わることではないので、
放っておいても、
大神官が皇帝と仲が悪くなったり、
クライン皇子と
仲が悪くなったりする程度なので
知らんぷりをしても
いいのではないかと思いました。
それにタッシールは、必要に応じて、
側室たちの衝突を助長したり、
知らないふりをしていたことも
ありました。
タッシールは、
口元を上げながら
大神官はいい人だからと答えました。
ヘイレンは、
その言葉の意味が分からず、
タッシールが損するかもしれないのに
大神官が気に入ったから
助けたのかと尋ねました。
タッシールは、
善良で実直な大神官が
皇帝への想いに気づいたと答えました。
それを聞いても、ヘイレンは、
まだ、タッシールの言いたいことが
分かりませんでしたが、
タッシールは、
そんな大神官は本当に真面目に
皇帝に近づくだろうと呟くと、
片方の口の端を斜めに上げ、
自分はそれが嫌だと言いました。
ヘイレンは
胸糞が悪いですよねと言うと、
タッシールは認めました。
しかし、タッシールは、
これから大神官が
皇帝に突進しようとする度に、
自分も皇帝を愛していることを
思い出すだろうと言うと
意地悪そうに笑いました。
そして、
じっとしていた時ほど
積極的に近づけないだろうと
言いました。
ヘイレンは、
若頭は本当に悪い人だ。
よくやったと、
嬉しそうに叫びましたが、
数日前の不安が蘇り、
口をつぐみました。
ヘイレンは、
若頭は皇帝を愛していないと
言っていなかったっけと
思いました。
例えば、自分が困っている時に、
ある人が助けてくれた。
すると、別の日に、
今度は、その人が困っているのを見ると
この間、自分が助けてもらったからと
今度は、その人を助けてあげる。
人から良くしてもらったら、
こちらも同じように
お返しをしなくてはと思うことを
返報性の原理と言うのですが、
商人のタッシールは、
仕事をする上で、
この法則を巧みに使い、
自分に有利な取り引きを
して来たのだと思います。
タッシールの言う通り、
大神官がラティルに迫ろうとしても
自分を助けてくれたタッシールも
ラティルのことが好きだと
言っていたことを思い出せば、
優しい大神官のことなので、
ラティルに迫るのを躊躇するかも
しれません。
ただ、タッシールは、
返報性の原理を利用しただけでなく
がっかりしている大神官が
本当に可哀想だと思い、
親切心から助けたようにも思います。
今回、初めて知った事実。
陛下2が
ラティルに似せて作った
ぬいぐるみであること。