114話 エルナが流産しかけている時、ビョルンはデパートで子供のためのプレゼントを買っていました。
突然デパートに押しかけた
ビョルン王子が与えた衝撃から
抜け出した彼らは、
王子は妻を愛していると、
似たような結論を下しました。
今日のビョルン王子は、
彼と同じ年頃の平凡な男のように
第一子を持った喜びでいっぱいの
若い父親のように見えました。
やはり、王子はグレディス姫のことを
愛していなかったという事実に、
人々は慰められました。
愛のない政略結婚だったからといって、
ラルスの魔女が
レチェンの王室を翻弄したという事実が
なくなるわけではないけれど、
少なくとも、最小限の自尊心を守る
口実になりました。
レチェンの前王太子は
国益のために政略結婚し、
国益のためだけに
王冠を外して離婚した。
彼の高潔な犠牲のおかげで
レチェンは莫大な利益を得た。
こうすることで、
他人の子を宿した不道徳な王女を、
王太子妃として嫁がせたラルスに
十分な復讐をした。
それに、王子は見事に
真の愛を見つけた。
これは明白なレチェンの勝利に
違いないと、人々は考えました。
お金は受け取れないと、
しきりに涙を流していた
菓子屋の主人は
きっぱりと首を横に振ることで
王室に対する忠誠心を示しました。
妊娠した妻のために飴まで買う夫。
愛以外のどんな言葉でも
この状況を説明できそうに
ありませんでした。
これまで大公妃を誤解してきた
謝罪の意味だと言って
菓子屋の主人が、
鼻をすすりながら差し出した
ギフトボックスは、
エルナの好みにぴったり合いそうに
飾られていました。
ビョルンは、その気持ちだけ
ありがたく受け取ると言うと、
侍従に目配せしました。
彼は急いで飴代を払いました。
ビョルンは、
残念そうにしている主人に、
眉をひそめて笑いかけながら
プレゼントは、直接、大公妃に
渡すようにと言いました。
店の主人は、
自分が大公妃に会える日が
来るだろうかと尋ねると、
しばらく物思いに耽っていた
ビョルンは頷き、大公妃は、
このデパートが大好きだと
答えました。
田舎に住んでいた頃、
デパートは王宮より
はるかに素敵で美しいところだと
想像していたというエルナの言葉を
思い出したビョルンは、
薄っすらと笑みを浮かべました。
そういえば、
エルナが造花を作って
納品していたのも
このデパートの帽子屋のようでした。
その後、ビョルンは、
お菓子屋を出ました。
飴なんて、屋敷に
いくらでもあるだろうけれど、
それでも一度は
自分で買ってあげたいという
衝動に駆られてから、
ようやくビョルンは、ある日から、
飴をもぐもぐし始めたエルナを
かなり注意深く見つめてきたことに
気づきました。
今になって思えば、それが妊娠の
兆候だったのではないか。
そう思うと、その記憶が、
妻にキスする時に感じた
飴の味のように
いっそう甘く感じられました。
ビョルンは、
もう帰ろうとしていたけれど
さらに上の階へ上がりました。
追いかけてくる見物人は
最初の何倍にも増えていましたが、
今日のことが、
エルナが愛される大公妃になるのに
大きな役割を果たしているとすれば、
喜んで見世物になろうと思いました。
エルナが花を納品したと思われる
帽子屋の前を通る時、
ビョルンの足は自然に遅くなりました。
帽子を飾った造花は美しかったけれど
エルナが作ったものとは
比べ物になりませんでした。
腕が良くて、
人より高い値段で買ってもらったと
自慢していたのは本当でした。
そこを通り過ぎたビョルンは、
アクセサリーが陳列されている
ショーウインドーの前で
立ち止まりました。
連絡さえすれば、
大陸で最高の物を厳選してくる
王室の宝石商を差し置いて
こんなことをするなんて
おかしなことだけれど、
ビョルンは躊躇することなく
一歩を踏み出しました。
ある日から始まった、
エルナに何かを与えたいという
不思議な渇望のためでした。
良いもの、すごいもの。
眩しいほど美しいもので
エルナの世界を
満たしてあげたかったのに、
彼女は何をあげても
完全に喜ばないので、
それが腹が立って気に障りました。
それでも理解できない渇望は
日に日に大きくなり、
その理由が理解できず、
混乱する日々が続きました。
どんな重大事も
自分の管轄下に置いて
コントロールできるのに、
エルナに対する感情を
どうすることもできないという
事実に納得できませんでした。
それを否定しようと
努力すればするほど、ビョルンは
ますます不安になり、焦りました。
自分に喜びと平安を与えるべき
エルナは、いつの間にか
人生を勝手にかき混ぜる
変化要因になっていました。
そして、もはやこれ以上、
役目を果たせなかった瞬間にも、
恐ろしくも愛らしいその女性が
ビョルンをさらに狂わせました。
ビョルンが、
なかなか決めかねていると、
宝石店の主人は、
大公妃には、これが似合いそうだと、
小さな鐘のような飾りが付いた
プラチナのブレスレットを
それとなく勧めました。
派手ではないけれど、
繊細で優雅な作りなので、
エルナに、
よく似合うと思いました。
いつも両手をまめに動かしている
女の手首から、
これが光る姿を想像してみたら
かなり満足な気持ちになりました。
これくらいなら、
いつも身に付けていても
問題がないはずでした。
ビョルンは、
快くそのブレスレットを買いました。
そして、ビョルンは、
花が咲くように美しく笑う
エルナの顔を見られるように、
彼女が起きていればいいなと
思いました。
ゆっくりとデパートを歩き、
さらにいくつかの贈り物を
選んだビョルンは、最後に
エルナが好きそうな
色とりどりの花で作った大きな花束を
買いました。
王子は妻を愛しているという
事実を目撃した群衆の顔の上に
レチェンが愛する
新しい恋愛小説に対する期待感が
揺れ始めました。
傷ついて凍りついた王子様の
心臓を溶かした田舎娘。
あるいは、
邪悪な父が作った借金の塔に
閉じ込められていた
かわいそうなお嬢さんを
救い出した白馬に乗った王子様。
いずれにしても、
平穏に暮らしてきた
高貴な王子と姫の美しい童話より、
はるかに魅惑的な話であることが
明らかでした。
主人公は、
前作で悪役だった美しい淑女
エルナ・ドナイスタでした。
だんだんと周期が短くなる痛みが
エルナを襲いましたが、
ある瞬間からは
意識が薄れてきました。
エルナは顔を上げて
主治医の手首をつかむと、
「赤ちゃん・・・」と呟きました。
赤ちゃんを守って欲しいと
言わなければならないのに、
唇が思い通りに
動いてくれませんでした。
しかし、この苦痛を
早く終わらせてくれと
頼むこともできませんでした。
困った表情の主治医が
もう少しの辛抱だと声をかけました。
もうすぐ赤ちゃんが
よくなるという意味だろうか。
そんなはずがないということを
知りながらも、
エルナは実現不可能な希望に
しがみつきました。
嘘のように血が止まり、苦痛が消え、
また赤ちゃんが、
すくすくと育つ想像。
そうやって秋が去り、冬が来て、
その冬が終わる頃には
美しい子供が生まれる。
エルナの願いが叶えば、
父親にそっくりな子供。
エルナは、これ以上声が出ないと、
唇だけでビョルンを呼びました。
もしかすると、困ったような笑顔を
見せるのではないかと思い、
息子がいいのか娘がいいのか、
誰に似ているといいかと、
一度も聞くことができませんでした。
そうなると本当に
耐えられなくなりそうだからでした。
エルナは、
妊娠の知らせを知った瞬間から今日まで
一日も心を楽にすることが
できませんでした。
父親の犯したことへの罪悪感で
隠れて嘔吐する日がほとんどでした。
食べたいものも、言いたいことも、
一緒にやってみたいことも
本当に多かったけれど、
そんなことを考えると、
エルナは自分が憎くて
耐えられませんでした。
なぜ自分は強くなかったのか。
一人で愛を夢見て、心が折れて、
子供を苦しめたのだろうか。
誰も望んでいないのに、いい妻、
いい大公妃の役割を果たすことに
執着し、自らを蝕んだのだろうか。
ビョルンが望んだ造花一輪で
満足していたら、
皆が幸せだったはずだ。
恥知らずで馬鹿みたいな母親を
嫌う子供のことを
理解しようとした瞬間、
ひどい陣痛が訪れました。
今まで流れた血とは別の何かが
あふれ出る感じがしましたが、
今は指先一本動く力さえ
残っていないエルナにできることは
その絶望的な感覚を
感じることだけでした。
これで終わったと
安堵した看護師の叫び声が
耳元で響きました。
慌ただしく動く足音と
早くやりとりする言葉が続きましたが
そのすべては、もう意味のない騒音に
過ぎませんでした。
切なく呼び続けて来た名前さえ
忘れてしまったエルナの唇の間から
長い泣き声が漏れました。
馬車は、夕暮れ時に
大公の橋を渡りました。
ずっと外を見ていたビョルンは、
隣に積まれている箱を見つめました。
大きな花束の新鮮な香りが
心地よく鼻先をくすぐりました。
娘と絶縁した見返りに
釈放されたウォルター・ハルディは
遠い北端の田舎に
おとなしく閉じこもり、
悲運の王太子妃グレディスの神話は
粉々に砕け散りました。
その残滓さえ
自分がきれいに取り払うので、
もうエルナは、
ただ幸せになればいいだけでした。
自分は喜んで、妻と子供の世界を
眩しいほど美しいもので
埋め尽くすつもりでした。
馬車が大公邸の出入り口を
通り過ぎると、 ビョルンは
懐中時計で時間を確認しました。
彼は身なりをゆっくりと整え、
エルナの好きな
大噴水が見下ろせるバルコニーに
夕食の食卓を用意した方が良いと
思った頃、馬車が止まりました。
ビョルンは花を手に
馬車から降りました。
ところがフィツ夫人が、
突然、彼の手首をつかみました。
一度も見たことのない
乳母の姿に驚く暇もないうちに
大公妃は流産したと、
信じられない言葉が
聞こえてきました。
ビョルンは、
フィツ夫人の言葉が理解し難く
眉をひそめると、
彼女は、さらに力を込めた手で
彼を引っ張り始め、
大公妃は、ずっと王子を呼んでいた。
早く行かなければならないと
訴えました。
ビョルンを急かすフィツ夫人の顔は
涙で濡れていました。
ビョルンは玄関の階段を上がると
ある瞬間から、
夢中で走り出しました。
大理石のホールに
捨てられた花を拾い上げた
フィツ夫人は、
深いため息をつきました。
エルナは苦痛に喘ぐ中、
ずっとビョルンを呼び続けていたのに
彼は、エルナのための
プレゼントを買っていた。
今回のプレゼントは、
ビョルンが本当に
エルナにあげたいと思うものを
選んでいたのに、
皮肉な展開になってしまいました。
流産さえしなければ、
エルナはビョルンからの贈り物を
喜んで受け取り、
自分が愛されていると
感じられたかもしれないのに・・・
ようやく、ビョルンが
自分の感情に気づき始め、
エルナに寄り添おうとした時に
この辛い展開。
今回のお話は、
涙なしでは読めませんでした。
いつも、たくさんのコメントを
ありがとうございます。
明日も、更新しますね。