775話 ラティルはゲスターに、クラインがカリセンに残ると返事をしたのかと尋ねました。
◇普段の自分ならやらない◇
ゲスターは、顔を真っ赤にし
よく分からないと、
しどろもどろに答えました。
ラティルは、
クラインがそうすると言ったか、
もしくは、そうすると言わなくても、
そのような雰囲気が
あったのではないかと思いました。
ラティルは失望感が押し寄せて来て
訳もなく髪をいじりました。
ゲスターは、
クライン皇子は困った立場にいるからと
努めてクラインを庇いましたが
ラティルの気持ちは解れませんでした。
それでもラティルは
クラインを理解しているふりをして
そうですね。
と呟きました。
ゲスターは、
そのようなラティルが
気の毒だというように
用心深く近づくと、
ラティルの肩の上に手を乗せました。
自分が見間違えたのかもしれないと
慰めの言葉も言いましたが、
今回も役に立ちませんでした。
しかし、ラティルは、
ゲスターが話してくれたことに感謝し、
自分も覚悟する必要があるからと
淡々と語りました。
しかし、しばらくすると、
結局我慢できなくなり、
二人は正確にどんな話を・・・と
言いかけているところで、
陛下!
とラティルを呼ぶ
タッシールの明るい声が
割り込んできたため、
ラティルは、これ以上話を聞くことが
できませんでした。
ラティルが振り返ると
タッシールがニコニコ笑いながら
中に入って来ました。
ゲスターは
ラティルが振り返っている間、
眉をつり上げて
タッシールを見ました。
彼はゲスターの表情を見ましたが
明るい声で
お二人、一緒だったんですね。
と言って、近づき続けました。
しばらくゲスターとタッシールは
互いに視線を交わし合いました。
ラティルは、2人の間に
挟まっているだけでしたが、
タッシールとゲスターが
互いに相手に席を外してほしいと
思っているように感じられました。
しかし、
どちらも退きませんでした。
ゲスターは話題を変え、
ラティルに
2番目の赤ちゃんの父親は誰かと
尋ねました。
ラティルは妊娠の発表はしたけれど
父親については黙っていたので
ゲスターは気になるようでした。
ラティルは、
もしかしてタッシールが
答えるかもしれないと思い
父親ね・・
と言葉を濁しました。
しかし、タッシールは
何も知らないふりをして
じっとしていました。
秘密なんですね。
とゲスターが呟いても、
ラティルは何も言いませんでした。
候補者が1人ではないし、
そのうちの1人が側室ではなく
サーナット卿だったので、教えるのが
恥ずかしかったからでした。
ゲスターは、
皇帝が秘密にしたがるのならと呟くと
疎外された気分になったのか
落ち込んだ様子で出て行きました。
そのように出て行くと、ラティルは
申し訳ないと思いました。
彼女はゲスターの後ろ姿を眺めながら
訳もなく眉を顰めましたが、
タッシールがわき腹に抱えていた
封筒を差し出すと、その考えは、
すぐに後ろに追いやられました。
ラティルは、
それは何かと尋ねると、タッシールは
レアン皇子の花嫁候補のリストだと
答えました。
約一週間でリストを手に入れた
タッシールを、ラティルは
心から感心して見つめました。
タッシールは、
手に入れたのではなく、
ただ整理しただけなので、
時間がかかることではない。
既存のリストから
条件に合う人を選んだだけだと
傲慢な表情で謙遜しました。
ラティルは紙を手に取り、
素早く目を通しました。
候補者は5人だったので、
意外と数が少ないと思いましたが、
自分とレアンが望む条件の
両方を合わせるには
少なくなっても
仕方がありませんでした。
突然、ラティルは、
不安な気持ちが沸き上がって来て
タッシールを見ました。
彼女は、
上手くいくよね?
と尋ねました。
タッシールは、
正直に言うと、普段の自分なら
絶対に進めなかった事案だと
打ち明けると、
ラティルは、口を開けたまま
彼を見つめ、
うまくいくと言って欲しいと
懇願しました。
タッシールは、
自分が難しいと言ったことも
皇帝は成功させたと言いました。
その言葉に
ラティルは安堵しましたが、
再び気まずくなりました。
彼女は、タッシールが本気で
そう言っているのではなく、
自分が上手くいくと言ってくれと
頼んだから、
そう言っているのではないかと
問い詰めました。
ラティルは焦っていましたが、
タッシールは、
何がそんなに面白いのか
大きく笑いました。
彼は、元々、こう言おうと思っていたと
返事をしました。
◇不気味なゲスター◇
皇帝と、さらにいくつかの話をして
外へ出たタッシールは、
善良そうでハンサムな男が
近くの柱にもたれ、腕を組んで
こちらを見ているのを発見しました。
その優しそうな顔で、
喧嘩を売ろうかどうか悩んでいる
雰囲気を漂わせている様子に、
ヘイレンは、
ブツブツ文句を言いました。
タッシールは、
なぜブツブツ言っているのかと尋ねると
ヘイレンは、
いつも彼は、あのようではないかと
答えました。
そして、わざとゲスターの方を
見ないように努めながら、
タッシールの腕をそっと握ると、
あのような人と絡むな、
早く行こうと促しました。
しかし、ヘイレンと一緒に
何歩か歩いたと思ったタッシールは
突然振り向くと、
ゲスターに近づきました。
ダメ、若頭!
ヘイレンは心の中で
悲鳴を上げましたが、
すでにタッシールは、
ほぼゲスターの前に
到着していました。
ゲスターはタッシールが来ると、
組んでいた腕を緩めながら、
自分に話したいことでもありそうだと
確認しました。
あれほど熱心に
タッシールを睨みつけていた人が
言うことではありませんでした。
しかし、タッシールは、
この程度の言葉では
びくともしませんでした。
彼は、
ここにいない人との仲を
裂こうとすれば、皇帝が
がっかりするのではないかと
忠告しました。
彼の言葉にゲスターは
片方の眉を斜めに上げながら、
仲を裂くって・・?
と聞き返しました。
タッシールは、
クライン皇子のことだ。
彼が、ここを去るようなことを
巧妙に話していたのを
全部、聞いたと答えました。
ゲスターは、
やはり全部聞いていたんだと言うと
片手で口を覆い、
ぷっと吹き出しました。
しかし、音がするだけで、
目に表情がないため、ぞっとしました。
ゲスターは、その状態で
タッシールに近づくと、
そう言うタッシールも
じっとしていた。
その方がタッシールにも有利だから。
自分たちの中で善良なのは
筋肉大神官しかいないのに、
善良なふりをするなんてと
耳元で囁きながら、
タッシールを見つめました。
彼は、角度上、その光景を
見ることができませんでしたが
ヘイレンは、
そのぞっとするような姿を見て、
腕をこすりました。
ヘイレンはゲスターが行くや否や
急いでタッシールに駆け寄り、
彼を引っ張りながら、
ゲスターは、本当に二重人格者なので
彼の言うことは気にするなと
助言しました。
しかし、タッシールは、
ゲスターの言ったことは事実なので
当然、気にしないと
全く、気分を害していませんでした。
ヘイレンは、もちろんタッシールも
仲違いさせるのが上手だけれど、
ここまではしていないと反論すると
タッシールは、
知っていながら、
全て放置したことはあると答えました。
ヘイレンは、
ライバル同士なのだから、
まあ、それくらいなら、
いいのではないかと言いました。
彼は、そう言いながら、
自分が少し二枚舌だと思いましたが、
タッシールは、本当に
仲違いさせたわけではないからと
思いました。
タッシールは、
そんなヘイレンの本音が
はっきり分かったので
笑ってばかりいました。
宮廷人たちが通り過ぎると
他の方を向いて笑いました。
タッシールは、
気にしないように。どうせ自分も、
クライン皇子のために
話したのではなく、
ゲスターのプライドを傷けるために
話したのだと打ち明けました。
ヘイレンは、びっくりしました。
◇レアンが選んだ人◇
ラティルは
すぐにレアンを呼び出すと
彼の結婚相手の希望条件について
考えてみたかと尋ねました。
レアンは当惑した表情で
もう聞くのかと聞き返しました。
それを聞いたラティルは、
どうして驚いたふりをするのか。
どうせ、あらかじめ条件について
考えていたはずなのにと
心の中で皮肉を言いました。
そして、条件だけでなく、
レアンも、自分と結婚するに値する
相手のリストを持っているだろう。
レアンの支持者たちが
彼の結婚問題について
頻繁にラティルに言及したのは
すでに準備ができているから、
そうしたのだと思いました。
ラティルは、
レアンに条件がなければ、
評判が良く、家柄のいい人を
自分が適当に選ぶと言いました。
レアンはしばらく考えた後、
ラティルが作ったリストをくれれば
その中から選ぶ。
向こうが断ってくれば、
他の人にプロポーズ使節を
送らなければならないので、
一度に何人か選んでおいても
いいと思うと、
意外と素直に承知しました。
ラティルは、
魂胆も本音も隠すのが上手な
レアンは、
もしものことが起こっても
花嫁は彼が選んだのではなく
自分が選んだということを
確実にさせたいという彼の意図が、
はっきり分かりました。
しかし、それに気づかないふりをして
「いいよ」と返事をし、
用意しておいた紙を差し出しました。
レアンは、ラティルが
事前に準備していたんだと
わざと秘書たちの前で指摘しました。
ラティルは、
自分は皇帝だから、
いつも準備している。
衝動的に何かをしたりはしないと
ずうずうしく返事をすると、
ニッコリ微笑みました。
元のリストを用意したのは
タッシールでしたが、
写しを作りながら、ラティルも
いくつか名前を書き込んだので、
全く嘘でもありませんでした。
レアンが満足できるような名前だけ
書かれていれば、
あの疑い深い人間は、
結婚をしないと言い張るかもしれない。
けれども、2人目が生まれる前に
全ての仕事を終えるためには、
レアンの結婚も
早く終わらせなければならないと
思いました。
レアンは手を伸ばして
紙を受け取りました。
しばらく紙を見ていたレアンは、
ある名前を見た時、微かに眉を顰め、
ベゴ?どうしてラティルが
この人を知っていて、
リストの中に入れたんだ。
と心の中で呟くのが
聞こえて来ました。
ベゴってベゴミア?
レアンは、
彼女を選ぼうとしているのかと
ラティルは考えました。
彼女は辺境地方の侯爵の五女で、
タッシールが選んできた5人のうちの
1人でした。
ラティルは、
やはりタッシールはすごい。
レアンが選ぶ女性を完璧に見極めたと
内心感心しましたが、
表面では何の気配も見せませんでした。
レアンは改めて気を引き締めたのか、
それ以上、心の中を見せませんでした。
それから、
しばらく悩んでいるふりをした後、
ティメナ伯爵にすると告げました。
ラティルは反射的に「ベゴは?」と
聞くところでした。
ティメナ伯爵は
タッシールが用意した名前ではなく、
ラティルが後から入れた名前でした。
それなのに、この人にするなんて、
本当に、このタヌキみたいな人間は
何を考えているのかと、ラティルは
心の中でレアンを罵りました。
◇お前だったのか◇
レアンの思考が
再び迷路の中に入り込みました。
ラティルは
その後を追おうとしましたが、
怒って庭に出ました。
ラティルは庭のベンチに座り、
赤い花を摘んで、
鼻の下へ持って行き目を閉じました。
ストレスが溜まりすぎたらダメ。
自分は普通の人より
はるかに丈夫だけれど、
できるだけストレスを溜めないために
良いことを考えてみようと
思いました。
しかし、
レアンに一発食らわせる考えは、
良い考えなのか悪い考えなのか
分からない。
そうすれば、すっきりするけれど、
彼と喧嘩になりそうなのは
ダメではないかと考えていると
人の気配を感じました。
ラティルは目を開けると、
サーナット卿が近づいて来ました。
目が合うと、
彼はしばらく立ち止まりました。
彼と目が合うと、サーナット卿は
時間だからと呟き、
急いで近づいて来ると、
いつも立っているラティルの後ろに
立ちました。
ラティルは鼻で笑い
わざと前を見ました。
しかし、その状態で黙っていると、
後ろで存在感なしに立っている
サーナット卿がとても気になりました。
だからといって、
首を回して確認するのは
プライドが傷つくので、
ラティルは手鏡を取り出し、
サーナット卿を確認しました。
彼は、
じっと立っているだけでした。
そうしているうちに
鏡越しに目が合うと、
ラティルは驚いて鏡を落としました。
顔に熱を帯びてきました。
ラティルは心の中で悪口を言いながら
腰を曲げました。
しかし、一歩先に
サーナット卿の腕が突き出て、
彼はあっという間に鏡を拾って
ラティルに渡しました。
その態度を見た瞬間、
ラティルは胸に残っていた
わだかまりが爆発して
鏡を投げ捨てました。
鏡の破片が、木の下に散らばりました。
当惑したサーナット卿は
呆然とした目つきで
ラティルを見つめました。
彼女はベンチから
勢いよく立ち上がると、
自分のことが嫌だと言って
礼服まで燃やしたくせに、
子供ができたかもしれないと
思った途端、怖気づいたのか。
子供がサーナット卿の子供なら、
自分が何かいじめるとでも思って
そうしているのかと責めると、
サーナット卿は、
そういうことではない。
ただ、腰を曲げると、
体に良くないと思ったからと
弁解しましたが、ラティルは、
子供が
サーナット卿の子供かもしれないから
そうしているのではないかと
非難しました。
サーナット卿は、絶対に違うと、
断固として否定した後
自分が、いつ皇帝を嫌っていると
言ったのか。
自分は外側で皇帝を守ると
言っただけだと反論すると、
ラティルは、
それがそうだと主張しました。
サーナット卿は、
全然違うと反論しましたが、
ラティルは聞けとばかりに
わざと大きく鼻で笑って
立ち去りました。
一人残されたサーナット卿は、
自分の髪を搔き乱し、
顔をしわくちゃにしました。
その姿を、遠くから見守っていた
ゲスターは、
お前だったのかと呟きました。
ゲスターは
クラインの悪口を言うことで
彼女の心をクラインから
離れさせようとしているのか、
彼のことで不安になっている彼女を
慰めることで、
自分の点数を上げようとしているのか
分かりませんが、ゲスターが
他の側室を陥れようとする度に、
その側室に対する
ラティルの心配度が上がり
かえってゲスターには
マイナスになることに
いい加減、気づくべきだ思います。
ラティルを心配ばかりさせる
ゲスターは、彼女に
安心感を与える存在ではないと
思います。
それに比べて、タッシールは
少しラティルを
心配させるようなことを言っても
必ず、フォローするし、
とてもラティルを
大切にしていることが
彼の言動から感じられます。
いくらラティルが強い女性でも
自分をいつも不安にさせる
人よりは、自分を優しく
包み込んでくれる人の方がいいと
思うのではないかと思いました。