118話 大公妃の部屋を改装した室内装飾家がやって来ました。
王国最高の室内装飾家として
名声を博している
ローレンツ·ディクスは、
大公邸の客用応接室に向かいながら
名実共にレチェン最高の有名人である
エルナ・ドナイスタに
会えるかと思うと、
隠し切れない期待感で
顔が上気していました。
魔女であることが明らかになった
王女を燃やした場所に
新しい偶像を立てたと言っても、
過言ではありませんでした。
ディクスが寝室を改装している間、
大公妃は
一度も姿を見せなかったので、
彼は彼女に会えないと
思っていましたが、幸い最後の日に、
彼女と会う幸運が訪れました。
大公妃が待っている
応接室の中央に近づいた彼は、
完璧な礼儀を尽くして
頭を下げました。
大公妃の、
笑い交じりの優しい挨拶が
耳元をくすぐりました。
響きが柔らかくて
聞きやすい声でした。
案内された席に座ったディクスは、
精一杯上品な態度で
頭を上げました。
にっこり微笑む大公妃と
目が合った瞬間、
顔一つで、大公妃の座を
射止めたという評判が、
ただの揶揄ではなかったことが
分かりました。
目の前にいる大公妃は、
毎日のように新聞に掲載される
写真や肖像画よりも
はるかに美しく、小柄で細くて、
少女のように
幼い感じを与えているけれど、
端正な姿勢と表情からは、
王室の貴婦人らしい品位が
にじみ出ていました。
何よりも、
相手をじっくり見つめる
その澄んだ目つきが
とても印象的な美人でした。
彼が躊躇っている間に、エルナは、
寝室を、とてもきれいに
改装してくれたことにお礼を言い、
彼を労いました。
大公妃とグレディス王女。
果たして、美しさでは、
どちらが優れているのか。
すでにグレディス王女に
謁見したことのある彼が
大公妃にも会うと聞くと、
周囲の人々は
皆それを知りたがっていましたが
ディクスは、
大公妃だと思いました。
大公妃とグレディス王女は
系統の違う美人で、
それぞれの美しさがあるけれど、
ディクスの選択は大公妃。
レチェンの美人が最高。
ラルスの奴らには、
何一つ負けたくないと思いました。
再び自分の名前を呼ぶ
大公妃の声を聞くと、
ディクスは、自分が
情けないことをしていることに
気づきました。
恥ずかしがる彼を見つめながら、
大公妃は、もう一度
淡い微笑を浮かべてくれました。
ディクスは、
とんでもない結婚をしたと、
ビョルン王子を罵ってきた
レチェンの男たちは、
深く反省して当然だと、
断固たる結論を下しました。
高潔なレチェンの王子は、
その性情に似た審美眼を
持っていたに違いないと思いました。
そして、
このすごい美人に対する評価が
なぜ、そんなに良くなかったのかと
不思議に思った彼は、
じっくり考えた結果、
どうやら、皆、魔女の呪いに
かかっていたに違いないという
結論を出しました。
ディクスが
寝室の天井や床について説明する時
彼の視線は、
エルナに向けられていました。
彼女が、彼の話に
耳を傾けてくれる態度に
ますます興奮してきました。
室内装飾家は、
大公妃から目を離すことなく、
口が痛くなるほど
話し続けていましたが、
気弱なエルナが、
再び彼のおしゃべりに応じる前に、
フィツ夫人が厳しい声で、
もう説明は十分だと思うと
言いました。
話したくてたまらないといった
顔をしているディクスに
厳しい視線を送ったフィツ夫人は、
エルナに、
気に入ったかと尋ねました。
彼女は寝室を見回した後、
静かな笑みを浮かべながら
本当にきれいだと返事をして
頷きました。
多少義務的に感じられる
答えでしたが、フィツ夫人は
これ以上、
問い詰めないことにしました。
立ち居振る舞いが
かなり軽薄ではあるものの、
ディクスの腕は、確かに優れていて
元々、この宮殿の
全体的な雰囲気に合わせて荘厳で
華やかだった寝室を
エルナの好みに合わせて
改装したのですが、これくらいなら
高い点数を与えても
惜しくありませんでした。
エルナは、
もし変更したい部分があれば、
気軽に話すようにと言われましたが
特に悩むことなく、
すべて、十分、気に入っていると
答えました。
華やかな色合いの壁紙と
優雅で女性的な感じを与える家具と
可愛らしい装飾を見たエルナの視線が
ベッドの上で止まりました。
貴重な木材で作られたというベッドと
繊細なレースを惜しみなく使った寝具は
綺麗でした。
そのベッドを背にして立ったエルナと
目が合ったフィツ夫人は
困った表情をしました。
何か言わなければと思ったエルナは
最初に目についた絵について
絵も変わったと言及しました。
花が咲き乱れる野原を描いた
風景画でした。
そういえば、寝室に掛けられた
ほとんどの絵が花でした。
花のための部屋は、
一面、花で飾られていました。
エルナは
何の不満もありませんでした。
そばに近づいて来たディクスは
来週からは、続きの応接室を
改装する予定なので、
大公妃の希望を聞かせてくれれば
それに完璧に合う結果を見せると
言いました。
実は、一番最初に
直さなければならなかったのは
応接室でした。
醜くて奇妙な巨大な象の像と
タイプライター。
リボンをつけた鹿の角など、
変わったものが、
たくさん集まっている
その空間を初めて見た瞬間、
ディクスは、
とても大きな衝撃を受けました。
その時は、大公妃が、
かなり偏屈な性格だと思っていました。
しかし、
しばらく悩んでいたエルナは
応接室については、
今度、議論すると言うと、
ディクスの表情が沈鬱になりました。
切実な目で彼女を見ても、
大公妃は考えを変えませんでした。
彼が再び口を開こうとした瞬間、
フィツ夫人の厳しい声に
止められました。
これ以上、何か言うと、
あの刃のような視線に
喉を切られそうなので、
彼は、この辺で口をつぐみました。
フィツ夫人は、
自分たちは出て行くので、
もう少しゆっくり見てみるようにと
エルナに勧めると、
ディクスを連れて立ち去りました。
エルナは見慣れない寝室の真ん中に
一人、取り残されました。
彼女は、ビョルンが与えた
猶予期間を思い出すと
瞳が小さく揺れました。
遅くても明日までには、
またこの部屋に
移らなければなりませんでした。
いらいらしながら
寝室をうろついていたエルナは、
呆然とした目で
新しいベッドを見つめました。
息がうまくできませんでした。
王宮からの電報を受け取った
ビョルンは、
深いため息をつきながら
そら笑いをしました。
うんざりなハードフォートたちを
人生から切り取ったと思ったら
グレディスの兄のアレクサンダーが
レチェンに現れました。
予想通り、彼は、
ラルス王室から抗議の意を
示そうとしているようでしたが、
皇太子ではなく、
次男のアレクサンダー王子を
送って来たのを見ると、
ラルスも、それほど大きな期待を
抱いているわけではなさそうでした。
だから、ビョルンは
適当に体面を保てばいいと
思っていましたが、
アレクサンダーが、
自分に恋焦がれるように
訪ねて来るとは思いませんでした。
ビョルンは、
馬車を待機させるよう指示すると、
半分も飲んでいない
席を立ちました。
アレクサンダーは、頑として
ビョルンとの面談を要求していると
レオニードは言って来ました。
よほどのことがなければ、
自分で解決したはずのレオニードが、
急を要する電報まで
送って来るのを見ると、
アレクサンダーは、
かなりの意地を張っているようでした。
いずれにせよ、
ラルスが絶対的に不利な状況だけれど
外交というものは、
それほど単純な問題では
ないということが問題でした。
密約が破られ、
両国の関係は微妙になりましたが
ラルスは依然として
レチェンの最も近い同盟国でした。
今まで、密約の件について
特に言及がないのを見ると、
そのことで、ラルスは
同盟まで破る意向がないことは
確実でした。
そのため、こちらでも
同盟国に対する最小限の礼儀は
守らなければなりませんでした。
馬車の準備ができたと
伝えられたビョルンが
急いで1階に下りると、
見送りに出ているエルナが
見えました。
彼女が優しい声で
自分の名を呼ぶのを聞くと、
心がいっそう穏やかになりました。
エルナはビョルンが
王宮に行くと聞いたと話すと
ビョルンは
大したことではないと言うように
笑いながら
妻の頬にキスをしました。
ビョルンは、
泣き虫王子に
会わなければならないと話しました。
見るまでもなく、
いやらしく泣きながら、
妹の事情を見てほしいと
哀願する姿を見ることを考えると
ビョルンはイライラしてきました。
ビョルンはエルナに
行って来ると挨拶をすると、
気持ちを整えるようにもう一度、
今回は唇に軽いキスをしました。
馬車に乗り込もうとした
ビョルンは、今日が、
エルナが自分の寝室に
戻ることにした日だということを
思い出したので、エルナに
荷物は全部運んだのかと
尋ねました。
もう本当にアレクサンダーを
引き裂いて、
命を奪うこともできるような
気がしました。
エルナは、
しばらく躊躇いましたが、
「はい」と返事をすると
すぐに微笑を浮かべて見せました。
作為的に感じられるけれど、
以前よりは一段と良くなりました。
エルナが気軽に
言葉を続けることができないでいると
代わりにフィツ夫人が
今夜中に仕上げておくと
返事をしました。
ビョルンは頷くと
馬車に乗り込みました。
馬車の扉が閉まる前、
ビョルンは衝動的に妻を呼びました。
指先を見下ろしていたエルナは、
ぎょっとして、顔を上げました。
ビョルンは無邪気に笑いながら、
「行ってきます」と、もう一度、
先ほどのような挨拶を
繰り返しました。
じっと彼を見つめていたエルナは、
返事の代わりに
ぎこちない笑みだけを浮かべました。
妙に気になる態度でしたが、
ビョルンは特に何も言わずに
出発を指示しました。
帰って来たら、エルナは
元の場所に戻っているはずなので
それで十分でした。
馬車が進入路を出る前に、
ビョルンは衝動的に
後ろを振り返りました。
今や小さな点のように見える
エルナは、
相変らず玄関の前に立っていて
去って行く彼を見つめていました。
いつも、たくさんのコメントを
ありがとうございます(^^)
新しくなった寝室は
エルナの好みに合わせて
装飾されていて、
花が咲き乱れる野原の絵は
バフォードのそれを
思わせるようなものではないかと
思います。
ビョルンは、エルナが喜ぶように
そうしたのでしょうけれど、
花のための部屋という表現に
これからもビョルンの妻として
生きていくための
エルナの諦めみたいなものを
感じました。
エルナが寝室に
不満を抱いていないもの、
エルナも気づかないうちに
そんなことをしてはいけないという
心理が働いているのかもしれないと
思いました。
ビョルンは以前に比べて
随分、優しくなったように
感じますが、
エルナは魂の抜け殻のよう。
ビョルンの機嫌を損ねないよう
上辺だけは取り繕っているけれど
自分の気持ちを
かなり押し殺しているような
気がします。
最後のビョルンのシーンに、
これから何か良くないことが
起きるのではないかと予感させられ、
作者様の表現力はすごいと思いました。
明日も更新しますので
よろしくお願いいたします。