126話 レオニードとルイーゼがバーデン家にやって来ました。
エルナはリサに背中を押されて
応接室に入ると、
ここで会うことになるとは
夢にも思わなかった顔が
エルナを待っていました。
ギョッとして立ち止まる
エルナの視線が
ルイーゼに向けられました。
目が合うと、
ブルブル震えるルイーゼの唇に、
ぎこちない笑みが浮かびました。
エルナが、よく見せるような
表情でした。
礼儀正しく黙礼をしたエルナは、
そのそばに立っている
男性に目を移しました。
きれいに梳かした白金色の髪と、
涼しげな灰色の目。
美しく気品のある顔を見た
エルナの瞳が小さく揺れました。
沈黙が長くなると、
彼は少しため息をつきました。
しかし、エルナは
レオニードが説明する前に
「こんにちは、王太子殿下」と
先に挨拶しました。
今日はメガネを
かけていませんでしたが、
レオニードとビョルンの
見分けがつかないわけでは
ありませんでした。
そして、再びルイーゼと
向き合ったエルナは
「お久しぶりです」と
静かな笑みを浮かべて
挨拶しました。
レオニードは、
本当に申し訳なかったと
エルナに謝ることで、
長く続いた説明を
締めくくりました。
傾聴するエルナの顔は、
この話が始まった時と同じように
穏やかでした。
レオニードが
じっくり説明してくれた
ラルスとの密約を理解するのは
それほど難しくなかったし、
王政と共和政が激しく対立する
大陸の情勢の中で、
同盟国の王室を守る代価として
ビョルンが得ようとしたものが
何なのかも、エルナは十分に
納得することができました。
けれども、
あまりにも複雑で巨大な
その世界の算法は、
もはやエルナの人生とは無縁でした。
エルナは、
自分に謝る必要はないと告げると
微笑を取り戻した顔で
レオニードと向き合いました。
そして、
レオニードが話してくれたことは
理解できたし、
なぜビョルンが、そのような選択をし
徹底的に機密を維持したのかも
理解できたと話しました。
レオニードは、
グレディス王女の不正を
覆い隠す代価として、その密約を
先にラルスに提案したのも、
協定締結を主導したのも
ビョルンだったので、
彼は、そのことに対して
過度な責任感を持っていたと
話すと、エルナは
その点も理解すると言って
頷きました。
しばらく、息を整えたレオニードは
途方に暮れた目で、
隣に座っているルイーゼを
見つめました。
これといった手がないのは同じなのか
ルイーゼも、
静かなため息をつくだけでした。
予想とは違い、
目の前にいるエルナは
以前と同じ姿なのに、
まるで全く違う人に
向き合っているような気がしました。
悩んでいたレオニードは
ルイーゼを呼びました。
「早く」と口の形だけで
付け加えた命令は
かなり厳しいものでした。
ルイーゼは、
複雑なため息をついて頭を上げると
自分が大公妃に
大きな傷を与えたことを知っている。
それを意図した言葉と行動だったから
当然だ。
グレディスの真実を
知らなかったからだと
言いたいけれど、
それは完璧な言い訳には
ならないと思う。
グレディスのことがなくても
自分は大公妃を
あまり歓迎しなかったはずだからと
抑揚のない声で話しました。
続けてルイーゼは、
兄が、どれだけひどい蕩児に
転落したとしても
一時、レチェンの王太子だった
大公の妻になるには、エルナが
とても至らない淑女だと思った。
悪意を持って歪曲された
噂と評判だけで判断した
ハルディ家の令嬢はそうだったから。
他の皆がそうだったように、
自分はその裏の真実を
探す気のない人だったと話しました。
やはりビョルン・ドナイスタの妹だと
レオニードは眉を顰めて
ルイーゼを見つめました。
間違いなくお詫びをすると
言っていたのに、
これは言いがかりに近い
話法ではないかと思いました。
いっそのこと、
もう止めさせるべきか
悩んでいるうちに、ルイーゼは
グレディスが犯したことを
全く知らなかった自分は、
彼女が再びレチェンの王子妃に
なってくれることを切望した。
グレディスと自分は
姉妹に近い友人同士だと
信じてきたから。
それで大公妃を嫌っているのだと
思っていたけれど、
すべての真実を知ってみると、
それはただの口実に
過ぎなかったのかもしれない。
自分の気に入らない兄の妻を
思う存分憎むことができる
もっともらしい口実だった。
自分にも
真実を話してくれなかったので、
このような状況を作った兄が
恨めしいし、
騙されたまま過ごした時間が
悔しいけれど、このことが
大公妃に犯した過ちを
合理化する口実には
なってくれないと思う。
これは自分と兄が
解決しなければならない、
自分たち二人の間の問題だ。
だから、
そのいやらしい言い訳をして
許しを強要することはしない。
自分はグレディスを口実にして
大公妃を苦しめ、
消すことのできない傷を与えたと
話しました。
仮面をかぶったように
堅固だったエルナの微笑に
微細な亀裂が入りました。
ルイーゼは、
自分が傲慢で軽率だったことを謝り、
もし自分を許すのが難しいなら、
その意思を尊重する。
王室一家として、
一緒にいる義務がある席は
避けられないけれど、
それ以外は、
大公家の件には関与しない。
だから、もう帰って来て欲しいと
頼むと、
相変らず、何の恨みの色もなく
澄んでいるだけの
エルナの瞳を見つめながら、
数えきれないほど練習してきた
言葉を伝えました。
「兄が大公妃を
とても恋しがって待っている。」
王子は妻を愛している。
その推測は、
今や一つの定説となっており、
ハーバー家のパーティーでの
戦いは、その事実を
より確固たるものにする
もっともらしい根拠となりました。
都市全体に広まった噂を
聞いた人たちや、大公邸の使用人は、
ロビン・ハインツが悪いと、
大体似たような反応を見せました。
その戦いの知らせは
今日付けのタブロイド紙の一面を
飾ったけれど、
王室の毒キノコなどの
恥辱的なニックネームは
どこにも見当たらず、
皇子を称えていました。
あの暴れん坊は、以前、
妃殿下にひどいことをした。
さすが王子様は喧嘩も上手で
かっこいいと
記事を読んでいる間、
ビョルン王子を称える言葉が
続きました。
ロビン・ハインツが
どれほど悲惨な姿になったのか
誰も関心を持ちませんでした。
一人の子供のために、
王室と対立するのは愚かなことだと
判断を下したのか、
ハインツ家も沈黙を守りました。
記事は、ハーバー家で
ビョルン王子が
切なそうに呼んだ妻の名前が
まるで胸に染み入る愛の詩のように
聞こえたという
ある匿名の情報提供者の証言で
終えられていました。
今日は自分の番だと言って
読み終えた新聞に
大きく掲載されている
王子の写真を切るメイドを見た
カレンは、
王子様のせいで
神経症になりそうだと言っていたのにと
笑い出しました。
写真は自分に癇癪を起こさないと
真剣に答えたメイドが、その写真を
エプロンのポケットに入れた途端、
王子の帰宅を知らせる鐘の音が
鳴り響きました。
慌てて立ち上がった使用人たちは
先を争って玄関に駆け出しました。
全員の願いが叶ったのか
王子は優しい笑みを浮かべて
馬車から降りました。
今週に入ってから、
目に見えて機嫌が良さそうなのは
おそらく妻の仇を討ったことが
原因ではないかという推測が
一番有力でした。
優雅に歩く王子の後ろ姿を
チラチラと見ていた使用人たちは、
安堵のため息をつきました。
「エルナは?」と
習慣的に吐き出しそうになった
その言葉を飲み込み、
ビョルンは
書斎の机の前に座りました。
フィツ夫人は、
いつもと変わらない態度で
いくつかの報告事項を伝えました。
年末になると、
多くの招待状が送られてきましたが
断れる招待は全て断ってと
ビョルンは指示しました。
その言葉に
フィツ夫人の目が丸くなりました。
手当たり次第に
招待を受け入れて来た
最近の状況を考えると、
かなり驚くべき命令でした。
王子の突然の心境の変化に
フィツ夫人は疑問を感じましたが
イライラしていた王子の気性が
和らいだおかげで、
せっかく訪れた平穏を
あえて破る必要はないので
反問しませんでした。
ところが、
フィツ夫人が下がろうとした瞬間、
ビョルンが、
来月、旅行に行こうかと思うと
とんでもない話をして来ました。
驚いているフィツ夫人にビョルンは
暖炉の上に置かれている肖像画を
見つめながら、
正確な日程は来週中にと
淡々と告げました。
エルナが帰ってきた後にという
言葉を飲み込み、
ビョルンは微笑みました。
去年の、めちゃくちゃだった
最初の誕生日の記憶を
きれいに消せるように、
エルナが好きそうな、
一年中花が咲き乱れるような
楽園のような南国で
エルナの誕生日を
過ごしてもいいと思いました。
長い旅行は大変だと思うけれど
日程をうまく調整すれば
その程度の余裕を
作ることができました。
そのために、年末と年始は
忙しくなるだろうけれど、
あの不埒な債務不履行者が
元の場所に戻るなら、
それほど大きな問題では
ありませんでした。
ビョルンは、
無意識に開いた葉巻の箱の蓋を
再び閉めると、
静かなため息をつきました。
ここ数日は、いつもの半分も
葉巻を吸っていませんでした。
日常が少しずつ正常の範囲内に
戻って来ているという
安定感のおかげか、
体の状態も一層楽になりました。
これなら、
自分勝手に逃げ出して帰って来た妻を
大目に見てあげられるような
気もしました。
再びビョルンの視線が、
肖像画の中のエルナの顔に
届いた時、
ルイーゼがやって来ました。
ビョルンが待っていた
まさにその知らせでした。
いい加減、エルナのことを
不埒な債務不履行者と呼ぶのは
止めたら?と
ビョルンは言いたいです。
確かにエルナはビョルンから見たら、
道理に外れたことをしたのかも
しれませんが、エルナが
そのようにせざるを得ないほど
心身共に追い詰められていたことを
理解して欲しいです。
それでも、去年のエルナの
惨憺たる誕生を償ってあげようと
思えるようになっただけマシだけれど
まだまだビョルンの反省は
足りていないと思います。
ルイーゼはエルナに
謝りに来たのでしょうけれど
喧嘩を売りに来たとしか
思えないのは気のせい?
レオニードの言う通り
ビョルンとルイーゼは
よく似ている兄妹なのですね。
いつも、たくさんのコメントを
ありがとうございます。
毎日、暑い日が続いて
体の中から
湯気が出て来そうです(爆)
気持ちだけでも涼しくなれるように
残雪の立山の画像をUPします。