818話 皇帝がそばにいないと眠れないと思うとクラインは言いましたが・・・
◇笑顔はハンサム◇
ああ、頭が痛い。
ラティルは
ベッドから起き上がると
凝っている首を叩きました。
一晩中、クラインが
あまりにも強く抱きしめていたせいで
ラティルは寝心地が悪く、
肩と首がズキズキしました。
一方、クラインは
とても安らかに眠れたのか、
幸せそうな表情で
まだ、ぐっすり眠っていました。
いつもより艶のある彼の肌を見ると、
ラティルは
訳もなく腹が立って来たので
よく寝ているクラインの肩を揺すり
朝だから、起きてと
声を掛けました。
クラインは、
ゆっくり目を開きました。
しかし、心が寛大になっている彼は
熟睡しているところを起こされても
神経質になりませんでした。
彼がにっこり笑いながら
ラティルの手を握ると、
彼女の心はザワザワしました。
とにかく笑っているとハンサムだ。
その偉そうな顔を
呆れながら眺めていたラティルは
すぐに心が和らぎ、微笑みました。
ラティルは、
体だけ大きいクラインは
よく眠れたかと尋ねました。
すると、クラインは
陛下は?
と聞き返して来ました。
ラティルは、
寝られなかったと答えると、
クラインは、
自信満々に口元を上げながら
自分のせいかと尋ねました。
言葉だけ聞けば正しいけれど、
クラインは、ラティルとは違う意味を
考えているようでした。
彼の手が、
ラティルの手の甲を、もぞもぞと登り
腕まで上がって行きました。
そして、クラインは
ラティルの腕に軽くキスすると
にっこり笑いました。
ラティルが自分の魅力に酔って
眠れなかったと
確信している姿でした。
ラティルは呆れましたが、
彼の髪の毛が優しく腕に触れると、
手入れの行き届いた猫の毛が
触れたようで心地良いと思いました。
ラティルは、
そうだ、クラインのせいだと言うと
クラインの髪をつかんで、
その上にそっとキスをし、
ベッドから立ち上がりました。
クラインは、
どこへ行くのか。
一緒にいてくれないのかと尋ねました。
ラティルは、
働かなければならないと答えると
クラインは、
宮殿が壊れたついでに
何日か休んではいけないのかと
尋ねました。
ラティルは、
絶対にダメだ。
こんな時こそ、
欠点を掴まれてはいけないと言うと
ラティルは名残惜しいけれど
彼の髪を放し、
椅子にかけておいた上着を
着ました。
何とか、あの変な奴から離れ、
皇帝と一緒に
いられるようになったのにと、
クラインは不満そうな声で
呟きながら、
大きな枕にもたれかかりました。
その言葉を聞いてラティルは、
そういえば、
白魔術師はどうなったのかと、
遅ればせながら尋ねました。
◇すごい吸血鬼なのに◇
白魔術師はイタチに変わって逃げたと、
カルレインは
煮えくり返る怒りを辛うじて抑えながら
ラティルに報告しました。
ラティルは、
以前も見逃したのではなかったかと
困惑しながら尋ねました。
一度は驚いて
見逃してしまったとしても、
カルレインのようにすごい吸血鬼が
今回も同じ方法で逃げられたという
同じミスを2回もすることが
信じられませんでした。
カルレインは、普段とは違う表情で
自分の耳を触りました。
代わりにゲスターが
茶葉をスプーンで1杯ずつ
やかんに入れてかき混ぜながら
白魔術師が、
少なくとも数百匹ほどのイタチを
一度に放ったそうだと
説明しました。
ラティルは小さく嘆きました。
カルレインは、
ずっと耳をいじくり回していました。
ゲスターは
カルレインとラティルを交互に見ると、
自分が白魔術師と戦っていれば
逃さなかったのに、残念だと
消え入りそうな声で付け加えました。
カルレインは眉を顰めて
ゲスターを睨みつけると、
彼が白魔法師と戦うのは
相克だから困ると言って
クライン皇子を
探しに行ったのではないかと
抗議しました。
しかし、ゲスターは、
だから自分は皇子を探して来たと
言い返しました。
カルレインは、
ゲスターを一発殴りたいという
表情になりました。
あっという間に雰囲気が険悪になると、
ラティルは、
2人が戦うのではないかと
心配しました。
彼女は、
大丈夫。 一生逃亡者として
生きるつもりでなければ、
彼は現れるしかないと
すぐに、2人の間に割り込みました。
それでも、カルレインとゲスターは
言い争いをしそうな勢いでした。
以前のラティルなら、
ゲスターは他の人と
戦ったりしない人なので、
雰囲気があのようになっても
安心していられました。
しかし、今は
そうではありませんでした。
ランスター伯爵が突然出て来て、
カルレインと
争うかもしれませんでした。
困ったラティルは
カルレインとゲスターを
交互に見ていましたが、
そのまま席を外すことにして
立ち上がりました。
お茶を飲んでいたゲスターが
どさくさに紛れて立ち上がりました。
そして、ラティルに
どこへ行くのかと尋ねました。
カルレインも
ラティルに続いて立ち上がり、
一緒に行くと言い出しました。
しかし、ラティルが
母親の所へ行くと答えると
二人は争うことなく、
おとなしく椅子に座りました。
ラティルは、
気まずくなっている間に
さっと部屋を出ました。
◇先皇后とレアンの処遇◇
言い訳として
先皇后を引き合いに出したものの、
実際に、ラティルは
明後日か、3、4日後くらいに
一度、先皇后を
訪ねてみるつもりでした。
だから、話が出たついでに、ラティルは
すぐに先皇后を訪ねました。
母親と面と向かうことを考えるだけでも
お腹が痛くなってきましたが
いつまでも
避けることはできませんでした。
先皇后の部屋の前には
ラティルが送った近衛騎士4人が
立っていました。
母親の侍女二人は、部屋の前で
苛立たしそうに、
行ったり来たりしていました。
侍女たちはラティルを見ると
泣きそうな顔をしました。
言いたいことがいっぱいありそうな
表情をしていましたが、
何も言えませんでした。
ラティルは、
許しを請うことができない
彼女たちに向かって、
唇の左端から右端まで
手を動かしました。
侍女たちは口を固く閉ざして
壁の両側に退きました。
近衛騎士たちは、空気を読んで
扉を開きました。
現在、先皇后は
閉じ込められているので、特に
訪問を知らせもしませんでした。
ラティルは、
できるだけさりげなく
部屋に入りました。
母親はソファーに座って
編み物をしていました。
ラティルがソファーから
2歩離れたところに立つと、
母親は編み物を下ろしました。
母親と目が合ったけれど、
ラティルが何も言わなかったので
母親が先にラティルを呼びました。
ようやくラティルはため息をつくと
もしかして、
自分に話したいことはないかと
尋ねました。
先皇后は苦々しい微笑を浮かべると
自分が何を言っても、
ラティルの気分が悪くなるだろうと
答えました。
ラティルは、
それでも聞いてみたいと訴えました。
しかし、先皇后は首を横に振りました。
母親は、話すこともないという
ことなのだろうかと
ラティルは思いました。
彼女は
申し訳なかったと
言いたくないのかと尋ねました。
先皇后は、複雑な表情で
ラティルを見ました。
彼女は、むしろ母親が
レアンがしたことだ、
自分はレアンに騙された。
申し訳ないと言ってくれることを
願いました。
そう言われても信じないけれど、
信じようと
努力をしてみることはできました。
先皇后は首を横に振ると、
ラティルには、
いつもすまないと思っていた。
ラティルが勝っても、
レアンが勝っても、
その気持ちはそのままだと答えました。
ラティルはため息をつくと、
母親が自分の柱として、
永遠にそばにいてくれることを
願っていたと恨み言を言うと、
先皇后は、
ラティルは強いと言いました。
ラティルは、
無駄だと分かっているので
なぜ、そうしたのかという
質問はしない。
レアンはレアンなりの信念があり、
母は自分よりレアンを
信じていただけだからと言うと
先皇后は「そうですね」と
返事をしました。
ラティルは、
母は自分よりレアンを選んだので、
母を追放するか幽閉させるかは、
レアンに選ばせると言うと、
すぐに外へ出て扉を閉めました。
もっと長くいると
気が弱くなってしまいそうでした。
しかし、扉の外に出てからも
心は弱くなりました。
彼女は扉の前でしゃがみ込み、
泣きたくなりました。
しかし、近衛騎士と
侍女たちが見つめていたので
ラティルは無表情で
前に進み続けました。
サーナット卿がラティルのそばに立ち
自然に付いて来ました。
彼は足音をラティルに完璧に合わせ、
石の床を歩いても
靴の音は一対しか聞こえませんでした。
ラティルは、
それに力をもらい、今度は、
そのままレアンを訪ねました。
レアンは、まだ落ち着いた様子で
壁にもたれかかっていました。
数日間、体を洗うことが
できなかったはずなのに、
彼の姿は
依然として皇子としての威厳があり
それが、さらにラティルを
皮肉っているようでした。
レアンは眠っていたのか、
ラティルが彼を呼ぶと
ゆっくりと目を開けました。
レアンの視線は、
ラティルの後ろに立った
サーナット卿に
しばらく向けられました。
ラティルは腕を組みながら、
追放するのと幽閉するのと
どちらがいいか、
レアンに決めさせてやると
言いました。
サーナット卿は眉をつり上げて
ラティルを見ました。
レアンは完全にラティルを裏切ったのに
なぜこのような選択権を与えるのか
理解できない表情でした。
レアンも、
ラティルの意図が分からないのか
眉を顰めました。
レアンは、
なぜ、自分にそれを聞くのか。
ラティルの好きにすればいいと
返事をしました。
しかし、ラティルは
ダメだと答えました。
レアンは、その理由を尋ねました。
ラティルは、
そうすれば、辛い時に
これは自分が選んだ結果だと
後悔するだろうから。
そして、この選択が正しかったのか
他の選択の方が
もっと良かったのではないか、
自分は最後まで
間違った選択だけをしたのかと
未練が生じるだろうからと
答えました。
サーナット卿は
思わずラティルを横目で見ました。
レアンは驚いた顔をしましたが、
すぐに、そら笑いをして
首を横に振ると、
ラティルは、本当にラティルだと
呟きました。
ラティルは「選べ」と
レアンを促しました、
彼は、自分に選択権が与えられると
慎重に考えました。
ラティルは何も言わずに
ただ見ていました。
体感上、30分ほど経った頃、
ついにレアンは
追放される方を選びました。
ラティルは頷くと、
彼に背を向けながら、
分かった。 幽閉すると告げました。
サーナット卿は、
目を大きく見開いて
さっとラティルを振り返りました。
やはり、レアンも
初めて当惑した表情をしました。
しかし、ラティルは横を見もせず、
牢獄の外に出てしまいました。
ラティルは大股で歩きながら
庭を横切り、壁にぶつかる直前で
ようやく立ち止まりました。
サーナット卿は
ラティルをさっと捕まえ、
大丈夫かと尋ねました。
ラティルはぎりぎりのところで、
壁に額をぶつけませんでした。
サーナット卿は
ラティルが泣き出すのではないかと
心配していましたが、
彼女は思ったより淡々としていて
サーナット卿の肩を叩くと、
しばらく方向感覚を
失っただけだというように、
まっすぐ執務室へ歩いて行きました。
そこには、
昼食の休憩を終えた秘書たちが
一人二人と集まっていました。
秘書たちの態度は、
ラティルがロードであることを
知らない時のようでは
ありませんでしたが、
初めて、ラティルがロードであることを
明らかにした時よりは
確実に良くなっていました。
その上、その中の何人かは
ラティルを崇拝するように
ぼんやりと眺めていました。
彼女は、
そのような人たちに接することの方を
気にしていました。
ラティルは、なぜ彼らが
あんなに崇拝するように
自分を見ているのか
分かりませんでしたが、
彼らの幻想を壊したくなかったので
ラティルはわざと威厳のある表情をして
椅子に座りました。
ラティルを長い間見てきた
サーナット卿は、
すでにラティルの心情を
すべて察知したのか、
笑わないように唇を噛んで
頭を下げました。
しかし、食事を終えてきた侍従長が
ラティルを見て驚き、
どうしたのか。
なぜ、そんな表情をしているのかと
尋ねるや否や、
サーナット卿は笑いをこらえることに
失敗してしまいました。
サーナット卿がプッと吹き出すと
侍従長は、
「あれは狂ったのか?」という目で
サーナット卿を見つめました。
ラティルは
サーナット卿を睨みつけると、
レアンと先皇后に対する
処罰を決めた。
レアンは首都の西側にある
塔の頂上に幽閉するようにと
侍従長に指示しました。
書記たちは、ラティルの指示を
すぐに書き留めました。
侍従長は、
ラティルの心が
めちゃくちゃなことを知っているので
処罰内容については口を出さずに頷くと
処遇はどの程度にするかと尋ねました。
レアンは、
彼の計画が成功すれば、自分を
神殿に閉じ込めておこうとしたと
言うと、
侍従長とサーナット卿の表情が
同時に曇りました。
ラティルは、
全く、それを気にかけないように、
自分をどう扱うかは
彼らも決めたはずなので、
レアンが決めた、その通りにしろ。
ただし、外を散歩することと、
面接は除くように。
その点については、
自分の怒りが解けるのを見て決めると
告げると、侍従長は
「はい」と返事をしました。
そして先皇后は・・・と言いかけた
ラティルの瞳が揺れました。
ラティルは、
レアンに好きな方を
選ばせると言いながら、
結果的に、彼が嫌がる方に
するつもりだったのか。
それとも、追放だと、
行った先で、再び味方を集め
力を蓄えて、
ラティルに反撃するチャンスを
狙うこともあり得るので、
最初から
幽閉するつもりだったけれど、
レアンが、自分のしたことを
少しでも反省していれば
幽閉を選ぶだろうと
期待していたのかもしれません。
ラティルが
壁にぶつかりそうになるくらい
我を忘れて歩いたのは
少しでもレアンに期待した自分に
がっかりしていたのかも。
レアンが自分にしようとしたことを
ラティルも彼にしようと決めたのは
ずっと幽閉されることが
どれだけ辛いことか。
それに加えて散歩もできないし
誰とも接触させないことで
ラティルは、少しでもレアンが
自分の行動を悔いたり、
反省したり、ラティルに対して
申し訳ないことをしたと
思って欲しいのかもしれません。