859話 ラティルはサーナットに話したいことがあると言われましたが・・・
◇頭の痛い話◇
もしかして、
メロシー伯爵夫人が怒って、
倒れでもしたのではないかと思い
ラティルは緊張しましたが、
幸いにもサーナットは、
クレリス皇女の乳母になる予定の
貴婦人が到着したと、
全く関係のないことを話しました。
ラティルの肩の力が抜けました。
彼女は、驚かせないでと
文句を言うと、サーナットは
驚くだなんて、
どうしたのかと尋ねると、
ラティルは、
サーナットの母親とゲスターの母親が
一戦交えたことを話しました。
その後、ラティルは
乳母になる予定の人が
どの辺まで来たのかと尋ねました。
サーナットは
首都に着いたそうだと答えました。
ラティルは、
まずは伯爵夫人の所へ
行ってみるように。
久しぶりにサーナットに
会いたがっているはずだからと
言うと、
サーナットは頷きましたが、
何か言いたいことがあるかのように
ラティルを見ました。
おそらく、近衛騎士団長職の件だと
思いました。
サーナットは、近衛騎士団長職に
ずっと留まりたがっていたし、
近衛騎士たちも
有能な上司が結婚の問題で
彼らから離れることを
望んでいませんでした。
中立派の大臣たちも、サーナットが
職務を遂行し続けることに
大きく反対しませんでした。
問題はアトラクシー派と
ロルド宰相派でした。
彼らは、サーナットが
近衛騎士団長職に留まることで、
常にラティルのそばにいることが
不公平なことだと考えました。
ラティルは、
伯爵夫人が待っているので、
とりあえず行くよう促しました。
サーナットは頷いて外に出ました。
一人残されたラティルは、
しばらく頭が痛くなり、
椅子の背もたれに寄りかかって
ため息をつきました。
◇ムカつく女◇
アイギネス伯爵夫人は、
今年を新たな気持ちで過ごすための服を
数着揃えるために衣装室を訪れました。
ところが、衣装室に到着して
あれこれデザインを見ている時、
職員の一人が、
可愛らしいハンガーにかけられた
小さな赤ちゃんの服を
運んでいくのを見ました。
何て可愛らしいの!
アイギネス伯爵夫人は、
プレラ皇女を思い浮かべながら
感嘆しました。
ラナムンに似て、
天使のように可愛い皇女を
思い浮かべると、
絶対に、その赤ちゃんの服を
買ってあげたいと思いました。
ちょっとこちらへ来て。
とアイギネス伯爵夫人が声をかけると
職員は歩いている途中で
向きを変えて、
彼女に近づいて来ました。
伯爵夫人は嬉しそうに、
その服と同じ服を
一つ作りたいのだけれどと尋ねました。
職員は、
もちろん、可能だと返事をすると
子供のサイズを尋ねました。
ところがアイギネス伯爵夫人が
プレラ皇女の身長と体格について
話している時、
誰かがそっと近づいて来て、
職員が持っているハンガーを
軽く持ち上げました。
伯爵夫人が顔を上げると、
一度も見たことのない金髪の女性が
にっこり笑っていました。
アイギネス伯爵夫人は
何の真似?
と眉を顰めて尋ねました。
女性はハンガーを軽く振ると、
自分は、誰かがうちのお姫様と
同じ服を着るのが嫌い。
可愛らしいものは
希少でなければならない。
それで自分は10倍の値を付けたと
職員に告げました。
彼女は、しまったといった表情で
少し、忘れていたと謝りました。
そして、職員は、
すぐにアイギネス伯爵夫人の方を
振り向くと、この奥様に、
同じデザインの服は作らないでと
言われていた。
自分が少し勘違いしていたと
謝りました。
アイギネス伯爵夫人は、
どうしても、その服を
プレラに着せたかったので、
子供たちが服を着て
社交界に出るわけでもないのに
同じデザインの服を着ても
差支えないだろうと
金髪の女性に直接話しました。
そして、その女性が、
お金を10倍出したということを
思い出したので、
そのお金の10倍を自分が返すと
言いましたが、金髪の女性は、
にっこり笑いながら
「嫌です」ときっぱりと答え、
ハンガーを持って、去りました。
何てムカつく女のか。
伯爵夫人はブツブツ言いながら、
再び自分の服を選び始めました。
その後、彼女は他の用事を済ませて
宮殿へ行ってみると、
秘書が訪ねて来て、
皇帝が自分を呼んでいると伝えました。
アイギネス伯爵夫人は
急いで執務室に向かいました。
そして、執務室に入った彼女は
皇帝の机の前に、数時間前、
衣装室で出会った、
あのムカつく金髪の女性が
立っているのを見て
その場で立ち止まりました。
金髪の女性は
アイギネス伯爵夫人を見てクスクス笑い
自分たちは縁があるようだと
言いました。
そして、彼女が近づくと
首に巻いた毛のマフラーに
キスしました。
アイギネス伯爵夫人は、
この人は誰なのかという目で
ラティルを見ました。
彼女は咳払いをすると、
クレリスの乳母で、今日到着したと
答えました。
この人が、二番目の皇女様の
乳母になるんですか?!
アイギネス伯爵夫人は驚いて
金髪の女性を上から下まで
眺めました。
衣装室で対立したためか、
よく着飾った普通の貴婦人、
他の人よりも
美しい貴婦人に過ぎませんでしたが
第一印象が妙に嫌でした。
ラティルは、
金髪の女性は、
乳母をするのが初めてなので
アイギネス伯爵夫人が
たくさん教えてくれると言いました。
皇族の乳母は、
ほとんどが貴婦人だったので、
乳母をしたことのない人が
大多数でした。
しかし、アイギネス伯爵夫人は、
この二番目の乳母の経歴を
あまり好ましく思いませんでした。
アイギネス伯爵夫人が金髪の女に
名前を尋ねると、
彼女は、アリシャだと答え
ウィンクしながら
手を差し出しました。
ラティルは、
メロシー伯爵夫人の親戚だと
追加で情報を与えながら、
彼女の身分が確実であることを
知らせようと試みましたが、
アイギネス伯爵夫人は、
この金髪の女性が、
サーナットの親戚だということを知って
さらに嫌になりました。
◇新年祭に抱く子◇
皇女様二人にお揃いの服を着せて
四人でピクニックへ行くのは
もう終わった。
その言葉に、ラナムンは、
自ら作った離乳食を
プレラに食べさせている手を止めて
頭を上げました。
アイギネス伯爵夫人は眉を顰めて
ベビールームに入って来ました。
ラナムンが、
何かあったのかと尋ねると、
伯爵夫人は口元を歪めながら、
二番目の皇女の乳母と
衣装室で会ったけれど、
他の人と同じ服は着せないと
言っていたと答えました。
ラナムンが、
二番目の皇女の乳母も
到着したようだと呟くと
アイギネス伯爵夫人は、
彼女はサーナット卿の親戚だ。
どれだけ不公平なのか、
もう、分かりましたかと
尋ねました。
ラナムンは、
サーナットの親戚なら
高位貴族ではないだろうと断言すると
アイギネス伯爵夫人は
しばらく考えてから頷きました。
同じ伯爵夫人だからといって、
その地位が同じとは限らない。
アイギネス伯爵夫人は
個人の領地を持つ貴族であり、
社交界でも
高い評判を得ていました。
しかし、あの金髪の女性は、
あんなに美しい顔なのに
初めて見たということは、
全く、名声がないという意味でした。
アイギネス伯爵夫人が、
「そうですね」と相槌を打つと、
ラナムンは、
たとえ、身分の高い貴族だとしても
構わない。
どんな人を連れて来ようが、
伯爵夫人に勝る人はいないと
アイギネス伯爵夫人を褒めました。
ラナムンは、普段から
あまり褒めることがなかったので、
彼が誰かを褒めれば、
それを聞いている人は
気分がとても良くなりました。
アイギネス伯爵夫人は
嬉しそうに笑いながら、
プレラ皇女の柔らかい髪の毛を
大切に撫でました。
それから、ラナムンに、
もうすぐ新年祭があることは
知っているだろうけれど、
新年祭は、多くの貴族たちが
参加するわけではなく、
一様に大貴族だけが来ると話しました。
ラナムンが「そうですね」と
返事をすると、伯爵夫人は、
年末祭のパーティーの時は、
皇配の任命式が行われたので、
皇帝はタッシールだけを
そばに置いていた。
けれども、きっと今回は、
隣にタッシールを置き、
二人の赤ちゃんを抱いて
入場すると思うと話しました。
ラナムンは、
「そうでしょうね」と返事をしました。
そして、アイギネス伯爵夫人は、
皇帝が二人の赤ちゃんを
一人で抱くことはできないので、
皇帝とタッシールで
一人ずつ抱くのではないかと言うと
ラナムンは、
彼女が何を言おうとしているのか察し、
皇帝にプレラを抱いてもらって、
皇配に二番目の子を抱かせろという
意味だねと確認しました。
アイギネス伯爵夫人は
「はい」と返事をすると、
先帝も、新年祭には、
最も大切な子、あるいは
当時、最も大切にしていた子を連れて
入場した。
レアンが皇太子として、
公式に任命される前には、
いつもラトラシル皇女を連れて
入場していたと話すと、
ラナムンはハンカチを取り出し、
プレラが口からこぼした離乳食を
拭いてあげて、
リンゴのような赤ちゃんの頬を
見つめました。
大貴族が一堂に会した場所で、
最も高い地位に進む皇帝が
この子を懐に抱いた姿が
目に浮かびました。
ラナムンは、
そうするのがいいと思う。
そうすれば、皇帝がこの子を
冷遇しているという噂が
すぐに収まるだろうと言いました。
アイギネス伯爵夫人は
新年祭は、もうすぐなので、
早く皇帝の所へ行って、
確約をもらってと急かしました。
◇同じ頼み事◇
ラティルは勤務を終えて、
しばらく休憩しようとして
ペンを置いた時、
侍従長が微妙な表情で入って来て、
30分ほど前にラナムンが、
15分ほど前にサーナットが
やって来た。
二人とも皇帝に話があるらしいと
小声で伝えました。
ラティルは何も考えずに
入って来いと言えと返事をしましたが
二人とも赤ちゃんを抱いて
入ってくるのを見て、
思わず席から立ち上がりました。
侍従長は秘書たちに
出て行くよう合図をすると、
皇帝の家族だけを残して
執務室の扉を閉めました。
プライベートな話をするような
気がしたからでした。
彼の推測は正確でした。
ラティルは、
二人とも何の用事で来たのかと尋ねると
ラナムンは、
アイギネス伯爵夫人に言われた通り
皇帝がプレラを
大事にしていないのではないかという
噂がずっとあるので、
今回の新年祭の入場の際に、
皇帝にプレラを抱いて
入場してもらいたくて来たと
答えました。
ラティルは「うん、そうする」と
すぐに承諾すると、
ラナムンからプレラを抱き上げました。
彼女はラティルの肩に
小さな頭をもたれました。
ラティルは赤ちゃんの頬を
慎重に撫でると、
自分たちのプレラに
そんな噂が流れてはいけないと
言いました。
ラナムンは、ほっとしました。
プレラを連れて
ラティルに会いに来たけれど、
控え室で、しばらく待つことになった時
サーナットが
自分の子供を連れて来たのを見て
反射的に緊張したからでした。
彼は目的を達成すると、
サーナットも話すようにと
彼に視線を向けました。
サーナットは、
静かに赤ちゃんを撫でていましたが
ラティルが自分を見ると、
実は自分も
同じようなお願いをしに来たと
告げました。
ラティルは固まってしまいました。
ラナムンは眉を顰めて
サーナットを見ました。
皇帝がニ番目の子供の方を
可愛がっているという噂が
広まっているのに、
それはどういうことかという言葉が
喉元まで出て来ましたが、
彼の自尊心が、
この言葉が口から出ないように
防ぎました。
事実ではあるけれど、
サーナットの前で、
自分の子供が彼の子供より
愛されていないという話は
したくありませんでした。
ラティルは、
クレリスは次女でもあるし、
あえて新年祭に抱いて
入場しなくてもいいのではないかと
気まずそうに言いました。
サーナットは、
自分もそう思ったけれど、
まだ、人見知りをする年ではないのに
アリシャ伯爵夫人が
赤ちゃんを抱きしめたら、
子供が泣き続けた。
それを見たアリシャ伯爵夫人が
新年祭の時に、皇帝が
クレリスを抱いてくれれば
泣かずに耐えられると言ったと
話しました。
ラナムンは冷たい目で
サーナットをずっと見ましたが、
彼は最初から、
そちらに顔を向けませんでした。
ラナムンは、
それでは今から皇配が
クレリスを抱く練習をすれば良いと
皮肉を言うと、サーナットは、
戯言を聞いたという表情で、
ストレスを受けて具合が悪くなると
言い返しました。
そんなデタラメを言ったことに
腹を立てたラナムンは、
赤ちゃんを寄こせと言って
腕を広げました。
サーナットはクレリスを
彼に抱かせると、 驚いたことに、
クレリスは、
ラナムンに抱かれるや否や
本当に泣き出しました。
ラティルは
プレラをサーナットに預けて
クレリスを抱きしめました。
クレリスは
ラティルだと分かった途端、
大きな赤い目で
ラティルをじっと見つめました。
この子は自分のことを
知っているようだ。
ラティルは、
心臓が溶けるような痛みを感じながら
呟きました。
プレラが少し大きくなる前は
ラティルのことが
あまり好きではなかったし、
刃を作って
傷つけたりもしたけれど、
ニ番目は全く違っていました。
この子はラティルを
確実に愛していました。
ラティルは明るく笑いながら
頭を上げましたが、
ラナムンの冷たい目を見ると
真顔で赤ちゃんを
サーナットに差し出しました。
彼はプレラをラナムンに渡し、
再び赤ちゃんたちは、
父親の胸に抱かれました。
ラナムンとサーナットは
同時にラティルを見ました。
二人とも、
引き下がる気はなさそうでした。
ラティルは困惑しましたが、
この件は少し困ることはあっても
悩むことではありませんでした。
ラティルは、すぐに返事をしました。
アリシャが
サーナットの母親の親戚なら
彼女が、乳母としてアリシャを
選んだのかもしれませんが、
皇帝の前でクスクス笑ったり
ウィンクしたりと、
あまり礼儀作法を知らない様子。
皇女の乳母として相応しい人を
吟味して選んだわけではなく、
親戚から乳母をやりたい人を募って
適当に選んだ気がします。
アリシャが乳母を続けたら
プレラとクレリスの仲が
絶対に悪くなると思うので
即刻、クビにすべきだと思います。
サーナットは側室になった時点で
近衛騎士団長の職を
辞めたと思ったのですが
そうではなかったのですね。
今回は、アトラクシー公爵と
ロルド宰相の意見に同感です。
サーナットは、ハーレムで
子供の世話をして、
他の側室たち同様に、
やきもきして過ごせばいいと思います。
そして、クレリスが泣いて困るなら
サーナットがずっと面倒をみていて
新年祭に出なければいいと思います。
それに、アリシャの理屈が
まかり通るなら、
クレリスがアリシャを嫌がって泣く度に
ラティルはクレリスを
抱くことになりそうです。
ラナムンにさえ認められた
アイギネス伯爵夫人。
サーナットが彼女を避けなければ
先帝や先皇后から篤い信頼を受けた
アイギネス伯爵夫人を
味方につけられたのに、
彼女を敵に回すなんて愚かです。
けれども、アイギネス伯爵夫人は
嫌いなサーナットの子供でも、
彼女が乳母になれば
プレラと分け隔てなく
可愛がりそうな気がします。
レアンが正式に皇太子になるまで、
先帝はラティルを抱いて
新年祭に出席していたなんて、
それ程までに愛していた娘を
彼の手で死なせようと仕向けたレアンは
本当に残酷だと思います。
プレラがラティルになつかなかったのは
彼女を毛嫌いして、
近寄らなかったせい。
それを、生まれてからずっと
そばにいた子と比べるなんて、
プレラが可愛そうです。