165話 外伝12話 エルナとビョルンはレチェンに戻って来ました。
エメラルド色の海。 砂漠の赤い町。
色とりどりのバラが揺れていた祭り。
エルナは上気した顔で
机の上に広がっている写真を
整理しました。
全ての写真を額縁に入れて
飾りたい気持ちでしたが、
それは、やり過ぎだと思い
苦労して、何枚かを選びました。
悩んだ末、一番好きな写真は
抜くことにしました。
その1枚だけは、
1人だけの宝物にしておきたかったし
シュベリン大公の品位と自尊心を
傷つけるかもしれないという
懸念と配慮が込められた
決定でもありました。
お茶を一口飲んだエルナは
背筋を伸ばして座ると、
一番好きな写真が入った額縁に
向かい合いました。
ロルカ国王の
即位50周年記念式典があった朝、
オレンジの木の下で
ビョルンと一緒に撮った写真でした。
背伸びをしたエルナは
カメラに向かって明るく笑っており
ビョルンは、
そんなエルナを見つめながら
こっそりと微笑んでいました。
完璧な格式を備えた服装が、
上品でないポーズと表情を
さらに際立たせていました。
あの日の風と日差し、
鼻先に漂っていた
甘いオレンジの香りが
感じられるようなその写真を
エルナはしばらく見つめました。
ただそれだけなのに、
胸がドキドキしました。
これは、まるで彼の愛を記録した
風景のような気がしました、
エルナは、
あまりにも内密で、大切で、
誰にも見せたくない
その写真を持って立ち上がりました。
机の横に置かれている
大きなクッキーの箱の前に立つと
無意識に笑いが漏れました。
「凶悪な物に
友達ができたんですね」という一言で
フィツ夫人は、
このクッキー缶を定義しました。
象の彫刻と同じくらい見苦しい物だと
遠回しに言ったのでした。
自分が頼んだプレゼントでしたが
このクッキー缶を初めて見た日は、
エルナもしばらく、言葉を失いました。
ビョルンは、
クッキー缶と言うには大き過ぎる、
むしろクッキーの箱と呼ぶべき
巨大なブリキの箱を持って来ました。
色とりどりの花が
いっぱい描かれているため、
存在感が、より圧倒的な
クッキー缶でした。
しばらく、夫からのプレゼントを
眺めていたエルナは、
ぼんやりとした気分で、
「大きいですね」と
一言、言いました。
体を丸めれば、
自分が入ることもできそうな
クッキー缶について、
エルナが下すことができる評価は
それだけでした。
本当に大きいと、
心から感心していたエルナは
つい子供のように
笑ってしまいました。
とても大きな箱なので、
多くの幸せを満たすことができそうで
良かったと思いました。
実際、エルナは、
新しいクッキーの箱が
とてもきれいだと思いましたが、
かなり主観的な評価のようなので、
その見解は
明かさないことにしました。
王子が特別に注文して製作した
クッキーの箱には、
シュベリン宮の人々に分けて
食べてもらっていいほど
多くのクッキーが
ぎっしり詰まっていました。
この世で一番おいしいクッキーだと
思いましたが、やはり、それも
自分だけの感想として
大切にすることにしました。
まだ宮殿の庭に残雪が残っていた、
春先のことでした。
そして夏、クッキーの箱は
春の思い出が詰め込められたまま、
大公妃の寝室の片隅を
しっかり守っていました。
エルナは、
愛の風景が盛り込まれた額縁を
クッキーの箱の中に
そっと置きました。
この前の歴訪旅行を記念する品物を
じっと眺めていると、
まるで焼きたてのパンのように
心が膨らみました。
扉の向こうから聞こえて来た
フィツ夫人の声が、
感傷に浸っていたエルナを
我に返らせました。
エルナは、急いで
クッキーの箱の蓋を閉めると、
姿勢を正しました。
窓際のテーブルに
向かい合って座った2人は、
夏の社交シーズンの間、
シュベリン宮で開かれる
社交行事について議論しました。
舞踏会とピクニック。
来月、宮殿の敷地内で開かれる
ボートレースと夏祭りまで、
スケジュールは
ぎっしり詰まっていましたが、
エルナは、
かなりやる気に満ちていました。
フィツ夫人は、偶然、
コンソールの上に置かれた
トロフィーを見ると、
「新しいリボンをつけたんですね」
と言って、
口元に微かな笑みを浮かべました、
この夏、鹿の角に結ばれたリボンは、
恥ずかしそうに笑う
女主人の瞳にそっくりな
美しい青色でした。
フィツ夫人は、
いっそう柔らかくなった目で
部屋を見回しました。
模様替えをしたものの、
リボンをつけた鹿の角のトロフィーと
タイプライター。象の彫刻に、
今は、あの花柄のブリキの箱と、
大公妃の突拍子もない趣向は
まだ、あちこちに残っていました。
室内装飾家は、
美意識を損なうようなものを
処分しようとしましたが、
エルナは頑なに拒否しました。
夫からのプレゼントを
大切にするその気持ちが
分かったので、フィツ夫人は
それとなく大公妃の肩を持ちました。
たとえ凶悪な物でも、
そこに宿る大公夫婦の気持ちは
とても愛らしいからでしだ。
フィツ夫人は、
30分後に建築家に
会わなければならないので
準備するようにと
次のスケジュールを報告をし、
元の落ち着いた顔を
取り戻しました。
今回もみんなを呆れさせた、
王子様からの
もう一つのプレゼントだった。
王子は、予定より早く退勤しました。
その知らせを聞いて
急いで走ってきた使用人たちが
列を作っている間に、
金色の狼の紋章が煌めく馬車が
大公邸の玄関前に止まりました。
丁寧な挨拶で、
王子を出迎えたフィツ夫人は、
大公妃は応接室で
エミール・バソさんと
話をしているところだと、
最も重要なことを伝えました。
玄関を見ていたビョルンは、
眉をつり上げて 「バソ?」と
聞き返すと、フィツ夫人は
王子がロルカを歴訪中に、
電報を送って来て命じた、
例の温室の設計を担当した建築家だと
静かなため息をつきながら
説明しました。
ようやくビョルンは、
「ああ」と上の空で頷くと
微笑みました。
ステッキを持ち直したビョルンは
ロビーを横切って階段を上りました。
皆が予想した通り、
目的地は大公妃のいる応接室でした。
軽いノックの音と共に扉が開くと、
慌てた建築家は、
ぱっと席から立ち上がりました。
扉に背を向けて座っていたエルナは、
後になって
ビョルンがやって来たことに
気づきました。
ビョルンは軽く頭を下げて
建築家の挨拶に応えた後、
妻のそばに座りました。
テーブルの上には
いくつかの温室の設計図が
広げられていて、まだ、最終決定を
下していないようでした。
エルナは、嬉しそうに
ビョルンと向き合うと
彼の意見を聞いてみたかったと
言いました。
ビョルンは、設計図を一瞥し、
手袋のボタンを外すと、
妃のものだから、
妃の思い通りにするようにと
あっさり返事をしました。
あまり気に入った答えでは
なかったのか、
じっと彼を見つめるエルナの目が
細くなりました。
エルナは姿勢を整えると、
これはシュベリン宮の
ことではないかと言って
優しく笑いました。
この女性は、
まさにこのような表情をする時、
最も頑固だということを
ビョルンは、今や経験から
よく分かっていました。
エルナは、
この2つを気に入っているけれど
どちらか1つを選ぶのが難しくて
迷っていた。だから、
ビョルンに見て欲しいと言うと、
テーブルの中央に置かれていた
設計図を2枚持ち上げて、
ビョルンの前に差し出しました。
善良に命令する才能が
日に日に増していく妻に
改めて感嘆したビョルンは、
勝てないふりをして
それを受け取りました。
そして、上の空で設計図を見た
ビョルンは、
視線を上げて白髪の建築家と向き合うと
どちらの建築費の方が高いかと
尋ねました。
乾いた唾を飲み込んだ彼は、
慎重に右側の設計図を指し、
こちらの規模の方が大きいので
建築費もたくさんかかると
答えました。
彼の説明が終わるや否やビョルンは、
「では、これで」と決定を下しました。
戯れで答えたと思うには
あまりにも淡々とした口調でした。
エルナは当惑して
「ビョルン?」と呼ぶと、彼は、
決定するのが難しい時は、
一つだけ覚えておくように。
世の中に、安くて良いものはない。
高いのは概して高い理由があると
平然と答えました。
しかしエルナは、
必ずしも高価な物が、
その価値に見合うとは
限らないのではないかと
反論しました。
すると、ビョルンは、
それでは、どんな手段と方法を
動員してでも、
その価値に見合うよう
作らなければならないと言って、
平然と笑いながら建築家を見ると
「そうではありませんか?」と
尋ねました。
予想外の質問にエミール·バソは、
ぎこちなく笑いながら
設計図を手にしました。
ドアの方をちらりと見る目からは、
早く、この棘のあるクッションから
抜け出したいという熱望が
鮮明に感じられました。
ビョルンは、
妻の温室をよろしくという
挨拶を最後に、
年老いた温室建築家を解放しました。
応接室の扉が閉まると、エルナは、
デナイスタは何でも大きいと言って
優しいため息が混じった笑みを
浮かべました。
ビョルンは、憎らしいほど丁重に
頭を下げて、
その誉め言葉ではない誉め言葉に
答えました。
組んだ足の先で、よく磨かれた靴が
ピカピカと光っていました。
しばらく静かに
彼を見つめていたエルナは、
真心を込めてお礼を伝えました。
最も高価で良いものを
握らせてくれるのが、この男の愛。
これが、
レチェンの王子であり銀行頭取である、
ビョルンのやり方だということを
エルナは、もうよく分かっていました。
何の返事もなく笑ったビョルンは、
首を斜めに傾けてエルナを見ました。
互いを見つめ合う2人の目つきが
深まった瞬間、
フィツ夫人であることが明らかな
節度あるノックの音が
聞こえて来ました。
エルナは、
まるで、いたずらをしているのが
バレてしまったような顔で、
ソファーの端に急いで座りました。
フィツ夫人は、
いつもより速い足取りで
近づいて来ると、
王宮から急な連絡が来たと言って
銀のお盆に載せて来た
手紙を渡しました。
明日の午前中に入宮するように。
王家の重大事で
家族全員が集まる場なので、
あなたたち夫婦も
必ず参加して欲しい。
手紙の中身を確認したビョルンは
目を細め、しかめっ面をしました。
紛れもなく、王妃の筆跡で書かれた
その手紙の内容は、
それが全てでした。
ビョルンが知る限り、母親は決して
このような手紙を書く人では
ありませんでした。
ビョルンに渡された手紙を
確認したエルナは顔色が暗くなり
今すぐ、行った方がいいだろうかと
尋ねました。
ビョルンは、それを否定し、
そうしなければならないことなら
すぐに入宮しろと言うはずだと
答えました。
エルナは、
一体、どうしたのか。
もしかして悪いことが
起きたのではないかと尋ねると、
ビョルンは「さあ」と返事をし
ソファーのひじ掛けに
立てかけていたステッキを
そっと掴みました。
白金で作った狼の頭が、
彼の手の中で煌めきました。
彼は、気が抜けたように過ごしていた
皇太子殿下が
問題でも起こしたのかと
冗談を言いながら笑った瞬間にも、
目は沈んでいました。
これは
レオニード・デナイスタのことだ。
ビョルンは、
これといった根拠もなく、
そのように確信しました。
とにかく、
やることが大きいビョルン。
エルナが入れるくらいの
クッキーの箱は、
どのくらいの大きさなのか。
その中に入っているクッキーも
相当な数だと思うけれど、
使用人に配っても余るくらいという
表現がなかったので、
大公邸の使用人の数も、
相当な数なのだろうと思いました。
温室を作ることを
快く受け入れたエルナ。
寝室のリフォームをする時とは違い
エルナのウキウキした様子が
見て取れました。
高価な物を送ることが
ビョルンの愛の示し方であること。
そして、彼が一番高い物を選ぶ理由も
分かったことで、エルナは、
ビョルンから
プレゼントを貰うことに
引け目を感じることが
なくなるのではないかと思います。
AIで作成したクッキーの箱の画像。
何回か入力する文章を変えて、
まあまあ満足できる画像が
出来上がりましたが、
体が入るくらいの
大きなクッキーの箱なんて、
一般的ではないので、
普通サイズの箱となりました。