175話 外伝22話 ビョルンとリサはバフォードの男を決める大会に出ることになりました。
王子はよく飲み、メイドはよく積む。
それ以外のどんな言葉でも
目の前の光景を
説明できそうにありませんでした。
シュベリン宮殿の使用人たちは、
かなり衝撃を受けた顔で
舞台を眺めていました。
一体、なぜ、
ここまでしなければならないのか
さっぱり分かりませんでしたが
ビョルンとリサは
本気でこの試合に臨んでいたし
最も呆れたのは、彼らがあまりにも
うまくやっているという事実でした。
エルナは驚愕のため息をつきながら
夫を眺めました。
夫が杯を空にし、妻がその杯を
高く積んでいくという
単純なルールでしたが、
酒が入った杯の大きさと形が
まちまちで、むやみに積むと
崩れてしまうのが常でした。
すでにいくつかのチームの杯は
危なげに揺れて
崩れてしまいました。
しかし、ビョルンは、
最も大きくて丈夫で
安定している形の杯の酒から
飲み始めました。
おそらく、そこに注がれているのが
一番強い酒のようでしたが、
彼は眉一つ動かさずに
一気に杯を空にしてリサに渡しました。
居住者でない青年の躍進に
熱狂し始めた見物人の間で
エルナは、赤ちゃんが、
こんなものを見ても大丈夫なのかと
かなり真剣に悩みました。
お腹の中にいる子供は
当然この光景を見ることが
できないけれども、
もしかしたら母親の感覚を通して
感じるかもしれませんでした。
これといった答えを出すことができず
ぼんやりと舞台を眺めている間に、
耳をぼうっとさせる嘆声が
沸き起こりました。
リサに向けられた歓呼でした。
杯がかなり高く積み上げられ、
その上に杯を積むのが難しくなると
リサはテーブルの上に上がり、
ビョルンが空にして渡す杯を、
さらに高く、
着々と積み上げていきました。
難易度を上げるために入れられた
複雑な形の杯も、
リサの手にかかれば、
簡単に積まれて行きました。
ハルディ子爵家の
末端のメイドだった時代、
リサの主な業務が
台所仕事だったという事実を
ようやくエルナは思い出しました。
リサに刺激された
ライバルチームの妻たちも
テーブルに上がると、
見物人たちは狂奔し始めました。
それぞれ応援するチームを
連呼し始めましたが、
やはり一番人気は、
居住者ではない青年のようでした。
エルナは目を閉じる代わりに
両手でお腹を包みこみました。
子供の良い手本になりそうな姿では
決してないけれど、だからといって
花車のために奮闘する夫に
背を向けることも困難な中、
見つけた、
それなりの適正ラインでした。
接戦を繰り広げた3チームのうち
1チームの塔が崩れると、
勝負は一騎打ちとなりました。
エルナは緊張した目で
相手チームを見ました。
体が樫の樽ほどある中年の男は
口の中に、酒を
ドクドク注ぐようにしていましたが
優に半分の酒は口の外に漏れて
服を濡らしていました。
それに対し、ビョルンは
きれいに杯を空にしながら、
中年の男と似たような速度で
飲んでいました。
シュベリン宮の飾り棚に入っている
バチェラーパーティーの戦利品の
数多くの鹿の角のトロフィーが、
どのようにして
ビョルンのものになったのか
分かるような光景でした。
ところで、あの青年は、
双子の王子様ではないのか。
自分でも知らないうちに、
かなり真剣に試合に
集中していたエルナは、
背後から聞こえてきた囁きに驚いて
振り向きました。
顔が赤くなった酔っ払いの1人が
かなり深刻な目で
ビョルンを見つめていました。
王子様だなんて、
いくら昼から酒を飲んでいても
目は、きちんと
開けていなけれならないと
彼の連れが思いっきり笑いましたが
酔っ払いは、
いや、どう見ても、
新聞で見たあの王子だと
なかなか自分の見解を
変えませんでした。
なぜ、王子がこの村の祭りで、
たかが酒のために
あんなことをするのかと
連れが問いかけると、酔っ払いは
その双子の兄が、
このバフォードの令嬢と
結婚したではないか。
そうだ、ビョルン王子だと
酔っ払っても、
非常に意識がはっきりしている男が
どんどん包囲網を狭めて来ました。
酔っ払いは、
この前、王子夫妻が
ここへ来たそうだ。
王室の紋章をつけた煌びやかな馬車が
バフォード内を走って行くのを
自分の妻が見たそうだと主張すると
連れは、お前の女房も
昼から酒を飲むのかと言って
信じませんでした。
酔っ払いは、
確かだから待っていろと言うと
突然向きを変えて姿を消しました。
その間、試合は大詰めを迎え、
司会者がカウントダウンを始めると
観衆も一緒に数字を叫びました。
勝負は僅差で、どちらが勝つか
少しも予測できませんでした。
「3!」
いつの間にか、
そこまでカウントされた時、
ビョルンは、
小さな杯に入った酒を空にしました。
しかし、リサが腕を伸ばして
それを受け取り、頂上に積むには
時間があまりにも迫っていました。
「2!」
その瞬間、ビョルンとリサは
お互いを見つめながら目配せしました。
「1!」と次の数字を数える瞬間、
ビョルンはグラスを投げ、
リサは、一気にそれをふんだくり
終わりを知らせる銃声が響くと同時に
最後の杯が塔の頂上に置かれました。
その杯一つの差で
居住者ではない青年と代打の優勝が
確定した瞬間でした。
雷のような歓声が上がると、
エルナも興奮して
席から立ち上がりました。
ビョルンは手の甲で唇を拭きながら
にっこりと微笑みました。
遅れて勝ったという事実を知ったリサも
喜びのこもった悲鳴をあげながら
勝利を祝いました。
その時、
消えていた酔っ払いが現れ、
これを見て。
自分の言うことは正しいと
会場の騒乱を圧倒するほどの大声で
叫びました。
暴れる酔っ払いを
引きずり出そうとする人々に、
彼は、
この写真を見て。あの青年は王子だと
手に持っている新聞を振りながら
抗弁しました。
それはシュベリン大公夫妻の
妊娠を知らせる記事が
掲載された新聞で、無駄によく写った
大公夫妻の写真も含まれていました。
その新聞を奪った連れの目が
丸くなりました。
その新聞は、手から手へ渡され
速いスピードで新聞が通った所に
立っていた人々は、
一様に同じ表情になり
ざわめき始めました。
そして、その新聞は、
すぐに舞台の上の司会者の手に
渡りました。
「まさか、王子様?」
彼は混乱に満ちた目で
新聞の中の王子と
舞台に立っている酒飲みを
交互に見ました
熱気に包まれた会場は、
一瞬にして静まり返りました。
乱れた髪を
ゆっくりとかきあげたビョルンは
上品な黙礼で、
その呼びかけに答えました。
到底、信じられないといった様子で
「間違いなくビョルン王子夫妻に
子供ができた」という記事の内容を
確認していた司会者の目が、
突然舞台の下にいる
妊娠をしているので代打を送った
居住者ではない青年の妻に
向けられました。
息を殺していた他の見物人たちの視線も
すぐに、その後に続きました。
みんなの注目を集めるようになった
エルナは、
ぎこちない笑みを浮かべながら
挨拶をしました。
恥ずかしくて
逃げたくなりましたが、
ビョルンがすでに認めてしまった以上
この苦境を避ける方法は
なさそうでした。
一体、なぜ2人がここにという
バカバカしい質問に
エルナができる返答は、
どうぞ、赤ちゃんが
眠っていますようにと、
切実な祈りを込めながら、
ブルブル震える口元に力を入れて
お腹を包みこむことだけでした。
秋の収穫祭の主役のための花車が
広場の中央に停まりました。
エルナは困惑した目で
そちらを見つめました。
もう帰れるといいのに、
ビョルンは、あの樫の樽の花車に
赤ちゃんデナイスタを
乗せるつもりのようでした。
ビョルンは「さあ、どうぞ」と
舞踏会場に女性を導く紳士のように
手を差し出しました。
その様子を見守っていた
見物人たちの歓声が鳴り響きました。
エルナは、ため息をつきながら
その手をつかみ、
シュベリン大公妃の名に
ふさわしい、品のある歩き方で
恥辱の壇上に向かって進みました。
王子夫妻が花車に近づくにつれ、
人々の歓声と笑いは
さらに高まっていきました。
いきなり田舎町の祭りに現れた
王子夫妻が与えた衝撃と当惑を
消したのはビョルンでした。
途方に暮れて右往左往する人々に
平然と挨拶をしたビョルンは
まるで、そのために来たかのように
バフォードの村祭りのための
短い祝辞まで付け加えました。
そのおかげで硬直した雰囲気が
一段と和らぐと、
彼は今日の優勝商品である
バフォードの酒を
この祭りに参加した全員に
プレゼントするという意思を
伝えました。
ちょっとした田舎祭りの賞品を
盗んでいく王子が、
一気にバフォードの主神に
浮上しました。
お祝いの言葉や
安産を祈っているという言葉が
聞こえる度に、ビョルンは
笑みを浮かべた顔で
挨拶を返しました。
少し酔っているようで、
普段より、少し柔順で
のろのろしているように見えました。
試合に参加して、多くの酒を飲み
村の人たちに賞品を配り、
もう一度、
祝杯を上げることまでしたので、
酔わない方が、もっと変でした。
エルナは、酔っぱらいの王子の
エスコートを受け、
お腹の中の子供が
ぐっすり眠っていることを
もう一度願いながら、
樫の樽の花車に乗り込みました。
ちょっと待ってと
席に座ろうとするエルナを
引き止めたビョルンは
腕に掛けていた
コートの内ポケットから
ハンカチを取り出すと、
ゆっくりと、
恥ずかしくなる程、優雅な動作で
樫の樽を半分に切って作った
椅子の上に、
そのハンカチを敷いてくれました。
花車の下では、
バフォードの酒飲みたちが送る
烈火のような歓呼の声が
再び沸き起こりました。
エルナは努めて
毅然とした態度を維持しながら
ハンカチの上に座りました。
この樫の樽が高過ぎて、
両足が荷馬車の底に届かないので
見た目が少し滑稽になりました。
荷馬車が
ちょうど出発しようとした時、
ビョルンは再び立ち上がり、
リサを呼びました。
花車の下で、
嬉しそうな笑みを浮かべていた
リサは、
びっくりして顔を上げました。
訳が分からないかのように
瞬きばかりするリサに、
ビョルンは「あなたも乗って」と
快く命じました。
「えっ?私が?」と
驚愕したリサは首を振りましたが
彼は、そうする気がなさそうでした。
祭りの見物人たちは熱烈な拍手で
優勝の主役である
リサの背中を押しました。
赤くなった顔で
空だけを眺めていたエルナも
拍手でリサを歓迎しました。
リサは熱くなった目頭を
ごしごし擦った後、
車に乗り込みました。
3人を乗せた花車は、
ゆっくりと進み始めました。
車を追いかけて来る人たちに
のんびりと、手で挨拶をしていた
ビョルンは、
ゆっくりとした曲調の歌を
口ずさむような口調で
赤ちゃんデナイスタは
気に入ったと言っているかと
尋ねました。
とうとうエルナはクスクス笑い
そうみたい。気持ちよく遊んでいると
答えました。
父親は酔っていて、
少し恥ずかしいことが
起きているけれど、
赤ちゃんが起きていて
悪いことはなさそうでした。
ビョルンとリサが乗せてくれた
花車から眺めた青空と祭りの風景は
それだけの価値があるほど
美しいからでした。
エルナは、
一段と良くなった気分で
お酒を飲む王子にお礼を言い、
笑顔でリサにお礼を言いました。
でも2度は嫌だと、その点だけは
明確にしておくことにしました。
のろのろと動く花車を追いかけながら
人々は、エルナも知っている
バフォードの民謡を歌い始めました。
歌の旋律に合わせて
ドレスの裾の下に現れた
ちょこちょこ揺れる小さな足を
見下ろしていたビョルンは、
薄っすらと笑みを浮かべながら
妻の頬にキスをしました。
誰よりも熱烈に喜ぶ
リサの拍手と共に、
もう一つの歓声が、
空の上に広がりました。
ロルカに滞在中、ビョルンが
ベンチの上に
ハンカチを敷いてあげたら
エルナが、とても喜んでいたのを
ビョルンは、
しっかり覚えていたのですね。
王子だとバレてしまっても
戸惑うことなく、
堂々と王子らしい態度を取り、
おそらく、バフォードでの
王室の好感度アップに
貢献したビョルン。
そして、
反目しあっていたリサと
目だけで意思疎通が
できるようになり、
リサを花車に乗せてあげたビョルン。
(このシーン泣けました)
今回のビョルンに、終始、
惚れ惚れしてしまいました。
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いつもたくさんのコメントを
ありがとうございます。
また、私の体のことも
お気遣いいただき
本当にありがとうございます。
こちらのブログは、私の趣味で
書いているようなものですので
無理をしているという感じは全くなく
私同様、
お話の先を知りたいという
皆様のお気持ちを共有できることを
嬉しく思っております。
今回の画像。
色々文章を変えて
AI生成を試みましたが
私のイメージする花車どころか
人が乗れない花車ばかり
生成されてしまいましたので
花で飾られた酒樽でも大丈夫かな?
と思い、今回の画像を
アップさせていただきました。
最初「花で飾られた酒樽」と
入力したら、
花で飾られた日本酒の酒樽が
生成されたのには
呆然としましたが・・・
次回、金曜日の更新は
お休みさせていただきますが
土曜日から火曜日の4日間。
更新する予定です。