901話 外伝10話 偽ラティルは狐の仮面の仮面を剥しました。
◇一人は嫌◇
皇女ラティルは驚きすぎて
何も言えませんでした。
しばらく息をすることも
できませんでしたが、
辛うじて「ゲスター?!」と
叫びました。
ゲスターは人見知りが激しくて
純真な子でしょう?
ロルド宰相が大事にしている
次男でしょう?
自分に告白した子。
皇女ラティルの頭の中に
狐の仮面の行動と言葉遣いが
次々と思い浮かんで来ました。
彼女はどれほど驚いたのか、
仮面を持ったまま
身動きもできませんでした。
しかし、ラティルは
あまり驚きませんでした。
ランスター伯爵は
もともとゲスターの姿のまま、
よく、自分の気性を
表に出すことがあったからでした。
しかし、皇女ラティルの
生々しい感覚が伝わって来たせいか、
ラティルは
胸が少しドキドキしました。
偽ラティルは、
なぜ、ゲスターがここにいるのか。
ゲスターが自分を拉致したのかと
尋ねると、彼は仮面を取り上げて
再びかぶると、
拉致ではなく保護だ。
そして、皇女は思ったより
多分に詐欺師気質がある。
一体、何回、人の虚をつくのかと
皮肉を言いました。
皇女ラティルは、
親しくもない宰相の息子が
自分と気安く接し、
自分の名前を呼び捨てにした上に
詐欺師呼ばわりしたので、
頭のてっぺんまで血が上り
騒ぎ立てましたが、
その口はゲスターの大きな手に
塞がれました。そして、
彼はチラッと後ろを振り向くと
余計な者が来ると面倒になるので
静かにして欲しいと頼みました。
ラティルが何も言わなくなると
狐の仮面は口から手を退けて、
怪我をしている彼女の手を
自分の前に置きました。
彼がピンセットで
ガラスの破片を抜き取っている間、
皇女ラティルは、
まともに声を出せないまま、
ヒイヒイ唸っていました。
どれほど痛いのか、
自分の肩を揺らしながら、
狐の仮面の肩に額を当てて
こすりつけるほどでした。
狐の仮面は、
一瞬、ビクッとしましたが、
彼女を止めたり
押し退けたりしませんでした。
それでも、苦痛が消えないと、
皇女ラティルは、
何でもいいから話さなければ
ならないと思い、
余計な者って誰なのか。
先ほど、廊下を通っていた
人たちのことを言っているのか。
ここはどこなのか。
ここは、もしかして
あなたの家ではないのか。
ロルド宰相の家ではなくて
他の場所なのか。
あなたは人の家に
こっそり入ったのかと、
かすれた声で尋ねました。
一方、狐の仮面は
傷からガラスの破片を取り出して
横に置くと、
傷の上に消毒薬をかけました。
偽ラティルは悲鳴を上げて、
優しくしろと抗議しましたが、
狐の仮面は、
消毒薬を痛くないように
かけることはできないと
反論しました。
偽ラティルは、
努力ぐらいしろと言い返しましたが
狐の仮面が、
幼い子供をなだめるように
キズに向かって「フー」と吹くと、
敏感になっている傷の周りに
柔らかい息が
生々しく感じられました。
痛みは軽減しませんでしたが、
皇女ラティルは一気に静かになり、
唇だけを噛み締めました。
消毒を終えた狐の仮面が
糸と針を手に取った時は
再び口を開けましたが、
傷を縫った後に薬を塗り
包帯を巻くまで、
これ以上、声をかけませんでした。
ついに治療が終わると、狐の仮面は
血が付いた道具を
小さな紙袋の中にかき集めながら、
ここは自分の家ではないが、
他人の家でもない。
こっそり入って来たわけでもない。
でも、皇女は、
こっそり入って来たので、
バレないようにしていた。
余計な者とは
廊下を通り過ぎた者たちのことだと
皇女ラティルの質問に
まとめて答えました。
皇女ラティルは、
ここがロルド宰相の家ではないのかと
尋ねました。
狐の仮面は「そうだ」と答えました。
すると、皇女ラティルは、
怪我をした手に念入りに巻かれた包帯の
ざらざらした表面を撫でながら
狐の仮面をチラッと見ると
彼は大きくなるにつれて
子供の頃とは性格が変わったのかと
心の中で呟きました。
皇女ラティルは、
ランスター伯爵の存在について
知らないため、
幼い頃は、ただ純真だった少年が
大きくなって性格が変わったのかと
思っている様子でした。
この時期には、それほどゲスターと
親しくなかったからと
ラティルが考えているうちに
狐の仮面は後片付けを終えて
席から立ち上がりました。
そして皇女ラティルに手を差し出すと
ここにずっと
いるわけにはいかない。
自分が皇女を連れて行った所が
一番安全なので、そこへ戻れと
言いました。
皇女ラティルは、
一生そこにいるわけにはいかないと
抗議しましたが、狐の仮面は、
安全になるまで、そこにいてくれと
頼みました。
皇女ラティルは、
いつ安全になるのかと尋ねました。
狐の仮面は「さあ」と
曖昧に答えました。
ギルゴールを避けてここにいるのか。
それとも父親?二人とも?と
ラティルは考えました。
ラティルとは違い、皇女ラティルは
何も知りませんでした。
ラティルは、
皇女ラティルの途方に暮れた気持ちが
強く感じられました。
彼女は狐の仮面が戻ってくるのを
待つ以外に、何もすることがなかった
モグラの家を思い浮かべながら
包帯を触り続けました。
そこに遊び道具や本を
持って来てくれと頼んだ方が良いのかと
彼女が悩んでいるのが感じられました。
しかし、しばらくして皇女ラティルは
そこにいたくないと呟きました。
しかし狐の仮面は
選択の余地はないと断固として言うと
そのまま、すぐに彼女を
モグラの家に運んでしまいました。
しかし、皇女ラティルは、
去ろうとする彼の腰を
両手でギュッとつかんで、
しがみつくと、
嫌だ、ここにはいたくないと
訴えました。
狐の仮面は、
自分の腰にしがみついている手を
見下ろすと、振り払うことなく、
うわの空で、
放して欲しいと頼みました。
しかし、皇女ラティルは、
ここに一人で残りたくない。
窮屈だと主張しました。
狐の仮面は、
危険な目に遭うよりはましだと
言いました。
しかし、皇女ラティルは、
ここでは、あなたを
待つことしかできないと
悲しそうに呟くと、狐の仮面は
大きく息を吸い込みました。
まるで、一発殴られたようでした。
皇女ラティルでさえ訝しく思い、
彼を見上げるほどでした。
皇女ラティルが
どうしたのかと尋ねると、
狐の仮面は、
そんなこと言われると、もっと
出してやりたくなくなると
答えました。
その言葉に皇女ラティルは
「え?」と聞き返すと、
狐の仮面はため息をつき、
依然として皇女ラティルを
振り払うことのないまま、
どこへ行きたいのか。
まさか宮殿に戻って、
刑務所に行きたいのかと尋ねました。
ラティルは、
いいえと返事をしました。
狐の仮面は、
街を歩き回って、手配書を見て
監獄に行きたいのかと尋ねると
皇女ラティルは、
いいえと返事をしました。
狐の仮面は、
それではどこに行きたいのか
言ってみるようにと促すと、
しばらく悩んでいた皇女ラティルは
あなたの家に行くのはどうかと
ゆっくり口を開きました。
◇宰相の保護◇
ゲスターはロルド宰相に
自分が黒魔術師であることを
最後の最後まで隠しました。
だから、ラティルは狐の仮面が
皇女ラティルの頼みを断ると
思いました。
しかし、狐の仮面は悩んだ末、
「分かった」と承知しました。
それから彼は仮面を脱いで
どこかに置くと、
引き出しからマントを取り出し、
皇女ラティルに
かぶせてやりました。
フードまで几帳面にかぶせた後、
彼は皇女ラティルを連れて
自分の家に移動しました。
邸宅の中に入った狐の仮面は、
すぐに、とある部屋の扉の前に
歩いて行き、扉を叩き、
「父上」と声をかけました。
ロルド宰相は、
入って来るようにと言いました。
彼は書斎の机の前に座っていましたが
目の下に、濃い隈ができていました。
ひどく疲れて果てた様子の彼は、
ゲスターが、
顔を隠した人を連れてくると、
誰を連れて来たのかと
戸惑った声で尋ねました。
狐の仮面が目配せすると
皇女ラティルはフードを脱ぎました。
皇女が顔を出すと、ロルド宰相は、
無言の悲鳴を上げながら
飛び上がりました。
そして、皇女ラティルが
乳母と侍女たちを襲って
逃げたと聞いたけれど、
ここにいたのかと、
あわてふためきながら尋ねると
皇女ラティルは、
自分が襲ったのではないと
反論しました。
しかし、ロルド宰相は、
目撃者が多いせいで、今、宮殿は
大騒ぎになっていると言いました。
けれども、皇女ラティルは、
自分ではない。
自分がそこに行った時は、
すでに乳母も侍女たちも倒れていた。
そして、兵士たちが
急に自分を追いかけて来たと
主張しました。
ロルド宰相は、
それでは、釈明をしに
行かなければならない。
皇女が突然逃げたので、今、皇女は
完全に変な人にされていると
話しました。
皇女ラティルは悔しくて
何か言おうとしましたが、
ゲスターが「父上」と
ロルド宰相を呼びながら
割り込んで来ました。
ロルド宰相はゲスターに、
一体、どこで皇女を探して
連れて来たのかと尋ねました。
ロルド宰相は、
ゲスターが皇女ラティルを
連れていたことについて
全く知らない様子なので、
彼女は何と言えばいいのか分からず
ゲスターの横顔だけを
見つめました。
彼は、
皇女は、乳母や侍女たちを
襲っていない。
皇女は拉致されて戻って来ただけ。
自分はずっと皇女を探していたので
それを知っていると説明しました。
ロルド宰相は、
それは、本当なのか。
それなのに、なぜ皇帝は、
皇女を捕まえろと
言い続けているのかと尋ねました。
ゲスターは、
そもそも皇女を拉致しようとした人が
皇帝だからと答えました。
それはどういうことだと
ロルド宰相が聞き返しました。
ゲスターは、
しばらく物思いに耽った後、
皇女ラティルに
ソファに座っているようにと言うと
ロルド宰相を連れて
書斎の奥の部屋に入りました。
皇女ラティルは、
付いて行きたい気持ちを
グッと押さえながら、
ソファーの横に置かれた
クッションの角を
あちこち引っ張りながら待ちました。
10分ほど経ってから、ようやく、
ロルド宰相とゲスターが
部屋から出て来ました。
ロルド宰相が、当惑した表情で
「どうして陛下が・・・・」と
呟き続けているのを見ると、
ゲスターが皇帝のことを
とても悪く言ったようでした。
ゲスターは、
すでに皇帝は、とんでもない幻想に
捕らわれている。
どうか皇女を助けて欲しいと
ロルド宰相に切実に頼むと、
彼は皇女ラティルを
深刻な表情で見つめながら
悩みに陥りました。
ゲスターは、
宰相の前では、自分に向かって
丁寧な言葉遣いをすると
考えながら、皇女ラティルは
ずっとクッションの角だけを触り、
ロルド宰相の返事を待ちました。
10分近く経って、ようやく宰相は
分かった。 皇女を手伝って保護する。
皇帝は、何かを
見間違えることがあるけれど、
ゲスターはそうではないと言って
頷きました。
皇女ラティルはお礼を言いました。
そして、ロルド宰相が
自分を保護すると約束してくれても
彼女は心臓がドキドキして
涙が滲み出ました。
宰相があんな風に言うのを見ると、
父は本当に、自分を追いかけろと
命令したようだ。
でも一体どうして?
ゲスターは
何か知っているようだけれど
どうして自分には言わずに
宰相にだけ言うのか。
皇女ラティルの心の声を聞いた
ラティルは、父親の裏切りを
初めて察した時に感じた苦痛が
かすかに蘇り、
つられて苦しくなりました。
◇もう話して◇
ゲスターの家臣たちが、
当分の間、ラティルが使う部屋を
新たに整理して家具を持ってくる間
皇女ラティルは裏庭のベンチに座って
ぼーっとしていました。
雨が降り始めましたが、
彼女は雨宿りすることもなく、
頭に降り注ぐ水の音を聞くだけでした。
雨を避けようとして走っている
下女のエプロンについた白い紐が
ひらひらする姿を
彼女は何も考えずに
ぼんやりと見ていました。
どれくらい、そうしていたのか。
雨は降り続いているけれど
頭の上から降り注ぐ水の流れが
感じられなくなりました。
遅ればせながら、
これに気づいた皇女ラティルは
きょろきょろして頭を上げてみると、
見えないカーテンのようなものが
頭の上に垂れ下がって
雨水を遮断していました。
後ろを振り向くと、
ゲスターが立っていました。
あなたがやったのかと
皇女ラティルが尋ねると、
ゲスターは、
ポケットに手を入れたまま
近づいて来て、透明なカーテンを
トントンと叩きました。
カーテンの上に溜まった雨が
横に流れると、
皇女ラティルは力なく笑いました。
ゲスターは、
話でもしないかと誘いました。
皇女ラティルは、
ゲスターをじっと見上げると
少し横に移動して腰を下ろしました。
ゲスターが近づいて来て並んで座ると
2人の頭の上に雨粒が落ちる音だけが
聞こえて来ました。
しばらく静かにしていた
皇女ラティルは、
自分と足を付き合わせている
茶色のズボンを見下ろして、
自分がいつプロポーズしたのか
もう話してくれないかと頼みました。
◇やはり◇
ゲスターは
怪物と手を握ったまま
目を閉じている皇帝を
目の前でじっと見つめました。
怪物は、それが酷く負担で、
目をあちこち動かしましたが
皇帝に幻想を見せているため、
横へ動くこともできませんでした。
その時、ギーッと耳障りな鉄の音がし、
靴の踵の音が近づいて来ました。
それでもゲスターは
視線を向けませんでした。
しかし、誰が来たのかは
知っていました。
百花は、怪物の幻想に
すっかり、はまった皇帝と、
そんな皇帝の見物に
すっかりはまった側室。
一番、不自由そうな怪物を
交互に見て、ため息をつくと、
やはり、この怪物は
始末した方がいいと話しました。
ゲスターとランスター伯爵が
同一人物だと怪物に言われたので
ラティルは、それを確かめるために
何度も幻想を見に来るように
なったけれど、
今では、すっかり幻想の虜。
しかも、ゲスターが怪物に
ロマンチックな
演出を強要しているので
ラティルは、本来の目的を
忘れてしまってはいるのではないかと
心配です。