3話 駅でエルナは長身の男を発見しました。
群衆を目の前にしても、
ビョルンは、特に緊張した様子が
ありませんでした。
生まれた瞬間から、
全王国の関心の中で生きてきた彼は、
このようなことに
息をするように慣れていたし
それに伴う多少の不便も同じでした。
混雑したプラットホームに
皆、退くようにと
使用人たちの雄叫びが響き渡ると
見物人たちは少しずつ退いて
王子の行列が進む道を
開いてくれました。
ビョルンは背筋と首をピンと伸ばし
颯爽とした足取りで進みました。
チラッと目が合う人たちとは
軽く目で挨拶を交わしたりもしました。
長年繰り返してきて身についた、
一種の習慣でした。
彼女もまた、
そのように無意味に一瞥した
群衆の一人に過ぎませんでした。
視線が留まる時間が、
少し長くなったのは、
その小さな女性が
野暮ったい旧式のドレスに
レースとリボンを巻き付け、
一人で前世紀を生きてきたと言っても
信じられそうな
驚くべき格好をしていたからでした。
花柄のドレスだけでは足りないのか、
帽子にも造花を付けていました。
ビョルンは、その女性をもう一度、
今度は真っ赤な顔をしている
男の方に視線を投げかけました。
ビョルンを指差しながら
王室の蕩児と
非難していたた男は
びくっとして後ずさりしましたが、
ビョルンは彼にも
公平な笑みを分かち合いました。
非難と賛嘆が交錯する乱闘の中でも
まるで、ビョルンは、
午後の散歩を楽しみに
出てきた人のように、
ゆったりとした様子で、
ちょうどプラットホームに入って来た
列車に向かって悠々と進みました。
住所を知っているという事実は
あまり役に立ちませんでした。
不幸にもエルナは、
疲れ果てた後になって、
ようやく、道に迷ったという事実に
気づきました。
いつの間にか日が暮れていました。
エルナはよたよたと歩きながら
広場の中央にある
噴水の前に近づきました。
このままバタンと
横になることもできそうな
気分でしたが、座る前に
ハンカチを敷くのを忘れませんでした。
今日のために、エルナは、
昨年の誕生日に祖母が作ってくれた
最も大事にしている
モスリンのドレスを着ました。
今さら父に良い印象を与えたいとは
思いませんでしたが、
淑女らしい礼儀と品位は
きちんと身に着ける必要があるので
服を汚すことはできませんでした。
落ち着いて優雅に。
いつでもどこでも淑女のように。
それは祖母が一生守ってきた
人生の信条であり、
孫娘に必ず譲りたいと思っていた
遺産でもありました。
ハルディの姓を受け継いだが、
バーデン家の女性である
エルナは、その価値を守っていく
義務がありました。
エルナが
着こなしを整えている間に
街灯番が
広場のガス灯を灯しました。
生まれて初めて見る不思議な光景に
夢中になっていたのもつかの間、
エルナは再び立ち上がって
荷物を持ち上げました。
夜が深まる前に
家を探さなければならないと思うと
むくんだ両足と足の痛みが
自然に忘れられました。
エルナは、ゆっくりと
大通りを歩いて行きました。
風に散る花びらが
雪のように舞う夜の街は
恐ろしくて途方に暮れている心情を
しばらく忘れさせるほど
美しいものでした。
エルナは「わあ」と
子供のように感嘆して
頭を上げました。
花がたくさん咲いている
木の枝の間から
白い満月が見えました。
昨夜、なかなか眠れず、
窓を開けて眺めた夜空に
浮かんでいたのと同じ月でした。
その当然の事実に
かなり大きな安堵感を覚えたエルナは
息を整え、
もう少し元気になった足取りで
歩き始めました。
それからすぐにエルナは、
かつて自分の家だった
タラ大通りの西端に立っている
ハルディ家の古風な邸宅を
見つけました。
エルナは呼び鈴を押す前に
もう一度ドレスと姿勢を整え、
できるだけ柔らかく
社交的な笑みも浮かべました。
大丈夫だと自分を誤魔化しながら
エルナは呼び鈴に向かって
震える手を伸ばしました。
私は本当に兄のことが理解できない。
その声に、ようやくビョルンは
目を開きました。
斜めに顔を上げると、
興奮したルイーゼが、いつの間にか
目の前まで近づいて来ていました。
ビョルンは素っ気なさそうな目で
彼女を見ました。
ルイーゼは、
グレディスが戻ってくると
言っているのに、
これがどういう意味なのか
分からないのかと抗議しました。
「さあ」と返事をし、
ゆっくりとホールを
徘徊していたビョルンは
再びルイーゼの顔を見ると、
最悪の夏になるというような
意味ではないかと
にっこり笑いながらも、
気乗りがしなさそうに
返事をしました。
眠気がにじみ出ている遅い口調のせいで
一段と辛らつに聞こえました。
ルイーゼは、兄が傷つけた
グレディスのことを
どうして、そんな風に言えるのかと
まるで侮辱されたのが
自分でもあるかのように怒りました。
しかし、ビョルンは
平然と水の入ったコップを握りました。
チャリティーパーティーは
成功しました。
王妃の出席が知られると、
社交界の貴婦人たちも、先を争って
シュベリンに集まりました。
彼女たちの多くの寄付金に感激した
王立病院長の口元は、
上がりっぱなしでした。
素晴らしい料理と音楽、
社交界の有名人たち。
王妃の出席が無駄にならないほどの
格調を備えたパーティーでした。
王妃をエスコートするために
眠るのを諦めた大公の犠牲も
無駄ではなかったと言っても
過言ではありませんでした。
怒った蜂のように
うなり声を上げながら
周囲をうろつくルイーゼを除けば。
ルイーゼは、
子供でもなだめるような口調で
今からでも過ちを正そうと
ビョルンを促し始めました。
グレディスの友人でもあるルイーゼは、
誰よりも熱烈にビョルンの結婚を支持し
騒々しい離婚後は
誰よりも荒々しい非難者に
急変しました。
ルイーゼは、
もちろん許される種類の
過ちではないけれど、
もし、グレディスが許してくれるなら
自分は2人が・・・
と話していると、ビョルンは
「ハイネ公爵夫人」と言って
水のコップを置き、
彼女の言葉を遮りました。
笑みを浮かべた唇と違い、
その目つきと口調は、
鋭い感じを与えるほど
落ち着いていました。
公爵が妻を探しているようなので
夫のもとへ戻ったらどうかと、
ビョルンは、ホールの向こうで、
貴婦人たちの群れの間を
のぞき込んでいるハイネ公爵を
目で差しました。
唇を何度かパクパクさせていた
ルイーゼは、
言えなかった言葉の代わりに
深いため息をつくと
渋々立ち去りました。
ビョルンは、
警戒心と期待感が共存する視線を
投げかけている淑女たちの間を
悠々と通り過ぎると、
葉巻を吸いに出てきた男たちで
賑わっている、
庭に続くテラスに出ました。
「ビョルン、ここ!」と
手を振っている見慣れた顔を
見つけたビョルンは、
そちらに向かいました。
普段は、
つまらない討論に熱を上げている
連中が、今日は皆静かで、
その中の何人かは、
今にも泣き出しそうな沈鬱な顔で
杯を傾けていました。
ブランデーで満たされたグラスを
ビョルンに差し出したペーターは
投資に失敗したらしいと
教えました。
ビョルンはグラスを受け取りながら
「投資?」と聞き返すと、
ペーターは舌打ちしながら、
海外債券に投資したけれど、
それが詐欺だったとか何とかと
悲劇的なニュースを伝えました。
ビョルンは眉を顰めるだけで、
特に反応はありませんでした。
しばらくの間、
他の社交クラブを騒がせていた
その荒唐無稽な投資ブームに
巻き込まれたマヌケの数が
思ったより多いようでした。
ペーターは
ビョルンのおかげで助かったと
できる限り声を限り低くして
囁きました。
耳寄りな投資情報を得た彼は、
すぐにシュベリン宮殿を訪れました。
ビョルンは、
少なくとも女と金において
神から授かった才能を
持っているに違いないというのが
社交界の定説だからでした。
その日、興奮したペーターの
説明を聞いたビョルンは
頭がいかれたクソ野郎と
簡潔な返事で状況を整理しました。
その侮辱的な言葉に、ペーターは
王室暴行罪を犯すところでした。
勝てるかもしれない相手だったら、
きっとそうしたはずでした。
しかし、一瞬にして
頭のいかれたクソ野郎にならずに
財産を守れたのだから、
その程度は、我慢できないことも
ありませんでした。
それに、ビョルンにせがんで得た情報で
鉄鋼会社に投資をして、
かなり大きな利益を得ました。
それを考えれば、ペーターは
あの厄介な王子を
愛せるような気がしました。
旬を過ぎた頃、
ようやく味見をした程度の自分が、
あれだけの利益を得たのだから、
ビョルンは、一体いくら稼いだのか。
とにかく、金を転がす才能は
神技に近い奴なので、
汚くても、恥知らずでも
じっと我慢しながら、
この友情を続けなければ
なりませんでした。
ビョルンと目が合った、
ある伯爵家の後継者は、
どんな手を使ってでも
捕まえなければならない。
被害者が一人や二人ではない
深刻な犯罪だと、涙まじりに
詐欺師に騙された者たちの名前を
口にし始めました。
社交クラブの会員である
貴族家の子弟が大部分でしたが、
最後に、
ほとんど全財産を失った。
自死寸前だという
最も深刻な間抜けらしい
ハルディ子爵という
聞き慣れない名前を最後に
退屈な愚痴は終わりました。
ビョルンは葉巻を吸いながら
手すりの向こうの庭を見ました。
咲き乱れる色とりどりの春の花を
のんびりと鑑賞していた
ビョルンの視線は、
鈴蘭の咲いている花壇の上に
突然止まりました。
結婚式で
グレディスが持っていたブーケに
入っていた花。
そのおかげで「王太子妃の花」という
ニックネームを得た鈴蘭は、
一年弱、品薄現象を起こすほど
愛されました。
そういえば、駅で見た
あの野暮ったい女の帽子を
飾っていたのも鈴蘭でした。
流行が終わってから随分経ってしまった
まさにあの鈴蘭でした。
ビョルンは、
ホールから聞こえてくる
ワルツの旋律を口ずさみながら、
葉巻の煙を吐き、月を眺めました。
チラッと見ただけでも
ムカつきました。
エルナが帽子に飾っていた鈴蘭を
ビョルンはグレディスが
流行させた鈴蘭だと思った。
エルナが鈴蘭が好きなことを
ビョルンが知るはずもないので、
そのような感想を抱いても
仕方がありません。
けれども、好印象ではないといえ
人の名前さえ憶えていないビョルンが
エルナのことを
思い浮かべたということは
彼女を見た時に、不愉快な印象意外に
何かがあったのだと思います。
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いつも、たくさんのコメントを
ありがとうございます。
前話の「女を抱く」という表現。
実は、原作では、
もっと露骨な表現でしたが、
それは、書けなかったので
表現を変えました。
今回の画像。私的には
幻想的過ぎるような気がして
もう少し自然な感じのを
AIで生成できると良かったのにと
思いました。
AIは、人の好みや感情を
読み取ることはできないので
思い通りの画像を作成するのは
結構、難しいですね。
私の敬称について、
先生なんて呼ばれるのは
おこがましいので、
気軽にクラちゃんと
呼んでくださいね。