8話 ホールでエルナが動けなくなっているところへビョルンが登場しました。
意図的に距離を空けたまま、
エルナの後を追っていた
ハルディ子爵夫妻と
マイヤー伯爵夫人は
当惑した顔で
後ろを振り返りました。
まさか、
まだ到着していない客がいるとは
夢にも思わず、
それがビョルン王子だったので
なおさらでした。
彼らは退きました。
しかし、ホールの入口から、
国王と王妃が並んで座っている壇上まで
続いている赤いカーペットの真ん中に
エルナが立ちはだかり
王子の行く手を阻んでいました。
ブレンダは真っ青な顔で
夫の腕をつかみました。
エルナを連れて来るためには、
ビョルン王子を
追い越さなければなりませんでしたが
どちらが、より恐ろしいことなのか、
なかなか見当がつきませんでした。
その間にも、王子とエルナの距離は
ますます縮まっていきました。
ブレンダは、この騒ぎを作った
張本人であるマイアー伯爵夫人に
これをどうすればいいのかと
尋ねました。
眉を顰めて
物思いに耽っていた彼女は、
すぐに本来の落ち着いた表情を
取り戻すと、
別にこれといった手もないので
一度、見てみようと答えました。
その言葉に驚いたブレンダは
大きなため息を漏らしました。
国中の貴族だけでなく
王室一家まで集まった席で
恥をかくことになったのに、
この女性は、非常に面白そうに
振る舞っていました。
もしかして、
事を台無しにしようとする
下心があって、素直にシャペロンを
引き受けたのではないかという
疑いが込み上げ来た頃、
眉を顰めたビョルン王子が
足を止めました。
エルナは、
自分の上に垂れ下がった
彼の影の中で体を回しました。
一体、これはどういうことなのか。
とんでもないことをしている女性を
見下ろしたビョルンは、
少し首を傾げました。
初めて女性を見つけた時、
当然退くだろうと思いましたが
まさかこのように、ひるむことなく
自分を止めるなんて、
意図が何であれ、気迫一つは
認めてあげなければならないのかと
思いました。
ビョルンは、
もう少し視線を落として、
女性に向き合いました。
彼を見ても、女性は
何も見ることができない人のように
ぼんやりしていました。
ゆっくりと瞬きする度に、
大きな目は、ますます透明な光を
増していきました。
格別に青い光を帯びた瞳でした。
ビョルンは眉を顰めて
女性の向こうに視線を移しました。
当惑した表情をしている父母は、
「ビョルンがまた!」と
そんな嘆きが聞こえてきそうな
目つきをしていました。
しかめっ面をしたレオニードの表情に
込められた非難は、
それよりさらに荒々しく、
真顔のルイーゼは
言うまでもありませんでした。
久しぶりに訪れた建国祭の始まりが、
少なくとも退屈ではなくなって
良かったと言うべきなのだろうかと
ビョルンは思いました。
彼は失笑を漏らしながら
顔を上げました。
天井を見つめる目には、
微かな苛立ちが滲み出ていました。
どう考えても、
この女性に、こんな酷い目に
遭わされるような事をした記憶は
残っていませんでした。
ひょっとして、この見知らぬ女性が
自分をレオニードと
勘違いしたのではないかという仮定は
すぐに脳裏から消し去りました。
あのつまらない王太子が
女性問題を起こす日よりは、
地上に楽園が到来する日が
もう少し早く訪れるだろうと
思いました。
ビョルンは、
誰なのか分からない女性が、
どうか自分の前から
消えてくれることを願って、
視線を下ろしました。
しかし、彼女は、依然として
彼の行く手を遮り、途方に暮れて
ぶるぶる震えていました。
これ以上、この寸劇に
参加する気がなくなったビョルンが
一歩踏み出した時、
息を切らしていた女性の体が
ふらつきました。
ため息をつきながらもビョルンは、
機敏に女性を支えました。
今日のことで何を騒がれても
自分の知ったことでは
ありませんでしたが、大公が王宮で
女性を気絶させたという噂は
遠慮したいと思いました。
ビョルンは、青ざめた女性に
「息」と低い声で囁きました。
ゆっくりと顔を上げた女性は、
まるで彼を初めて見たかのように
驚いた表情をしました。
血の気のない顔色のせいで、
赤くなった目頭が
さらに目立ちました。
女性は彼の言葉を真似て
「息」と繰り返しました。
にっこりする小さな唇も
目頭のように赤くなりました。
ビョルンは呆れて
そら笑いをしました。
「息をしなさい」と
ビョルンは、もう少し低い声で
ゆっくり囁きました。
頷いた女は、
ようやく、きちんと息を吐きました。
依然として震えていましたが、
幸い意識を失う危機は
免れたようでした。
女は、しきりに息という言葉を
呟きながら、呼吸を繰り返しました。
そのリズムに沿って揺れる白い肩は
とんでもなく
小さくて細いものでした。
ある程度、呼吸が安定すると、
女性は慌てて彼から離れました。
ずっと、
ぼんやりとしていた顔の上に
羞恥心と警戒心が浮かび上がりました。
他人の行く手を遮る騒ぎを起こした
張本人が見せるような態度では
ありませんでした。
顔色を窺っていた、ある中年の女性が
早足で近づいて来ると、
本当に申し訳ないと謝って
女性を助けました。
チラッと彼女を見たビョルンの視線は、
すぐに再び小さな女性に向かいました。
何とか、肩と胸を隠そうとする
無意味な努力は、むしろ、
より大きな注目を集めるだけでした。
あんなドレスを着て現れておきながら
淑女の振りをする女性に
呆れたビョルンは、
口元にひねくれた笑みを浮かべました。
死体のように青ざめていた女性の顔が
だんだん赤くなっていました。
彼と目が合うと、女性は驚いて
後ずさりしました。
今では、耳まで
真っ赤に染まっていました。
そこへ、
ハルディさんが、とても緊張して
大きなミスを犯したことを
心からお詫びすると言って、
もう1人の女性が、
慌てふためいる2人の女のそばに
近づきました。
ビョルンは、彼女が
レチェン結婚市場の
最高の仲介業者である
ビクトリア・マイアーであることに
気づいた瞬間、
この荒唐無稽な騒ぎの顛末を
理解しました。
遅ればせながら
社交界デビューすることになった経緯と
型破りな登場。
それにビョルン王子の名前まで
加わったので、この舞踏会の花は
誰が何と言っても
エルナ・ハルディでした。
大公を利用して
あの娘を目立たせるなんて
さすがマイヤー伯爵夫人だ。
ビョルン王子が
遅れて現れることを知らなければ
あの出来事を説明できない。
あの娘もただ者ではない。
田舎暮らしをしていたから
純真だと思ったのに、
なぜ、あんなに抜け目ないことを。
ホールの端に
おとなしく座っているエルナを
貴婦人たちは
軽蔑と好奇心が滲み出た目で
チラチラ見ていました。
この騒ぎのおかげで、エルナは、
天下のビョルン・デナイスタも
目も奪われた美人という
評判を得ました。
グレディス王女の夫だった彼でさえ
認めたので、
すごい美人に違いないというのが
多くの人の意見でした。
娘を高い値段で売り払おうとする
浅薄な欲を露わにした
ハルディ子爵を非難する人たちも、
エルナの美貌に関しては
文句をつけることができませんでした。
ホールを一周したマイアー伯爵夫人は
エルナのそばに近づき、
彼女の体の調子を尋ねました。
エルナは、
反射的にショールを握りしめながら
顔を上げると、
恨みのこもった目で見つめました。
大したことがないというように
笑ったマイヤー伯爵夫人は、
見た目より
性格のいいお嬢さんだと言うと
エルナのそばに座りました。
他の女性たちが
ダンスを楽しんでいる中、
エルナは、この隅の長椅子に座って
じっとしていました。
ダンスを申し込みに来た
多くの青年たちは、エルナと
目もまともに合わせることができず
残念な足取りで引き返しました。
マイアー伯爵夫人は、
デビュタントなのだから
一曲くらい踊ったらどうかと
促しましたが、エルナは、
できない。 こういうのは嫌いだと
微かに震えた声で返事をしました。
そして、不安そうに
辺りをキョロキョロ見回した後、
再び頭を深く下げてしまいました。
社交性など塵ほどもない
マヌケだけれど、
この頭の痛い性格も
きれいな顔と調和して
一つの魅力となっていました。
見るのも嫌なショールが
気になりましたが、
それを再び奪えば、
王宮のカーテンでも引きちぎって
体を覆う勢いなので
放っておくことにしました。
すでに見せる分は全部見せたので、
ドレスは十分に役目を果たしました。
マイアー伯爵夫人は扇子の先で
エルナの顎を持ち上げると、
顔を上げて。
会話をする時は、相手の目を見るのが
基本的な礼儀だと教えました。
そして、穏やかな笑みを浮かべながら
王子の前では、
かなりうまくやっていたのに、
もう、すっかり忘れてしまったのかと
冷ややかな声で非難しました。
王子と聞いて、
しばらく物思いにふけっていたエルナは
思わず唇を噛みしめながら
身をすくめました。
世の中が、ぐるぐる回って
息が詰まり始めると、
エルナはすべての判断力を
喪失してしまいました。
自分が誰に何を犯したのか悟ったのは
ようやく息ができるようになった
後でした。
そのことを思い出すだけでも、
再びその恐怖が
襲ってくるような気がしました。
マイアー伯爵夫人は、
踊らないという意思は尊重するけれど
最小限の品位は守るように。
それがハルディさんを
今まで育ててくれたバーデン家の名誉も
守る道だということを
肝に銘じるようにと言いました。
その後、マイヤー伯爵夫人は
エルナのそばを去りました。
一人残されたエルナは
目をギュッと閉じたまま
数字を20まで数えると、
ようやく安定した呼吸を
取り戻すことができました。
バフォードでは、
一度もこんなことがありませんでした。
一瞬、無力な馬鹿に
成り下がった気分でした。
もう少しだけ我慢しなければ。
ここから逃げ出したい衝動を
抑えながら、エルナは
ゆっくりと目を開けました。
すると、
大理石の柱に寄りかかったまま
双子のレオニード王子と
話をしているレチェンの王子が
見えました。
2人は、高い身長と体格、
顔立ちまで驚くほどそっくりで
唯一の違いは、
王太子が眼鏡をかけているという
ことぐらいでした。
世間とかけ離れた感じがする
人里離れた田舎のバフォードでも
双子の王子たちは有名で、
そのような噂に無関心なエルナでも
名前くらいは覚えていました。
本来、長男のビョルン王子が
王太子だったけれど、彼の悪い行いが
王国全体の怒りと反感を買い、
弟のレオニード王子に
その席が移ったのだと聞いていました。
外見は同じだけれど、
王太子は、軍人のように
まっすぐで節度のある姿勢で歩き
大公は、のんびりと
散歩を楽しむように歩きました。
まるで彼を包んでいる空気だけ
駅でも、タラ通りでも
見たことのある姿でした。
毒キノコ・・と
ぼんやり呟くエルナの方へ、
突然、大公が顔を向けました。
避ける暇もなく、
目が合ってしまった瞬間でした。
なぜか、
今回のお話で、私の中では、
エルナとビョルンよりも
マイアー伯爵夫人の方が
ウエイトが大きかったです(笑)
エルナにとって、
マイアー伯爵夫人は
嫌な存在なのでしょうけれど
機転は利くし、
ピンチをチャンスに変えたり、
すぐに発想の転換ができるのは
すごいと思いました。
もう少し、優しい性格ならいいのにと
思いますが、
本気で娘を良い家に嫁がせるには
有無を言わせぬ厳しさが
必要なのではないかと思います。
エルナには災難でしたが・・・
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いつもたくさんのコメントを
ありがとうございます。
midy様
カテゴリー分け忘れを
ご指摘いただき
ありがとうございます。
助かりました。
前話のエルナの年齢のお話。
私も原文を読んで
気になっていましたし
皆様からも、
コメントをいただいたので
調べてみたところ、
韓国では数え年を採用していて、
それを廃止したのは2023年でした。
このお話が書かれたのは
2020年ですので、それで作者様は
マイアー伯爵夫人に20歳と
言わせたのではないかと思います。
紛らわしいので、
20歳にもなるのにと、
修正いたしました。
話は変わりまして、
このブログを
書き始めたきっかけは
マンガの続きを
どうしても知りたいという欲求で
それが、
私の原動力になっています。
ただ、問題の王子様は
最後まで読んでしまったので、
少し、その原動力が
落ちてきてしまいました。
そこで、モチベーションを
上げるために、同じくSolche様の
「泣いてみろ、乞うてもいい」を
始めたいと思います。
バスティアンと、どちらにするか
迷いましたが、前者は
韓国でマンガが再開されたものの
まだ29話までしか公開されていないので
原作の1話から始めても、
あまり時間がかからずに
追いつけると思ったからです。
バスティアンは59話で
マンガが休載になりました。
その理由は、60話以降、
R-15指定でマンガを描くのに
改変が必要な部分があるからと
書かれていました。
前回も、6か月以上休載しましたし
今回の休載も長くなるかもと
書かれていましたので、
ハーレムが終わったら(2月くらい)
取り掛かろうと思っております。
できれば「問題な・・・」と
「泣いてみろ・・・」を
週に2話ずつ、ご紹介したいのですが
Solche様の文章は
「ハーレム・・・」と「再婚・・・」を
書かれているAlphatart様の文章より
緻密で、時間がかかります。
できれば、「問題な王子様」を
先に終わらせたいので
週に「問題な・・・」が2話、
「泣いてみろ・・・」が1話に
なることもあるかもしれませんが、
よろしくお願いします。