927話 外伝36話 ラティルが恩返しをすると言った瞬間、タッシールは何を呟いたのでしょうか?
◇察しが悪い◇
タッシールは、
ひょっとして察しが悪いと、
時々、言われたことはないかと
尋ねました。
皇女ラティルは目が丸くしました。
彼女は、「察しが悪い?」と
心の中で繰り返した後、
首を横に振り、
そんなことはないと否定しました。
タッシールは、
確かに、タリウムの皇女に
堂々とそんなことを言う人は
いないだろうし、言うとしても
陰で言うだろうと言って
ため息をつくと、皇女がくれた札を
ポケットに入れました。
しかし、何がそんなに不満なのか、
再びため息をつくと、
これは、どうしたらいいのか。
本当に困ったことになったと
呟きました。
「何が?」
皇女ラティルは、
彼がブツブツ言っているのが
本当に全く理解できませんでした。
なぜ、急に、
自分が察しが悪いのではないかと
聞いて来て、
1人で困っているのだろうか。
恩を返すと言っただけなのに
どうしたのかと思いました。
皇女ラティルは、
もしかして、
自分がとても高貴な人だから
負担に思っているのかと、
推測して尋ねると、
タッシールの唇が蠢きました。
ラティルは冷たく手を振ると
もっと負担に思っても構わない。
自分の父は、自分のことを
とても大事にしてくれているので
あなたが自分を
助けてくれたという話を聞いたら、
本当に、とても感謝するだろうと
言いました。
タッシールは
黙って皇女を凝視した後、
馬車の外に出ました。
皇女ラティルは、
彼の後頭部に手を振り、
「さようなら。
後で必ず来なさい。」と
言いました。
◇不穏な夜◇
その夜、皇女ラティルは、
久しぶりにテントや馬車ではなく、
楽なベッドで寝ることができました。
きれいで温かいお風呂にまで入った
皇女ラティルは、
ベッドに横になるや否や、
大きく伸びをしながら喜びました。
ベッドは宮殿のベッドより硬くて
快適ではなかったけれど、
テントの簡易ベッドよりは、
ずっとマシでした。
フクロウの鳴き声を聞きながら、
皇女ラティルは、ぐっすり眠るために
目を閉じました。
しかし、時間が経っても眠れず、
むしろ不安な気持ちが湧いて来ました。
野営していた時は、
小さな野営地の中で
皆が一丸となっていたし、
不寝番に立つ兵士が
遠くない所にいました。
皇女ラティルが、
テントの外に頭を突き出すだけで
兵士が気づくほどでした。
しかし、ここは旅館の中でした。
当直に立つ護衛兵がいるだろうけれど
野営地のように
開けたところではないので、
誰かが襲撃しようとすれば
襲撃しやすいと思いました。
大丈夫かな?
それに当直をしている兵士が
忍び込んでいる襲撃者かもしれない。
皇女ラティルは、
そのことを考えると、
ますます眠気が失せてしまい、
結局、ベッドから起き上がりました。
彼女は訳もなく扉に耳を当て、
隣の部屋とつながっている
木の壁にも耳を当て、
その後、窓を開け、
もしかして、覆面をかぶった人々が
こちらを狙ったりしていないかと
あちこち見回しました。
幸い、そのような人は
見当たりませんでした。
皇女ラティルは安心して
頭を引っ込めようとした時、
意外にも麻薬商のような青年が
路地と大通りの間に
立っているのが見えました。
路地の奥を見て頷いている彼は
誰かと話をしているようでした。
誰と話をしているのだろうか。
皇女ラティルは移動している間、
タッシールが誰かと
話をする姿を見たことが
ありませんでした。
いつも彼は、
自分の荷物をまとめる時、
あるいは兵士たちと
口論する時を除き
一人で過ごしていました。
皆が彼を、
不審に思っていたからでした。
村の人と話しているのだろうか。
しかし、この村は
タッシールが来ようとしていた村では
ありませんでした。
彼は元々、皇女一行と反対方向に
向かっていましたが、
自分の馬車が壊れたため、やむを得ず
こちらへ来ただけでした。
だから、村人と話をすることも
ないはずでした。
それも、こんな夜中に・・・
怪しい。
自分の札を渡さなければ
良かったのだろうか。
すると、突然タッシールが
振り向きました。
正確にこちらを見たため、
皇女ラティルは
急いで頭を下げました。
「見られたかな?」
彼女は窓枠の下にうずくまったまま
息もできませんでした。
心臓がドキドキしました。
後になって
足首に痛みを感じると、
皇女ラティルは素早く足を広げて座り
膝を擦りました。
彼女は這って窓のそばに移動すると
カーテンを開けて
再びタッシールを見ました。
しかしタッシールはどこへ行ったのか
見当たりませんでした。
しばらくそうしてから、
皇女ラティルはベッドに戻り、
枕を抱きしめました。
しかし、
眠る気にはなれませんでした。
彼女は剣を持って布団の中に入り、
短刀もしっかりと握りました。
◇なぜ、彼が?◇
幸いなことに、朝になるまで
何も起こりませんでした。
1人2人と起きた人々が
朝の仕事をしに歩き回ると、
皇女ラティルは、ようやく疲れが
押し寄せて来ました。
朝食を取り、
再び馬車に乗り込む時には
眠気が襲ってきて、
意識が半分飛んでいたも同然でした。
ところが、タッシールを見ると
眠気がパッと失せました。
彼が自分の一行の馬車に
乗る姿を見ると、今では
精神まで冴えて来ました。
なぜ彼は、またあそこに乗るのかと
皇女ラティルは官吏を呼び
急いで尋ねました。
皇女ラティルは、
タッシールを近くの村まで
連れて行けばいいと考えていたので
なぜ、また一緒に行くのかと
訝しみました。
意外と官吏は、
不思議に思っていない様子でした。
官吏は、
医者がタッシールの怪我の状態を見て、
自分は、このような骨折は
専門外だと言ったそうだ。
ここから何日か、先へ行けば
大きな都市にたどり着くので
そこで治療してみろと言われた。
どうせ通り道なので、
そこで降ろすことにしたと
答えました。
皇女ラティルは当惑しながら
「いつ?」と尋ねました。
官吏は「夕方頃」と
今度もすぐに答えました。
時間を聞いてみると、
医師が皇女ラティルの外傷を
診てくれた後、
タッシールは治療を受けに
行ったようでした。
官吏はラティルの表情を見て
もしかして彼がいると不都合か。
置いて行こうかと
素早く尋ねました。
皇女ラティルは、
ただ驚いて聞いただけだと答えました。
彼女は依然として
タッシールのことを
不審に思っていたけれど、
負傷した人を置いて行けとは
言えませんでした。
官吏が遠ざかると
彼女はタッシールの方を
もう一度見つめ、
馬車の扉を閉めました。
どうせ移動中は、
彼と話をすることもあまりないので
構わないだろう。
でも、札は返してもらいたいと
思いました。
◇悪口◇
皇女ラティルの予想は外れ、
昼食を取るために馬車が止まった時
彼女はタッシールと、
再び話をすることができました。
使用人たちが食べ物を温めている間、
皇女ラティルは
馬車の扉を大きく開けて
外の空気に当たっていると、
タッシールが、こちらへ
近づいて来ました。
護衛は彼を止めようとしましたが
皇女ラティルは首を横に振り、
大丈夫だと合図をしました。
ラティルは、
何の用かと尋ねました。
タッシールは
ラティルの目の前まで来て
眉をつり上げて笑うと、
昨日はとても親切にしてくれたのに、
今日はまた、どうして
こんなに冷たいのか。
我が殿下は、声に好き嫌いが
はっきり表れると言いました。
皇女ラティルは、
夜中にタッシールの怪しい振る舞いを
見たからだと、
心の中で考えましたが、
襲撃者たちが、
この一行に隠れていることを
知りながらも
その素振りを見せなかったように
今回も何も言いませんでした。
その代わりに、
自分があげた札を返してと
手を差し出しながら
断固として指示しました。
「え?」
タッシールは、
まさか皇女がくれた物を
再び取り返すとは思わなかったのか
珍しく慌てた表情をしました。
皇女ラティルは、
このまま、お別れだと思って
あげたのに、
しばらく一緒に行くと聞いたので、
返してと、
堂々と手を差し出したまま、
引っ込めませんでした。
タッシールは、札を
前ポケットに入れておいたのか、
両腕で自分の上半身を抱き締めて
さっと背を向けると、
一度あげた物を
返してくれと言ったらダメだ。
このタッシールは商人なので、
絶対に損をするようなことはしないと
拒否しました。
その言葉に皇女ラティルは驚き、
本物の麻薬の売人だったのかと
尋ねました。
皇女が食べる食事を
器に盛ってきた下女が、
それを聞いて驚き、
引き下がるほどでした。
タッシールは、
非常に悔しそうな声で、
自分は麻薬の話はしていない。
ただの商人だと抗議しました。
ラティルは、
何を売買しているのかと尋ねました。
タッシールは
普通の様々な物だ。
麻薬は絶対に入っていないので
安心してと、ため息混じりに
話しました。
そして、自分の荷物を積んだ
馬車を指差し、
それでも疑うのであれば、
行って確認してみてもいい。
もちろん、むやみに荷物を解いて、
商品が傷んだら
殿下が買わなければならないと
言いました。
皇女ラティルは、
本当にタッシールの荷物を
確認してみたくなり
荷馬車をじっと見つめました。
本当に麻薬があるとは
思っていないけれど、
中に武器のようなものが
あるかもしれないという気はしました。
ところが、皇女ラティルが
しばらく馬車を睨んでいるうちに
タッシールが椅子に置かれたノートを
さっと持って行きました。
皇女ラティルが止める暇もなく、
タッシールはノートを見て
ヒュアツィンテとは誰なのか。
こんなに悪口を
ぎっしり書くなんてと
思わず、感嘆の声を上げました。
皇女ラティルは、
急いでノートをひったくると
自分の物を、むやみに見るなんて
無礼だと抗議しました。
タッシールは、
ただの悪口が書かれたノートなのにと
ぼやくと、皇女ラティルは
悪口も、
自分がすれば高貴なものになると
言い張りました。
「おやおや、殿下」と
タッシールは、その言葉を
信じられないというように
大声で笑いました。
皇女ラティルも、
自分の言ったことが恥ずかしくなり
ノートを抱きしめて
息を切らしました。
タッシールは、
しばらく笑った後に、
ところでノートの隅に、
なぜ、自分の名前が
書かれているのかと尋ねました。
皇女ラティルは、
食べ物の器を横に置くと、
素早く馬車の扉を
閉めてしまいました。
皇女ラティルは、自分の一行に
少なくとも5人の襲撃者が
隠れていることを知っていましたが
そのうちの2人が
誰なのか分かったので、
旅館に泊まる時だけ、よく防備して
1人で歩き回らなければ
無事に旅行を終えることができると
思いました。
ひとまず目的の場所に到着して
お使いを終えれば、別に傭兵を
雇用することもできました。
有名な黒死神団の傭兵たちを雇って
そばに置けば、
もっと気が楽になるだろうし、
言い訳をして、襲撃者2人を
引き離すこともできました。
しかし、数日後、
大きな都市に到着して、
旅館に泊まった夜。
皇女ラティルはいつものように、
剣を持ってベッドに座り、
コーヒーを続けて飲みました。
最近は、タッシールの忠告通り、
夜は浅く眠るか起きていて、
移動する時に馬車の中で寝ていました。
ところが、どこからか濃い血の匂いが
漂い始めました。
皇女ラティルは
短剣と長剣の両方を持って
扉をそっと開けました。
ところが、部屋の扉の前を
守らなければならない
当直の兵士2人の姿が
見えませんでした。
皇女ラティルは
廊下を見回しましたが
人の往来はありませんでした。
皇女ラティルは
「誰もいないのか」と声をかけると、
そっと外に出て
隣の部屋の扉を開けてみました。
扉を開けるや否や、
床に伏せている血まみれの人が
見えました。
驚くや否や、突然隣で誰かが
剣を振り回しました。
皇女ラティルは持っていた剣で
相手の剣を防ぎながら
廊下に後退しました。
罠にかかって怪我をした足は
まだ回復していませんでした。
添え木を当てて、
馬車にずっと座っていたので、
じっとしている時は
大丈夫でしたが、誰かと戦うほど
回復していませんでした。
「誰もいないのか!」
皇女ラティルは、結局声を出して
兵士たちを探しました。
全員が襲撃者ではないので、
誰かが声を聞いて
出てくるだろうと思いました。
しかし、現れたのは覆面だけで、
兵士たちは見当たりませんでした。
敵は、彼女が
部屋に閉じこもっている間に
何かしたようでした。
皇女ラティルは
敵の攻撃をかわしながら、
どんどん窮地に追い込まれました。
そうするうちに、
手すりの端に腰がぶつかり
止まらなければなりませんでした。
皇女ラティルは
素早く後ろを見ました。
2階の手すりで、高さはあるけれど、
落ちて死ぬほどでは
ありませんでした。
しかし、階下も
人が1人もいませんでした。
怪我をした足でここから落ちると
逃げる間もなく
敵の手の内に落ちるはずでした。
階段で下りないと
いけないのだろうか。
それとも部屋の中に入ろうか。
皇女ラティルは
手すりに寄りかかったまま、
次々と剣を振り回しながら
考えました。
いつの間にか覆面は
9人ほどに増えていました。
その瞬間、
どこかから矢が飛んで来て、
すぐ近くの覆面の首を貫通しました。
覆面の半分程度は
窮地に追い込まれた皇女を放って
矢が飛んで来た方向を見ました。
半分くらいは
皇女を攻撃し続けました。
しかし、相次いで飛んで来た矢が
百発百中で覆面を貫通し、
あっという間に2/3程度が倒れると、
彼らも皇女だけに
気を使うことができなくなりました。
それに皇女ラティルも
剣を振り続けたので、彼らの神経は、
飛んでくる矢と目の前の剣に
完全に分散されました。
しかし、覆面たちが矢に備え始めると、
矢は止まりました。
その代わり、手すりの下から
タッシールが
さっと上に上がって来て、
瞬く間に皇女ラティルを片腕で抱え、
下に飛び降りました。
ラティルの父親は黒林に
皇女ラティルのことを
調べさせているし、
ラティルの同行者の中に
襲撃者を入れたことを、
おそらくタッシールは
知っていると思います。
彼が皇女ラティルが
察しが悪いと言ったのは、
彼女の父親が皇女ラティルを
どうにかしようとしていることに
全く気づいていないからだと
思いますが、
現実のラティルも皇女だった頃は
父親に命を狙われているなんて
想像もしていなかったでしょうから、
察しが悪くても
仕方がなかったと思います。
皇女ラティルが、父親は自分を
とても大事にしてくれると
言った時に、タッシールは
何を思ったのでしょうね・・・
ところで、タッシールは
ヒュアツィンテは誰なのかと
皇女ラティルに聞きましたが、
彼は絶対にヒュアツィンテのことを
知っていたと思います。