932話 外伝41話 傭兵を楯にしているタッシールは、怖くて口が開けないとラティルに訴えました。
◇脱出◇
タッシールが大げさに
怖がっているふりをすると、
傭兵の表情が歪みました。
彼はタッシールが口を開くたびに
鳥肌が立つようでした。
皇女ラティルは、
薄暗い灯りしかない奥の階段を
チラッと見下ろしました。
完璧な暗殺にするためか、
こちらへは、
下男が一人も来ませんでした。
事がすべて解決した後に
戻って来るつもりなのだろうか。
いずれにせよ、
黒死神団の傭兵が、素早く静かに
事を処理してくれたおかげで、
敵は暗殺者が皆死んだことを
知らないのは明らかでした。
重要な話とは何か。
早く話した方がいいと、
皇女ラティルは、階段から
直接見上げることができない
死角に身を隠しながら促しました。
傭兵は皇女ラティルの意思を理解し
床に倒れている死体の足をつかんで
空き部屋の中に入れ始めました。
タッシールは
傭兵の後を追うのをやめて、
ラティルのそばに近づきました。
皇女ラティルは、
彼がそばに来ると、横へ移動し、
「くっつかないで」と
彼を拒否しました。
タッシールは、
馬車でずっと自分を
探していたのは・・・と
言いかけましたが、
皇女ラティルは、
そんな人はいない。
重要な話からしろと、
タッシールの戯言を遮りました。
彼は目を細めると、
皇女ラティルに向かって
可愛らしい笑みを浮かべました。
しかし、ただでさえ陰気な印象の彼は
薄暗い廊下では、
いっそう危険に見えたので
彼が骨折って微笑んでも
逆効果でした。
皇女ラティルは、
たくさん悪巧みをしているように
見えるタッシールの雰囲気に
嫌気がさし、
さらに後ろに退きました。
タッシールはため息をつくと、
この城の領主は怪しいので、
これ以上、滞在せずに
去った方がいいと勧めました。
皇女ラティルは
眉をつり上げながら、
それを言いに来たのかと尋ね、
自分もそう思う。
もう身を持って経験したからと
返事をしました。
タッシールの気遣いは
ありがたかったけれど、
すでに一度襲撃された後だったし
皇女ラティルも、領主自ら、
襲撃者たちを隠していたことを
推察した後だったので、
彼の助言のタイミングは
良くありませんでした。
それでも、タッシールが
危険を冒してまで
領主の城内まで入って来たことに
皇女ラティルも少し感動しました。
しかし、彼女は、この疑わしい男が
一体何をしているのか
本当に理解できませんでした。
彼は自分にわざと接近した上に、
自分の敵とも関連がある。
全くもって怪しい奴だけれど、
なぜ、危険を冒してまで
ずっと自分を助けてくれるのか。
一体どんな意図があるのかと
考えました。
タッシールは、
殿下が自分の合図を
よく理解できなかったので、
話を伝えるのが
あまりにも遅くなってしまったと
残念そうに話すと、
傭兵をチラッと見ました。
傭兵は全ての死体を部屋の中に入れて
そばに来ていました。
タッシールは、
皇女が優れた傭兵を雇っていて
良かった。 安心したと言いました。
その言葉に、
皇女ラティルの瞳が揺れました。
その話をするために、
ここまで忍び込んで来たのか。
一体、あなたは何者なのか。
どうして自分を
ずっと助け続けてくれるのかと
尋ねました。
タッシールは、
残念だけれど、
今、殿下の手の内には、
使える部下がいないので、
領主と戦うことができない。
領主を力で抑えるより、
ここから離れた方がいいと
理由を説明せずに
勧めてばかりいました。
皇女ラティルはタッシールに
一体、何を考えているのかと
問い詰めたかったものの、
彼の言う通り、
ここから脱出することが先決でした。
そう判断を下すや否や、階下から
ひそひそ話す声が聞こえて来ました。
皇女ラティルとタッシール、
傭兵の3人は静かにしました。
皇女ラティルは、彼らの声を
聞くことができませんでしたが
上の階で何が起こっているか
知っているかのように
静かにひそひそ話す人たちなら、
おそらく、
領主がどんな謀略を企てているのか
知っている人たちでした。
その時、傭兵が手を上げ、
幽霊のように下へ降りて行きました。
しばらくして戻って来た彼の頬には
血の滴が一つ飛んでいました。
「降りましょう」と言う傭兵の後を
皇女ラティルとタッシールは
付いて行きました。
ひそひそ話していたのは下男と警備兵で
2人とも首が違う方向に
曲がっていました。
◇損はしないのに◇
領主は、
皇女を密かに襲撃するために
口が重い人たち、
このことを知っても、
必ず口をつぐむ人たちだけを
城に残しておいたので、
普段より、城内の警備が
徹底していない上に、
行き交う人の数も
はるかに少なかったので、
皇女ラティルたちは
脱出するのが容易でした。
夜明け前に、3人はプルドゥ領地を離れ
近くの村に入ることができました。
しかし、万が一に備えて
皇女ラティルは村の中に入らず、
代わりにタッシールが村に入って
馬車を借り、
食べ物、毛布などを購入して来ました。
一行は遅滞なく
その村を去りました。
領主が皇女ラティルと傭兵に
濡れ衣を着せ、
2人の人相や着衣を知らせて、
探そうとするかもしれない。
しかし領地から遠く離れた所であれば
それは不可能なので、
できるだけ遠ざかることが鍵でした。
ついに安堵しても良いほど
領地から遠ざかると、
ずっとまともに休めず
緊張していた皇女ラティルは
緊張が解けて、
気絶するように眠ってしまいました。
その後、目を覚ました時、
皇女ラティルは、
誰かのしっかりした足を枕にして
横になっていました。
この足は誰の足?
彼女は目をパチパチさせて、
慌てて飛び起きました。
馬車の天井に
頭をぶつけた皇女ラティルは
よろめきながら
馬車の反対側の壁に
寄りかかりました。
驚いて横を見ると、やはり
彼女が枕にしていたのは
タッシールの足で合っていました。
彼は平然と窓に肘を突きながら
窓の外を見ていましたが、
皇女ラティルの方を向いて微笑み、
「お目覚めですか?」と
自然に挨拶しました。
皇女ラティルは
しばらくボーッとした後、
自分たちは、こんなに親しそうに
挨拶を交わす間柄なのかと
驚きましたが、
すぐに、その気持ちを抑え
ここはどこなのかと尋ねると
反対側の窓を見ました。
限りなく広がる黄金色の
麦畑が見えました。
タッシールは、
遠ざかれるだけ遠ざかったと
明るい声で答えました。
皇女ラティルが、彼の足を枕にして
寝ていたにもかかわらず、
普段と変わらない軽い話し方でした。
これに皇女ラティルは
少し安堵すると、
馬車の中に風が吹き込んで来ました。
皇女ラティルは
髪の毛が乱れるのを抑えながら
タッシールと目が合うと、
気まずそうに視線を逸らし、
「そうなんだ」と返事をしました。
自分は長い間、寝ていたのだろうか。
なぜ、彼の足を枕にして
寝ていたのだろうか。
自分が勝手に枕にしたのだろうか。
皇女ラティルは、
風になびく髪の毛越しに
彼の足をチラチラ見ながら
自責しました。
よりによって
彼の足を枕にして寝ていたなんて
自分は馬鹿だ。
反対側の壁に寄りかかっても
良かったのにと嘆きました。
しかし、
すでに思う存分寝た後であり、
時間は取り戻せませんでした。
皇女ラティルは、
しきりに風になびく髪を
押さえつけながら、
気まずそうに窓の外を眺めました。
しばらくして皇女ラティルは
落ち着きを取り戻すと、
余裕がなくてお礼を言えなかった。
おかげさまで、無事に
あの領地から抜け出せたと
タッシールにお礼を言いました。
彼は、
念のために伝えておくけれど
この恩は絶対に忘れてはならない。
このタッシールが苦労して
殿下をここまで連れて来たことを
骨に刻むつもりで
覚えておくべきだと言いました。
感謝しているけれどイライラする。
皇女ラティルは眉を顰めて
渋々、頷きました。
しばらく話が途切れました。
皇女ラティルは
馬車の車輪が転がる音を聞きながら
考えを整理しました。
あの傭兵は本当に体力がある。
ずっと馬車を
1人で運転しているのに
疲れた様子がないと、少し考えが
横道に逸れたりもしたけれど、
概して皇女ラティルが考えたのは
領主自身が、
自分を密かに襲撃した理由でした。
プルドゥ領主には、支持する側室や
皇族がいませんでした。
特に怨恨もないのに、
なぜ急に、あんな大それたことを
したのだろうか。
皇女ラティルは悩んだ末、
領主が自分を襲うことを
なぜタッシールは知っていたのかと
尋ねました。
彼が答えないことは知っているけれど
現在鍵を握っているのは
タッシールだけでした。
黒死神団の傭兵は戦えるけれど
安全のために雇った人で、
正確な事情は分からないからでした。
自分を追及するのかと
タッシールはニコニコ笑いながら
聞き返しました。
皇女ラティルは、
追及しているのではない。
タッシールしか
答える人がいないからだと
返事をしました。
彼女は、
できるだけ眉を顰めないように
努めましたが、
しきりに力が入りました。
タッシールは、
自分が答えると思うのか。
自分が怪しい商人であることは
殿下もすでに知っているのにと
答えをはぐらかしましたが、
皇女ラティルは
タッシールの言葉に流されず、
主体的に問い続けました。
領主がタッシールを雇ったのか。
もしかして、タッシールは
領主が自分を襲撃しようとした理由を
知っているのではないかと
尋ねると、タッシールは
なぜ、それを聞くのかと尋ねました。
皇女ラティルは、
領主が自分を襲撃したからだと
当前のように答えました。
彼女は、
他に理由なんてないと思いました。
タッシールは大笑いすると、
重要なのはそれだ。
領主が殿下を襲撃した理由は
重要なのですか?と尋ねました。
皇女ラティルは真顔で、
重要だ。それを知れば
領主の共犯が誰なのか
分かるからだと答えました。
タッシールはさらに口元を上げると、
皇女ラティルは、共犯者がいると
考えているようだけれど、
領主が単独て行ったことだと
思わないのかと尋ねました。
皇女ラティルは、
父親自ら準備した旅行団だった。
プルドゥ領主が1人でやったのなら、
そこに暗殺者を1人か2人入れるだけに
止まっただろう。
しかし、旅行団の人々のほとんどが
おそらく襲撃者だった。
領主1人で、それはできないと
答えました。
明敏だと、タッシールは
ラティルを褒めましたが、
皇女ラティルは
まだ返事を聞いていないので
気分が良くありませんでした。
皇女ラティルは、
タッシールが巧妙に
質問に答えないのが上手いこと。
なぜ領主が自分を狙ったのか。
領主がタッシールを雇ったかどうかも
教えてくれないことを非難しました。
タッシールは、
立て続けに殿下を救っただけで
すでに頭が混乱している。
自分は絶対に
損するようなことはしないのだけれど
今、計算が少しこんがらがっている。
この馬車に乗った瞬間から
自分は少し損をしているのだけれど
返事は、ここまでにしておくと
突然、線を引きました。
皇女ラティルは、
ぼんやりと彼を見つめました。
彼が正しいことを言ったのは
知っているし、
彼は最初から味方ではなく、
今でも味方と言うには
曖昧な関係でした。
彼がこちらの質問に答える義務は
ありませんでした。
彼が、本当に敵が雇った人なら、
彼はすでに自分の雇用主を
何度も裏切ったも同然。
でも、なぜ、こんなに
寂しいのだろうか。
タッシールは口が重いと
皇女ラティルは弱々しく呟きました。
タッシールは、
商人は信用が命だと言うと、
唇を軽く叩いて、
窓の外に視線を戻しました。
その後頭部をじっと見た
皇女ラティルはがっかりして、
自分も反対側の窓の外に
顔を向けました。
窓の外では農夫たちが
麦畑を歩いていました。
彼らは平和に見えました。
その姿を
ぼんやりと見ているうちに、
突然、目頭が熱くなりました。
皇女ラティルは唇を噛みました。
あの麻薬の売人のような
怪しい奴のそばで泣いてはいけない。
そんなことをすれば
皇女としての体面が潰れるので
絶対に泣いてはいけませんでした。
その時、
自分が見たところ、すでに殿下は
答えを見つけたと思う。
その答えを避けたくて、
よく分かっている答えを
自分に聞いているだけ。
とにかく、自分が手伝うのは、
本当に、ここまでのつもりだ。
どう見ても損だから。
自分は国境まで見送ったら帰る。
だから殿下は・・・と
隣から
ため息混じりの声が聞こえて来ました。
その瞬間、皇女ラティルは
頭の中に稲妻が走るような感じがして
頭をさっと横に向けました。
目が合うと、
タッシールの瞳が揺れました。
皇女ラティルの父親が
彼女を狙っていると
タッシールが言わないのは
言ったところで、おそらく彼女は
そんなはずはないと
否定するからだと思います。
だからタッシールは、
皇女ラティルが自分自身で
それに気づけるように、
上手く誘導しているように
感じました。
タッシールは損をしても
皇女ラティルに付き添っているのは
彼女を女性として、
意識し始めているからではないかと
思いました。