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38話 ビョルンは、エルナの友人がパーベルだと指摘しました。
ビョルンは「そうでしょう?」と
尋ねました。
しばらく沈黙していたエルナは、
信じられないという様子で、
王子様は、
なぜ、彼のことを知っているのか。
まさか、
そんな噂が流れていたのかと
尋ねました。
ビョルンは、それを否定し
ハルディさんが言ったと
巧みに嘘をつきました。
混乱に陥ったエルナの目が
揺れました。
彼女は、
自分が話したのか、本当に?
と尋ねました。
ビョルンは、
そうでなければ、どうやって自分が
そのことを知り得たのか。
そうではありませんか?
と聞き返しました。
エルナは「あっ・・・」と呟くと
絶望的なため息をついて
泣き顔になりました。
不埒なことを言っているようには
見えませんでした。
エルナは、
肩に巻いたショールの先端を
握り締めながら、
「王子様以外に、
それを知っている人は
いないでしょうか?」と
震える声で尋ねました。
ビョルンは「おそらく」と
正しく答えると、
エルナの表情が明るくなりました。
こんなに簡単に人を信じるなんて。
ビョルンは殺伐とした気分で笑うと
エルナは、さらに明るく笑いました。
エルナはビョルンに
必ず秘密を守って欲しい。
噂が立つと、
パーベルがとても困るからと
頼みました。
その理由をビョルンは尋ねました。
カップの持ち手を握っている、
彼の長くて滑らかな指が
止まりました。
ビョルンは、
評判が滅茶苦茶に失墜することと
スキャンダルくらいは
覚悟していたのではないか。
その程度の覚悟もなく、
愛の逃避行をする
決心をしたわけではないだろうと
尋ねました。
その言葉に驚いたエルナは、
まさか、パーベルと自分が、
そんな恥知らずなことをしようとしたと
今、言ったのかと尋ねました。
ビョルンは、
そうではないのかと尋ねると、
エルナは、
パーベルは、バフォードで
子供時代を共に過ごした、
家族同様の友人だと、
大変な侮辱でも受けたように
真顔で叫びました。
そして、
愛の逃避行だなんて、とんでもない。
一緒にバフォードに行こうとしたのは
事実だけれど、
それは借りることにしたお金のため。
大金を持って、一人旅をするのは
危険かもしれないと言って
パーベルが自分を、バーデン家まで
送ってくれることにしただけだと
答えました。
お金と聞いたビョルンは
眉を顰めました。
遅ればせながら
しまったと思ったエルナは、
絶望的な気持ちで唇を噛みました。
ビョルンは、
なぜ、パーベル・ロアーから
お金を借りるのかと尋ねました。
静かにエルナを注視する
ビョルンの灰色の目が、
いっそう濃い光を帯びました。
エルナは沈黙しました。
ビョルンは冷たいため息をつき、
「話して、ハルディさん」と
冷たく命じました。
固く閉じていた目を開いたエルナは
諦めて頭を上げました。
「さあ」と低く沈んだビョルンの声が
テーブルの向こう側から
響いて来ました。
いっそのこと、大胆になろうと
決めたエルナは、
姿勢を正して話し始めました。
それが、
心を守る唯一の道だからでした。

荒々しく玄関のドアを閉めた
パーベルは、大急ぎで、
共用住宅の階段を下りました。
遅ればせながら、
上着を持って来なかったことに
気づきましたが、
そんなことを気にしている余裕は
ありませんでした。
建物の入り口を出た時、
「おーい、パーベル!」と
聞き覚えのある声が
聞こえて来ました。
急いで立ち止まったパーベルは
声が聞こえてきた方を向きました。
顔を涙で濡らした二人の老人が
彼の方へ近づいて来ました。
バーデン男爵夫人とグレベ夫人でした。
当惑したパーベルは
「男爵夫人!」と叫ぶと
慌てて彼女に近づき、
ふらふらする老婦人を支えました。
改めて見ても、
間違いなくエルナの祖母。
バフォードの
バーデン男爵夫人でした。
パーベルと目が合うと、男爵夫人は
大変だ。
エルナが行方不明になったと言って
さらに悲しそうに泣き始めました。
すすり泣いていたグレベ夫人も
泣き出しました。
通りを行き交う通行人の視線が
一瞬にして涙の海となった
建物の入り口に集まりました。
ようやく我に返ったパーベルは
まず二人を
自分の家に案内しました。
慌てて家の中を片付けて、
お茶を準備している間に、
泣き声が次第に収まりました。
一息ついたパーベルは、まず、
温かいお茶で、もてなしました。
長く伸びて来た日差しが、
狭い食卓に集まって座っている
三人の頭の上に落ちました。
落ち着きを取り戻した
バーデン男爵夫人は、ようやく
ここまで来ることになった事情を
説明してくれました。
王国中を騒がせたスキャンダルを知り
エルナを取り戻すために
ハルディ家を訪ねたこと。
そして、エルナが消えたという
青天の霹靂のような知らせを
聞いたことについて
たどたどしく説明する
バーデン男爵夫人の声からは
途方もなく深い悲しみと絶望が
滲み出ていました。
警察に通報してから
もう一日が過ぎたのに、
エルナの髪の毛一本も
見つけられなかったと言うと
バーデン男爵夫人は、
濡れたハンカチで涙を拭いました。
そして、バーデン男爵夫人は、
再び、警察署に行ってみた。
パーベルの住所は
警官に教えてもらった。
この都市に、
エルナの知っている人がいるかと
聞かれたので、
パーベルの名前を伝えた。
今夜、警官がパーベルを
訪問すると言っていたけれど
もしかしてパーベルを
困らせたのではないだろうかと
心配しました。
パーベルは、
かろうじて声を絞り出して
否定しました。
頭の中が真っ白になり、
喉が絞めつけられるような
気がしました。
落石事故が、
なかなか収拾されそうになかったので
結局、汽車を諦めたパーベルは
客室で会った夫婦が教えてくれた
近隣の村へ向かいました。
幸い、駅馬車の会社を見つけましたが
シュベリンへ行く長距離路線は
大雨のため、
すでに運休していました。
悩んだパーベルは、まず、
シュベリンに最も近い都市まで行く
駅馬車に乗りました。
そこで馬車を一度乗り換えて
シュべリンに行くつもりでした。
しかし、そこで、もう一度
計画が狂ってしまいました。
小都市の駅馬車は、早い時間に
運行が終了するということまで
考えが及びませんでした。
気が狂いそうでしたが、
幸いにもパーベルは、
馬を借りられる宿場を見つけました。
天気を口実にして、
暴利を貪ろうとする主人の暴挙は
どうでもいいことでした。
怯えたまま、1人で駅で待っている
エルナを思えば、4倍の値段くらい
いくらでも払うことができました。
しかし、結局、この有様でした。
パーベルは
必死で拳を握りしめました。
借りた馬に乗って、暴雨の中を走って
シュべリンに到着しましたが
無駄でした。
駅のどこにも
エルナの姿を見つけられず、
喉が裂けるほど名前を呼びながら
近隣を隅々まで探しても同じでした。
ひょっとして、
父親に計画がバレたのではないか。
もしくは、自分が来なかったので
諦めて、家に帰ったのだろうか。
夜が明ける頃になると、パーベルは
むしろ、そうであって欲しいと
祈りたくなりました。
タラ大通りに駆けつけ、
何事もないように静かなハルディ家を
直接、目で確認した後、
むしろ安心しました。
どうやら、エルナは
家を出るのに失敗したようだ。
あの子がいなくなったら、
あんなに平穏ではないだろうから。
それでも、
簡単に安心することができなかった
パーベルは、夜が明けるまで、
ハルディ家の邸宅の前を
歩き回りました。
幸い、そんなに時間が経たないうちに
ハルディ家のメイドが
姿を現しました。
パーベルは急いで彼女に近づき
エルナの安否を尋ねました。
かなり警戒する目つきで、
彼を見ていたメイドは、
お嬢さんは体の具合が悪くて
療養中だと、
ぶっきらぼうに言いました。
そして、
当分の間、外出が難しいので、
こんな風に来ないで欲しいと、
鋭い言葉を投げかけると
逃げるように、屋敷の中に
姿を消してしまいました。
パーベルは、
ようやくまともに呼吸ができ、
計画が失敗して、むしろ幸いだと
信じない神に
感謝の祈りを捧げたくなりました。
エルナの安否を、
両目で直接、確認したいと
切実に思いましたが、
ひとまずパーベルは、
このくらいで、引き返すことにし
エルナが頃合いを見計らって
連絡をくれるのを待ちました
しかし、一日、また一日が過ぎても、
エルナから何の音沙汰もなく、
使い走りの少年を通じて
手紙を送っても、
何の返事も来ませんでした。
少し前、3回目の手紙を持って行った
使いの少年が、手ぶらで帰って来ると
パーベルは何かおかしいと、
結論を下すしかありませんでした。
エルナに何かあったに違いない。
それを確認するために家を出る途中
パーベルは、バーデン男爵夫人に
出くわしたのでした。
パーベルは、
こんなことも知らなかった自分を
情けない奴だと罵り、
怒りを必死で抑えました。
目の前に、
2人の老婦人がいなかったら、
自分の頭を
かきむしりたい気分でした。
パーベルの顔色を
窺っていたバーデン男爵夫人は
彼に、大丈夫かと、
慎重に尋ねました。
パニック状態のパーベルは
顔を真っ赤にして
彼女に向き合いました。
真実を話さなければいけないことは
分かっているけれど、
一体、どこからどこまで、
何をどのように話せば良いのか
見当がつきませんでした。
エルナは、何があっても
父親にやられたことを、
祖母に話しませんでした。
でも、エルナが行方不明になった今
それが、一体、
何の役に立つのだろうか。
いや、エルナが、本当に
行方不明になったのでなければ?
津波のように押し寄せて来る
数多くの疑問の中で、
パーベルは、大丈夫だとしか
答えられませんでした。
卑怯にも、今はごまかしたけれど
遅くとも警官に会う前までには
決定を下さなければならないことを
パーベルは知っていました。

エルナ・ハルディは借金をした。
今度は、彼ではなく別の男
パーベル・ロアーに。
ビョルンは、状況を簡単に整理すると
苦笑いがこみ上げて来ました。
ビョルンは眉を顰めて
エルナを見つめました。
せっかく、
借金を帳消しにしてやったのに
その間に、
また借金の山に登るなんて。
この愚かな女は、
まだお金の恐ろしさを、
まともに味わうことが
できなかったようでした。
「お金をあげます」と言う
ビョルンの淡々とした声が
長く続いた重苦しい沈黙を
破りました。
罪人のように頭を下げていたエルナは
まるで、
不意に頬を叩かれたような顔で
ようやく、再び彼を見ました。
ビョルンは
パーベル・ロアーに借りることにした
お金を、自分があげると、
感情のこもっていない口調で
説明を加えました
それ程、
難しい言葉でもないはずなのに
エルナは依然として、
魂が抜けたような顔をしていました。
バーデン家の邸宅をめぐって
娘とそのような取引をした
ハルディ子爵は、汚い父親で、
そんな父親に騙され、
この都市にやって来て、
酷い目に遭ったエルナ・ハルディは
可哀想な女。
この女の話を元にして
ビョルンの下した結論でした。
でも、そこまで。
汚い父親と可哀想な娘の悲劇は
他人がむやみに関与できる種類の
問題ではありませんでした。
しかし、どんな形であれ、
ビョルンは彼女を、
さらに哀れにさせるのに
一役買っているので、
それに相応する責任を
負わなければならない
義務を負っていました。
そのすべてを総合して
ビョルンが下した結論はお金でした。
今あの女に一番必要なもの。
彼があげられるもの。
そして、自分の気分を汚す債務を
清算できる手段。
どう考えても、それはお金でした。
ビョルンは、
心配しないように。
また、借金を負わせようと
しているわけではないと言うと
ニヤニヤ笑いながら
カップを置きました。
そして、
「貸してあげるのではなく
あげるんです」と言いました。
エルナは、その理由を尋ねました。
彼女の頬は、
徐々に赤くなって行きました。
諦めの悪い女から
視線を逸らしたビョルンは
静かにため息をつきながら、
窓の外の空を見ました。
一体、どうして?
再び自問したビョルンは、
ついに答えを見つけました。
彼はこの女性に、
借りを作りたくありませんでした。
特に感情の借金は、なおさら嫌でした。
しかし、エルナ・ハルディは
適当な理由でもなければ、
決して、そのお金を受け取らない
頑固者なので、方法は一つ。
あの賭けについて明らかにし
この女を賭けて得た賭け金を
この女に返すこと。
これよりもっと清々しい後始末は
存在しないはずでした。
ビョルンは頭の中を混乱させた
考えを整理すると淡々とした顔で
再びエルナに向き合いました。
ところが、
ビョルンが口を開こうとした瞬間、
フィツ夫人が扉を叩いて、
ビョルンに声をかけました。
非常に焦っている様子でした。
目配せでエルナの了解を求めた
ビョルンは、
フィツ夫人の入室を許可しました。
慌てて応接室に入って来た
フィツ夫人の顔からは
隠すことのできない当惑が
滲み出ていました。
フィツ夫人は、
シュべリン宮から急な連絡が来た。
今すぐ、宮殿に行くように。
国王の命令だと告げました。
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エルナが駅で、
1人で怖がっていると思って
馬を借りるために、
4倍のお金をふっかけられても
全く気にせず、雷雨の中、
パーベルは、必死でシュベリンまで
戻って来たのに、
トンビに油揚げをさらわれたように
エルナを奪われてしまった。
一方、
エルナが夜逃げをしたのを
確認するつもりだけだったビョルンは
大雨のせいで、
パーベルに待ちぼうけを食らった
エルナを助けるという、
棚ぼたのような幸運に恵まれた。
雨さえ降らなければ、
無事にエルナは、
パーベルとバフォードに
戻っていたと思いますが、
仮にそうなったとしても
ビョルンは、何やかや理由を付けて
エルナと関わろうとしたのではないかと
思います。
それに皆様がご指摘されていたように、
パーベルでは、完全にエルナを
ろくでもない父親から
引き離すのは無理だと思います。
ここまで頑張ったパーベルに
素敵な恋人が見つかり、
幸せな家庭を築けるよう
願わずにはいられません。
ところで、ビョルンは、
エルナと10回も会っていないと
思うのに、
エルナが夜逃げをする相手を
パーベルだと推測したり、
エルナの性格を見抜いていたりと、
これで、エルナのことを
好きではないと言っても
誰も信じないと思います。
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