40話 モナ夫人はビルに、エトマン夫人のことを話しました。
窓を開けていたので、
固く閉ざされたカイルの部屋まで
騒ぎが聞こえて来ました。
カイルは疲れ果てた体を
ゆっくり起こしました。
「おい、エトマン夫人!
今すぐ出てきなさい! 」
大声で叫んでいるのは
ビルおじさんでした。
驚いたカイルが
窓際に近づくと、玄関の前で対峙中の
ビルおじさんと家政婦が見えました。
これは何の騒ぎかという
冷たい叫び声とともに
エトマン夫人も姿を現しました。
ビルは、
切り裂いても飽き足らない泥棒が
エトマン夫人だったのか。
これが人のすることか。
いくらレイラが嫌いでも、
どうして、
こんなことができるのかと
抗議しました。
争いを止めようとして、
急いで窓に背を向けたカイルは
ピタッと立ち止まりました。
なぜ、あの泥棒の話を、
ここで母にしているのだろうか。
混乱に陥ったカイルが
石像のように固まっている間に
ビルは猛烈な怒りを込めて
途轍もない話を吐き出しました。
カイルは、
とんでもないと呟きながら、
よろよろとした足取りで部屋を出で
階段を下りました。
いくらビルおじさんでも、
あんなに恐ろしいことを言うのは
許せませんでした。
ビルが叫ぶのを止めると、
エトマン夫人は、
レイラがそう言ったのかと鋭く問い返し
そんな低劣な謀略で、
人を陥れようとするなんて
素晴らしいと皮肉を言いました。
しかし、
カイルが玄関の外に
出ようとしたばかりの時、ビルは
レイラがそんなことを言える子だと
思うのか。
いっそのこと、
レイラが告げ口をしていたら、
自分の胸が、
こんなに張り裂けることはなかったと
涙ながらに叫びました。
しかし、エトマン夫人は、
こんなとんでもないことを言って
乱暴を働くつもりなら、
警官を呼ぶ前に、すぐに帰れと
命令しましたが、ビルは
エトマン夫人の偉い従弟が
警察に捕まったのを郵便配達員が見て
話してくれたことなのに、
しらを切るつもりなのかと
言い返しました。
その言葉に、エトマン夫人が
たじろいで後ずさりしました。
カイルは、母親の後ろ姿を見ながら
違う、謀略だと叫んで欲しいと
祈りましたが、エトマン夫人は、
言葉が詰まってしまった人のように、
苦しそうに息を不規則に吐きました。
手すりに付いた血の気のない手が
ブルブル震え始めました。
カイルはよろめきながら
母親に近づきました。
エトマン夫人は、
嘆くように自分を呼ぶ声を聞いて初めて
背後に立っている息子の存在に
気づきました。
カイルは母親の腕に手を触れながら
違うよね?
おじさんの勘違いだよね?
と尋ねました。
カイルは笑おうとしたが
うまくいきませんでした。
今この瞬間が現実だということは
明らかだけれど、頭の中に
濃い霧がかかったようでした。
地獄のような毎日でした。
何度もレイラを訪ねて、
説得し懇願しましたが、
レイラの気持ちは変わらず、
どうしようもなく時間だけが
過ぎて行きました。
しかし、エトマン博士は、
予定通り、レイラの分の学費まで
納めてくれたので、
レイラさえ説得すれば、
馬鹿な考えをするあの子さえ
捕まえれば、すべてが順調に進むと
信じていました。
結婚が負担なら、婚約ならどうかと
今日の夕方、レイラを訪ねて
もう一度、
説得してみるつもりでした。
婚約して、
一緒に大学に行くだけで十分だ。
十分、時間が経てば、
レイラも、自分を恋人として
愛するようになる。
そうして、自分たちは
いつまでも幸せに生きていくのだと
思いました。
カイルは涙声で母親を呼びました。
エトマン夫人は真っ赤な顔で
手すりを見下ろすだけで、
言葉を続けることができませんでした。
その時、エトマン博士が帰って来て、
二人の警官と一緒に車から降りました。
彼らを見たエトマン夫人の顔は
死んだ人のようになり
その場に座り込んでしまいました。
まずエトマン博士はビルに近づくと
弁明の余地がないと、
繰り返し謝罪しました。
その父を見たカイルの瞳は
絶望の色に染まりました。
続けてエトマン博士は、
今日は、このような状況なので
まともに話ができそうにない。
事が収まった後に、
再び謝罪しに行ってもいいかと
了解を求めました。
目を乱暴にこすったビルは
怒りを抑えながら頷きました。
エトマン博士は、冷たく沈んだ目で
妻を見ながら、
どうして、そんなことをしたのかと
尋ねました。
エトマン夫人は、
違う、そうではないと否定しましたが
エトマン博士は、
ダニエルが警察にいて、
従姉にそそのかされたと
すでに自白したと言いました。
エトマン夫人は
言い訳をしようとしましたが
唇が固まってしまいました。
エトマン博士は、
だから自分に嘘をつこうとするな。
以前は、レイラを
受け入れたふりをしたくせに
陰で、そんなことを企てていたのかと
怒りに歪んだ顔で非難しました。
涙ぐんでいたエトマン夫人は、
これはすべて、あなたのせいだ。
一体どうして、
レイラのことを許して
自分を、こんなに
めちゃくちゃな人にしたのかと
悲鳴を上げるように叫びました。
エトマン博士は、
こんなとんでもないことを犯して
そんなことが言えると思うのかと
非難しました。
エトマン夫人は、
すべてあなたのせいだ。
自分は最初から
あの子が嫌いだと言ったのに。
あの時、
自分の話を聞いてくれていたら
こんなことまでしなかった。
あなたさえいなければ・・
と悪態をついていたエトマン夫人は
泣き出しました。
深いため息を何度もついた
エトマン博士は、
妻を支えて立ち上がらせ
車に乗せました。
カイルは目を開けたまま見る
悪夢のような光景を
じっと見ていました。
カイルは、
世の中が暗黒だったらいいのにと
願いました。
レイラはビルおじさんに
泣かないでと言うと、ハンカチを
テーブルの上に差し出しました。
ビルは、びっくりして顔を上げると、
誰が泣いていると言うのかと
頑強に否認しながらも、
ハンカチで、濡れた目元を
ごしごし拭きました。
少しも減っていない食べ物が
冷めてしまいましたが、
ビルもレイラも、
互いに食事を勧めることが
できないことを
よくわかっていました。
ビルが、ビールを
がぶ飲みしている間、
レイラは疲れた顔で
テーブルの端を見下ろしました。
どやどや小屋にやって来た
アルビスの使用人たちの
慰めの言葉を聞いて、
レイラは何が起きたのか
分かりました。
不審な会話について、
警察に情報提供した人が一体誰なのか
レイラは、
全く見当がつきませんでした。
あの日、
あの下町の古いティールームには
エトマン夫人とレイラの他に
見知らぬ男がいただけだったのに
あの男が情報提供者なのだろうか。
どう考えても、
レイラは分かりませんでしたが
カイルに拭い去ることのできない
傷を与えたのは確かでした。
エトマン博士と一緒に来た警官たちが
エトマン夫人を警察署に連行するのを
カイルが見ていたと聞いたからでした。
グラスを置いたビルは、
泣くなと言って、
ハンカチをレイラに差し出しました。
レイラは、ビル同様、
誰が泣いているのかと頑強に否定すると
赤くなった目元を拭いました。
ビルは、
世間知らずの自分が、
レイラをそそのかしたせいで、
このような問題を起こしてしまったと
謝りました。
レイラは、
そんなことを言ったら、
自分は本当に怒ると言いました。
ビルは、
こんな結婚はしないのが正しい。
そうすべきだと言いました。
レイラは深く頷きました。
しかし、ビルはレイラに、
それでも大学へは行くように。
すでにエトマン博士が
学費を払っているので、
取り戻したお金をその家に返せば、
自分が学費を払うことになるし、
大学はカイルとは関係ないことだと
言いました。
しかし、レイラは断りました。
ビルは、
下宿代は自分が払えるし
ぎりぎりではあるけど
生活費も何とか頑張ると言いました。
しかし、レイラは、
大学へ行くのを諦めていないけれど
今は行かない。
自分は教師になって、お金を貯めて、
首都へ行って勉強する状況になったら
その時、また試験を受ける。
それが、
元々自分の目標であり夢だった。
しばらく近道に目が眩んでいたけれど
また元の場所に戻っただけだと
言いました。
しかし、ビルは、
合格までした大学を
このように諦めるわけにはいかないと
反論しましたが、
レイラは自然な笑みを浮かべながら
まさか自分を信じられないのか。
もう一度試験を受けても、
自分は合格する自信がある。
その時は、
奨学金をもらえるくらい
良い成績で合格する。
おじさんは、いつも
自分は結構立派な大人になると
言っていた。
だから、もう一度だけ
自分を信じて欲しいと言いました。
この子をどうすればいいのか。
いっそのこと、
わんわん泣いてくれればいいのに、
レイラは、
とてもきれいに笑いました。
その微笑みがビルの胸を引き裂くことを
レイラは知りませんでした。
カイルもどうすればいいのか。
こみ上げて来る感情を
コントロールできなくなったビルは
情けない姿を見せたくなくて
急いで頭を下げましたが、
涙がテーブルの上にこぼれました。
椅子から立ち上がったレイラは
彼のそばにやって来ると
自分は本当に大丈夫だと言って
彼を抱き抱えました。
レイラは、
お金を返してもらったので
エトマン夫人を罰したくないと
伝えて欲しいと、
驚くほど落ち着いた声で言うと
彼の背中を撫でました。
あなたをどうすればいいのか。
苦労して飲み込んだその言葉が
さらに熱い涙になって
わき上がりましたが、
ビルは涙を呑んで頷きました。
許せないと思ったけれど、
いざ目の前で崩れたエトマン夫人と
真っ青になったカイルを見ると、
彼もずっと、
気が気ではありませんでした。
リンダ・エトマンが
どんなにひどいことをしたとしても
彼女は
レイラにとっては血縁同然の、
大切なカイルの母親でした。
ビルは、レイラがそう思うなら
そうしよう。
自分はどうでもいいと返事をしました。
一方的に、
レイラに別れを告げられて
意気消沈するカイル。
それでも、一縷の望みをかけて
もう一度、
レイラと話をしようと思ったのに
自分の母親がレイラに
とんでもないことをした。
しかも、
母親は自分が悪いのではないと
開き直っている。
そして、自分の目の前で
母親が警官に連れて行かれた。
カイルは、今まで生きてきた中で
一番、辛い状況に
陥っているのではないかと思います。
レイラも、それが分かっていて
カイルのことが心配だから、
エトマン夫人を罰することを
望まなかった。
こんなに思いやりがあって、
優しいレイラがカイルと結婚したら
温かい家庭が築けたはずなのに
身分や地位で人を判断する
エトマン夫人は、人を見る目がない
愚か者だと思いました。
そして、
ビルおじさんに迷惑をかけないように
心配させないように、レイラは
本当に大丈夫だと言うけれど
たまには遠慮しないで
ビルおじさんに
頼ってもいいのではないかと
思いました。
きっと、ビルおじさんも
それを願っていると思います。
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いつも、たくさんのコメントを
ありがとうございます。
3月に入っても、雪が降ったり
寒暖差が激しかったりと
不安定な天候が続いていますが
どうぞ、体調を崩されないよう
皆様、お体をご自愛ください。
それでは、次回は明日更新いたします。
今後、何のトラブルもなければ、
金~日に問題な王子様
月~木は泣いてみろ、乞うてもいいを
更新いたします。