73話 レイラはマティアスの行動に疑問を抱きました。
呆れて見つめるレイラの前でも
マティアスは、
呑気に座れと命じました。
自分たちはこのような関係ではないと
抗議したレイラは、
テーブルの上に並べられた料理と
その向こうに座っているマティアスを
見知らぬもののように、
当惑しながら見つめました。
椅子が片付けられた応接室の暖炉の前に
テーブルが置かれていました。
レイラにとっては、
恐ろしい思い出として残っている
まさにその場所でした。
マティアスは、
君の役割を果たせと言いました。
レイラは、
いくらでもやっていると反論しました。
しかし、マティアスは、
レイラの体をじろじろ見ながら
痩せた体はあまり面白くない。
打ち込む時に痛くなると言いました。
レイラは目を大きく見開きました。
下品な言葉と
無心な目つきのギャップに
驚愕するほどでしたが、
マティアスは眉一つ動かさずに
レイラを直視しました。
一体、自分を
何だと思っているのか。
どうしてあんなことを。
頬でも殴られたような気分に
襲われたレイラは、
激しく公爵を睨みつけました。
彼は声を出さずに笑いながら、
自分の前に置かれたグラスに
優雅にワインを注ぎました。
マティアスは、
飢え死にするつもりがなければ
食べろと命令しました。
レイラが黙っていると
マティアスは
死ぬつもりなのかと尋ねました。
それでも、レイラが返事をせず、
絶対にあなたと向かい合って
座らないと宣言するかのように
決然として立っているのを見ると
そういうつもりなら仕方がないと
言って、ニッコリ微笑み、
自分たちの関係を考えて
墓に墓碑くらいは立ててやると
言いました。
そして、彼はレイラから視線をそらし、
ナプキンを広げると
「ヘルハルト公爵の愛人ここに眠る」
気に入ったかと尋ねました。
レイラが
「何ですって?」と聞き返すと、
マティアスは、
最高級の大理石で、
皆が見られるように、
とても大きくて華やかに
立ててやるので心配しないでと
言いました。
のんびりとした話し方のせいで、
嘲弄がさらに辛辣に聞こえました。
レイラは怒りを抑えるために
頭を下げましたが、それは
良い方法ではありませんでした。
あの日とは違うカーペットが
敷かれていたけれど、
それが呼び起こす記憶は、
結局、あの日と同じでした。
レイラは、
時間が経てば傷は治るものだけれど
深い傷は、
それだけ深い傷跡を残すということを
もう認めなければなりませんでした。
さっさと立ち上がって、
たくましく、再び歩いても、
彼が残した傷跡は
永遠に消えないだろうと思いました。
レイラは拳を握りしめながら
マティアスを睨みつけました。
ゆっくりと食事をする彼は、
とてもリラックスして
楽しそうでした。
レイラは、
自分は立派に生きるつもりだと
力強く叫ぶと、
公爵の向かいの席に座りました。
そして、
怖がって逃げて慌てふためくことで
あの男を、楽しませたりしないと
誓うと、無謀な勇気が生まれました。
自暴自棄になったような
気もしましたが、レイラは、
公爵の意のままになろうとも、
もうあの男に、無気力に、
屈したくありませんでした。
レイラは、
絶対にあなたのような人のせいで
死ぬことも壊れることもないと言うと
パンを噛んで飲み込みました。
そして、
いつまでも立派に生きて行くと言うと
もう一切れのパンに、
バターを厚めに塗って、
口いっぱいに頬張りました。
口元についたパンくずのようなものは
少しも気になりませんでした。
がつがつ食べる姿に
愛想を尽かしてくれれば、
かえって有難いことでした。
マティアスは
「そう?」と平然と聞き返すと
フォークとナイフを置き、
「いい子だね」と言って、
賞でも与えるかのように、
レイラの前に置かれたグラスにも
ワインを注いでやりました。
レイラはパンくずのついた両手で
そのグラスを持ち上げて
ごくごくと飲み干しました。
マティアスは「おやおや」と言うと
短く舌打ちをし、
すぐに空になったグラスに
喜んで再びワインを注ぎました。
あなたが望む淑女らしい女には
決してならないと言うように、
レイラは、そのグラスも
一気に空にしました。
品位がないように見せたいという
意図があるなら、
かなり成果のある努力であると
認めるに値しました。
手の甲で唇を拭い、
その手でフォークを握りしめて
料理を食べる姿を、マティアスは
興味深い目で眺めました。
まあ、それほど悪くは
ありませんでした。
骨と皮がくっ付いて
フラフラになるのを見守るよりは、
野蛮人に耐える方がましでした。
ワインが一本底をついた時、
レイラは、音楽を消して欲しいと
突然、要求しました。
蓄音機を見つめる視線が
かなり険しくなっていました。
マティアスは、
聞いてみろ。
美しいではないかと言いました。
ピアノが奏でるワルツは、
マティアスと彼のカナリアが
一番好きな、
最も技巧が華やかで繊細な区間に
入っていました。
生意気な顔で
耳を傾けているかと思ったら、
レイラは、
すぐに再び眉を顰めながら
気に障ると呟きました。
そして、
再び道具のように握ったフォークで
ブスッと最後の肉の塊を刺すと
小さな口の中に押し込みました。
もぐもぐする唇と頬を見つめていた
マティアスは、
つい声を出して笑うと、
鳥より好みが低劣だと言いました。
果たして、
あれを食べられるだろうかと
マティアスは思っていましたが、
レイラは、
最後に残ったワイン一口と共に
とうとう肉を飲み込んだ後、
「鳥ですって?」と聞き返しました。
酒を水のように飲んだので
両頬が火照っていました。
クスクス笑っただけで、
マティアスは答えませんでした。
しばらく彼を見つめていたレイラは
すぐに興味を失ったように
空の皿の上に視線を落としました。
レイラは、
いつ捨てるのかと尋ねました。
戦闘的に料理を平らげるのに
すべての気力を使い果たしたせいか
レイラの声には、もはや
悪意は感じられませんでした。
マティアスは、
軽く握っていたグラスを下ろして
レイラを見ました。
いたずらに、
駄々をこねているのでは
ないということは、
落ち着いた目つきだけ見ても
分かるような気がしました。
レイラは、
自分を手にしたから、
捨てるのではないかと尋ねました。
マティアスは「うん」と
淡々と答えました。
愛人と永遠を約束するほど、
彼は感傷的でも
愚かでもありませんでした。
レイラは、
それなら早く捨ててと頼みました。
マティアスは、
捨てたらどうするのかと尋ねました。
レイラは、
幸せに暮らさなければならないと
答えると、ナプキンで
唇と手を拭きました。
そして、
公爵と関係のない人生を、
一生懸命、立派に生きると
言いました。
マティアスは、
自分の傍では、
立派に生きられないというように
聞こえるけれどと尋ねました。
レイラは躊躇うことなく
「はい」と答え、
もちろんだと付け加えました。
しわくちゃになったナプキンを
テーブルの端に置いたレイラは、
静かに自分の手を見下ろしました。
マティアスは、
依然としてレイラを見つめたまま
椅子にもたれかかりました。
それほど気に障ったり、
腹立たしく思うような
返事ではありませんでした。
永遠に続くものでなければ
いつかは終わる。
いくら熱烈な欲望でも
結局は冷めるもの。
その終わりが訪れた時、
泥沼に溺れることなく
去って行ってくれれば、
むしろ良いことでもあるし、
そのように去った女が
たくましく自分の人生を
立派に生きてくれれば、
これ以上のことはないだろうと
思いました。
それなのに、なぜ?
マティアスは、
自分でも理解できない感情に
眉を顰めました。
気に障らないし不埒でもない返事が、
とても気に障りました。
その時、レイラが
椅子から立ち上がりました。
マティアスは、
どこへ行くのかと尋ねました。
レイラが、もう帰ると
何気なく答えると
彼女を見るマティアスの口元が
曲がりました。
それと同時にマティアスは、
荒々しい力を込めて
通り過ぎるレイラの腕をつかみました。
驚いたレイラが
小さな悲鳴を上げましたが
彼は気にしませんでした。
フラフラするレイラを
そのまま胸に引き寄せたまま、
マティアスは、
広いソファーに横になるように
もたれて座りました。
抜け出そうとして、
もがいていたレイラは、
しばらくして
諦めたように静かになりました。
自分の胸にもたれて横になった
レイラの腰を、
マティアスは片腕で抱いて
しっかりと引き寄せました。
首筋に顔を埋めると、レイラの
柔らかくて甘い体臭がしました。
脈打つ首の辺りをそっと舐めると
レイラがビクッとするのが
感じられました。
それが面白くて、マティアスは、
もっと意地悪に、首筋と顎、
可愛い耳を軽く舐めました。
レイラが避けようと、もがく度に、
髪の毛が揺れて、
くすぐったい音を出しました。
もう大分、夜が
深まって来たのではないかと思い
レイラは窓の向こうを覗き込んで
時間を計ろうと努力しましたが
しきりに意識を朦朧とさせる
感覚のせいで
容易ではありませんでした。
いつの間にかマティアスの手が
ブラウスの中に入って来ました。
慣れ親しんだ痛みを予想しましたが
温かいその手は、
以前とは違う動きを続けました。
ゆっくりとお腹と腰を撫でながら
そっと胸をつかみました。
目をギュッと閉じたレイラは、
その手が、
なかなか熱意を帯びなかったので
怪訝に思って、
うっすらと目を開けました。
薄い生地の下で胸を揉む手の動きが
はっきりと見えました。
それがあまりにも奇妙で、
レイラは、
再び目を閉じてしまいました。
耳たぶを飲み込んで
しきりに噛む唇と柔らかい息遣いも
やはり奇妙なのは同じでした。
早く終わることを祈りましたが
その奇妙な瞬間は
しばらく続きました。
気に障る音楽の旋律のように
ゆっくりとマティアスは、手と唇で
レイラに触れて行きました。
満腹感と酔いのせいで
苦痛に鈍感になったのか、
以前のように
痛くはありませんでした。
下腹を撫で下ろしながら
ブラウスの中から抜け出した手が
スカートを持ち上げると、
レイラは、
音楽を消して欲しい。 頭が痛いと
急いで叫びました。
しかし、マティアスは、
膝までスカートをまくり上げると
音楽は美しい。頭が痛いのは、
無作法に酒を飲んだ君のせいだと
言いました。
意地悪な言葉に腹が立ちましたが
レイラは、
何の返事もできませんでした。
下着の中に入って来た
マティアスの手が、
恥ずかしい所を
恥ずかしく触り始めました。
レイラは驚き、
彼を押しのけようとしましたが
それが不可能だということに
気づくと、代わりに
両手で自分の口を塞ぎました。
しかし、マティアスは、
その手まで引きずり下ろして
レイラの羞恥心を煽りました。
音楽の音でも全てカバーできないほど
高いうめき声と荒い息が
意志とは関係なく
唇の間から溢れ出ました。
マティアスは、
痙攣するように震えていた
レイラの体が、
自分の胸の上に垂れ下がった後、
スカートの中に留まっていた手を
上げました。
マティアスは、
自分のそばで幸せに暮らすことは
できなくても、よく濡れて
よく泣くことはできるのかと
尋ねました。
そして、びしょ濡れの手で
レイラの上気した頬を覆いました。
レイラは身震いしながら、
その手を押し出そうとしましたが、
そうすればするほど
マティアスの腕の力が
強くなるだけでした。
激しく息を吐きながら
睨みつけるレイラと、
嘲笑うようにクスッと笑う
マティアスの視線がぶつかりました。
彼は、
自分のやりたいことをやったから、
君のやりたいことをしようと
提案すると、
容易にレイラをソファーに寝かせ、
その上に座りました。
レイラは、
自分がやりたいのは、
すぐに公爵から離れることだと
答えました。
マティアスは、嘘だと反論すると
レイラが濡らした手で、
彼女の唇をゆっくりと撫でました。
そして、躊躇うことなく
ブラウスのボタンを外し始めました。
彼を睨むレイラの目からは、
自責の念と入り混じった怒りが
輝いていました。
レイラは、
こんなことなら、
最初から思い通りにすれば
良かったのにと
マティアスを非難しました。
しばらくの間、抱いていた
愚かな希望の大きさほど、
レイラはさらに惨めになりました。
マティアスは、
それはもう面白くないと答えると
ボタンを最後まで外したブラウスを
脱がせ、スカートも脱がせました。
そして、こうしてこそ
お前が苦しむと言うと
マティアスは笑顔で眼鏡を外し
レイラの濡れた頬にキスをしました。
優しいキスでしたが、
それを意識する余裕など、
すでにレイラには
残っていませんでした。
マティアスは、
君が苦しむからこそ
自分が楽しいと言いました。
結局レイラに残ったのは、
心を深く傷つける羞恥心が与えた
痛みだけでした。
食事をしている間は、
少し雰囲気が良かったと思ったのに
結局、いつものマティアスに
戻ってしまいました。
「帰る」というレイラの一言が
引き金になってしまったように
思います。
展開が辛過ぎて、
今後、どのような経緯で
ハッピーエンドになるか
全く予想がつかないのが、
このお話の醍醐味かもしれません。
ところで、レイラは
なぜ、音楽を聴くのを嫌がるのか、
理由を知りたいと思いました。
前話の最後で、レイラが
一体、今何をしているのかと
マティアスに尋ねましたが、
今回のお話では、冒頭から
いきなり食事のシーンが始まり
一話、飛ばしたのではないかと
焦りましたが、
そうではなかったので安心しました。