14話 オデットとバスティアンは、一緒に食事をすることになりました。
社交界の有名人がよく訪れる場所。
客の多い土曜日の昼休み。
視線が集中する位置に置かれた
テーブル。
バスティアンは、
すぐに分かる見え透いた策略に
気づきましたが、快く
二人の仲人の操り人形になりました。
どうせ近いうちに一度は
オデットと会う姿を
見せなければならない時でした。
おかげで簡単にその機会を得たので
断る理由がありませんでした。
皇女が引き起こした事故は
なんとか収拾されたけれど、
噂は日増しに勢いよく広がり
まもなく、先代の悲劇が
繰り返されるだろうという推測が
力を得ていました。
国同士の婚姻が拗れることで、
ベロップとの同盟関係が壊れることを
真剣に心配する人も
少なくありませんでした。
二人はお似合いだと、
熱心に賞賛していたデメル提督は
4月は本当に気まぐれな月だ。
花が満開になっているのに、
また冬が来るなんてと
こっそり話題を変え、
老婦人と視線を交わした後、
この天気のせいで、
試合が延期されたら困ると
突然、深刻になった顔で
ため息をつきました。
彼らの目的に気づいたバスティアンは
静観することで、
この場に参加しました。
予想通り、次はトリエ伯爵夫人が
何か重要な行事でもあるようですねと
尋ねました。
デメル提督は、待っていたかのように
来週末に、
海軍と陸軍の和合を図るために
毎年開催している、
親善ポロ競技が開かれる予定だ。
両軍にとって意味深い行事だと
素早く返事をしました。
トリエ伯爵夫人は、
聞いた覚えがある。
大尉もその試合に参加するのかと
自然に尋ねました。
二人の仲人の意図を把握した
バスティアンは「そうです」と
適切な返事をしました。
黙々と食事を続けていたオデットは
ようやく視線を上げました。
よく噛んで飲み込むことを
熱心に繰り返していたにもかかわらず
彼女の皿には、
まだ多くの食べ物が残っていました。
デメル提督は、
実はクラウヴィッツ大尉は、
海軍省で最も優れた選手だ。
海外戦線に出ていた期間を除いて
毎年レギュラーとして参加し、
良い成績を収めたと説明しました。
トリエ伯爵夫人は
戦場だけで活躍したわけでは
なかったのですねと感心すると、
デメル提督は、
戦場でも競技場でも、
全く敗北を知らない英雄だ。
優れた武功に知略まで備えており、
艦隊を指揮する日も遠くないと
断言できると、露骨な褒め言葉を
並べ立てました。
しかし、オデットは、
これといった感興を示さず、
穏やかな水面のような顔の上に
感情と呼べるような何かが
浮かんだのは、
そっと皿を見下ろした瞬間だけでした。
困ったように、
残った食べ物を見たオデットは、
静かなため息をつきながら
再び視線を上げました。
カトラリーの配列を変えたのを見ると、
全て食べ切るのは無理だと
判断したようでした。
デメル提督は
自分の副官だから、そう言うのではなく
本当に海軍の宝に等しい立派な軍人だと
確信に満ちた笑みを浮かべながら、
話を締めくくりました。
海軍の宝が、食べかけのスズキ料理に
負けてしまったことは
気づかなかったようでした。
トリエ伯爵夫人は、
これで良い妻さえ手に入れれば
大尉の人生は完璧になるだろう。
26歳は、家庭を築く時期だと
言うと、目を細めて
バスティアンを見ました。
腹黒い本音を隠す気すらない
表情でした。
デメル提督は、ぎこちなく笑うと
当然のことだと、
一歩遅れて同調しました。
そして、オデットを見つめながら、
先約がなければ、
ポロ競技を観覧してみるのはどうか。
きっと
楽しい時間になると確信していると
質問を装った命令を下して
自分の任務を全うしました。
もし皇帝の意志を
支持する立場でなかったら、
彼は絶対に、この縁談に
賛成しなかっただろうと思いました。
いくら立派な血統と
美貌を持っているとしても、
結局、この娘には何の価値もなく、
結婚を跳躍の機会にしなければならない
バスティアンにとっては、
役に立たない花嫁候補でした。
逆にこの娘は、一世一代の幸運を
掴んだということでした。
帝国に忠誠を尽くすために
大事にしている部下を
犠牲にすることになり、
心が重くなろうとした瞬間、
オデットは
招待してくれるのなら、
喜んで参加すると伝えました。
デメル提督は、
やっぱりねと返事をすると、
目から不満の色を消して
満足そうに笑いました。
そして、週末への期待を誇張して
騒いでいる間にテーブルが片付けられ
デザートが運ばれてきました。
急いで皿を空にすることで、
ついに、この哀れな道化師の振る舞いに
終止符を打ちましたが、オデットだけが
下心が見え見えのおとなしいふりをして
半分も空にできなかった皿を
置きました。
食事を終えたデメル提督は、
トリエ伯爵夫人の手を握って
レストランを出ました。
残されたオデットは、
バスティアンと二人だけになりました。
トリエ伯爵夫人は、
デメル提督と話があるので、
オデットの見送りは
大尉に頼まなければならないと言って
デメル提督を、
自分の馬車に案内しました。
それもまた、事前に
調整していたことのようでした。
また会いましょうと、
本音を隠した挨拶をすると、
トリエ伯爵夫人が馬車に乗りました。
顔色を窺っていたデメル提督も
すぐ後に続きました。
作戦に成功した二人を乗せた馬車は、
すぐに通りの向こう側に向かいました。
バスティアンは、
自分に押し付けられた女性を見ました。
続いてオデットも、
彼の方へ顔を向けました。
二人がじっと視線を交わしている間に
車が到着しました。
スポークが金色の
クリーム色の車でした。
バスティアンは
「行きましょう」と声をかけると
無感情だった顔の上に、
優雅な笑みが浮かびました。
つい彼から視線を逸らしたオデットは
小さく頷くことで承諾を示しました。
車を運転して来た従業員に
挨拶をすると、バスティアンは
オデットをエスコートしました。
助手席のドアを開閉する身振りは
まるで、あの夜のワルツのように
美しいものでした。
逃げる場所はもうない。
オデットは、その事実を繰り返し、
気を引き締めました。
自ら下した決定なので、
当然責任を負うべきでした。
もちろん簡単ではないだろう。
オデットは、
来るべき恥辱と悲しみを
ぼんやりと予感していましたが
大丈夫だと思いました。
最善を尽くして、
この人生を生きているということを
よく知っているので、どんな場合でも
心がみすぼらしくなることは
ないだろうと思いました。
決意を固めたオデットが息を整えた瞬間
バスティアンが
運転席に乗り込みました。
もう笑っていない男の顔は、
今日の空の色のように
ひんやりとしていました。
車が交差点に止まると、バスティアンは
考えていた所があれば言ってみてと
オデットを促しました。
道路の向こうから走って来る
トラムを眺めていたオデットは
ギョッとして、バスティアンの方へ
顔を向けました。
オデットは、
申し訳ないけれど、
このようなことについて、
あまり知らないと返事をしました。
バスティアンが
「このようなこと?」と聞き返すと
オデットは悩んだ末、
若い紳士と淑女の間のことだと
率直に答えました。
彼女をじっと見つめていた
バスティアンの口元に、
笑みが浮かびました。
オデットは、
大尉のやり方に従おうと思うと
告げると、バスティアンは、
それは、
あまりいい考えではないと思うと
思いがけない返事をしながら
再び正面を見ました。
オデットは、
失言をしてしまったのだろうかと
じっくり考えてみましたが、
結局、答えを見つけられませんでした。
その間、トラムが線路を通ると、
車が再び動き出しました。
馬車やトラムに乗った時とは全く違う
視線の高さで眺める都市の風景が
とても見慣れないように
感じられました。
車がフレベ大通りに入った頃、
オデットは、
噂を広めるためなら、
やはり人目の多い場所がよさそうだと
提案しました。
それが一番効率的だと
快く同意したバスティアンは、
通り過ぎる繁華街の風景を
じっくりと探索し始めました。
オペラ劇場は、
まだ公演が始まる時間ではない上に、
今になって良い席を取るのは
難しいはずでした。
デパートは多くの人で賑わうけれど
そのため、むしろ目につくのが
難しい場所でもありました。
ホテルは、
この淑女と、そういう風に
結び付けられたら困るだろうと
思いました。
選択肢を一つずつ消していく間に、
車はフレベ大通りの
中心部に近づきました。
向かい合って立っている
二つの博物館があるところでした。
バスティアンはオデットに
絵が好きかと尋ねました。
美術史博物館の方の外壁には、
特別展を知らせる
大きな紙が貼られていました。
余ったお金と時間を持て余す
退屈な貴婦人たちが集まっている場所。
悪くない舞台でした。
注意深く、
そちらを見ていたオデットは
「はい、好きです」と
低い声で返事をしました。
頷いたバスティアンは、
躊躇うことなく、
そちらへ車を向けました。
建物の裏側の空き地には
豪華な馬車と自動車が
並んでいました。
裏門の方がはるかに近かったけれど
バスティアンは、
最も多くの耳と目が集まる正門まで
オデットを導きました。
協調的な態度を見せていたオデットが
突然足を止めたのは、
美術史博物館の階段の下に
着いた時でした。
空を見上げていたオデットの顔に
穏やかな笑みが広がりました。
バスティアンは、
すぐにその理由に気づきました。
花が咲いた枝の間から
雪が降っていました。
ラッツの春は気まぐれなので、
それほど珍しいことでも
ありませんでしたが、
オデットは、夢見るような顔で
雪が舞う空を眺めていました。
この女は何歳だったっけ。
バスティアンが
無心に記憶を辿っている間に、
一片の雪が、オデットの睫毛の上に
降りました。
ビクッとして、
目を瞬かせるオデットは、
普段よりずっとおとなしく、
子どもっぽく見えました。
ふと、バスティアンは、
オデットが、
とても寒そうに見える女だと
思いました。
その儚い雑念は、
風に舞う花びらと春の雪が
オデットの上に降り注ぐ瞬間、
雪片のように静かに留まり
跡形もなく消えて行きました。
バスティアンは、4月の雪の中で
オデットを待ちました。
面倒な荷物を抱え込むようになったと
思っていましたが、
改めて考えてみると
思いがけない贈り物でも
ありました。
おかげで熱い注目を浴びながら、
この世界に入り、
時限爆弾のようだった皇女も
排除できるようになったからでした。
オデットの名前は、結婚商売にも
かなり役立つはずでした。
底辺を転々としている境遇とはいえ
確かに、
高貴な身分と血統を持つ女性でした。
そのような相手との縁談は、
むしろ
高める経歴になるだろうから、
その効用が尽きる日まで、
喜んでこの女性を利用しようと、
明確な結論を出しました。
その瞬間、オデットが
こちらを向きました。
長い睫毛で縁取られた大きな目が
美しく輝きました。
慎重な好奇心、
もしかしたら漠然とした恐怖。
いずれにしても、
奈落から抜け出すために
自分を売っている女と、
似つかわしくない感情でした。
オデット嬢が
かなりの嘘つきであることは、
バスティアンをとても喜ばせました。
まもなく展示会の観覧を終えた
一団の貴婦人たちが姿を現しました。
将校帽を脱いで顔を露わにした
バスティアンは、
オデットをエスコートして
美術史博物館の階段を上りました。
見物人の関心が彼らに集中するまで、
それほど時間はかかりませんでした。
これは私の勝手な推測ですが
マティアスにしても、
ビョルンにしても、
バスティアンにしても、
自分の気持ちを隠す、あるいは
認めないために、言い訳をすることが
共通していると思います。
バスティアンは
オデットに一目惚れしたけれど、
彼女は自分の出世のために、
役に立たないので、バスティアンは
彼女を批判的に見ようとしている。
しかし、
オデットに何の関心もなかったら、
彼女が食事を食べ切れないことを
気にしたりしないのではないかと
思います。
自分にとって不利な女性を
恋するようになった
三人の男性の三者三様の恋模様を
楽しませていただき
作者様に感謝しています。
ところで、道路を挟んで立っている
二つの博物館。
「泣いてみろ乞うてもいい」の
28話にも出て来た、
自然史博物館と美術史博物館の
ことだと思います。
「泣いてみろ乞うてもいい」と
「バスティアン」を同時に読むことで
パズルのピースを埋めて行くような
楽しさも味わっています。