103話 クロディーヌはパーティーに出席しています。
チラチラと、しきりに横目で
機会を窺っていた若い女性たちが
足早に近づいて来て
クロディーヌを取り囲むと、
久しぶりだと挨拶しました。
以前、ヘルハルト家で開かれた
パーティーで会ったことがあるけれど
覚えているか。
あまりにも短い時間だったので
たぶん、覚えていないだろうから
もう一度、自己紹介する。
私たちは・・・
と言いかけたところで、クロディーヌは
そんなわけがない。
当然覚えていると言って
エッシャー令嬢の名前を呼ぶと
若い婦人の頬が赤くなりました。
そして、ダイアンの名前も呼ぶと
少し背の低い淑女も
同じ表情をしました。
大喜びした二人の姉妹は、
足踏みしながら、
胸いっぱいの喜びを表しました。
数歩離れたところで
見守っていた子爵夫人が
叱るように顔を顰めましたが、
社交界の分別のない少女たちを
防ぐには力不足でした。
二人の姉妹は、
ブラント令嬢に対する
憧れと尊敬の言葉を
絶えず口にしました。
まもなく行われる
結婚式に対する期待感を示すのも
忘れませんでした。
クロディーヌは、その陳腐な言葉を
この世で最も
興味深い話でもあるかのように
聞きました。
長年教育を受けてきたため、
今では身に着いている習慣でした。
相手の名前と家門を素早く覚えて
記憶することもそうでした。
パーティーが続く間、
ずっと同じことが繰り返されました。
何とかしてブラント令嬢と
親交を深めようとする
貴婦人と淑女たちの接近。
型にはまった会話と笑い。
それに添えられる華やかな旋律と
さわやかな花の香り。
完璧なパーティーの夜でした。
皇太子妃と談笑することで
社交の範囲内にある
貴婦人たちとの挨拶を終えた
クロディーヌは、
休憩室の窓際に置かれた椅子に
座りました。
遠くから見守っていた
ブラント伯爵夫人は、
満面の笑みを浮かべながら
娘のそばに近づくと、
ヘルハルト家の公爵夫人たちが
出席しなかったので、
今日はあなたが、
この帝国の社交界の女王だと
言いました。
クロディーヌは眉を顰めることで
母親を注意しましたが、
ブラント伯爵夫人の話は止まらず、
間違った言葉でもないのだから
いいではないかと言いました。
宝石のように輝く娘を見る
彼女の目には、
隠すつもりのない自負心が
いっぱいでした。
家門の権勢は
男たちの役割だというけれど、
その権勢にふさわしい
品位と名声を作っていくのは
女主人でした。
いくら爵位が高くて裕福でも、
その家門の女主人が
社交界で認められなければ、
中途半端な
名門の家にすぎませんでした。
ヘルハルトが、
帝国最上位貴族の座を守ってきた
底力もそこにありました。
もちろん、その悠久の歴史と名誉、
大きな権勢が、
彼らを貴族の中の貴族として
君臨できるようにしましたが、
代々、社交界の女王の座を守ってきた
公爵夫人たちが、家門を
内的に充実させてきたという事実は
誰も否定できませんでした。
まさに、
そのヘルハルト公爵夫人になる娘を
微笑ましく眺めていた彼女は、
久しぶりに交友する
貴婦人たちの群れの中に戻りました。
クロディーヌも、
すぐに自分の役割を果たすために
パーティー会場に戻りました。
このパーティーの主催者である
男爵夫人は、
満面の笑みを湛えながら
クロディーヌに近づいて来ると、
ヘルハルト家の公爵夫人が
出席しなくて残念だけれど、
このように未来の公爵夫人が
一緒にいてくれて
どんなに嬉しいか分からないと
言いました。
クロディーヌは、
今日の夕方、
二人はラッツに到着したので、
このパーティーに参加するのは
都合が悪かった。
どれほど残念がっていたか
分からないと、
切ない表情で返事をしました。
その顔を見て、男爵夫人は
一層明るい笑みを浮かべました。
マティアスとの結婚式は即ち
クロディーヌ・フォン・
ヘルハルト公爵夫人の戴冠式。
彼女は、その日を準備するかのように
優雅で威厳のある態度を
崩しませんでした。
あの晴れた日の午後、
クロディーヌは、
リエットの手を振り払うと
「いいえ」ときっぱり答えました。
途切れることなく流れ落ちる涙が
顔を濡らしたけれど、
まっすぐな姿勢と冷たい表情は
少しも崩れないままでした。
クロディーヌはリエットに、
自分たちは、自分たちの属している、
この世界から離れて
生きていけないことを
よく知っているではないかと言うと
すぐに虚しく笑いました。
リエットの愛は真実で、
クロディーヌは誰よりも
それを知っていました。
そのため、なおさらその手を
握ることができませんでした。
その真実の愛が枯れていくのは
とても、耐えられないからでした。
クロディーヌは、
この精巧で華麗な虚飾により
作り出された美しい世界の中で
生まれ育ちました。
その世界が、
まさにクロディーヌの人生で、
彼女はその世界を愛しました。
リエットも変わりませんでした。
だから、この温室を抜け出せば
結局、散ってしまう花のような
自分たちが、
たかがお互いへの愛一つに狂って
この人生を
投げ出すことができるだろうか?
すでに分かっている答えを繰り返すと
苦悩は胸の奥底に沈んでいきました。
そこに残された幻滅と憎悪を隠すように
クロディーヌは、
さらに華やかに微笑みました。
その瞬間にも、彼女は、
誰よりも完璧なこの世界の人である
マティアス・フォン・ヘルハルト公爵が
自分の場所に戻ることができるように
心の中でレイラを殺めました。
レイラは、
マスタースイートのドアが
固く閉まる音を聞いて初めて
まともに息を吐きました。
公爵邸に入った瞬間から
震えていた足の力が抜けて、
危うく、見苦しく
床に座り込むところでした。
公爵が支えてくれなかったら、
間違いなく、
そうなったかもしれませんでした。
レイラは、
こんなとんでもないことをしているのに
笑えるのかと、
今や震えた声で尋ねました。
そんなレイラをソファーに座らせた
マティアスは、ゆっくり、
庭に面した窓の前に近づきました。
カーテンを開いて窓を開けると
涼しい風が吹いて来ました。
現実感を取り戻したレイラは
恐怖と好奇心が共存する目で
周囲を見回し始めました。
公爵邸の全ての場所がそうでしたが
やはり公爵の部屋も、
大きくて高貴で華やかでした。
どこに目を向けても
頭の中がクラクラして
息が詰まりました。
公爵が自分を連れて行く場所が
この邸宅だとは
想像もできませんでした。
公爵邸のロビーに入る瞬間まで、
レイラはまさかと思いました。
どうやって
狂わずにいられるだろうかと
考えました。
しかし、
狂っていることが明らかな公爵は
ついにレイラを連れて、
この邸宅に入りました。
レイラは、
笑わないでと言うと、
意地悪な子供のように
クスクス笑う公爵を
激しく睨みつけました。
屠殺場に連れて行かれる獣のように
もがいているレイラに、マティアスは
そんなに騒いでいると、
驚いた使用人たちが
駆けつけて来るのではないか。
自分はどうでもいいけれどと、
ニコニコしながら忠告しました。
マティアスが本気であることに
気づいたレイラは、無意味な抵抗を
その辺で止めました。
騒ぎに驚いて駆けつけた人々に
こんな姿を見られることを
想像するだけで、
息が止まりそうでした。
その瞬間以降の記憶は、
全身がぶるぶる震え、
心臓が破裂しそうになるくらい
ドキドキしたこと以外、
ぼんやりしていました。
幸いなことに、深夜の邸宅は静かで
たった一人の使用人にも
会うことなく、
この部屋まで来ることができました。
レイラが邸宅の正門から入って来て
中央の階段を上ってみたのは、
クロディーヌの招待で
公爵邸のパーティーに参加した
一昨年の夏の夜以来、初めてでした。
使用人の出入り口と、
通路で行き来する時とは
全く違う感じが、
レイラをさらに萎縮させました。
そわそわしていたレイラは、
一体ここで、
何を見せてくれるつもりなのかと
先に口を開きました。
窓枠に座って
タバコを吸っていたマティアスは、
ゆっくりと首を回してレイラを見ると
少し、落ち着いたかと尋ねました。
レイラは否定しましたが、
早く見せて欲しいと頼みました。
マティアスが、その理由を尋ねると
レイラは、どうせ永遠に
落ち着けなさそうだから、
早く見て帰りたいと、
切実な真心を込めて答えました。
その言葉に、公爵は大笑いしました。
あの男を
誘惑しなければならないという
考えさえできなくて、
ミスをするのではないかと
心配していましたが、
とにかく状況は、
それほど悪くない方向へ
流れているようでした。
レイラは、少しでも
馬鹿に見られたくないと思い、
頭を上げて息を整えました。
しかし、
スカートを握り締めた手に、
どれほど力が入っていたのか、
生地が、
しわだらけになっていました。
タバコを消したマティアスは
立ち上がると、
罰を受ける子供のように座っている
レイラのそばに近づきました。
彼が差し出した手を
しばらく見ていたレイラは、
ようやく人差し指の先だけ
そっと握り締めて立ち上がりました。
策を弄しているというには
あまりにも無垢な顔でした。
マティアスは、レイラの手が
自分の腕を握るように
姿勢を直しました。
戸惑いながら見守っていた
レイラの眉間に、
徐々にしわが寄りました。
レイラは、
こういうのは変だと言いました。
マティアスは「何が?」と尋ねると
レイラは、
ただ少し・・・と答え、
急いで組んでいる腕を解きました。
しかし、マティアスは、
素直に諦めませんでした。
彼は、自分の前で何度も
服を脱いで体を交えた君が、
たかが腕組み一つで騒いでいるのかと
尋ねました。
レイラは羞恥心からカッとなり
どうして、そんなことを言うのかと
抗議しましたが、
公爵は瞬きもしませんでした。
そして、
そんなことを言われるのが嫌なら
掴めと命令しました。
これ以上、侮辱されたくないレイラは
渋々、公爵の命令に従いました。
ようやく彼は一歩を踏み出しました。
ただ一緒に歩くだけなのに、
レイラは、
どのように振舞えばいいのか分からず
うろたえました。
公爵の腕にしがみついているような姿が
滑稽でした。
公爵のエスコートを受けていた
クロディーヌは、
いつも女王のように堂々としていて
優雅でしたが、
その姿を真似るのは不可能でした。
強張った歩き方をしているレイラを
チラッと見下ろしたマティアスは、
女子校でも礼法を教えたはずなのにと
言って、再び笑いました。
レイラが通ったギリス女学校は、
この都市で最も名門とされる
学校でした。
依然として貴族は、
娘を家庭教師に任せているけれど
裕福な中流層は名門校を好みました。
最大限貴族の令嬢に近い淑女を
養成することを目標とする学校で
礼法を疎かにするはずが
ありませんでした。
レイラは、
そのように指摘されたのが
不満だったのか、
つんと澄ました顔で、
そうだったと返事をしました。
マティアスは、
まさか今のこの姿が
ギリスの作品ではないだろう。
もしそうなら、後援を
撤回しなければならないような
気がすると言うと、レイラは
自分は礼法科目の劣等生だった。
望んでいた答えを聞けて嬉しいかと
尋ねました。
レイラの反応が面白くて、
マティアスは、
君が有名な優等生だったというのは
デマだったのかと、
ますます意地悪な質問をしました。
レイラは、
礼法以外は全部うまくやったと
きっぱり否定しました。
マティアスは、
それなら礼法まで
完璧にやってみたらどうだと
提案すると、レイラは、
あえてそうしたくなかった。
美しく挨拶して
優雅にフォークを使う方法より
面白い勉強が多かったと答えました。
そうしているうちに、
もう一つの扉が開きました。
大きなベッドが置かれている
もう一つの広くて豪華な部屋が
目の前に広がるのを見て、
レイラは思わず息を漏らしました。
そういえば、
先程の部屋にはベッドがなかった。
このすべての空間が、
公爵ただ一人のためだけにあると
考えると、レイラは
再び漠然とした気分になりました。
マティアスは、
ぼんやりとした目を瞬かせている
レイラを、寝室に案内しました。
最初よりは良くなったけれど
依然として中途半端に腕を組んで
こそこそ歩くレイラを見て
にっこり笑いました。
今日のレイラの話を聞いていたら、
祖母と母親は、
その場で気絶したかもしれないと
思いました。
レイラは「まだですか?」と
尋ねると、立ち止まって
彼を見上げました。
そして、
早く見せてくれないか。
自分は本当に帰りたいと訴えました。
まるで、この部屋に
食べられてしまうかのように
レイラは、本当に
怯えている人のように見えました。
レイラの額にキスをしたマティアスは
軽く口笛を吹きました。
理解できない行動に
レイラの目が丸くなりました。
「あの・・・公爵様?」と
レイラは慎重に呼びかけましたが
公爵は返事の代わりに
口笛だけを吹きました。
本当に、この男の頭が
おかしくなったのではないかと
懸念し始めた頃、
まるで公爵の口笛に応えるかのように
小鳥の歌声が聞こえて来ました。
それが幻聴ではないことを
知らせるように、寝室の向こうから
小鳥が飛んで来ました。
驚いたことに、その鳥は
公爵が差し出した手の上に
そっと降りました。
鮮やかな黄色が美しいカナリアでした。
クロディーヌは、
誰からも称えられる
ヘルハルト公爵夫人になるために
子供の頃から、
ずっと努力して来たのだと思います。
しかし、ようやくそれが
実現しようとしているのに、
マティアスはレイラに
溺れてしまっている状態。
まさか、マティアスに限って
そんなことはあり得ないという
状況になってしまいました。
クロディーヌは、
レイラさえいなくなれば、
マティアスが元に戻ると
信じているけれど、
祖母や母親がいないのをいいことに
とうとう邸宅にまで
レイラを連れて来たマティアスの
彼女への愛は、そんなに簡単に
失われるものではないと思います。
************************************
いつもたくさんのコメントを
ありがとうございます。
お祭りのように、日に日に
コメントが盛り上がって行くのが
とても嬉しいです。
大切なお時間を割いて
コメントをお書きいただき、
本当にありがとうございます。
皆様に一つお願いがあります。
このお話の中には、
マティアスがレイラに
良からぬことをしたシーンが
出て来ますが、
それを表現するにあたり、
その言葉そのものを
お書きになるのでなく
強〇やレ〇〇のように、
伏字でお書きいただきますよう
お願いいたします。
これだけで、
他の方には通じると思いますので
どうか、よろしくお願いいたします。