165話の終わりが変更されていますので
まずは、こちらをお読みください。
165話と外伝12話の続き エルナとビョルンはシュベリン王立大学の学位授与式に出席することになりました。
王室の紋章をつけた列車が到着すると
駅は慌ただしくなりました。
大学の総長と貴賓たちに加えて
王族を見物しに来た住民たちまでが
群れをなして集まり、見物人が
小さな駅を埋め尽くしたからでした。
秩序を保つために、
先に下車した近衛隊が
シュベリン大公夫妻のお出ましだと
大声で叫ぶことで、
プラットホームの騒ぎを圧倒しました。
王太子ではなく
シュべリン大公だなんて。
行事の参加者が
変更されたという知らせを、
まだ聞いていない見物人たちが
戸惑っている間に、
シュべリン大公夫妻が
姿を現しました。
群衆に向かって挨拶をした
ビョルン王子は妻をエスコートして
汽車から降りました。
群れの先頭に立って
待機していたシュベリン大学の
総長は、慌てて彼らに近づきました。
「ようこそ、王太子・・・」と
思わず口にした呼称に
遅れて気づいた彼の口元が
ブルブル震えました。
緊張した学長と貴賓たちも
一緒に息を呑みました。
気を引き締めた総長は、
急いで大公殿下と訂正すると。
大公妃殿下ともお目にかかれて
光栄だと挨拶をしました。
幸い、ビョルン王子は
不快そうな様子もなく
にっこり笑いました。
大公妃も、
優しい笑みを見せてくれました。
短い挨拶を交わした彼らは、
すぐに馬車が待機中の駅舎の前に
移動しました。
状況を把握した見物人たちは、
声を高めて
「シュベリン大公夫妻!」と
連呼し始めました。
その騒ぎは、馬車が出発した後に
ようやく収まりました。
遠ざかっていく馬車の後ろを
見つめていた総長は、
分かってはいるけれど、
見分けがつかなくて大変だと
深いため息をつきました。
昨夜遅く、王太子の代わりに、
シュベリン大公夫妻が
学位授与式に参加する予定だという
知らせが伝えられました。
急いで儀式の規定を再調整するのに
少し苦労しましたが、
幸いにも無事に終えられました。
問題は、あまりにも見分けがつかない
双子の王子でした。
明らかにビョルン王子だと
分かっているのに、顔を合わせると
言い間違えてしまいました。
二人の王子が
大学に通っていた時代には、
彼が王太子だったからでした。
眼鏡をかけていなければ王太子。
二人の王子を勘違いしないために
シュベリン大学の教授たちは、
その見分け方法を
脳裏に深く刻みました。
ところが、今や逆の状況が
繰り広げられているため、
相当な混乱を招いていました。
総長は、
皆、失言をしないよう注意してと
学長たちに注意すると、
急いで自分の馬車に乗り込みました。
眼鏡をかけていなければ大公。
新しい見分け方を、
頭の中にせっせと詰め込みながら。
エルナは、
好奇心に満ちた目を輝かせながら、
窓の外を流れる風景を見ました。
軽く腕組みをして、
馬車の座席に寄りかかって座っている
ビョルンは、笑みを湛えた目で
妻を見守りました。
穏やかではなく退屈でさえある
この都市の何がそんなに
もの珍しいのか、
彼には理解できませんでしたが、
エルナの目に映った世の中は
違うはずだと思いました。
シュベリン王立大学は
市の南端にありました。
元々、修道院と農耕地が
広がっていたこの地域が
大学街に変貌したのは、
デナイスタ王朝が
始まった頃からでした。
初期には神学を教える学校として
始まりましたが、
次第に規模が大きくなり、
今は地域全体に
大学が拡張されました。
大学の建物を見物していたエルナは
あなたもここで
勉強していたのでしょう?と
浮かれた声で質問しました。
ビョルンは軽く頷いて答えました。
エルナの視線が向いている
道の向こうに目を向けると、
雄大な石造りの建物が見えました。
大学の中央ホールでした。
その後ろに立っている大聖堂の鐘が
鳴り響き始めました。
エルナは顔を上気させて
ビョルンの近くに移動すると、
あそこへ行くのかと尋ねました。
ビョルンが頷くと、
エルナの顔いっぱい広がる笑みが
さらに明るくなりました。
ビョルンは、
何がそんなに嬉しいのかと尋ねました。
エルナは、
自分が知らなかったあなたの過去を
知ることができるような気がすると
照れくさそうにしながらも
力を込めて答えました。
その間に、馬車が
中央ホールの前に到着しました。
二人の会話は、
その辺で打ち切られました。
馬車のドアが開くと、
そこに集まっていた見物人たちの
歓声が沸き起こりました。
もうシュベリン大公夫妻の
公式的な業務が始まる時間でした。
エルナは落ち着いて
馬車から降りました。
自分に注がれている熱烈な関心が
まだ負担でしたが、
それでも以前のように
恐ろしいだけではありませんでした。
エルナはビョルンの手を握ると
ぎこちない笑みを浮かべながら
手を振りました。
まだ、かなり不器用でしたが、
幸いにも群衆は、
好意的な反応を示してくれました。
息をするように自然に
大衆を相手にしている
ビョルンのおかげのようでした。
彼はとても優雅で洗練された態度で
見物人の期待を満たした後、
中央ホールに入りました。
妻をエスコートする仕草もそうでした。
急いで付いて来た総長は
彼らを貴賓室に案内しました。
先に来ていた王宮の侍従が
喜んで彼らを迎えました。
侍従は、ビョルンが
突然の要望に応えてくれたことに
丁重にお礼を言った後、
王太子が作成した演説文だと言って
王室の紋章が押された封筒を
ビョルンに渡しました。
そして、侍従は、
大公が朗読できるように
王室の詩人たちが修正したので、
確認して欲しいとお願いしました。
ビョルンは、
余計な手間をかけた。
レオの眼鏡さえ一つ持ってきて来れれば
わざわざ原稿を
直さなくてもよかったのにと
軽い冗談を言いながら
封筒を受け取りました。
当惑した侍従と総長が
顔色を窺っている間に、
ビョルンは貴賓室を横切って
窓際へ行くと、
そこに置かれたテーブルの前に立ち
原稿を検討しました。
エルナは向かいの椅子に座り、
その様子を注意深く観察しました。
ビョルンは、
卒業生のものとそっくりな学位服を
着ていました。
王宮の侍従が持って来た装飾を付けると
全ての準備が完了しました。
手をつけていないお茶が
冷めてしまいましたが、
エルナの五感は
依然として夫に向かっていました。
演説文の検討を終えた彼が
目を向けると、待機中だった侍従が
ペンを差し出しました。
ビョルンは自分で修正した原稿を
何度か精読した後に姿勢を正しました。
そして時間を確認すると
エルナのそばに近づき、
「行きましょう」と言って
手を差し伸べました。
その仕草が特に丁重に感じられるのは
おそらく普段と全く違う
雰囲気のせいでした。
エルナは、白い手袋をはめた手を
じっと見つめながら、
慎重にその手を取って
立ち上がりました。
貴賓室を出ると、
廊下をうろついていた人たちが
どっと押し寄せて来ました。
体中がこわばっていましたが、
エルナは、
そんな素振りを見せませんでした。
ただ、ビョルンだけに五感を集中し
彼を真似ることだけに集中しました。
群衆を相手にすることにかけては、
彼に勝る師はいないからでした。
そのおかげで、エルナは最初よりも
容易に大公妃の任務を
遂行することができました。
自然な笑みを浮かべながら
見物人たちと目を合わせ
小さく手を振ったりもしました。
もちろん、ビョルンの比では
ありませんでしたが。
学位授与式が行われる
大講堂の前に近づくと、
雰囲気が厳粛になりました。
招待状なしには出席できないため
大半の見物人は、入口で
引き返さざるを得ませんでした。
ようやく周囲の視線から自由になると
エルナは再びビョルンに
集中することができました。
エルナを席に案内したビョルンは、
挨拶を交わすために訪れた教授たちと
短い談笑を交わしました。
その間に客たちの入場が終わると、
本格的な学位授与式が始まりました。
ビョルンは、
本来、王太子の役割だった祝辞を
引き受けました。
行事の一番初めでした。
エルナは心配そうな目で
ビョルンの顔色を探りました。
胸が張り裂けそうになっている
彼女とは違って、ビョルンは
超然としているように見えました。
まるで最初から、この場の主人として
内定していた人のような姿でした。
オルガンの旋律の間から
「なぜ?」と低く囁くビョルンの声が
聞こえて来ました。
そして、
「改めて恋をした?」と呟くと、
ずっと正面を見つめていたビョルンが
突然、エルナの方を向きました。
避ける間もなく、
彼と目が合ったエルナは、
思わず息を殺しました。
真面目な学者のような姿で
学問の殿堂を守っているビョルンは、
一見、レオニードのようにも
見えました。
眼鏡をかけていたら
レオニード王太子に
偽装できたかもしれないと思った瞬間
彼はにっこり笑いました。
先ほどの考えを訂正させる、
完璧なビョルン・デナイスタの
笑顔でした。
呆然としているエルナを見つめていた
ビョルンは「そのようだね」と
再び意地悪な冗談を言いました。
ようやく我に返ったエルナは、
彼を叱るように、
しかめっ面をしました。
顔が赤くなるのが感じられましたが
ちょうど次の順番が始まったおかげで
苦境から抜け出すことができました。
エルナは首をまっすぐにして
壇上を見つめました。
しばらくして、
ビョルンの執拗な視線が
離れて行くのが感じられました。
その事実に安堵したのもつかの間、
この次がビョルンの番だということを
思い出すと、再び胸が
不安そうに高鳴りました。
準備する時間が一日もなかったのに、
うまくできるのだろうか。
不安で指先が
細かく震え始める頃になると、
ビョルンの番が来ました。
エルナは祈るように
両手を合わせたまま
そちらへ顔を向けました。
落ち着いて立ち上がったビョルンは、
散歩を楽しむように
余裕のある歩みで
壇上に上がりました。
ようやく安心したエルナは、
そっと俯いて息を整えました。
ビョルンが置いていった原稿を
発見したのはその時でした。
当惑したエルナは
急いで原稿を手に取りました。
しかし、ビョルンは、
すでに演壇に立っていました。
ミスを犯したということを
まだ知らないようで
余裕のある姿でした。
エルナの隣に座っていた学長が
どうしたのかと慎重に尋ねました。
落ち着かない様子で、エルナは
手に持っていた原稿を
彼に差し出しました。
直接これを持って壇上に上がれば
大きな注目を集めることになるので
どうしても他人に頼んだ方が
良さそうでした。
これは大公の祝辞の原稿ではないかと
原稿を受け取った学長が当惑して
聞き返しました。
エルナは、平然とし過ぎている彼が
理解できなくなった瞬間、
ビョルンの祝辞が始まりました。
エルナは、
硬い表情で演壇を見つめました。
息もできないような緊張感は、
しばらくして、虚しく解消されました。
ビョルンは原稿がなくても
完璧な演説をしました。
ミスではなかったことに気づいた
エルナは、
静かなため息を漏らしました。
馬鹿げたことをしたという自責の念は
それほど長くは続きませんでした。
魅惑的な演説家が聴衆を魅了し、
エルナも
聴衆の一部となったからでした。
王太子時代の
ビョルン・デナイスタを懐かしむ
人々の心が、
少しは理解できるようになった
瞬間でした。
ビョルンは演説文を精読して
内容を頭の中に叩き込み、
原稿がなくても、自分の言葉で
演説できる人なのですね。
学長も、それを分かっていたから
特に驚きもしなかった。
エルナ一人が心配して、
胸をドキドキさせながら
ビョルンを見つめていたけれど、
その姿が可愛くて、
「改めて恋をした?」発言に
なったのでしょう。
そしてビョルンに魅了されたエルナは
改めて恋をしたと思います。
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いつもたくさんのコメントを
ありがとうございます。
外伝の新エピソードは
もう少し(あと三、四回くらい?)
続きます。