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40話 オデットとバスティアンは、どこかへ向かっています。
車は、ますます山奥に
向かっていました。
オデットは不安げな目で、
車の窓の外の風景を見ました。
鬱蒼とした針葉樹林の間を走る道は、
昼間でも光が差し込まないため
陰鬱な感じを与えました。
天を突き刺すように
高くそびえている木々の間を
吹き抜ける風は、
灼熱の太陽が照り付ける
山の下の世界とは全く異なり
涼しいものでした。
オデットは、
この道で合っているのかと、
慎重に尋ねました。
アルデンを出発して以来、
初めて口にした言葉でした。
顎の先を軽く動かしたバスティアンは
これまで通り、
運転にだけ熱中しました。
うるさいハエを追い払うような
誠意のない態度が
気に入りませんでしたが、オデットは
それを表に出しませんでした。
巻き込まれないようにしよう。
再び気を引き締めたオデットは
再び助手席の窓の外に
視線を移しました。
こんな所に別荘があるなんて、
依然として疑わしいけれど、
これ以上、聞かないことにしました。
話したくないのは、
こちらも同じだからでした。
顔も見たくない男に
我慢しなければならない週末は
いつものように訪れました。
小さな慰めがあるとすれば、
デメル家の招待を受けて、
隣の都市にある別荘を
訪問しなければ
ならないということでした。
おかげで、二人きりで過ごす時間が
それほど長くはないだろうから、
うまく乗り切れるだろうと思いました。
あの男が、
協力的にしてくれさえすれば
きっとそうなるはずでした。
使用人でも、
一緒にいてくれたら良かったのに。
オデットは、
まともに読めなかった本を閉じて
静かなため息をつきました。
バスティアンは、
自分が車を運転する。
デメル家には、
十分な人材がいるはずだから、
お供は必要ないと言いました。
おかげで、出発の準備を終えていた
メイドと侍従は、再び荷物を
解かなければなりませんでした。
普通の貴族よりも、
一段と貴族的な人生を
享受してきた男でしたが、
ある面では、驚くほど
見栄を張らず、実利的でした。
ある人は、それを
「卑しい血の証拠」と
あざ笑うこともあるけれど、
オデットは、
高く評価するに値する姿だと
考えました。
たとえ今はそんな気がしなくても。
車が薄暗い針葉樹林を抜け出すと、
オデットは、
小さな感嘆の声を漏らしました。
バスティアンは、
急いで車の窓を下ろしている妻の方を
チラッと見ました。
オデットは取り憑かれたように
デメル家の別荘を眺めていました。
あまりにも絶景で有名な所なので、
ここに初めて招待された客たちは
大抵、オデットと同じような
反応を見せました。
バスティアンは、
少しスピードを落として
別荘への進入路を走りました。
一列に並んだ白樺の向こうには
銀色に輝く水面が見えました。
氷河が溶けてできたという、
この別荘の最大の誇りである湖でした。
その背後を囲んでいる高い山の頂は
真夏でも溶けない万年雪で
真っ白に覆われていました。
空気が澄んでいるためか、
ここでは物の色が、
格別に濃く鮮やかに見えました。
空は高く青く、緑は爽やかで
冷え冷えとしていた女の顔の上に
浮かんだ明るい笑みも、そうでした。
たかが美しい風景一つのために
終結してしまった
オデットの抗議行動に、
バスティアンは呆れて失笑しました。
時折、信じられないほど
無邪気に笑う女でした。
好奇心に輝く目で、
世の中の全てを知りたがって感嘆する
子供のように。
いつものように、彼と目が合った瞬間
消えてしまった一瞬の光に
過ぎませんでしたが・・・
驚いたウサギのような目で
バスティアンを見ていたオデットは
急いで視線を逸らしました。
その間に車は、
デメル家の使用人たちが待機している
別荘の前に到着しました。
車から降りる前、バスティアンは、
今日は、それ相応の価値に見合う
行動をしてくださいと、
子供を諭すように
妻の役割を周知させました。
オデットは、
非情な勝者になれるように
最善を尽くしてみると、
鋭く言い返した瞬間にも、
見せかけの礼儀をわきまえました。
オデットは、
その前に一つ聞きたいことがあると
尋ねました。
バスティアンは、
話してみるよう促すと、オデットは
どんな手を使ってでも勝てという助言は
相手があなたの場合でも有効なのかと
尋ねました。そして、
自分はこれから、
何も考えないようにしたので
あなたが
答えてくれなければならないようだと
またしても無駄な爪を立てました。
生半可に不快な様子を見せる
妻をじっと見つめていたバスティアンは
寛大な夫の顔で微笑みながら
一度勝ってみるように。 面白そうだと
生返事をすると、
運転席から降りました。
その時、デメル侯爵夫婦が
姿を現しました。
軽くため息をついたバスティアンは、
丁重な仕草で
助手席のドアを開けました。
機転の利くオデットは、協調的な態度で
彼の差し出した手を握りました。
二人は今日も本当に素敵だ。
やはり新婚だねと、
彼らを見つめていたデメル提督の
豪快な笑い声が響き渡りました。
素早く視線を交わした
バスティアンとオデットは、
誰が先だということもなく、
優しい笑みを浮かべました。
結婚したばかりの新婚夫婦。
夢のような愛に酔いしれた
新郎と新婦の役割に
完璧に一致する姿でした。

若い伯爵は、
最後に別荘に到着した客でした。
同行した家族は、
乳母の胸に抱かれていた幼い娘が
全てでした。
バスティアンが他の客と一緒に
狩りに出かけた後、
オデットは、デメル侯爵夫人から
彼はジェンダス伯爵で、
デメル公爵夫人の実家の
親戚であること。
ラッツ大学で植物学を研究している
著名な学者であると紹介されました。
続けて彼女は、オデットが、
夫が最も大切にしている部下であり、
海軍の英雄である
クラウヴィッツ大尉の妻であることと
先月結婚したばかりだと紹介しました。
マキシミン・フォン・ジェンダスは
優しい笑みを浮かべながら自己紹介をし
結婚を祝う言葉を告げました。
あらかじめ説明を聞かなかったとしても
学者ではないかと思えたような、
とても知的で穏やかな雰囲気を持った
男性でした。
オデットは、
「オデット・クラウヴィッツです」
と自己紹介をし、お礼を言いました。
なかなか、
口に馴染まない名前でしたが、
オデットは、すらすらと
非の打ちどころのない挨拶をしました。
デメル侯爵夫人は、
パーゴラの下に設けられた
ティーテーブルに、
ジェンダス伯爵を案内しました。
オデットと向かい合う位置でした。
彼は、眠っている娘を抱いた乳母が
邸宅の中に入った後、
ティータイムに集中しました。
子供を見る目が、
非常に優しい父親でした。
一時、中断されていた
ティーテーブルの会話は、
再び自然に再開されました。
話題の中心はジェンダス伯爵。
久しぶりに社交会に姿を現したという
最後の客でした。
オデットは
香ばしいお茶を飲みながら、
話に耳を傾けました。
ジェンダス伯爵が、研究のために
しばらく外国に滞在していて、
先月帰国したところだと聞いて、
オデットは、
これまで首都の社交界で
一度もその名前を耳にしなかった理由を
ようやく理解することができました。
ベルグに戻って来た後も、
なかなか社交会に顔を出さないので
皆、何か悪い病気にでも
罹ったのではないかと心配していたと、
デメル侯爵夫人が小言を言うと、
ジェンダス伯爵は、
少し照れくさそうな笑みを浮かべながら
これまで離れて暮らしていた幼い娘と
一緒に過ごす時間を優先していた。
子供の成長は本当に早いから。
二度と戻れない時代だと思うと、
毎日が惜しくて大切だったと
返事をしました。
ジェンダス伯爵は、
相手をリラックスさせる
声をしていました。
目つきと表情、
些細な仕草もそうでした。
本当に優しいですね。
自分の子供の年齢も、
きちんと知らないうちの夫に、
ぜひ聞かせたい言葉だ。
狩りに出た男たちを全員集めて、
ジェンダス伯爵の講演でもすべきだ。
あちこちから称賛が殺到すると、
ジェンダス伯爵の耳たぶが
微かに赤くなりました。
偶然その姿を見たオデットの口元に
穏やかな笑みが浮かび上がりました。
植物学者だという男は、
彼が研究する学問と似た雰囲気を
漂わせていました。
彼の妻のことが気になったオデットは
声を低くして、
ジェンダス伯爵夫人は
一緒に来ないのかと尋ねました。
隣に座っていた中佐の妻は、
驚いた表情を浮かべながら手を振ると
その名前は口にしないよう
注意して欲しい。
ジェンダス伯爵夫人は
出産中に亡くなった。
妻の死のせいで、しばらくの間、
マクシミンはとても苦しんでいた。
奥さんを本当に大事にして
愛していたから。
それでも妻に似た娘を見て、
生きる力を得ているようで良かったと
話しました。
思いもよらない悲劇を
伝え聞くことになったオデットの顔に
困惑の色が浮かびました。
狩りに出た一団が戻って来たのは
その時でした。
彼らの力強い足音が
夏の午後の静けさを破りました。
バスティアンは最後に
ティータイムに加わりました。
狩猟用の帽子を脱ぐと、
乱れた髪の毛が額の上に垂れました。
汗で濡れたプラチナブロンドの髪は
いつもより少し濃い色をしていました。
滑らかな笑みを浮かべながら
近づいて来たバスティアンは、
当然のように
オデットの手を握りました。
獣の血と火薬の匂いが
少し不快だったけれど、
オデットは何も言わずに
彼の見せびらかすような愛情を
受け入れました。
経験豊富な女主人である
デメル侯爵夫人は、
そういえば、クラウヴィッツ大尉と
ジェンダス伯爵は初対面ではないかと
言って、二人の客を紹介するために
前に出ました。
女主人の紹介が終わると、
バスティアンが先に名乗って
握手を求めました。
身分の低い方が先に手を差しだすのは
礼儀に反する行為でしたが、
ジェンダス伯爵は気にしませんでした。
形式に
こだわらないタイプのようでした。
ジェンダス伯爵は、
会えて嬉しい。
新聞で見ていた英雄に出会えて
光栄だと言いました。
バスティアンとジェンダス伯爵は、
友好的な雰囲気の中で
握手を交わしました。
オデットは何一つ似たところがない、
二人の男をじっと見つめました。
もし、いつか結婚することになったら
日差しのように暖かい人の妻に
なりたかった。
穏やかな流れのように
親交と友愛を分かち合いながら
生きていく、
互いの安ぎの巣となれるような
夫婦であるように。
結局。その願いの真逆にある男の
偽の妻の役割を
することになりましたが。
オデットは、
少し変な気分に襲われて
視線を逸らしました。
万年雪に覆われた山裾の下に
徐々に日が暮れて行きました。
とても遠い所まで
来てしまったという事実を
オデットはその瞬間に、
ふと実感しました。
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おそらく、ヘレネとディセン公爵は
日常的に喧嘩したり
いがみ合ったりしていたように
思うので、オデットは
ジェンダス伯爵のような優しい人と
結婚して、温かい家庭を
作りたかったのかもしれません。
けれども、彼のような人は
ディセン公爵の問題を解決することは
できなかったように思います。
意にそわない結婚であっても、
財力があって、
困難に打ち勝つ力を持つバスティアンと
結婚するのが
最善だったのだと思います。
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