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84話に挿入された新エピソードの続きです。
最後の試合も、
エルナが所属するチームの勝利で
終わりました。
クリスティアン王子と2回、
グレタ王女と2回。
合計4回の勝利を収めた
シュベリン大公妃は、
デナイスタ家の
クロッケー女神として即位しました。
ビョルンは、庭の真ん中で
しばらく足を止めたまま、
追従者たちに囲まれている妻を
見つめました。
クリスティアンとグレタが
ベンチに座ったエルナの両脇を
守っていました。
美人が好きだという
クリスティアンの犬も
いつの間にかそこに現れ、
エルナの足元に
転がっているところでした。
彼を見つけたエルナは、
「ビョルン!」と
嬉しそうに叫びました。
先を争って騒いでいた
クリスティアンとグレタの視線も
同時にビョルンに向けられました。
ひらひらと手を振る妻に向かって、
ビョルンは、
再びのんびりとした一歩を
踏み出しました。
庭の端に立って
侍従と話をしていたレオニードも
再びデナイスタ家が集まっている
木陰の下に向かいました。
ベンチの前に到着したビョルンは
クリスティアンに向かって
「退け」と言って首を振りました。
不満そうな顔をしながらも、
クリスティアンは素直に立ち上がり、
別の椅子へ移動しました。
しかし、義理のない犬は
依然としてエルナの足元を
守っていました。
ビョルンはクスッと笑って、
毛むくじゃらの好色漢の頭を
撫でてやりました。
男の手を、
あまり喜ばないのを見ると、
信念を貫き通す犬のようでした。
ビョルンが再び顔を上げると、
自分が4回とも勝利したと言って
誇らしげに笑うエルナが見えました。
バラ色に染まった頬が、
遅い午後の日差しの中で
輝いていました。
賭けをすべきだったと言うと
ビョルンは残念そうな目で、
エルナの足元に置かれた
マレットを一瞥しました。
たしなめるように
しかめっ面をした瞬間にも、
エルナの唇は、
穏やかな笑みを浮かべていました。
ビョルンは、
マレットを振り回す
たおやかな淑女を
まともに見物できなかったのが
やや残念になりました。
自分の隣に座ったレオニードを見た
クリスティアンは、
もうボートに乗りに行こうと
レオニードを催促し始めました。
疲れた様子で休んでいたグレタも
目を輝かせながら加勢しました。
心配そうにレオニードを見ていた
エルナは、
王太子殿下はお疲れだろうから、
今度は、あなたが行くのはどうかと
ビョルンに馬鹿げた提案をしました。
ビョルンは目を細めながら
妻を見下ろしました。
クリスティアンとグレタも
呆然とした顔でエルナを見つめました。
エルナは、
ビョルンもボートに乗るのが上手だと
もう一度力を込めて言いました。
視線を交わし合った
クリスティアンとグレタは、
あまり気が進まなそうな顔で
ぎこちない笑みを浮かべました。
それでもレオ兄さんと行く。
私もレオ兄さんが好きです。
先を争ってビョルンを拒絶した2人は
さらに切実な目つきで
レオニードを見つめました。
なぜかプライドが傷ついた
エルナの表情が、
かなり真剣になりました。
彼女は、
ビョルンの実力は自分が保証すると
主張しました。
チラッとビョルンを見た
クリスティアンは、
まあ、そうなのだけれど、
シュベリン大公の実力が
問題なのではないと返事をすると
断固とした表情で手を振りました。
しかし、エルナは簡単には退かず
「それでは?」と尋ねました。
クリスティアンは「それは・・・」と
答えられないでいると
無邪気な顔をしたグレタが
「性格です」と、クリスティアンが
どうしても口にできなかった言葉を
投げかけました。
その言葉に面食らったエルナは、
ギョッとして夫を見ました。
クリスティアンも息を殺したまま、
ビョルンの顔色を窺いました。
しかし当の本人は
平然としていました。
ゆったりと足を組んで座ったまま
彼らを眺めて、
軽い笑みを浮かべただけでした。
クリスティアンは、
「もう分かりますよね」と言うと
大げさなため息をつきながら
腕を組みました。
彼と目が合うと、ビョルンは、
形の良い眉毛を、意地悪そうに、
少し動かして見せました。
悪口を言ったのはこちらなのに、
なぜか、
からかわれているような気がする
態度でした。
クリスティアンは、
ビョルン兄さんは、
弟でも絶対に見逃してくれないと
ぼやくと、グレタに、
あの雪合戦のことを、
覚えているよねと尋ねました。
そろそろ腹が立って来た
クリスティアンは、
エルナに告げ口をし始めました。
男らしくない行動のようだけれど
どうせ彼は、男たちの集まりに
参加することもできませんでした。
グレタは、
ビョルン兄さんが自分たちを
雪だるまにしたと答えました。
彼女は、そのことを考えただけでも
悔しいのか、顔を歪めました。
久しぶりに心を一つにした
デナイスタ家の2人の末っ子たちは
王太子時代のビョルンの
あの日の蛮行を、
細部に至るまで詳細に告げ口しました。
ぼたん雪が降った冬の日。
雪合戦に夢中になっていた
クリスティアンとグレタは、
嬉しそうな顔で、
兄姉たちを探し回りました。
結婚準備の真っ最中で
神経質になっていた
ルイーゼ王女には、
スパッと断られましたが、
レオニード王子を抱き込むことに
成功しました。
最も高い山であるビョルン王太子まで
陥落させた時は、
神の祝福がもたらされた日だと
思いました。
試練が迫りつつあるなんて
夢にも思いませんでした。
雪合戦の挑戦状を差し出した
クリスティアンとグレタを
見ていたビョルンは
自信があるのかと、
落ち着いて尋ねました。
分別のなかった2人の兄妹は、
「もちろんです!」と
自身に満ちた声で叫びました。
まだ世の中の非情な面を知らなかった
純粋な幼年時代の最後の瞬間でした。
クリスティアンとグレタは
恐れることなく
勝利を確信していました。
それが当然だったからでした。
国王夫妻は
子供たちに厳しい方でしたが、
それでも他の兄姉たちと
年齢差が大きい2人の子供たちには
多少優しくしてくれました。
謹厳なレオニード王子と
高慢なルイーゼ王女も、
幼い弟妹たちには、
一歩譲ってくれる寛容さを
施してくれたりもしました。
クリスティアンとグレタの試練は
ビョルン王子だけだったので、
そのため、彼との対決は、
さらに重要な意味がありました。
戦場は宮殿の雪に覆われた庭。
その日の戦いは、
宣戦布告をした2人の末っ子の
先制攻撃で始まりました。
勢いよく突撃したかのようでしたが
しばらくして彼らは、雪が
いかに強力な武器になり得るかを
知るようになりました。
ビョルンは、
それほど大きな力をかけずに
致命的な攻撃をして来ました。
高い身長を利用して、
頭の上から雪を浴びせかけて来るので
2人は全く、正気を取り戻すことが
できませんでした。
しかし、デナイスタらしい
根性を持っていた
クリスティアンとグレタは、
劣勢に追い込まれても
諦めずに立ち向かって戦いました。
ある瞬間からは、
これが雪合戦だということも
すっかり忘れてしまいました。
彼らは一つに絡み合って雪原を転がり
追いつ追われつの鬼ごっこをし、
そしてまた、
雪原を転がり回りました。
たしかに腹が立って
仕方がなかったようでしたが、
ある瞬間からは、息が詰まるほど
笑い転げていました。
その日の戦いは、
クリスティアンとグレタが
降伏して幕を閉じました。
頭からつま先まで雪に覆われた
2人の前に立ったビョルンは
優雅な挨拶で
終戦を受け入れました。
そして歩く力もなくなった
荷物のように背負って
宮殿に帰りました。
雪原に、ぐったりとのびていたのは、
グレタも同じでしたが、
少なくとも、レオニード王子は
妹をおんぶするくらいの親切は
施したので、
少しはましに見えました。
「何てことでしょう」
目を輝かせながら傾聴していた
大公妃がため息をつきました。
胸がすっきりしたクリスティアンは、
意気揚々とした顔で
ビョルンを見ました。
しかし、彼は相変らず
眉一つ動かしませんでした。
一口飲んだレモン水を
テーブルの端に置き、
クッキーを一つかみ手に取り、
ベンチの奥深くに
背中を持たせかけました。
グレタにクッキーを一つ渡した
ビョルンは、
結末まで話したらどうかと、
ニコニコしながら尋ねました。
そして、
鼻水をつららのように垂らしても
楽しそうに笑う姿が
見ていて良かったというと、
妻にもクッキーを渡しました。
そして最後に1つ残ったクッキーを
一口かじりました。
クリスティアンは、
巻き込まれてはいけないと
思いながらも、「私がいつ!」と、
カッとなって叫びました。
実はビョルンが正しかった。
歯ぎしりするほど悔しかったけれど
それでも楽しかった。屈辱的な姿で
兄の肩にしがみついても
クスクス笑ったほどでした。
しかし、そんな楽しみは
一生に一度で十分な、
かなり劇的な一日でした。
その日を回想していた
クリスティアンは、とうとう
クスクス笑ってしまいました。
急いで口角を引き下げましたが、
それほど大きな効果があるとは
思えませんでした。
彼は、
レオ兄さんが行かないなら、
一人で乗る。 自分も大きくなったと
無駄に空威張りをすると、
意気揚々と歩き出しました。
それでも1人では
全く自信がなかったのか、
急いでグレタを呼びました。
クッキーを
もぐもぐしていたグレタは、
すっくと席から立ち上がり、
彼の後を追いました。
目が合うと
喧嘩ばかりしているけれど、
こういうところを見ると、
間違いなく仲良しでした。
ビョルンは、余裕のある目で
その光景を見守りました。
もう一つかみ、手に取った
クッキーとチョコレートを
ハンカチに包んで、
妻の膝の上に置いてくれました。
エルナがしきりに
チラチラ見ていたものでした。
同行者が頼りないのか、
今回はグレタが声を張り上げて
「モディ!」と犬を呼びました。
エルナの足の甲を枕にして
眠っていたモディは、
長々と欠伸をしながら起き上がり、
伸びをしました。
そして飛び跳ねながら、
主人の後を追いました。
レオニードは、
自分も行ってみなければならないと
言うと、穏やかなため息をついて
立ち上がりました。
エルナと
短く目で挨拶を交わした彼は
つかつかと庭を横切り、
弟たちと合流しました。
レオニードの両腕にぶら下がった
2人の子供の笑い声が、
川から吹いてきた風に乗って
流れて来ました。

船着き場に向かって行く
3人の後ろ姿を見守っていた
エルナは、
王太子殿下は本当に良い方だと
静かに囁きました。
ビョルンは何の返事もなく
グラスを握りました。
クッキーをかじる音が
平穏な沈黙の中に溶け込みました。
クッキーとチョコレートで
空腹を満たしたエルナは、
口元を几帳面に整えた後、
首を回しました。
ビョルンは頭を斜めに傾けたまま
彼女を見下ろしていました。
クリーム色のスーツに
水色のネクタイを締めた彼は、
この春の日のように
だるそうにしていながらも
爽やかに見えました。
国王と王妃が訪問中であることに、
エルナは、ふと感謝しました。
そのおかげで、
シュベリン宮の塀の中でも、
おしゃれに着飾ったビョルンを
見ることができるからでした。
「ビョルン」
そっとその名前を呼んでみると、
心が膨らみました。
彼は目にエルナを湛えたまま
笑ってくれました。
舌の先に残った、
チョコレートとクッキーの味のように
甘い微笑でした。
エルナは、
クリスティアン王子の言葉は
本当なのかと尋ねました。
ビョルンは「どう思う?」と
ずうずうしく聞き返して来ました。
このような反問は、概して
肯定の意味であるということを
エルナはもう、よく知っていました。
彼女は、
幼い弟たちに対して
あまりにも苛酷だったのではないかと
非難しました。
ビョルンは、
この険しい世の中を
立派に生きていくためには
強く育たなければならないと
返事をしました。
エルナは、「いくらなんでも」と
反論しましたが、ビョルンは、
おかげで面倒なことが減ったのを
見なかったのかと返事をしました。
エルナの叱責にも
ビョルンは平然としていました。
その厚かましい顔を見ていたエルナは
先程のクリスティアンのように
笑ってしまいました。
うんざりしていたけれど、
それでも過去を回想する
クリスティアンとグレタは
とても楽しそうでした。
エルナの知らない種類の幸せでした。
想像してみようとしましたが、
あまりにも漠然としていて
うまく描けませんでした。
ただ1つ、ビョルンにとっても
良い思い出として
残った日だということを
感じることができました。
このような男が、
どうやって自分の子供を
捨てることができたのだろうか。
一緒に過ごした時間が増えるほど、
ビョルン・デナイスタについて
知れば知るほど、
エルナは彼の過去の結婚が
理解できませんでした。
そのスキャンダルの中の男は
残忍で卑劣でした。
エルナは、そのような部類を
あまりにもよく知っていました。
それは、まさに
自分の父親だからでした。
しかし、エルナが今まで見て来た
ビョルンは、
絶対にそのような男では
ありませんでした。
もしかして、この信念は、
愚かな愛から始まった
錯覚なのだろうか?
よく分かりませんでした。
自分の知らない真実が
隠れているのだろうか?
それも、よく分かりませんでした。
エルナが分かるのは、
速く鼓動する心臓と
頬に広がる熱気、そして
精一杯膨らんだ気持ちだけでした。
そんな自分が、
ふと惨めに感じられた瞬間、
甘い香りが鼻先をかすめました。
エルナが大事にしておいた
最後の一切れのチョコレートでした。
ビョルンは、
ハンカチの上に置かれていた
チョコレートを、
直接、食べさせてくれました。
舌の上で溶けるチョコレートの
甘くて、ほろ苦い風味が、
エルナの混乱を消してくれました。
そうして残ったのはビョルン。
目の前にいる、
この魅惑的な男だけでした。
「ビョルン」と、エルナはもう一度
その名前を囁きました。
木の枝の間から差し込む光は、
いつの間にか、
金色に熟していました。
ぼんやりビョルンを見ていた
エルナは、
自分と雪合戦をしても、
真剣に相手をするつもりなのかと
勇気を出して質問しました。
ビョルンは、
気になるなら、妃も一度
挑戦してみましょうと答えました。
午後の日差しに染まった灰色の瞳は
オパールのように
奥深い光彩を帯びていました。
ニヤッと笑うビョルンに
向き合った瞬間、エルナは、
双子の王子は同じように見えても
全然違うということを知りました。
ビョルンの眼差しと微笑みは、
ただビョルンだけのものでした。
だから、眼鏡がなくても
いくらでも2人を区別できると、
エルナはもう
確信することができました。
しばらく
その場に留まっていた2人は、
西の空が赤く染まり始めた頃に
庭を去りました。
風に散った春の花が
並んで歩く大公夫妻の頭上を
舞いました。
早く雪が降ればいいのに。
花びらが舞う風景を眺めながら、
エルナは思いました。
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この後に、
ビョルンとレオニードの
ビリヤードシーンが続きます。
過酷だけれど、
楽しい雪合戦?の様子が
目に浮かぶようでした。
ルイーゼはエルナに対して
冷たく当たっているけれど、
もし、結婚式の準備で
神経質になっていなかったら
一緒に雪合戦をしてあげられるような
優しい姉だったのではないかと
思います。
ビョルンはエルナが
お菓子を食べられなかったことに
気づいていたのですね。
クッキーとチョコレートを一つかみ
ハンカチに包んで
エルナの膝の上に乗せてあげるなんて
優しいと思います。
そのような時のビョルンは、
きっとエルナのことを
愛おしそうに見ていると思うので、
エルナは、ビョルンとレオニードを
区別することができるのだと
思いました。
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