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165話 外伝13話 レイラはマティアスに子供が欲しいと訴えました。
いつもと違い、レイラは、
少しも恥ずかしがる様子を見せない顔で
マティアスの視線を受けました。
口にしている、
とんでもない話とは裏腹に、真剣で、
ある程度、学究的ともいえる表情が
マティアスを笑わせました。
それが気に入らないと言わんばかりに
眉を顰めたレイラは、
マティアスのそばに、
もう一歩近づきました。
レイラは、
あなたに似ている
フェリックス一人だけなんて
どう考えても不合理だ。
だから公平になるよう
自分に似た娘も一人欲しいと
訴えました。
マティアスは、
「思い通りにならなかったら?」
と尋ねると、緩く組んでいた手を上げて
目の前まで迫ってきた
大胆な妻の顔を包み込みました。
そして、
フェリックスも、あのようなのに
もう一度そんな息子が生まれたら、
二度の不合理に
耐えなければならないと言いました。
しかし、レイラはそれを否定し、
なぜか、あなたならできる気がする。
そう感じると言い返しました。
マティアスは、
それは一体、どういう詭弁なのかと
尋ねました。
レイラは、
ヘルハルト公爵が望めば
何でも手に入れる。だから、
あなたが望めば叶うと思うと
答えました。
とんでもないことを言う瞬間にも
レイラの瞳は澄んでいて
輝いていました。
レイラは、
「私たちの娘のレアを、
欲しがってはダメですか?
もう父親が付けた名前もあるのだから
生まれてくればいいだけなのに」
と言うと、
頬を包んでいるマティアスの手の上に
そっと自分の手を重ねました。
彼女を深く見つめる彼の視線は、
肯定も否定もせず、ただ静かでした。
レイラは、
あなたは本当に子供が嫌いなのかと
尋ねました。
意図的に仏頂面をするレイラの演技は
中途半端なので、マティアスは
さらに愛おしいと思いました。
自分を湛えている
レイラの目を見つめながら
マティアスは、
実は自分は、
子供が何人いようと関係ないと、
落ち着いて本心を伝えました。
続けてマティアスは、
家門のことを考えると、
子供は多いほど良いだろう。
そして生まれる全ての子供に、
自分は父親としての責務を果たす。
それは、
子供が好むか好まざるかにかかわらず
そのような判断とは
何の関係もない領域にあることだ。
しかし、あなたは
全く違う期待を抱いているだろう。
その期待に応えられる自分の限界は
フェリックスまでかもしれない。
自分はそれが怖いと言いました。
マティアスは、
口に出さなかった、その気持ちを
もう一度、深く考えました。
子供という存在は、依然として
いくらか異質で曖昧でした。
もちろん、フェリックスは
その範疇に入っていませんが。
マティアスは息子を愛していました。
苦痛の日々に屈することなく耐え、
元気に生まれて、
レイラの希望となった子供でした。
また、自分の母親が、
公爵夫人として受け入れられるのに
最も大きな貢献をした
存在でもありました。
自分の顔で、
レイラのように笑う息子を
見つめる瞬間の感情を称する名前が
愛以外には他にないということを
マティアスはよく知っていました。
その愛が、レイラの望みとは
少し違っていても
確かにそうでした。
しかし、他の子供はどうだろうか?
マティアスは、
確信するのが困難でした。
フェリックスに抱いているこの感情が
他の子供にも生まれるだろうか。
もし、あれほど劇的な戦争と別れ、
そして再会がなかったら、
フェリックスもやはり、
他の無彩色の名たちと大差ない意味で
残ったかもしれませんでした。
そうだとしても、彼はいくらでも
自分の世界のバランスと秩序を構築し
守り抜くことができました。
レイラを除く
他のすべての人々にそうであるように、
そのようにやり遂げるだろうけれど
彼のレイラは・・・
「マティアス」
レイラが呼んだ優しい名前が
続いていた想念を遮りました。
彼女は、
不確かな未来の代わりに、
今は、自分のことだけを考えるのは
ダメなのかと尋ねると、
ゆっくりと下ろした両腕で
彼の腰を抱き締めました。
レイラは、
安らかで温かい愛の中で
赤ちゃんができて、
その赤ちゃんが育ち、
そして、この世に生まれる時間を
あなたと一緒に過ごしたい。
実際、赤ちゃんよりも
その時間が欲しいのかもしれない。
フェリックスの時は
そうすることができなかったからと
話しました。
話してみると、
あまり良い母親らしくなかったけれど
レイラは、
この欲求を隠さないことにしました。
レイラは、
自分も赤ちゃんができたと
喜んで告白して、祝ってもらいたい。
お腹が、だんだん大きくなるのを
隠さずに、
赤ちゃんがこれだけ大きくなったと
自慢してみたい。
つわりが辛いと駄々をこねたり、
食べたいものを、せがんでみたり、
そうやって時間が経って
赤ちゃんが生まれる日が来たら、
寂しがらないように、家族全員で、
この世に生まれた赤ちゃんを
迎えて欲しいと訴えました。
目頭が赤くなって、
声が震え始めましたが、それでも
レイラは笑うことができました。
レイラは、
その時間と記憶を
プレゼントしてくれないかと
頼みました。

マティアス・フォン・ヘルハルトは
自分が敗北したことを、
長い口づけをすることで認めました。
他に答えようがなかったし、あえて
他の答えを探そうという気持ちも
ありませんでした。
窓際で始まった口づけは、
ベッドに近づくと、
しばらく止まりました。
レイラは乱れた息を吐きながら
次を待っていましたが、
なぜかマティアスは
近づいて来ませんでした。
ベッドの端に腰かけたまま、
じっとレイラを見下ろして、
ため息のような笑いを
漏らすだけでした。
マティアスは、
何だか、君の欲望の手段として
利用されているようだと言うと
眉を顰めて、首を斜めに傾けました。
優しい声に込められた茶目っ気に
気づいたレイラは、平然と笑いながら
体を起こして座りました。
レイラは
「ええ、そうです。
利用される気分はどうですか?
公爵様」と尋ねました。
今やレイラは、
かなり上手にタイを解き、
シャツのボタンを外しました。
マティアスは、
「一度、好きにやってみるように。
女王陛下」と答えました。
そして、
せっせとシャツを脱がせている
レイラの小さな手を見下ろしながら
喜んで従うからと、
あっさりした口調で言いました。
レイラは軽くしかめっ面をして
マティアスに向き合いました。
このように、
ひねくれて傲慢な笑みを浮かべる時、
この男は最も魅惑的でした。
レイラは、
「いいですよ、そうします」と
返事をすると、
最後のボタンまで外したシャツを
脱がせながら、
優しい恋人のように微笑みました。
心行くまで利用すると、
覚悟を決めて言ったことを
証明するように、
マティアスをベッドの上に引き寄せる
レイラの手の動きは、
かなり断固としていました。
そうは言っても、
大きな男を動かすには
微弱な力であるはずなのに、
マティアスは、彼女が導くままに
素直に引っ張られました。
しばらく躊躇っていたレイラは
まずマティアスを、
クッションの山にもたせかけて
座らせました。
そして、すばやく彼の膝の上に座り
パジャマを脱ぎました。
下着は着ていなかったので、
それ一枚を脱ぐだけで、レイラは
生まれたままの姿になりました。
胸から足の間に
ゆっくり視線を動かして行った
マティアスは、クスクス笑いながら
レイラの頭を撫でました。
その手を楽しむように、
レイラは静かに身を任せました。
とても恥ずかしいけれど、
嫌ではない瞬間でした。
レイラは、
少し熱くなった息を吐きながら
脈拍が感じられるマティアスの首筋に
口を合わせました。
硬い鎖骨にも、肩にも、
その下に残っている
傷跡の上にもゆっくり。
そろそろ慣れそうなものなのに、
こんな瞬間が訪れると、
レイラの気持ちは、
初めてこの体に残った傷跡を見た
あの夜に戻ってしまいました。
あまりにも驚いて、しばらくは
ぼんやりしていただけでした。
一体これは・・・
レイラは慌てて彼の服を脱がせ、
体のあちこちに残った傷を
確認し始めました。
ヘルハルト公爵が
戦死したという誤報を出した
まさにその戦闘で負った傷跡まで見た時
レイラは、自分でも知らないうちに、
子供のように
大声を上げて泣いていました。
あの日もレイラは、今夜のように
その傷の上に、
そっと口を合わせました。
涙が込み上げて来て、
すすり泣きながらも、
止めませんでした。
たかが、そのようなキスで
消すことができない痕跡だということは
分かっていましたが、
そうしてでも、
労わりたいと思いました。
そのように、
切実な願いを繰り返しながら
口づけを繰り返して行くうちに
レイラは、
この男を憎んで恨んでいた気持ちが
もう残っていないということに
気づきました。
マティアスは戻って来て、
レイラは彼を許しました。
そんな夜でした。
憎しみも悲しみもなく、
愛だけを持って、
また始めれば良い場所に、
一緒に立つようになった瞬間でした。
銃傷の傷跡が残っている硬い腕の上に
温かい息を吹きかけることで、
レイラは、一種の儀式のような
口づけを終えました。
あの日から始まった自分たちの歩みは
今、どこまで続いて来たのだろうか。
それを推し量るように、
レイラは頭を上げて
マティアスに向き合いました。
もはや平穏でない彼の息遣いが
良いと思いました。
深い絶望に沈んで、
ぼんやりとした目で見ても
気づくことができるほど
鮮明な欲望を宿した瞳も
やはりそうでした。
レイラは細い両腕を伸ばして
マティアスの首筋を抱き締めました。
一糸纏わぬ胸と胸が密着すると、
互いの体温と心臓の鼓動が
伝わって来ました。
「あなたは本当に美しい」
甘えるように抱き締めて来て
せっせと、
たくさん口を合わせて来たレイラが
とんでもない言葉を囁きました。
熱い息を切らしていた
マティアスは、
眉を顰めながら妻を見ました。
ものともせず、
ニッコリ笑うレイラの顔は、
今、彼を半狂乱にさせている
女らしくなく無邪気でした。
レイラは、
初めて会った日、
あなたが、とても美しくて
本当に驚いた。
とても怖かったけれど、
それでも、とても美しかったと
打ち明けました。
マティアスは、
夫に言うには、
変な褒め言葉だと思わないかと
尋ねました。
レイラは、
全く、そう思わない。
あの日から今まで、
自分にとって、いつもそうだった。
あなたのように、
美しい人は生まれて初めてだった。
あなたのように悪い人も、
憎い人も初めてだったけれどと
告白するのと同時に、
優しく嘴を擦り合わせる
鳥たちのような口づけをしました。
マティアスは、
君が好きなものが無事で何よりだと
ついに、降伏するように
笑ってしまいました。
注意深く彼を見つめていたレイラは
反問するように
小さく首を傾げました。
まさか、自分が好きなのが
これだけだと思っているのかと
尋ねると、
いつもより熱いレイラの両手が
マティアスの顔を
しっかりと包み込みました。
全身を赤く染めたまま、
真剣な表情をしているレイラは、
とても艶めかしく、
このような彼女は、
本当に自分を狂わせると、
マティアスは言わないことにしました。
レイラにさえ、
知られたくありませんでした。
この瞬間、この女の全ては、
ただ自分だけのものでなければ
ならなかったので。
「ああ、 そうなんだ」と
ゆっくり頷くマティアスを見る
レイラの眼差しがビクッとしました。
「そうだったね」という意地悪な言葉が
想起させた記憶まで浮び上がると、
レイラの両頬は、今、
熟したように真っ赤になりました。
自分の姿を見ることができなくても、
火照る感覚で
分かることができました。
心を痛めて泣くレイラの前で、
「泣かないで。
君が好きなものは無事なんだから」
彼はあの夜も、
このように平然と言いました。
どうして、あのような瞬間に、
あんなに低級な冗談が言えたのか。
レイラはカッとなって
唇を離しましたが、
そのずうずうしい男が、
自分の顔を指差しているのを見ると
つい言葉に詰まってしまいました。
どうやら意図的なようでしたが
問い詰めてみるのも滑稽でした。
だからレイラにできることは、
せいぜい、握り締めた拳で
その男を殴ることだけでした。
今でも、あの夜と
変わりはありませんでした。
力を入れることができない拳が
肩と胸を叩いている間、
マティアスは、
ズボンのウエストを緩めて
下ろしました。
遅れて、それに気づいたレイラは
ビクッとしましたが、
いつものようにマティアスは、
自分の欲望を露わにするのに、
少しの躊躇いも見せませんでした。
このような気分になるのは、
もしかすると、
この男が感じるべき分の
恥ずかしさまで、自分の分に
なってしまったからではないか。
ぼんやりとした頭の中を
彷徨っていた無意味な考えは、
すぐに白く消えました。
マティアスは、
レイラの首を引っ張って下ろすと
飲み込むように、
口を合わせました。
それと同時に、
手に負えないボリューム感が
レイラを満たしました。
反射的に縮こまった体を
離そうとしましたが、
すでにマティアスの両腕が、
閉じ込めるように、
彼女の背中を抱き締めた後でした。
無意味に空中を彷徨っていた
レイラの視線は、
結局、甘い諦めと共に、
再び彼を捉えました。
「マティ」
口にできる言葉が見つからず、
その名前だけを何度も囁きました。
熱く湿った呻きが混じった自分の声が
とても恥ずかしかったけれど、
それも隠したくありませんでした。
しかし、やがてレイラは、
その一言さえ失ってしまいました。
熱気で曇った緑の目に映る世界が、
めまぐるしく揺れ始めました。
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結婚もしてないのに妊娠したレイラは
それが恥ずかしくて、
とにかく、誰にもばれないように
必死で隠していたのだと思います。
それが、どれだけ辛かったのか
マティアスへ伝えた言葉に
叙実に現れていると思います。
マティアスが
レイラにしか関心がないように
彼女もマティアスにしか
我儘と本心を言えない。
二人とも、心を許せるのは、
互いに相手だけなのだと
改めて感じました。
二人が幸せな時間を
過ごせるようになって、
本当に良かったです。
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