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166話 外伝14話 レイラとマティアスは甘い夜を過ごしています。
彼を思う存分利用した妻は、
彼の腕の中で眠ってしまいました。
それよりも、疲れて
意識を失ってしまったという方に
近いだろうけれど、いずれにせよ、
嬉しくないという点においては
変わりがないので、
区別するのは無意味でした。
マティアスは、
ぐったりとした柔らかい体を抱えたまま
しばらく、そのまま留まりました。
熱が冷めて行くにつれ、
レイラは少しずつ
彼の懐に深く潜り込んで行きました。
無意識のうちに、
温もりを探そうとするその仕草は
満たされない欲望を
しばらく忘れさせるほど
愛おしいものでした。
まっすぐな額に、
短くキスをしたマティアスは
両腕を交差させて、
さらに、しっかりと
レイラを抱き締めました。
胸の中に抱いた、この女を
どうすればいいのか全く分からなくて
今でもたまに、このように
途方に暮れたりしました。
もう自分のものとなった妻に抱くには
滑稽な感情だという考えは
消しました。
レイラへの自分の熱望が、
最初から、正常な範囲に
入っていなかったということを
マティアスは、
誰よりも、よく知っていました。
あえて正したい気持ちも、
やはり、ありませんでした。
もちろん、それを望んだところで
変わることはないだろうけれど。
夜が深まるほど澄んで行く闇の中に
レイラの規則正しい息遣いが
染み込みました。
マティアスは、
腕を組んで横になったまま
レイラを見つめました。
額の生え際に生えている
柔らかい産毛をなでると、
長い睫毛の影が揺れました。
静かな笑みを浮かべたマティアスは
まだ濡れている目頭に
口を合わせました。
自分の懐の中で、
小さく寝返りを打つ体の感触が
心地よく感じられました。
二人の体温が染み込んで、
気持ち良く温かいシーツと、
開け放たれた窓から吹いてくる
真夏の夜の風もまた、そうでした。
マティアスは、
微かに残っている涙の跡を
唇で辿って行きました。
いつの間にか、
吐く息が熱くなりました。
美しい線を描く背中を撫でる手も
そうでした。
子供に対する考えは
依然としてそのままでしたが
自分の子供を宿した、この女の姿を
見守ることができる時間には、
かなり欲が出て来ました。
フェリックスを妊娠している
レイラを見たのは、戦争中の、
あの短い時間だけだったから。
あの子が命を失っても
構わないという狂気に
囚われていましたが、
そんな怪物となった自分に対する
幻滅と自己恥辱感を消すほど
自分の子供を宿して、
お腹が大きくなったレイラが
与えてくれた満足感は
大きいものでした。
もう何の苦痛もなく、
その時間を過ごすことができるなら・・
マティアスは、
今や鮮やかな熱を帯びた手で
レイラの細い腰を抱き締めました。
美しく膨らんでいたお腹が
思い浮かぶと、ふと、
自分のものだったはずの時間を
失ってしまったという気がしました。
この平らなだけのお腹が
どうやって膨らんでいくのか。
すでにあの時も、この小さい女には
手に負えないほど膨らんでいたお腹が
臨月には、
どれだけ大きくなるのだろうか。
その時間が続いて行く間、
レイラは何を考えて、
どうやって笑って、
どれだけ美しいのだろうか。
疑問が一つずつ加わる度に、
レイラに触れる手は
熱気を増して行きました。
このような種類の欲望を、
適当に満たして片付けてしまう
程度のものと軽んじていた自分が
傲慢だったということを、
マティアスは喜んで受け入れました。
少なくとも体を交える瞬間だけは
完全に自分のもののようだと
執着していた日々が過ぎても
欲望は、依然として熱烈でした。
届く所まで深く入り込み、
体をぶつけ合い、限界まで追い詰めて
全ての感覚を、この女で満たせば、
しばらくの間、
途方に暮れる気持ちから
逃れられるので。
ゆっくり動いていた手が
胸を包み込むと、
レイラは低い呻き声を上げながら
目を覚ましました。
眠気が消えない瞳を見つめながら、
マティアスは、ゆっくり
手に力を入れました。
すでに彼が残した跡がいっぱいの
か弱い肌に加えられた、
赤い手の跡が与える快感に
息遣いがもう少し乱れました。
きれいにそびえたつ胸の先を
濡らしながら、
「構わない。 休んで」と
マティアスは子供を宥めるように
優しく囁きました。
その声とは裏腹の露骨な欲望に
気づいた時、彼はすでに
レイラの体の上に乗っていました。
「・・・嘘」
目を細めて彼を見ていた
レイラはクスッと笑いました。
だるそうにしている姿とは違って
彼を見つめる目は美しくて透明でした。
「うん」
マティアスは快く頷くと
腰を立てて座りました。
レイラは、遅れて訪れた緊張感に
身をすくめましたが、
彼は、すでに開かれた膝の間に
座っていました。
微笑み一つなく、さらに
「嘘だ」と、
図々しく感じられる言葉をかけた
マティアスは、
握ったレイラの膝に、
短く口を合わせました。
彼の女王は、硬直していた体から
すっと力を抜くことで
臣下の服従を受け入れました。
レイラの腰をしっかりとつかんだ
マティアスは、
そのまま深く入りました。
レイラが激しく息をしながら
体をバタバタさせるたびに、
渇きのような欲望は、ますます
急激に高まって行きました。
マティアスは、
汗で濡れた白いお腹を
そっと押さえたまま、再び、
力いっぱい体をぶつけました。
体を支えきれずに
揺れていたレイラは、
小さくすすり泣きながら
腕を伸ばして来ました。
しっとりと濡れた瞳は、
何かを切望するように
彼を見つめていました。
かすれたような呻きと混じった
ため息をついたマティアスは
身を屈めて、
レイラの要求に応じました。
しがみついて来るレイラの体は、
彼を飲み込んで締め付ける
内部のように、温かく柔らかでした。
「愛している」
汗で濡れた額に向かい合ったまま
マティアスは、
低い声で囁きました。
互いを見つめる眼差しが
深く絡み合う瞬間に訪れる
不思議な気分が何なのか、
今は知っていました。
愛。顔を背けて否定しようと
努力しても、
足下にまとわりつく影のように
続いてきた心。
だから、いくらでも言えました。
愛している。レイラ、私のレイラ。
愛していると。

ゆっくりと流れる長い一日が
集まった季節は、恨めしいほど、
速い速度で流れて行きました。
暑さのピークが過ぎると、
シュルター川の水の色も
次第に深まって行きました。
まだ真夏だけれど、
まもなく秋が近づいて来ることを
予感させる色でした。
時には涙が出るほど
残念でもありましたが、
レイラは喜んで
時間の流れを受け入れました。
フェリックスは、
季節が熟すのと同じくらい
成長しました。
成長するにつれて、ますます
マティアスに似て来ましたが、
その一方で、
レイラの面影も垣間見えました。
当然のことだと分かっているけれど
レイラは、それがいつも不思議で
嬉しさを覚えました。
季節が深まり、子供が育った分だけ
大きくなった愛もそうでした。
レイラが、これ以上恐れることなく
シュルター川に
身を任せられるようになった頃、
マティアスは、
しばらくラッツに発ちました。
新しく拡張した事業と関連した
仕事のためだと言いました。
もう休みが
数週間しか残っていないので、
一緒に首都に帰っても良かったけれど
レイラは、彼が戻って来るまで、
残り少ないアルビスの夏を
楽しみながら、フェリックスと一緒に
ここに留まることにしました。
その決定を最も歓迎したのは、
もちろん、公爵家の二人の奥様で、
その中でも、
エリーゼ・フォン・ヘルハルトでした。
孫に対する彼女の愛は並外れていて、
先日はフェリックスを
ヘルハルト家の真の傑作と呼び、
レイラを
少し当惑させたりもしました。
目を丸くしたレイラに向き合った
彼女は、
「なぜ?あなたの夫の席を
息子に譲ることが残念なの?」
と、やや尖った口調で尋ねました。
そして、彼女は、
一人の女に目が眩んで、
自分の命まで手段にした、あなたの夫を
依然として家門の傑作と呼ぶのは
少し困るのではないかと
皮肉を言いました。
じっと見つめる目つきが
どれだけチクチクしたことか。
レイラは言葉に詰まって、
何の返事もできませんでした。
エリーゼは、
あなたも息子に
そのような脅迫を受けてみれば、
自分の心がわかるだろうと言うと
レイラの反応が面白いというように
微笑んでいましたが、
まもなく真顔になって眉を顰めました。
そして、
いいえ、ダメ。
そんなことがあってはならないと言うと
膝の上に座って遊ぶ孫を
ギュッと抱きしめながら、
この上なく慈愛に満ちた笑顔を
見せました。
そして、フェリックスに、
どうか、あなたは、
ヘルハルト家の真の傑作に
なってくださいと告げました。
その言葉の意味が何なのか
理解できないフェリックスは、
明るく笑って頷いて、
二人の老女を幸せにしました。
そうして一日、また一日と、
マティアスのいないアルビスの夏が
過ぎて行きました。
別れの時が近づくにつれ、
二人の公爵夫人の孫への愛着が
大きくなったため、
レイラは、なかなか
息子と一緒にいる時間を持つことが
できませんでした。
人見知りせず、
誰にでもよく懐く息子に
少し寂しい気持ちさえ抱きました。
その点は確かに父親に似ていないと
思わず幼稚な考えを巡らせていた
レイラの唇の間から
クスッと笑いが漏れました。
レイラは、
次の学期に備える勉強が退屈になって
散歩に出ていたところでした。
フェリックスと一緒にいたかったけれど
あの子は祖母が買ってくれた
新しいおもちゃに、
すっかり夢中になっていました。
木の葉が落とす影が濃くなった
森の道に入ると、
レイラは、つばの広い麦わら帽子を
脱ぎました。
もう、大分涼しくなった風に乗って
流れ落ちた髪が、ひらひら揺れました。
公爵がいなくて、
森が平穏だった夏の記憶が、
その風に乗って
ゆっくりと流れて来ました。
マティアスが将校として任官し
海外戦線へ赴いた年でした。
アルビスの使用人たちは、
ヘルハルト公爵の帰還という
騒々しい儀式なしに始まった夏に
少し馴染みがありませんでした。
そんなことに無関心な
ビルおじさんでさえ、そうでした。
だからレイラは、
自分が公爵のいない夏を
どれだけ待っていたのか、そして、
どれだけ嬉しくて幸いなのか、
表に出さないことにしました。
その全ての思いを胸に秘めて、
ただ穏やかな夏を
満喫したいと思いました。
本当にそうだったようでした。
レイラは思う存分、森を歩きました。
必ず戻って来る渡り鳥を観察し、
新しく発見した花を記録し、
ジャムを作る野生の果物を
思う存分、摘み取りました。
その夏に、
レイラはぐんと成長しました。
腕と足だけ細長くなった体は、
今や柔らかい線とバランスが取れて
誰が見ても、
立派なお嬢さんらしくなりました。
ギリス女学校の校門の前で
レイラ・ルウェリンを待つ男子生徒も
一人二人と現れ始めましたが、
そんなことには、
全く興味が持てませんでした。
娘の体で、
子供の時間を過ごした季節でした。
楽しくて幸せな思い出に満ちた、
穏やかで美しい夏。
しかし、時々、今日のように
森の道の真ん中で
立ち止まってしまう瞬間が
ありました。
静かな道を、しばらくの間、
ぼんやりと眺め、
少し変な気分で首を傾げ、
しかし、すぐにその全てを忘れて、
また軽やかな一歩を
踏み出していました。
あの日の少女のように、レイラは
シュルター川へ続く道を
じっと見つめました。
無駄に地面を蹴るつま先から、
白い埃が舞い上がりました。
しばらく、そのように、
その場にいたレイラは、
川に向かっていた足を
ここで引き返しました。
一度、電話をかけてみようかな。
くだらない考えが浮かぶと
レイラは再びクスッと、
少し照れくさい笑いを漏らしました。
帽子をかぶり直したレイラは、
少し早足で、
元来た道を戻り始めました。

カイルは思いがけない所で、
その男を見ました。
父と一緒に往診に行って
帰って来たところでした。
まだ医者の役割は
果たせなかったけれど、
かなり誠実な助手の役目を
担えるようになっていました。
ヘルハルト公爵を乗せた車は、
エトマン家の病院がある通りの
向かいのホテルの前で止まりました。
その車から降りて来た男の
見覚えのある仕草が、
何気なく通り過ぎることもできた
カイルの視線を捉えました。
遅れて車から降りたエトマン博士が
どうしたのかと、
笑いながら尋ねました。
父が道路の反対側の状況を
確認する前に、カイルは、
「いえ、ただ、天気がいいから」と、
間抜けな言葉で言い繕いました。
ヘルハルト公爵が
生きて帰って来た年の夏に、
エトマン家は、
カルスバルを去りました。
誰も、それを
強要しなかったけれど、
それが自然な道理であることを
誰もが知っていました。
公爵家の主治医の座は
エトマン博士が紹介した
他の有能な医師に引き継がれ、
彼らはラッツに定着して
以前より規模が大きい病院を
開きました。
医学部を卒業次第、
カイルも、父親の病院を
一緒に経営する予定でした。
幸いなことに、エトマン博士は
これ以上の疑問を見せることなく
病院の中に入りました。
安堵したカイルは、
再び道の反対側に目を向けました。
それとほぼ同時に、
ヘルハルト公爵も首を回しました。
人通りがまばらになった道路を挟んで
二人の男の目が合いました。
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レイラは美しいマティアスが
夏に戻って来る渡り鳥のように
考えていたので、
彼が戻って来なければ、
鳥が死なずに済むと喜びながらも
戻って来ない渡り鳥に、
一抹の寂しさを
感じていたのではないかと
思いました。
もう、カイルに会えないと
思っていたので、
再び、登場してくれて嬉しいです。
レイラとマティアスが結婚したことで
エトマン家の人生も
変わってしまったけれど、
カルスバルにいた時よりも
医師として飛躍できたことが
救いです。
レイラとマティアスが結婚したことを
苦々しく思っているであろう
リンダが出て来なくて
良かったと思いました。
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