
7話 イアン・ダルトンがロンドンにやって来ました。
ホワイトフィールドの
イアン・ダルトンが、
ロンドンに来たというニュースは、
あっという間に、
ロンドン中に広がりました。
数百年もの間、
代々受け継がれて来た広大な土地の
相続者であり、
莫大な森と鉱山の所有者。
30歳で、これら全ての肩書を持つ
若い地主。
それにもかかわらず、
未婚のイアン・ダルトン。
娘を持つ親たちは、
ロンドンに現れた彼に、
神経を研ぎ澄ますしか
ありませんでした。
さらに、社交界のヒバリである
ジャネット・フェアファクス嬢の
おかげで、
イアン・ダルトンの容姿が
尋常ではないという噂が
ロンドンの女性たちの間に広がり、
イアン・ダルトンの株価は
彼が知らないうちに、
天井知らずに高くなっていました。
しかし、彼は、ロンドンの上流階級の
ほとんどの社交的な集まりに
全く顔を出しませんでした。
晩餐会に招待されても、
誰かが代わりに書いたのが明らかな
礼儀正しい内容の断りの手紙だけを
送り返し、
舞踏会や音楽会のような些細な席にも
顔さえ出しませんでした。
平凡な家門の若い青年が
このように行動すれば、
無礼な人物と見なされ、
社交界から忘れられるものだけれど
彼は決して忘れられませんでした。
ロンドンの社交界は、
金持ちで名望のある家門の青年を
決して忘れない所でした。
彼の無関心さは、
むしろ神秘的な雰囲気を醸し出し、
さらに多くの人々の好奇心を
煽りました。
イアン・ダルトンの
引きこもりではない
引きこもりのおかげで
フェアファクス兄妹の株価も
連動して上昇しました。
特にジャネット・フェアファクス嬢は
イアン・ダルトンと
同じ家にいるという理由で、
これまで経験したことのない
ティーパーティーへの
招待ラッシュを受け、
数多くのお茶会に出かけました。
彼女は
イアン・ダルトンが何をしているのか。
いつ頃、
社交界に顔を出すのかが気になる
淑女たちの好奇心に満ちた関心に
取り囲まれて幸せな悲鳴を上げました。
17歳は、男性たちの関心と同じくらい
女性たちの関心に
ドキドキする年齢でした。
しかし、フェアファクス嬢は、
彼女たちが望むような答えを
提供することはできませんでした。
彼女も、
イアン・ダルトンが社交について
どんな計画を持っているのか
知らなかったからでした。
イアン・ダルトンは、
自分を見る度に顔を赤らめ、
もじもじしながら、
「これからどうするつもり?」と
尋ねる姻戚の娘の質問に肩をすくめ
本をめくるだけの
生活を送っていました。
そんな中、新婚旅行から
モートン夫妻が帰って来ました。
彼らは最初に
モートン夫人の代母である
アビゲイル・ペンドルトン伯爵夫人の
家を訪問し、
その後、周辺の隣人たちを、
次々と訪ねて行きました。
美男美女夫婦の幸せな姿と
彼らがもたらした贈り物によって、
しばらくお茶会の話題は
モートン夫妻へと移って行きました。
しかし、その後、
話題の中心から押し出され、
焦りながら、
枚数の減った招待状を数えながら
爪を噛んでいた
ジャネット・フェアファクス嬢は
翌週、モートン夫妻が主催する
最初の舞踏会に、
イアン・ダルトンが参加することを
知り、再起の機会をつかみました。
その後、未婚の淑女たちがいる家は
大騒ぎそのものでした。
未婚の姉妹たちは、
家の中で一番良いドレスを
手に入れるために戦い、
ぽっちゃりした娘たちは断食を始め
結婚適齢期の娘たちは洋裁師を呼び
新しい服を仕立てるために、
親の前で、あらゆる媚びを売り
駄々をこねました。
親たちもまた、この騒ぎから
逃れることはできませんでした。
父親たちは洋服代の請求書を見て
上がった血圧を下げるために
ウィスキーを飲み、
母親たちは娘たちが身に着ける
アクセサリーを用意するために、
自分たちより
経済的に余裕のある友人たちに
宝石を貸して欲しいという手紙を書く
屈辱まで味わいました。
その騒ぎの最中、ペンドルトン嬢だけは
台風の目のように静かでした。
幸いなことに、彼女は、
すでにこれらの競争に参加する時期が
過ぎていたためでした。
ペンドルトン嬢を通じて
ダルトンを紹介してもらえるという
噂は、まだ出ていないので、
ペンドルトン嬢は、
特に面倒な目に遭うことも
ありませんでした。
ペンドルトン嬢は、舞踏会の前日、
自分が知っている
結婚適齢期の淑女数人に、
必ずモートン夫妻の舞踏会に
参加して欲しいという手紙を
静かに送りました。
遠回しに表現する方法に慣れている
ロンドンの女性たちの
コミュニケーション方法に合わせて、
密かな暗示が込めれていました。
そうしているうちに、
舞踏会の当日の夕方になりました。
七時の鐘が鳴る頃、
ペンドルトン嬢は化粧台に座り
メイドに
髪を整えてもらっていました。
鏡に映る、
肩を露出した舞踏会のドレスを着た
自分の姿が、どうも不自然でした。
舞踏会への出席は久しぶりでした。
特に、このような大規模の舞踏会は。
彼女は肘を覆うほど長い
舞踏会用の手袋をはめた
自分の手をいじりました。
ペンドルトン嬢の髪を整えながら
メイドのアンは、
今日は多くの人が来るようですねと
確認しました。
ペンドルトン嬢は、
モートン夫妻の初めての舞踏会だからと
答えました。
アンは、
イアン・ダルトンという人も
来るのかと尋ねました。
ペンドルトン嬢は、
フェアファクス氏が必ず連れ来ると
約束したと答えました。
アンは三つ編みにして垂らした
ペンドルトン嬢の
赤金色の髪を見下ろしました。
明かりの下で艶めく長い髪。
七人姉妹の間に挟まれて育ったアンは
今まで女性の髪の毛を
うんざりするほど見て来ましたが
自分が仕えている
ペンドルトンお嬢さんの髪の毛ほど
魅力的なものを
見たことがありませんでした。
一人で見るにはもったいなく、
ヘアネットに閉じ込めてしまうのが
腹立たしいほど、
ペンドルトン嬢の髪の毛は
美しいものでした。
アンは
ペンドルトン嬢の肩を包むと
今日は少し髪型を変えてみたらどうかと
提案しました。
ペンドルトン嬢は、
その理由を尋ねました。
アンは、
隣のメイドたちに聞いたけれど
その紳士は本当に素敵で
とても、お金持ちだそうだと
答えました。
ペンドルトン嬢は、
条件のいい人なので、
性格もそれだけ良ければ
申し分ないけれど、
なぜ、自分の髪型を変えて欲しいと
頼むのかと尋ねました。
アンは、
今よりきれいに見えたら
良いではないか。
もしかしたら、その人が
多くの淑女の中で、
お嬢さんを好きになるかもしれないと
答えました。
その言葉に、
ペンドルトン嬢は大笑いしました。
彼女は、
その人は、望めばいくらでも
若いお嬢さんと結婚できる人だと
言うと、外で馬車が待っているので
早くヘアネットを被せてと
急かしました。
アンは口を尖らせながら
ペンドルトン嬢の髪の毛を
クルクルと巻き上げて、
ドレスの色と合わせた
薄紫色のヘアネットを被せて
固定させました。
いつものように、
豊かな髪の毛の重さに勝てなかった
ペンドルトン嬢の頭が
後ろに少し傾きました。
ペンドルトン嬢が首を真っ直ぐにすると
アンはすぐに、彼女の首に
真珠のペンダントをかけてくれました。
二人は鏡を見つめました。
ランプの明かりの下で
髪の毛を一本も残すことなく
露わになった、ペンドルトン嬢の
気品があって美しい顔を見て、
アンはすぐに
「う~ん」と呟きました。
アンは、
自分がお嬢さんの
世話をするようになってから
十年近く経っただろうかと
尋ねました。
ペンドルトン嬢が、
「そうでしょう?」と答えると
アンは、
あの時も今もお嬢さんは
全く変わっていないと告げると
ペンドルトン嬢はニッコリ微笑み
嬉しいことを言ってくれると
返事をしました。
しかし、アンは、
本心だ。お嬢さんの顔には
歳月の痕跡などない。
どんなに質素な装いでも、
お嬢さんは女王のようだと褒めました。
いつものようにペンドルトン嬢は、
女王がまだ健在なのに
そんなことを言うなんて、
誰かが聞いていたら怖いと、
誰かが自分の美貌を褒める度に口にする
つまらない冗談で逃げました。
アンは、
女性は男性に会う時だけは
自分の条件を忘れ、
自分の魅力だけを
信じなければならないそうだ。
そうすれば、
どんな男性とも結婚できると
姉が話していたと告げました。
ペンドルトン嬢は、
もしかしてアンも
そうやって婚約者に出会ったのかと
尋ねました。
アンは、
もちろんそうだ。そうでなければ
一介のメイドが、どうやって弁護士と
婚約することができたのだろうかと
答えました。
ペンドルトン嬢は、
自分もアンの七人姉妹のうちの
一人だったら、とっくに
名字を変えていただろうと
言いました。
アンは、う~んと唸ると、先日、
モートン夫妻の贈り物として届いた
レースのショールを持って来て、
ペンドルトン嬢の肩に掛けました。
彼女は立ち上がると、
姿見の前で最後に身なりを点検し、
満足そうに頷きました。
ペンドルトン嬢は、
今日も完璧だ。もし今夜、
隣国の王子様にプロポーズされたら、
アンのおかげだと
お礼を言いました。
ペンドルトン嬢の戯言に、アンは
自分はただ、ダイヤモンドを
一生懸命に磨いただけだと
ぶっきらぼうに言い返しました。
ペンドルトン嬢は
フフと笑って部屋を出ました。

舞踏会場に到着したペンドルトン嬢は
客を迎えるために入り口に立っている
モートン夫妻と挨拶を交わした後、
場内へ入りました。
ステージは、
すでに活力に満ちたカドリールの曲で
盛り上がっていました。
ペンドルトン嬢はホールの片隅に立ち
踊る人々を眺めました。
五月の美しい生花で髪を飾り、
コルセットで腰を精一杯締めた
美しいドレス姿の淑女たちと
黒いタキシードを着た紳士たちが
滑らかな大理石の床の上で
ステップを合わせていました。
ペンドルトン嬢は
周囲を見回しました。
ダンスを踊っている男女たちと
次のダンスを待つ男女たち。
優に200人はいるはずでした。
社交シーズンが
始まったばかりにしては、
多くの人がいました。
ペンドルトン嬢は、
早くも暑くなった室内の空気に
耐えられず、
テラスの横に席を移した後、
ダンスステージを眺めました。
ちょうどその時、曲が終わり、
ステージ上の人々が
退場し始めました。
彼らの一人であるフェアファクス氏が
ペンドルトン嬢を見つけると、
自分と踊った淑女を
無事に仲間の元へ送り届けた後、
彼女に近づいて来ました。
「こんばんは、ペンドルトン嬢!」
と挨拶する彼に、彼女は微笑みながら
手を差し出しました。
彼は彼女の手の甲にキスをしました。
今年の社交界は、
最初から賑わっているという
彼の言葉に同意したペンドルトン嬢は
ジャネット嬢は
一緒に来ていないのかと尋ねました。
フェアファクス氏は、
自分の友達と一緒にあそこにいる。
あのろくでなしの
ジョージ・オーソンから
ダンスの申し込みを
受けているではないかと答えました。
ペンドルトン嬢は、
オーソン氏の性格は
そんなに悪いのかと尋ねました。
フェアファクス氏は、
それを知らなかったのかと
尋ねました。
ペンドルトン嬢は、
淑女の間での評判は悪くない。
礼儀正しく、ダンスも上手だと
答えると、フェアファクス氏は、
淑女たちの前で被っている仮面だ。
紳士クラブでは、どれだけ
ひどい振る舞いをすることか。
お金を賭けていないカードゲームで
毎回トリックを使うのは
あいつだけだと答えました。
ペンドルトン嬢は、
それでも、
一回、ダンスをするだけなら
何も起こらないですよねと
尋ねました。
フェアファクス氏は、
ジャネットも
物事の分別はつく子だからと
答えましたが、妹から
心配そうな視線を離すことが
できませんでした。
ペンドルトン嬢は
そんなフェアファクス氏を見て、
小さく笑いました。
ハイド嬢にプロポーズを断られて以来
彼の顔を見たのは初めてでした。
幸いなことに、
普段通りのフェアファクス氏でした。
少し痩せたけれど、
顔色が悪くないのを見ると、
単に、狩りを少し熱心にしただけだと
片付けることができました。
ある程度、打撃から
回復したようでした。
フェアファクス氏は、
妹がオーソン氏と
ダンスステージに上がるのを見て、
舌打ちすると、
ペンドルトン嬢の方へ顔を向けました。
彼は、
一曲くらいは踊らせておこうと
呟くと、ペンドルトン嬢に、
今回の曲を約束した人はいるかと
尋ねました。
ペンドルトン嬢が、
今、来たばかりだと答えると
フェアファクス氏は、
彼女に手を差し伸べて、
ダンスに誘いました。
ペンドルトン嬢は微笑みながら
気兼ねなく彼の手を握りました。
ステージに上がると、
すぐに優雅な旋律と共に
コティヨンダンスが始まりました。
間隔を取って並んでいる男女が、
手を取り合って、
拍子に合わせてグルグル回りながら
ステップを踏んで行きました。
普段からリズム感覚が良い
フェアファクス氏と
社交ダンスに慣れている
ペンドルトン嬢は、
水が流れるように自然に
ステージを駆け巡りました。
フェアファクス氏は
ペンドルトン嬢の腰をつかんで、
彼女をリードしながら、
ハイド嬢は、
今日来ていないようですねと
尋ねました。
ペンドルトン嬢は視線を落としながら
具合が悪いそうだ。
風邪気味だと答えました。
フェアファクス氏は
信じられないという目で
ペンドルトン嬢を見ました。
確かに、いつもポニーのように
元気なハイド嬢のことを考えると、
とんでもない言い訳でした。

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今のところ、
嫌な人が登場していないので
安心して、読むことができました。
おそらくメイドのアンの方が
年下なのでしょうけれど、
ペンドルトン嬢を
妹のように気遣ってくれているのが
良いと思いました。