
16話 ペンドルトン嬢がフェアファクス氏に口説かれていないことを知ったダルトン氏は・・・
ダルトン氏は、そのまま背を向けて
行ってしまいました。
ペンドルトン嬢は呆れましたが、
ダルトン氏の変ないたずらだと思い
家に入りました。
そして、先ほどの生け花を終えるために
水に浸していた花を取り出し、
整え始めました。
しかし、ハサミを使っている間、
彼女の頭の中に、
先ほどハイドパークで一緒に歩いていた
ランス嬢とダルトン氏の姿が
浮かんで来ました。
ペンドルトン嬢は
ダルトン氏を紹介した張本人として、
2人の関係において、
ランス嬢を保護する責任がありました。
彼女はダルトン氏とランス嬢のことを
じっくり考え始めました。
ダルトン氏とランス嬢。
ランス嬢とダルトン氏。
2人は本当に、
恋に落ちてしまったのだろうか?
全くあり得ないわけでは
ありませんでした。
おそらくランス嬢は、
ロンドン貴族の淑女たちの中で
一番美しい娘で、
ダルトン氏はロンドンだけでなく、
イギリスのどこへ行っても
見つけられないほど、
秀麗な青年でした。
ランス嬢は持参金が足りない代わりに
爵位があり、
爵位より、はるかに立派な家門と
それを土台に築いた財産がありました。
これほどお似合いのカップルも
いないと思いました。
しかし、気にかかる部分は依然として
解消されていませんでした。
彼が恋に落ちたら、
どんな姿になるのか。
ダルトン氏の静かで無愛想な姿は、
予想していたのとは正反対でした。
しかし、もしかしたら、それが
ダルトン氏の愛し方なのかも
しれませんでした。
他人には自分の感情を隠し、
恋人の前だけで、
心を完全にさらけ出す。
ただ、ひょっとしてランス嬢が、
ダルトン氏の感情を誤解して、
自分の感情だけを、前面に
押し出したのではないかという点が
気にかかっていました。
まさか、ランス嬢が、
そんなことをするはずはないと
思いましたが、ペンドルトン嬢は
彼女の自負心が心配でした。
ランス嬢は美貌だけでなく、知性も
他の淑女より優れていました。
知識も多く、才能も溢れていました。
しかし、まだ20歳に過ぎないので、
経験が足りず、
本で学んだことと友達が話すこと以外
知っていることがありませんでした。
そして最大の問題は、
自分が知らないことが多いということを
知らないという点でした。
彼女の周りには、
彼女のファンがあまりにも多く、
皆、彼女を褒めるのに
忙しくしていました。
そしてランス嬢は、その賞賛を
無分別に受け入れていました。
このような状況で、ランス嬢だけが
ダルトン氏に魂を奪われたという
疑いが出て来るのも
当然のことでした。
周りの誰かがそそのかして、
彼女の心に妄想を植え付けていたら
大変なことでした。
ダルトン氏が、
自分に無関心だということを知った瞬間
彼女が感じる恥ずかしさは
言葉にできないほどだろうから。
ペンドルトン嬢は、
しばらく考えるのを止めました。
花を整える作業が終わったので、
しばらくの間、
彼女は花瓶に花を飾ることに
集中しました。
花をすべて挿した彼女は、
あちこち回しながら
全体的な調和を観察しました。
そして、うーん、と悩んだ末、
水仙を何本か取り出して
再び、挿し直しました。
すると全体的な形が
とても良くなりました。
ペンドルトン嬢は、
すぐに花瓶をリビングに持って来て
客が入って来た時に真っ先に目に入る
テーブルに置きました。
そして台所へ行き、夕食の支度の前に
しばらく休んでいたジェルマン氏と
給料について話し合いました。
彼は突然の給料引き上げの提案に
顔色が変わり、
フランス語で喜びを表現すると、
今夜は彼女が一番好きな
果物のプリンを作ってあげると
騒ぎ始めました。
しばらくは、
ジェルマン氏が去ることを
心配しなくてもいいだろうと思った後、
彼女は部屋に戻りました。
部屋に戻りながら、彼女は、
自分の疑いが、
ランス嬢を見下した態度ではないかと
思いました。
ランス嬢の自負心が強いからといって
それほど愚かであるという保障が
どこにあるというのか。
この3年間見守ってきたランス嬢は、
自負心のせいで、
事を誤ったことはありませんでした。
周辺にいる、あれほど多くのファンが
彼女を虚栄心の塊にしようと
決心したかのように、
むやみに賛辞だけを並べ立てる状況でも
彼女はそれなりに自覚を持って
行動しました。
外見的な賛辞には弱かったけれど、
その他の意見には
あまり流されませんでした。
ランス嬢の内面に
分別があるという証拠でした。
ペンドルトン嬢はランス嬢を信じ、
彼女だけが
ダルトン氏を好きだという疑いは
保留することにしました。
そして2人が、
互いに好意を持っている場合について
考えました。
先ほど、ダルトン氏が言っていた
「仲人はもういらない」という話が
ランス嬢を念頭に置いた話だと仮定し、
2人の感情が実を結び、
結婚にまでつながるのであれば
それは実にすばらしいことでした。
その瞬間、ローラの心の中に
微かに苦痛が沸き起こりました。
しかし、彼女は、
せわしく考え続けていたため、
それを認識することさえ
できませんでした。
2人にとって、
有益な結婚になるはずでした。
ダルトン氏は気難しい紳士だけれど
理性的で賢くて、視野が広く、
彼と結婚して一緒に暮らせば、
ランス嬢は良い影響を受けて
色々な面で成長できるだろうし、
現在ロンドンに残っている
未婚の娘の中で、一番の美女と
家庭を築くことになるので
ダルトン氏にとっても
良い結婚でした。
美しく才気溢れる妻のおかげで
彼は豊かな家庭の幸せを
享受することになるだろう。
男性が夢見ることのできる
最大の幸せではないだろうか。
それに彼女の爵位と
それに伴う貴族社会の人脈で、
彼がこれから事業をしていく時に
助けを得ることもできるだろう。
ペンドルトン嬢は、
2人が互いを愛し合っている限り
完璧な結婚ができると思いました。
そして、これからのことは
じっくり見守ろうと決意して
窓際を離れました。

いつの間にか5月に入りました。
世界は眩しく輝き、
豊かに蘇り始めました。
いよいよ、
本格的な社交シーズンが始まると、
自分の領地でグズグズしていたり
保養地でゆったりとした時間を
過ごしていた上流階級の人々が、
蛾が光に導かれるように
ロンドンに集まる時期でした。
ロンドンのタウンハウス密集地域では
毎日、あらゆるパーティーや晩餐会、
舞踏会、音楽会の招待状が行き交い
夜ごとに眩しい享楽の宴が
繰り広げられました。
しかし、
アビゲイル・ペンドルトン夫人の
タウンハウスだけは、
享楽から一歩距離を置いていました。
尊敬される
アビゲイル・ペンドルトン夫人は、
すでに社交界から退いて20年が経ち、
芸術家たちの助言者として
高尚な暇つぶしをすることに
満足していました。
しかし、最近の健康悪化のせいで
引きこもりに近い生活に
陥っているところでした。
今や彼女は、
ペンドルトン家の邸内で行う
お茶会に参加することからも退き、
ロッキングチェアに
1人で座っている時間が多く、
時にはそれさえも苦しがって
ベッドに退く時が多くなりました。
本来、
内向的な性格のペンドルトン嬢は
祖母の体調を気遣い、さらに
社交を遠ざけるようになりました。
彼女は、主に病気の祖母のそばで
本を読んであげたり、
薬を用意してあげたりしました。
そして、祖母が眠りにつくと、
使用人に祖母を見守らせて、
自分の時間を書斎で過ごしました。
彼女は、
大きなオーク材の机に座って
本を読んだり、手紙を書いたり
勉強をしたりする時間を
とても大切にしていました。
静かで平和な時間を好むのが
彼女の本来の性質だったからでした。
彼女は自分がいつも座る机を愛し、
本棚にぎっしりと差し込まれた
本を愛し、
自分が静かに享受できる時間を
愛していました。
しかし、最近、彼女の書斎は
平和でも静かでもありませんでした。
彼女が午後の時間を一緒に過ごす人が
できたからでした。
2か月前、ハイド嬢は
ペンドルトン嬢の提案を受けた後
その翌日、
すぐに彼女の家を訪れました。
最初、ハイド嬢は、
ペンドルトンさんから、
そんな親切を受けてもいいのかと思い
もじもじしていましたが、
ペンドルトン嬢は気兼ねなく
彼女を書斎へ連れて行きました。
ハイド嬢は、
ロンドンのタウンハウスの中で
これほど規模の大きい書斎を
初めて見たので、かなり驚き、
居心地の良い、その場所を
ゆっくり見物しました。
壁一面、
オーク材の本棚で囲まれた中、
ほのかに、
暖炉の火が燃え上がっていました。
書斎の片隅には2つの大きな机があり、
1つは窓を背にして、
もう一つは暖炉に向かっていました。
皆、大きくて素敵な机でした。
ハイド嬢が書斎に目を奪われている間
ペンドルトン嬢は、
暖炉の向かい側の机の下にしゃがみ込み
うんうん唸りながら
何かを取り出し始めました。
ハイド嬢は、
ペンドルトン嬢が助けを求める声を
聞いて、彼女のそばに近づき、
すぐにそれが、
タイプライターだということに
気づきました。
ハイド嬢はすぐに彼女に近づき、
タイプライターを
一緒に取り出しました。
そして一緒に持ち上げて、
それを机の上に置きました。
ハイド嬢は目を見開いて
タイプライターを見つめました。
それは完璧な事務用でした。
真っ黒で、ごつごつしていて
専門的に見えました。
ハイド嬢は、
一体これをどうやって
手に入れたのかと尋ねました。
ペンドルトン嬢は、
弁護士事務所が廃業したとかで
文房具店で、中古で出ていたのを
買った。
これで、どんな書類でも
作ることができると言いました。
ハイド嬢は、
不思議な遺物を見物するように
タイプライターを見つめました。
ハイド嬢は、
これで練習をしたのか。
タイピストになるつもりだったのかと
尋ねました。
ペンドルトン嬢は、
「そうです」と答えました。
その言葉に、ハイド嬢は、
すごい。自分は今まで
そんなことを考えたこともないと
驚いたように言いました。
ペンドルトン嬢は、
未来が不安な時は
何かしなければならないと
言いました。
ハイド嬢は、
ペンドルトン嬢も
タイピストになるのかと尋ねました。
ペンドルトン嬢は
首を横に振りました。
彼女は、25歳の時、自分も
ハイド嬢のように彷徨っていた。
結婚は自分の仕事ではないと
思っていたから。
それなら、
お金を稼がなければならないので
何をして食べて行こうかと考えながら
道を歩いている途中で
タイプライターを見つけ、
すぐに購入して、3ヵ月間
タイプライターだけを打ったと答えると
その時のことを思い出したように
そっと、ため息をつきました。
そして、ペンドルトン嬢は、
目を閉じていても、
誤字脱字なしで、紙一枚を
埋めることができるようになった頃、
ほっと一息つくことができた。
知人に手伝ってもらって、
タイピストから、
書類作成の様式についても
教えてもらった。
いつでも就職が可能な状態になると、
ようやく自分が事務所で働く姿を、
真剣に思い描くことが
できるようになったと話しました。
その姿が、頭の中に再び浮かんだのか、
眉を顰めました。
ペンドルトン嬢は、
見知らぬ男たちとの会話、
立ち込めるタバコの煙、
毎日、取り組まなければならない
書類作業。
全てが自分と合わなかったので、
結局、諦めたと話しました。
ハイド嬢は首を傾げると、
自分とは正反対だ。 自分は、
紳士たちが淑女たちに施す
ネチネチした親切に、
むしろ耐えられない。
タバコでも吸いながら、
あれこれ指示してくれる方がマシ。
生前の父が、いつも自分を
そのように扱っていた。
自分はそれが好きだったと話しました。
ペンドルトン嬢は、
ハイド嬢は自分と正反対なので、
おそらく、これで
食べて生きていけるくらい
うまくやれると思うと言うと、
ハイド嬢の手を握りました。
そして、
そのためには、まず、
ベテランにならなければならないと
告げると、握った彼女の手を
タイプライターの上に置きました。
そして指1本で、キーを1つ押させると
カチッという音が
静かな書斎に響き渡りました。
ハイド嬢は、
タイプライターを打つのが
初めてでした。
彼女は指先から感じる感覚に
驚きました。
振動に身を震わせるほどでした。
心が動揺しました。
少し怖いけれど、
ワクワクし、ドキドキしました。
ペンドルトン嬢は、自分から
タイピングを習ってみる気はあるかと
ハイド嬢に尋ねました。

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人のことばかり考えていないで
自分のことも考えましょうよと
ペンドルトン嬢に言いたいです。
でも、誰かの幸せを願って
その人のために尽力することで、
自分の存在意義を感じているとしたら
なかなか、やめられないと思います。
ダルトン氏は、
ペンドルトン嬢のそういうところも
気に入っているのではないかと
思います。
そして、ペンドルトン嬢も、
まだ気づいていないけれど、
ダルトン氏に惹かれ始めている様子。
早く2人がウエディングベルを
鳴らす姿を見たいです。