
19話 ビクトリア・ウィルクス嬢がペンドルトン嬢の母親について話そうとしているのを、ランス嬢が甲高い声で制止しました。
ようやく状況を把握した
ウィルクス嬢は、
顔を赤らめ、口をつぐみました。
隣にいたデイジー・オーソン嬢は、
急いで話題を変え、
あそこの川を見てと促しました。
まもなく、4台の馬車が、
川辺の広い芝生に到着しました。
御者の役割をしていた紳士たちは
一斉に馬車から降りると、
淑女たちの手を握って
馬車から降ろしてやりました。
ランス嬢は、
自分の友達のせいで恥ずかしくなり
ダルトン氏をまっすぐ見ることも
できませんでしたが、
ダルトン氏は礼儀正しく、
彼女を支えてやりました。
その日の予定は、
ひとまず船遊びと食事。
その後は、自由に散歩したり
テニスを楽しむことでした。
もちろん船頭の役割は紳士たちで、
馬車に同乗したグループが
そのまま船遊びのグループに
編成されました。
紳士たちは順番に、
女性たちを船に乗せました。
淑女たちが足を踏み入れた瞬間、
船が揺れると、
各々淑女らしく悲鳴を上げながら
精一杯怖がっていました。
紳士たちは最後に船に乗りました。
そしてゆっくりと櫓を漕いで
川の流れに沿って進んで行きました。
淑女たちは川辺に垂れ下がった
草の葉や景色を鑑賞したり、
頭を下げて、水に手を浸したりして
船遊びを楽しみました。
ある淑女は、非常に危険なことに
腕を伸ばして、
川に浮かんでいる蓮の花を
摘もうとして、危うく
そのまま川に落ちそうになり、
すべての淑女が
本当に悲鳴を上げたりもしました。
その間、ランス嬢は船首に座り
櫓を漕ぐダルトンさんの後ろ姿を
じっと見つめました。
見つめました。
まくり上げた袖と風になびく黒髪。
時折見える顔の横のラインは、
まさに絵のようでした。
彼女の胸が、そわそわして来ました。
川を一周した船が
停泊地に戻って来ました。
そこには、先回りして来た
ランス家の使用人たちが
木陰の静かな場所に
ピクニックマットと食べ物を
ふんだんに広げていました。
あまりにも人数が多いため、
マットの場所は4か所に分かれていて
最初に馬車に乗って来たグループが
そのままピクニックの席まで
続きました。
ランス嬢の願いと、
友人たちの意図が一致し、
ダルトン氏は引き続き
ランス嬢のグループと
一緒にいることになりました。
ダルトン氏は何も言わずに
女性たちのグループに座っていました。
先ほどから彼は、
何か物思いに耽っているような
様子でした。
ランス嬢は彼の表情を読むために
注意深く彼を見たところ、
すぐに彼の視線が
ペンドルトン嬢に向いていることに
気づきました。
ランス嬢は、先ほど友達が
騒いでいた話を思い出しました。
きっと、あれが原因に
違いありませんでした。
ランス嬢はがっかりしながら
彼の表情をのぞき込みました。
彼の表情は深刻に見えました。
ランス嬢は、ダルトン氏が、
なぜ、そんな風にペンドルトン嬢を
見ているのかを知るために、
あれこれ考えを巡らせました。
彼がペンドルトン嬢と
親しい友人の間柄だとしても、
彼女の出生問題のために
このような表情をするのは
少し変でした。
軽い心配や好奇心ではなく、
彼の表情は、
本当に深く沈んでいたからでした。
ランス嬢は、もう少し深く考えた後
彼はペンドルトン嬢の出生に
欠点があることを知って、
今までの交際を嫌がっているという
答えを、すぐに見つけました。
ランス嬢は、
彼に少しがっかりしましたが、
すぐに考えを変えて
彼の味方につきました。
彼の家柄と血統を考えると、
確かに、気になることだろうと
思いました。
血統主義は、今でも普遍的な
イギリスの考え方でした。
彼女は、すぐに
彼に対する好感を取り戻し、
心を引き締めました。
もし彼がペンドルトン嬢との
交流を断つとしても、
彼に失望してはいけない。
彼は普遍的な価値観に従って
行動しているだけなのだからと
考えました。

食事が終わり、彼らはそれぞれ
テニス道具や日傘を持って
野原に出ました。
そして、それぞれ散歩をしたり、
ボールを打ち合ったりして、
平和な午後の時間を
満喫し始めました。
ランス嬢は、ダルトン氏と一緒に
散歩できるような雰囲気を作るために
苦心していましたが、
意外にもダルトン氏が先に、
一緒に散歩をしようと
誘ってきました。
ランス嬢は頬を赤らめながら
彼に付いて行きました。
2人が消えた後、3人の淑女が
どれほど大騒ぎしたかは
見なくても明らかでした。
ランス嬢とダルトン氏は
静かに湖畔を歩きました。
ランス嬢は、
彼の考え混んでいるような横顔を
ただ見つめていました。
すぐにダルトン氏は、
静かに彼女を呼ぶと、
1つ聞きたいことがあるけれど
答えてもらえるかどうか分からないと
言いました。
ランス嬢は彼の質問を予想し、
大丈夫だから、
聞いていいと答えました。
ダルトン氏は、
先ほどペンドルトン嬢について
話していた中で、
彼女の母親についての部分が
気になると話しました。
ランス嬢は黙って
地面ばかり見つめました。
躊躇う姿を見せなければ
分別がないように見える状況でした。
ダルトン氏は、
こんな質問をして本当に申し訳ない。
ランス嬢はペンドルトン嬢と
親交が深いと聞いている。
そんな、あなたに
ペンドルトン嬢の家族の話を
聞くこと自体、
耐えられない屈辱だろう。
しかし、自分は、
ロンドンで培われた
ペンドルトン嬢との友情を、
ランス嬢に劣らず大切にしている。
今後、続く付き合いのことを考えても
自分が知るべき問題だと思うと
話しました。
ダルトン氏の言葉にランス嬢は、
やはり彼はペンドルトン嬢との友情を
嫌がっていると思いました。
英国の上流社会では、
家柄と親の評判は、財産に劣らず
重要なことなので、
確かにそれも当然だと思いました。
もし彼女の生まれに傷があるなら、
そんな人と長い間交流して来たことが
不愉快なはず。
誰も彼を非難することは
できませんでした。
ランス嬢は、少し間を置いてから
話を始めました。
自分は、ただ周りの大人たちの話を
聞いただけなので、
詳しい話は知らない。
ペンドルトン嬢の母親は
ペンドルトン家の娘で
社交界の宝石のような人だった。
数多くの求婚者が列をなして
彼女の選択だけを待つほどだった。
ところが、彼女は17歳の時、
とんでもないことに、
忽然と行方をくらました。
その後、一度も社交界に
姿を現すことができなかった。
自分の家に肖像画を描きに来た
アメリカ出身の画家と
駆け落ちをしてしまったからと
話しました。
ランス嬢はダルトン氏の顔を
チラッと見ました。
彼の表情は硬くなっていました。
2人はきちんと結婚式も挙げずに
どこかに隠れて
一緒に暮らしていた。
彼女はローラ嬢を生んで亡くなった。
その画家は
アビゲイル・ペンドルトン夫人に
孫娘を預けて、
そのまま蒸発してしまったそうだ。
幼い娘を捨てて、
新たな人生を始めたのだろう。
結局、可哀そうなローラ嬢は
父親の姓を捨て、ペンドルトン家に
正式に入籍したと説明しました。
ランス嬢は、
このように話を続けながら、
ペンドルトン嬢の状況に対して
同情心を感じずには
いられませんでした。
きちんと生まれてさえいれば、
誰にも指を差されないほどの
高い地位で、
生きることができたはずなのに
親の過ちによって、母親の姓を名乗る
曖昧な貴族になってしまいました。
彼女の出生問題は、
彼女に持参金がないのと同じくらい、
結婚市場での
致命的な欠格事由でした。
ダルトン氏は、その話を聞いて
その場で立ち止まりました。
そして、しばらく遠くの川を
眺めました。
ランス嬢は、彼の顔を見ることが
できなかったので、
彼がどのような表情をしているか
分かりませんでした。
しかし、その気配から、彼の機嫌が
非常に悪くなったということが
分かりました。
ああ、やっぱりダルトン氏は
ペンドルトン嬢の生まれに
不快感を抱いているようだ。
ランス嬢は、突発的な同情心から、
可哀そうなペンドルトン嬢を
庇ってあげたい感情に駆られました。
彼女は、
ペンドルトン嬢は、人柄も家柄も
上流階級として全く遜色のない人だ。
彼女が、どんなに優しくて優雅な人か
知っているはず。
彼女は自分の出生の最大の犠牲者だ。
彼女に持参金がないのも、
すべて彼女の血統のせいだと
話しました。
そして、激昂した声で、
ペンドルトン嬢を入籍するのに、
彼女の叔父であるペンドルトン氏の
反対があまりにも激しく、
結局ペンドルトン夫人の全ての財産を
ペンドルトン氏の息子が
相続することを条件として
受け入れられたそうだ。
そのため、
ペンドルトン嬢の取り分となるお金は
一銭もなくなってしまった。
ペンドルトン嬢は、
アビゲイル夫人が亡くなったら
本当に行き場のない身の上だと
話を続けました。
それからランス嬢は震える声を整えて
だからペンドルトン嬢のことを
不快に思わないで欲しいと
頼みました。
ダルトン氏は彼女の言葉に振り向き、
ランス嬢を見つめると、
それは、どういうことかと
尋ねました。
ランス嬢は、
たとえペンドルトン嬢に
平民の血が混じっていたとしても、
彼女の内面を見て欲しいと
もう一度、泣いて訴えました。
ダルトン氏は
不思議そうに彼女を見た後、
すぐに「はは」と笑って
首を横に振りました。
そして、それは間違っている。
まさか、自分がその程度の問題で
彼女を見下すだろうか。
自分はただ、
ペンドルトン嬢に、
そんな事情があったということに
驚いただけだと言うと、
しばらく口をつぐんで、
再び川の方を見つめました。
そして独り言のように、
だから、いつも、あのように・・
と呟きました。
2人は黙って川を見つめました。
ランス嬢は、ダルトン氏が本当に
ペンドルトン嬢のことを、
気まずく思っていないとは
思いませんでした。
彼も、堂々と率直に話すのは
気まずいだろうから、
言い繕っているのだと思いました。
そうでなければ、
ペンドルトン嬢の出生のために、
これほど
深刻になる理由はないはずだと
思いました。
ランス嬢は、
彼の複雑になった表情から、
良心と戦っている彼の内面が
表れていると考えました。
これまで続いてきた友情と
彼女の血統に対する
気まずさの狭間で
正しい方向を保とうと
努力しているのだと思いました。
ランス嬢は、
彼の心が高潔さを守るために
戦っていることに、
大きな同質感を覚えました。
彼女自身も
ペンドルトン嬢を見る度に、
彼女の血統から感じる
不快感を隠すために、
非常に努力してきたからでした。
しばらくして、ダルトン氏は
考えるのを止めると、ランス嬢に、
もう人々がいる所へ帰ろうと
言いました。
彼らは振り向いて、ゆっくりと
人々が楽しんでいる方へ
歩いて行きました。
ダルトン氏は、
ランス嬢が心の優しい人だと、
ペンドルトン嬢が
たくさん褒めていた。
自分は、
今日ペンドルトン嬢の評価が
どれほど信頼できるかを知ったと
話しました。
ランス嬢は、
顔を赤らめて微笑みながら
そんなことを言わないで欲しいと
頼みました。
そして、ダルトン氏は、
ペンドルトン嬢に、
良い友達がたくさんいて
安心したと言いました。
ランス嬢は彼の言葉に
とても気分が良くなりました。
美しいとか優雅とか
ありふれた褒め言葉より
ずっと気分が良いし、
善行に対する代価として、
彼の承認まで得ることができました。
彼女は自分の良心に誇りを感じ
可哀想なペンドルトン嬢を
庇ってあげたのは、
結局、正しいことだったと
噛み締めながら、
今日のことを教訓にすると
心に決めるました。
彼らが人々の群れに近づくと、
野原でテニスをしていた友人たちが
ランス嬢に
合流するよう勧めました。
ランス嬢は、もう少し
ダルトン氏と一緒にいたくて
彼を見上げましたが、彼は
「楽しい時間を過ごして」という
言葉だけを残して、
捕まえる間もなく、どこかへ
歩いて行きました。
ランス嬢は、
少し寂しい気持ちがしましたが、
それでも、先程の散歩で
満足することにして、
友人から渡されたラケットを
受け取りました。

![]()
凖男爵は世襲できる称号ですが
身分は貴族ではなく平民で、
国の財政破綻を防ぐために
王が準男爵という称号を
売りに出したとのことです。
だから、ランス嬢は
貴族ではなく平民なので、
ペンドルトン嬢に、半分平民の血が
流れているなんて言える
立場ではないのです。
でも、ダルトン氏は、ランス嬢が、
ペンドルトン嬢に同情していると
見せかけて、
彼女を蔑んでいることを
しっかり見抜いて、
皮肉まで言ってくれたので、
少し、スッキリしました。
それに気づかず喜んでいるランス嬢は
幸せなお嬢さんだと思います。