
39話 ランス嬢は甘い夢にだけ浸って過ごしています。
決して、挫折するはずのない
感情のために、胸を痛める人など
どこにいるだろうか。
彼女のどうしようもない信念には
自分の美しさを過信する虚栄心も
あったけれど、全く根拠のない
妄想ではありませんでした。
ダルトン氏が、
社交にあまり興味がないことは
ジャネット嬢との交流で
分かったことでした。
そんな彼が、
賑やかなロンドンに戻って来たのは
きっと、何らかの目的があるからに
違いありませんでした。
彼女は、それが
自分と関係があると思いました。
なぜなら、イアン・ダルトンは
ロンドンに帰って来てからずっと
自分のお茶会に
出入りし始めたからでした。
イアンはロンドンに到着して以来、
毎日ではないけれど、かなり頻繁に
フェアファクス嬢と一緒に
ランス嬢のお茶会にやって来ました。
そして主催者のランス嬢と、
彼女のお茶会の主なメンバーである
スーザン・ドノバン嬢、
ビクトリア・ウィルクス嬢、
デイジー・オーソン嬢と
気兼ねなく交流しました。
淑女たちは、
今まで一度も、これといった
付き合いをしたことのない
ダルトン氏が、
頻繁にお茶会に登場すると
当惑しましたが、すぐに
彼の非の打ち所のない礼儀と
紳士らしい優しさに魅了され、
喜んで彼を迎えました。
彼はすべての淑女に
礼儀正しかったけれど、
特にランス嬢に優しくしていました。
イアン本人は知る由もないけれど、
そのせいで、
ランス嬢とその友人たちは、
彼がランス嬢に好意を抱いていると
推測しました。
突然ロンドンに再び現れた
イアン・ダルトンが
ランス嬢を頻繁に訪ねることは、
その推測を確信にするのに
十分なことでした。
もちろん、ランス嬢への彼の親切は、
社交界で紳士が淑女に施すマナーを
超えることは一度もありませんでした。
彼の親切は常識的で一般的でした。
しかし、彼女たちは、
すでにダルトン氏の真意を
しっかり誤解していたので、
彼のすべての行動が
ランスさんへの愛情に見えるのは、
おそらく当然のことでした。
お茶会でダルトン氏が早々と席を立ち
4人の淑女だけが残った応接室で、
ビクトリア・ウィルクス嬢は、
先ほど、ダルトン氏が、
「私は全面的にあなたに同意します」
と言ったのを聞いた?それも3回もと、
激昂した声で叫びました。
ランス嬢はビクトリアに、
それを全て数えていたのかと
照れくさそうに尋ねました。
ビクトリアは、
それが問題なの?
あの方はあなたの言葉に
全面的に同意すると
言ったではないかと答えました。
ランス嬢はビクトリアに、
それは一体どういう意味なのか。
ただ、そのように
言っただけではないかと尋ねました。
ビクトリアは、
言葉自体には
何の意味もないかもしれないけれど
あの口調と、あの表情と仕草を
思い出してみて。あの方が、
「私の心は完全にあなたのものだ」と
訴えていたのを感じなかったのかと
尋ねました。
ドーラ・ランスは
何も言いませんでしたが、彼女の顔は
ザクロの実と同じくらい
赤くなっていました。
ランス嬢の反応に、
他の3人の女性の心もくすぐられ、
胸がいっぱいになりました。
彼女たちは、自分たちの完璧な友人を
崇拝に近いほど愛していました。
だから、彼女が、
あれほど素敵な紳士の心を
奪ったことで、
まるで自分が、あのような紳士に
愛されているかのように、
胸がいっぱいになりました。
あの方は恋に落ちた。
そうでなければ、こんなに頻繁に
お茶会に来るはずがない。
自分が見てもそうだ。
もしかしたら、もうすぐ、
あの方がドーラに
プロポーズするかもしれない。
3人の淑女たちは、そう言うと
一斉に「キャー!」と
歓声を上げました。
ランス嬢は、友達が
あまりにも行き過ぎていると思い、
止めようとしましたが、
友達が語る可能性に満足するあまり
止める言葉に力が入りませんでした。
実際、止めるどころか
むしろ煽るレベルでした。
否定しているようで肯定し、
首を横に振りながらも
恥ずかしそうに目を伏せて黙り込む。
その態度は、友達の目に
数多くの暗示を含んでいるように
映りました。
イアン・ダルトンと
ドーラ・ランスの間に、ある種の合図が
取り交わされているという
ヒントを与えているようでした。
ドーラが、
ダルトン氏のような人の妻になったら
きっと子供たちも、
とても可愛いだろう。
可愛いだけだろうか?
ほとんど天使みたいだろう。
子供たちの名前は何にするつもり?
ランス嬢は、
困った笑みを浮かべようとしましたが
出てくるのは
期待に満ちた笑みだけでした。
友達は、赤くなったランスさんの顔を
扇いでやりながら、
ケラケラ笑いました。
そして、
何をそんなに笑っているの?
自分たちを
ブライズメイドにしてくれるわよね?
と尋ねると、
ランス嬢は首を横に振りながら、
そんなことを言わないで欲しい。
まだ何も決まっていないし、
自分はダルトン氏の気持ちさえ
分からないと答えました。
しかし、
そこに集まった淑女たちの中で
ランス嬢の言葉を信じる者たちは
誰もいませんでした。
しかも、その言葉を口にした
ランス嬢さえも。
ドーラが分からないと言うのに、
当事者でない自分たちが
どうして分かるのかと、ウィルクス嬢が
他の友達を見ながら話すと、
残りの淑女たちは
厚かましい笑みを隠しながら肯き、
でも、もし結婚式を挙げるなら、
是非、ホワイトフィールドで
挙げなければならない。
そうすれば、自分たちが招待客であれ、
ブライズメイドであれ、
ホワイトフィールドホールを
見物することができる。 分かった?
と頼みました。
ランス嬢は遅ればせながら
慎重に行動しなければならないと思い
口をつぐみました。
当事者が手を引くと、
3人の淑女たちは、これ以上、
身の程知らずな振る舞いをする力を
失いました。
彼女たちの話題は
ホワイトフィールドへ移りました。
そういえば、
ホワイトフィールド・ホールは
名声は高いけれど、一枚の絵もない。
そんなに古い邸宅なら、あちこちに
絵が広まっていそうなのに。
それを聞いた、ヨークシャー出身の
スーザン・ドノバン嬢は
先代のダルトン氏の時代から
なるべく外部に、家紋や邸宅の格を
表に出さないという伝統が
受け継がれて来たそうだ。
静かで牧歌的な生活こそが
ダルトン家の伝統なのだそうだ。
それで、ダルトン氏は、
観光客にも邸宅を公開してしないと
聞いている。
邸宅は、まさしく家庭なので、他人に
公開してはいけないのだそうだと
知ったかぶりをしました。
だから旅行のガイドブックにも
ホワイトフィールドホールだけが
抜けていたのですねと、
ウィルクス嬢は、ため息をつきました。
ところが、そばにいた
デイジー・オーソン嬢は、
手のひらをポンと叩いて、
ホワイトフィールドホールの
絵を見た人がいると叫びました。
3人の女性の視線が
オーソン嬢に注がれました。
どの画廊にあるのかと聞かれると、
オーソン嬢は、
ペンドルトン家のタウンハウスの
応接室に、と答えました、
「何ですって?」
3人の淑女の目が丸くなりました。
ペンドルトン家の応接室で
お茶会をした時、自分の友達の一人が
そこに掛けられている風景画を
見たそうだ。
ペンドルトン嬢に、
その絵は何なのかと尋ねたら、
ホワイトフィールドの絵だと
答えたそうだと、話しました。
どうやって、ペンドルトン家は
ホワイトフィールドの絵を
手に入れたのかと聞かれた
ウィルクスさんが首を傾げると、
隣にいたランス嬢は、
以前、ダルトン氏は、
よくペンドルトン家に
出入りしていたではないか。
その時、
ダルトン氏が描いてくれたのだろうと
自分の推測を述べました。
その言葉に、
他の淑女たちは一斉に驚きました。
そして、
外部に絶対に公開しない
ホワイトフィールドホールの絵まで
渡すほど、イアン・ダルトン氏と
ペンドルトン家の人は
そんなに親しくなったのかと聞かれると
オーソン嬢は、
ペンドルトン嬢がダルトン氏を、
一生懸命、口説いたのだろう。
そんな希少な絵が一枚掛かっていれば
とにかく有名になるのに
役に立つでしょう?と答えて
肩をすくめました。
その後、淑女たちはオーソン嬢に
絵について質問し続けましたが、
オーソン嬢は、ただ絵の存在について
聞いただけだったので、
彼らの疑問を解くことは
できませんでした。
淑女たちは
疑問が全く解消されないという
とても、じれったい状態で
お茶会を終わらせてしまいました。
友達が去って
一人残されたランス嬢は、
応接室の一角に置かれた
ハープの前に座り、
繊細に弦を弾き始めました。
彼女は楽譜を目で追いかけ、
こまめに指を、
あるべき位置に移動させ、
力を込めて弦を弾きました。
しかし、彼女の心は
音楽に集中できず、
別の方向へ向きました。
ダルトン夫人。
ホワイトフィールドでの
ホワイトフィールドホールの女主人。
ダルトンの姓を受け継いだ
自分とイアン・ダルトンの顔に
そっくりな子供たちの姿。
先ほどお茶会で食べた
クリームケーキよりも甘い
想像でした。
彼女は幸せな気分に浮かれ、
楽しい想像を存分に味わいました。
この数日間、
彼が描いてくれた絵が、ランス嬢を
しきりにフェアファクス家の応接室に
送ってくれたとすれば、
今日のお茶会は、彼女をしきりに
ホワイトフィールドの豪邸へ
送ってくれました。
ランス嬢は
楽譜をめくる気配もなく、
1ページを繰り返し弾きながら、
彼との美しい未来、
将来、ホワイトフィールドで始まる
新しい生活について想像しました。
彼女にとって、
もはやダルトン氏との未来は、
ほんの少しだけ浸って
出てこなければならないような
妄想や虚しい望みではなく、
明日、すぐに彼女の食卓に上る
白いパン一塊のように、
当然のように、
彼女の前に置かれる未来と
なっていました、
彼女自身も知らないうちに、
希望と現実を区別できない友人たちに
流されて
分別力を失ってしまったのでした。

ペンドルトン嬢はしばらくの間、
目が回るほど忙しくしていました。
伯父がアメリカから来る前に
彼女のすべきことが
山ほどありました。
ペンドルトン嬢は数日間、
新しい客への心配に追われ、
ロンドンに
イアン・ダルトンが帰って来たという
ニュースは、
全く知らずに暮らしていました。
しかし、彼女はイアン・ダルトンを
忘れたわけではありませんでした。
どんなに忙しくても、
応接室に出入りする時は、
いつも壁に掛かっている
ホワイトフィールドの絵に
目を向けていました。
筆遣い一つ無駄のない、
真心の込もった
ホワイトフィールドの風景画。
彼の手によって、
眩いほど美しく描かれた
ホワイトフィールドを見る度に、
彼女は胸が微かに痛むのを感じました。
彼が去ってから
1ヶ月も経っていないのに、
数ヶ月は過ぎたような気がしました。
彼女は、
彼の黒い瞳と繊細な顔に込められた
温かい表情を思い出し、
自分の拒絶のせいで、
プレゼントだけ渡して
去らなければならなかった彼を
思うと、心が痛みました。
しかし、彼女は、
そんな考えが浮かぶ度に、
すぐに振り払いました。
それが自分と彼にとって、
最善のことだからでした。
温かい5月の春。
ペンドルトン家のタウンハウスの前に
ペンドルトン家の紋章が刻まれた
煌びやかな、一台の四輪馬車が
停まりました。
時間に合わせて、使用人たちと並んで
邸宅の前に立っていた
ペンドルトン嬢は、
使用人が開けた馬車のドアの中で
踏み台を踏んで降りて来る
ピカピカの顔の若い男を
見ることができました。
今まで、一度も会ったことのない
男でしたが、
派手な服装で角張った顔立ちから、
彼女は、すぐに彼が
ペンドルトン家の次男
チャールズ・ペンドルトンだと
いうことが分かりました。
若い頃の伯父にそっくりなので
ペンドルトン嬢は、彼の顔を見ると
さらに緊張しました。
チャールズは伯父に酷似しているので
彼を見るや否や、幼い頃、
シガレットケースを投げつけられ、
暖炉のそばから追い出した伯父の姿が
時間の帳を突き破り
頭の中に鮮明に蘇りました。

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ホワイトフィールドの邸宅は
家庭だから、
他人に公開してはいけない。
けれども、その絵を
ローラにプレゼントしたのは
イアンがローラを自分の家族にすると
決めているからなのでしょう。
4人の淑女のうちの1人でも、
イアンがローラに対して、
特別な感情を抱いていることに
気づければ良かったのにと思います。
結婚適齢期を過ぎて
持参金のないローラは、
イアンに相手にされるはずがないと
彼女たちは思い込んでいるので、
イアンがローラに恋しているなんて
夢にも思わないのでしょう。
ローラもイアンのことを
恋しがっていることが、
少しでもイアンに伝わっていれば
ランス嬢のお茶会に
行くこともなかったのにと思います。