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104話 サンドリンがアルデンにやって来ました。
オデットは、
優れた審美眼を持っている。
客用の応接室を探索した
サンドリンの顔の上に
満足な笑みが浮かびました。
クリーム色を基調にして
整えられた空間は、
全体的に華やかで
落ち着いた雰囲気を
醸し出していました。
ややもすると、
野暮ったく見えるかもしれない
古典風の家具をセンス良く配置した
感覚が印象的でした。
田園風景画とフェリアの装飾品を
揃えているのを見ると、記憶力も
とても優れているように見えました。
女主人の到着を知らせる
メイドの声が、
深まりつつあった静寂を破りました。
「そうですか」と返事をして
にっこり笑ったサンドリンは
再びソファーに戻って座りました。
応接テーブルには、
客のための茶菓子が
用意されていました。
金箔を施した豪華な陶磁器は、
完全にサンドリンの好みに
合っていました。
これなら、
あえて前妻の痕跡を消すために
苦労する必要はなさそうでした。
サンドリンは、
程よく冷めたお茶を飲みながら
窓の向こうの海を眺めました。
今日は、
ラビエル公爵家の令嬢として
クラウヴィッツ夫人を訪ねました。
身分の低い将校の妻を
あえて、出迎える理由は
ありませんでした。
あれほど礼法と格式に精通した
オデット嬢が、
まさか、それを知らないはずが
ありませんでした。
「もう行きなさい」
サンドリンは断固たる命令で
自分の意思を伝えました。
顔色を窺っていたメイドは、
これといった言葉を口にすることなく
静かに引き下がりました。
使用人の教育が行き届いている点も
高い点数を与えるに値しました。
サンドリンは
ゆっくりとお茶を飲みながら
オデットを待ちました。
これが愚かな賭けであることは
知っていましたが、それでも喜んで
冒険してみることにしました。
いつまでも、当てもなく
待ち続けるわけにはいかないので。
バスティアンとの関係は
依然として足踏み状態でした。
必要な分だけ丁寧で親切でしたが、
それ以上はありませんでした。
サンドリンが離婚に成功した後も
同じだったし、むしろ以前より
疎遠になったような気もしました。
ラビエル家との関係も同じだという点が
サンドリンの不安を
さらに増幅させました。
何かが、おかしな方向へ進んでいる。
明確な根拠を
提示することはできませんでしたが、
確かにそうでした。
もっと大きな利益をもたらす
他の花嫁候補でも
見つけたのでなければ、
残された理由はただ一つ、
あの女だけでした。
まさか、このまま
居座ってしまおうという魂胆でも
あるのだろうか?
サンドリンの不安が
高まっていくうちに、
廊下を歩く人の気配が
だんだん近づいて来ました。
そして、しばらくして、
オデットが姿を現しました。
「オデット、お久しぶりです。」
サンドリンは、
長年の友人でもあるかのように
親しみのある態度で
オデットを迎えました。
「こんにちは、ラビエル嬢」
オデットは、それほど驚いたり、
慌てた様子もなく挨拶をしました。
上辺を飾る才能だけは、
誰にも負けない女でした。
応接室を横切って来たオデットは
サンドリンの向かいの席に
静かに座りました。
豪華なドレスと
宝石で飾られた姿のどこにも
父を亡くした娘の悲しみの痕跡を
見つけることはできませんでした。
サンドリンは、
もう邸宅の内装工事まで
全て完了したと聞いた。
完璧なクラウヴィッツ邸の
初めての客として招待される光栄に
浴させてくれてありがとうと
とぼけた嘘で、
会話の口火を切りました。
「招待と言いましたか?」と聞き返す
オデットの目が細くなりました。
サンドリンは、
まさか自分を招待したという事実を
忘れたなんてことはないですよね。
それなら本当に残念に思うと答えると
驚いた表情で
空のティーカップを置きました。
そして、
慰めがてら、一度立ち寄りたいと
連絡をしたら、
今週末に訪問して欲しいと
言ったではないか。
何日か泊まって、
話し相手になって欲しいと言ったと
主張しました。
話し相手。
オデットは、
じっと、その言葉を繰り返しながら
両手を組みました。
もしかしたら、
サンドリンの電話がかかってきた
あの深夜に交わされた
約束なのかもしれないという考えが
ふと脳裏をよぎりました。
恋人の名前を呼んでいた
バスティアンの声には、
優しい温かさが染み込んでいました。
離婚前に、
このような形で密会をするのは
彼らしくない選択でしたが、
だからといって、
安易に決めつけるのは困難でした。
自分はあの男を知らない。
完璧な他人になって帰って来た
バスティアンが
気づかせてくれた真実を噛み締めると
心が一層謙虚になりました。
待機中のメイドを
チラッと見たサンドリンは、
確かにそうだったのに、違うのかと
声を上げて返事を催促しました。
海を越えて来た遅い午後の日差しが
応接間室を染めました。
権力の座を取り戻しに来た
女王のように堂々としている
夫の恋人を、オデットは
しばらくじっと見つめました。

グラスを空にしたバスティアンは
葬式に来てくれたことに
お礼を言いました。
競馬とポロについて話していた時と
あまり変わらない口調でした。
バスティアンが、
あの日は余裕がなかったので
挨拶をする時間もなかったと言うと
ジェンダス伯爵は、
とんでもない。
当然すべきことをしただけだと
返事をしました。
バスティアンは、
ディセン公爵の評判を考えれば
容易な決断ではなかっただろう。
ジェンダス卿のように
名望の高い人にとっては
なおさらだと言いました。
酒に濡れた彼の唇が
柔らかく曲がりました。
ジェンダス伯爵は、
世間の目などはあまり気にしない。
根も葉もない評判が、
悲しみに沈んでいる友達より
重要であるはずがないと
返事をしました。
バスティアンは、
そう思ってもらえると幸いだ。
妻にジェンダス卿のように
良い友達がいて嬉しいと言うと
にっこり笑いながら頷きました。
この状況を、心の底では
不快に思っていたマクシミンが
恥じ入るほど、爽やかな態度でした。
空のグラスを満たしに来た
ウェイターを制すると、
バスティアンは、椅子の背もたれに
ゆったりと、体をもたせかけました。
制服を着ていなくても、
彼からは、軍人特有の雰囲気が
色濃く滲み出ていました。
ゆったりとした姿勢と社交的な微笑も
その鋭さを
消すことができませんでした。
ただの月並みな挨拶に
過ぎないということを知りながらも
マクシミンは容易に、
警戒心を解くことができませんでした。
自分でも理解できないほど
過敏な反応でした。
決して品位のある友情の範疇から
外れていない
オデットとの関係を考えると、
なおさらそうでした。
マクシミンは、
クラウヴィッツ夫人は元気かという
適切な質問で、
重苦しい雰囲気を払い退けました。
バスティアンは、
ひどい風邪を引いた。
体が、かなり弱っていたようだと
答えました。
悲しい知らせを伝える
バスティアンの声は、一見、
事務的に感じられるほど
そっけないものでした。
氷が溶けていくグラスを、
じっと見つめている目も同様でした。
愛妻家という世間の評価とは
相容れない姿でした。
バスティアンは、
オデットの健康が回復したら、
ジェンダス卿に正式にお礼をする場を
設けるつもりだ。
これまで、
妻の面倒をよく見てくれたことへの
恩返しでもあるので、
どうか断らないで欲しいと言いました。
再び彼に向き合った
バスティアンの顔には、
描いたように滑らかな笑みが
浮かんでいました。
マクシミンが躊躇している間に、
正時を知らせる鐘の音が
鳴り響きました。
腕時計を確認したバスティアンは、
申し訳ないけれど、
次の予定があるので
先に失礼すると、了解を求めました。
マクシミンは淡々と肯き、
「大丈夫です。 お先にどうぞ」と
返事をしました。
テーブルの上に伸びて来た
遅い午後の日差しが
眼鏡を外そうとする痩せた手を
照らしました。
バスティアンは、
「それでは、近いうちに、
またお会いしましょう」と
丁重な挨拶を残して背を向けました。
大股でバーを横切って行く
足取りのどこにも、
少なからず飲んだ酒の痕跡を
見つけることは困難でした。
きちんと折りたたんだ眼鏡を
本棚の上に置いたマクシミンは、
日差しが降り注ぐ窓の方へ
ゆっくりと顔を向けました。
喪服を着たまま清らかに笑っていた
オデットの記憶が
眩しい風景の中で蘇りました。
眠っているアルマを
胸に抱いていたせいなのか。
オデットの顔の上に、
ふと亡き妻が重なって見えました。
儚い錯覚に過ぎないということを
知りながらも
目を離すことができませんでした。
悲しくて甘美でした。
オデットの夫が現れたのは、
かつてない見知らぬ感情の正体を
自覚したのと、ほぼ同時でした。
静かに閉じていた目を開けた
マクシミンは、
再び眼鏡をかけて本を開きました。
ページをめくるにつれて、
無意味な雑念が
次第に薄れていきました。
最期のページを閉じる頃には、
いつもと変わらない気持ちで
オデットを思い浮かべることが
できるようになりました。
マクシミンは、
彼女が幸せであることを願いました。
今まで、そうだったように、
これからも、そうなるはずでした。

夕方の薄暗い道の向こうから
ヘッドライトの光が広がって来ました。
オデットは静かな足取りで
玄関の大理石の階段を降りました。
喜びで、顔が上気したサンドリンと
一緒でした。
サンドリンは、
バスティアンの帰りが遅くなくて
本当に良かったと言うと、
笑顔でオデットと腕を組みました。
形式的な微笑みで
返事を代わりにしたオデットは、
ますます近づいて来る車の方へ
視線を移しました。
バスティアンが帰って来てから、
いつの間にか、半月近く経ちましたが
彼らの日常に、
劇的な変化はありませんでした。
オデットが妻の役割に忠実であるように
バスティアンも、
夫の義務を果たしました。
もう同じベッドを
使わないという点を除けば、
全てが、以前と同じだと言っても
過言ではありませんでした。
嵐の前の静けさのような日々でした。
むしろ良かったと、
オデットはもう一度、
気を引き締めました。
徐々に息を詰まらせていく
危険な平穏に、オデットは
もう耐えられませんでした。
彼女が望むのは、
ただ、この結婚の終わりだけ。
もう、その嵐の中に入るだけでした。
オデットが表情を整えている間に、
徐々にスピードを落としていた
車が止まりました。
待機していた侍従が
後部座席のドアを開けたのと同時に、
サンドリンは、本当に久しぶりだと
親しげに挨拶をしました。
車から降りたバスティアンは
ゆっくり歩き出して、
騒ぎの根源地と向き合いました。
オデット。 そしてサンドリン。
まるで無二の親友のような様子でいる
2人の女を見つけたバスティアンの目が
細くなりました。
すでに酔いが覚めて久しい酒に
また酔ったような気がする光景でした。
サンドリンは、
今日は友人の悲しみを慰めるために
クラウヴィッツ夫人の招待を受けて
訪問した。そうでしょう?と
平気で嘘をつきました。
オデットは、
ラビエル嬢と週末を一緒に過ごすことを
約束した。
前もって知らせられなくて
申し訳ないと、調子を合わせました。
友達、友達、友達。
あちこちで多彩に活用されている
その単語が
バスティアンを笑わせました。
彼は、
奥様は立派なお友達を
たくさんお持ちのようだと、
感銘深い友情への賛辞を送りました
バスティアンは、
期待に満ちた眼差しを向けている
サンドリンの方へ視線を移し、
「ようこそ、ラビエル嬢」と
挨拶をすると、
この上なく優雅で丁重な身振りで
サンドリンに
エスコートを求めました。
彼女は、
満足そうな笑みを浮かべながら
バスティアンが差し出した手を
握りました。
素直に夫を譲ったオデットは、
一歩退いた所で、
その光景を見守っていました。
職務を遂行している使用人たちと
大きく変わらない姿でした。
あの女の目的は
本当にお金だけなのだろうか?
答えの出ない疑問に
考えを巡らしている間に、
バスティアンが
最初の一歩を踏み出しました。
慌てて表情を変えると、
サンドリンは彼と一緒に、
玄関ホールに続く階段を上りました。
オデットは、影のように
静かに彼らの後を追いました。
自分の立場を明確に理解している
処世術と見なしても
無理がなさそうでした。
もう余計な心配を消した
サンドリンは、
抑えきれない喜びに満ちた
眼差しの中に恋人を映しました。
さらに剛健で美しい男になって
帰って来ました。
これまでの忍耐が報われるだけの
十分な贈り物でした。
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バスティアンは、
ジェンダス伯爵が
葬儀に参列してくれたことに
表面上はお礼を言いながら、
オデットが自分の妻だと
しっかりアピールすることで
彼を牽制しているように思いました。
そして、オデットの前で
サンドリンと仲良さそうに振舞うのは
もしかして、
嫉妬させたいという気持ちが
あるのではないかと思いました。
サンドリンが最後に
バスティアンに会ったのが、
オデットが
書類を盗み出した日であれば、
当時、バスティアンはオデットを
トロサへ連れて行くかどうか
迷っていた時なので、
サンドリンが不安を覚えるような
態度を取っていたかもしれません。
けれども、今、バスティアンは
オデットに裏切られたせいで
初めの計画通りにしようと
考えているところです。
サンドリンは
すぐにでもバスティアンと
結婚したくて、アルデンに
乗り込んで来たのでしょうけれど
バスティアンは、
サンドリンの性急な行動に、
心の中で舌打ちしていそうな
気がします。
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