
67話 アンからローラに起こったことを聞いたイアンに、フェアファクス氏は、ローラが中にいるのかと尋ねました。
追い出されたと、イアンは
吐き捨てるように答えました。
フェアファクス氏が
「えっ?」と聞き返すと、イアンは
ペンドルトン家から追い出されたと
答えました。
フェアファクス氏は、
呆気にとられた顔で彼を見ました。
フェアファクス氏は、
追い出されたって、
どういうことなのか。
12年間、アビゲイル夫人の
世話をしてきたペンドルトン嬢が
追い出されたって、
そんな馬鹿な話があるのかと
尋ねました。
イアンは、
あり得ないことだ。ところが、
あの忌まわしいペンドルトン家の当主
ジェラルド・ペンドルトンが、
その、あり得ないことをした。
自分の姪を、
父親ほどの年齢の年寄りに
売り飛ばそうとしただけではなく
プロポーズを受け入れろと強要し
手に、どす黒い痣ができるまで
踏みにじり、
さらに遺言状まで偽造して
ペンドルトン嬢を無一文にして
追い出した。あのろくでなしめ!
と、歯ぎしりしながら叫びました。
フェアファクス氏は、イアンの表情が
まるで野獣のように変わったのを
見ました。
フェアファクス氏は、
とりあえず落ち着くようにと
イアンをなだめました。
そして、
まずはペンドルトン嬢から探そう。
そのメイドは、
ペンドルトン嬢がどこに行ったか
知っているのかと尋ねました。
イアンは首を横に振りました。
フェアファクス氏は、
ペンドルトン嬢のことが心配で
気が気ではありませんでした。
フェアファクス氏は、
友人の家にでも行ったのだろうかと
呟きました。
イアンは、
きっと彼女は、
誰も知らない所に隠れているはず。
人に迷惑をかけるようなことは
死んでもしない
原則主義のお嬢さんだから。
おそらく、今の自分の境遇も
黙って受け入れているのだろう。
畜生。どこから探せばいいのかと
ぼやきました。
イアンは本屋を通り過ぎる頃、
馬車を止めさせました。
彼は本屋の中に入ると、
ロンドン旅行のパンフレットを
一冊持って、出て来ました。
馬車に乗る代わりに、
大股で歩いて行くイアンを見た
フェアファクス氏は、
すぐに馬車から降りると、イアンに
まずは宿泊施設から
探すつもりなのかと尋ねました。
イアンは黙っていました。
フェアファクス氏は、
自分と一緒にやろう。
百か所以上はあるはずなのに
どうして1人で全部探そうとするのかと
尋ねました。
イアンは、
お前は別にすることがある。
アビゲイル夫人の遺言執行者と
弁護士を探して、
自分が聞いたことが事実なのか
突き止めろと命令しました。
フェアファクス氏は、
自分の馬車に乗って行くよう
勧めましたが、
イアンは彼の言葉を無視して、
そのまま、通りかかった貸切馬車に
乗り込んで消えてしまいました。

フェアファクス氏は、そのまま家に戻り
仕事で知り合った様々な人脈を動員して
アビゲイル夫人の弁護士と遺言執行者を
追跡しました。
昔から、アビゲイル夫人は、
いつも事を密かに処理していたので
容易なことではありませんでした。
しかし、ついに、
ロイデン弁護士事務所の
リチャード・ロイデン氏と
アビゲイル夫人の親友で
一時、準男爵だったけれど、
誤った投資で没落した
ポール・ネイズ氏を見つけ出しました。
フェアファクス氏は、
彼らの資金事情が非常に悪かったことを
知りました。
ロイデン氏は、
表向きは、まともな弁護士でしたが
ここ1年余り、
ギャンブル依存症に陥っており、
ネイズ氏は、3年前に家門が没落し、
妻子と一緒に商業地区に住み、
低俗な新聞に掲載される
社交界の裏話やでたらめな小説など、
手当たり次第、
あらゆる文章を書いて売りながら
かろうじて生計を立てていました。
フェアファクス氏は、
最近、彼らの資金事情に
変化がなかったかを調べるために
紳士たちの社交クラブに
出入りしながら
情報を収集しました。
その間、イアンは、
ほとんど朝から晩まで
ペンドルトン嬢を探しに、
あらゆる所を歩き回りました。
彼は夜明けに出かけて、
夜12時を過ぎてから戻って来て、
時には、全く戻れない生活を
送っていました。
ところが、数日が経ったある午後、
突然、イアンが
フェアファクス氏の事務所に入って来て
ハイド嬢は、
今、どこに住んでいるのかと
いきなり怒鳴りました。
「えっ?」と聞き返す
フェアファクス氏に、イアンは、
どこに住んでいるのかと
もう一度、怒鳴りました。
フェアファクス氏は、
フリート通りの近くの
女性用の下宿だと答えた後、
なぜ、それを聞くのかと尋ねました。
イアンはしばらく考えた後、
ハイド嬢が勤務している
出版社の名前を尋ねました。
ハイド嬢の近況について
しきりに聞くイアンを
訝しく思ったフェアファクス氏は、
まず、その理由から話すよう
要求しました。
イアンは、
ペンドルトン嬢を見つけた。
とんでもないほど粗末なホテルで
1人で過ごしていた。
一緒に暮らしてもらうよう
ハイド嬢に頼むので、早く言えと
急かしました。
フェアファクス氏は、
すぐにイアンに、
ハイド嬢のいる出版社を教えました。
彼は風のように、
再び事務所を飛び出しました。
その後、起こったことは、
先ほどハイド嬢と散歩しながら
聞きました。
ハイド嬢を訪ねたイアンは、彼女に
ペンドルトン嬢の事情について話すと
彼女を下宿に連れて行って、
一緒に生活して欲しいと、
とても丁寧にハイド嬢に
頼んだとのこと。
ハイド嬢は、その出来事を通じて、
ダルトン氏がペンドルトン嬢に
気があることに
気づいてしまいました。
こうして、一連の過程を経て
ペンドルトン嬢を見つけ出したイアンは
とうとう、ありもしない
家庭教師の職をでっち上げ、
彼女をイアンの姉の領地へ
連れて行くことに成功したのでした。
フェアファクス氏は、
ペンドルトン嬢のことは、
まあ良しとして、
ジェラルド・ペンドルトンの件は
どう始末をつけるのか。
弁護士とその公証人はどうするのかと
執念深い友人のイアンに尋ねました。
ロイデン弁護士とネイズ氏に、
突然、大金が転がり込んだ状況は
明らかでした。
ネイズ氏は、はるかに良い家に引っ越し
ロイデン氏は、
借金によって差し押さえられていた
馬車と家を取り戻しました。
しかし、そのお金が
ジェラルド・ペンドルトンから
来たという証拠は?
2人の資金の出所を
さらに綿密に調査するつもりだ。
そして、それが、
ペンドルトン嬢の正当な取り分を
奪うことに協力した代価として
得た金なら、自分は
彼らに罪の償いをさせると
イアンは答えました。
フェアファクス氏は、
どうやって?裁判にかけるのかと
尋ねました。
イアンは、
自分がペンドルトン嬢のことに
深く介入することを
彼女は望んでいないので、
自分は表立っては動かないと
答えました。
フェアファクス氏が
「それでは?」と尋ねると、
イアンは、
法曹界や出版界を含め、彼らが
どこでも生計を立てることが
できないようにする。
わずかな金に惑わされて、
1人の女性の正当な権利を
奪ったのだから、彼らも
自分の行く手が阻まれる経験を
知るべきだと答えました。
フェアファクス氏は頷きました。
殺伐とした計画でしたが、
彼は安堵しました。
イアンが彼らを銃で撃たなかっただけ
良かったと思ったからでした。
2人は刑務所に行ってもおかしくない
犯罪を犯したので、
その程度の代償は慈悲深いものでした。
フェアファクス氏は、
より深刻な
ジェラルド・ペンドルトンの
処遇について尋ねました。
イアンは黙っていました。
フェアファクス氏はイアンの表情から
考えを読み取ることが
できませんでした。
フェアファクス氏は不安になりました。
イアンは、気分を逆なでされることに
我慢ができない、
筋金入りの神経質でしたが、
本当に怒った時は、
あのように無表情でした。
彼は、つま先から頭のてっぺんまで
怒っていました。
フェアファクス氏は、
命を奪うつもりはないだろう?
と尋ねました。
イアンは、
それは、とても簡単だと答えました。
フェアファクス氏は、
「それで?」と尋ねました。
イアンは、
しばらく窓の外を眺めた後、
フェアファクス氏に、
この国の貴族たちについて
どう思うかと静かに尋ねました。
フェアファクス氏は、
いきなり何を言い出すのかと
尋ねました。
イアンは、
彼らが、自分たちの義務に比べて
身の程知らずな特権を
享受していると思わないかと
尋ねました。
フェアファクス氏は少し考えた後、
自分はそうは思わない。
貴族たちは皆、イギリスに貢献した
立派な祖先を持っている。
彼らが、
少し傲慢で放縦なのは認めるけれど
特権が子孫に世襲されなければ、
誰が国のために犠牲になるのかと
答えました。
イアンは、
先祖の業績を受け継ぎたいのなら、
社会に対する義務も
負わなければならない。
貴族たちは、社会の指導層として
果たすべき奉仕を無視して、
道楽と悪行を続けるために、
その称号を利用すること以外
何もしていない。
イギリスの貴族社会は、
国を滅ぼすゴミが転がっている
ゴミ捨て場だ。
ジェラルド・ペンドルトンは、
自分が今まで見てきた貴族の中で
最も悪臭を放つゴミだ。
ペンドルトン家は、この国のためにも
消えなければならないと言いました。
フェアファクス氏は、
彼の言葉の意味に気づき、
ショックで呆然としました。
由緒ある伯爵家であるペンドルトン家を
今、自分の友人イアンが
滅ぼすと言ったのでした。
貴族階級に対して
常に尊敬の念を抱いていた
保守的なフェアファクス氏としては
非常に衝撃的なことでした。
しかし、フェアファクス氏は、
そのような友人を
止める気にはなれませんでした。
もし妹のジャネットが
ペンドルトン嬢と同じような目に
遭っていたら、
自分もイアンと同じ気持ちを
抱いていたはずでした。
彼は特権階級への敬意と同様に
淑女を尊重すべきという原則にも
忠実な紳士でした。
ジェラルド・ペンドルトン伯爵の
ペンドルトン嬢への蛮行は、
人間であることを放棄した
獣にも等しい行為でした。
タウンハウスに到着したダルトン氏は
すぐに荷造りをしました。
フェアファクス氏は、
彼のために馬車と御者を提供して
去って行く彼を見送りました。
彼に対して、
ペンドルトン家を滅ぼすなという言葉は
一言も口にしませんでした。

翌日の午後、フェアファクス氏は
妹と一緒にランス嬢を訪ねました。
イアンがランス嬢を
ほったらかして行ってしまったので、
彼がホワイトフィールドに帰ったという
知らせを伝えるためでした。
彼は妹と口裏を合わせました。
ランス嬢の気分を害さないように、
イアンが
ホワイトフィールドへ発たざるを得ない
緊急な事情をでっち上げて
伝えることにしたのでした。
本人は微塵も
気にしていないだろうけれど、
フェアファクス氏は、
友人の評判を守りたいと思いました。
ジャネット嬢は喜んで
兄の計画に従うことにしましたが、
イアン・ダルトンの評判よりも
失望するランス嬢を
慰めてあげたい気持ちの方が
はるかに大きく
彼女はランス嬢の熱烈なファンとして、
自分の女神のために、
どんな嘘もつく準備ができていました。
予想していたように
イアン・ダルトンが
ロンドンを去ったという知らせを
伝えると、
ランス嬢はがっかりした様子でした。
親しくしていた紳士が
挨拶もなしに去ったのだから、
どれほど不快なことか。
彼女の機嫌を直そうとした
フェアファクス氏は、
土地の管理人が
突然辞めると言い出したので、
イアンとしても、
仕方がなかったのだろう。
領地に対して責任感が強い友人だから。
去り際に、
自分の代わりにランス嬢に
挨拶を伝えて欲しいと言っていた。
ロンドンで、
ランス嬢と過ごした時間は
忘れられないほど貴重だった。
いつかまた、
会える日を心から待っていると
すぐに、作り話を口にしました。
ランス嬢の湿っぽい表情が
少し生き返りました。
ランス嬢は、
本当に、自分にそんな言葉を
残したのかと尋ねました。
フェアファクス氏は、
少し良心の呵責を感じながらも
「はい、もちろんです」と答え
微笑みながら頷きました。
そばにいたジャネット嬢も兄を手伝い、
ランス嬢に会ってから
出発しなければならないのに。
あの美しい小さな手に口を合わせて
直接、別れの挨拶を
しなければならないのにと、
去り際にランス嬢のことを
何度も話していた。
重責を担う領主としての務めゆえに
ロンドンの最も美しい花を後にして
去らなければならないことが
涙が出るほど心苦しいとも話していた。
そして、領地の仕事を終えたら、
またロンドンに戻り、ランス準男爵家を
真っ先に訪問するつもりだと
伝えて欲しいとも言っていたと
話しました。
フェアファクス氏は、
妹がやり過ぎだという気がしましたが
あっという間に晴れ渡った
ランス嬢の顔を見ると、
訂正する勇気が出ませんでした。
ランス嬢は赤くなった顔で
フェアファクス兄妹をもてなし、
お茶の時間が終わると
ドアの前まで送りました。
フェアファクス兄妹は、
準男爵家を去りながら、
天に恥じるような真似を
少しはしたものの、それでも
友人としての義理は果たしたと
考えました。
彼らは自分たちの嘘によって
ランス嬢が分別力を回復する機会を
逃してしまったなんて、
微塵も考えませんでした。
善意の嘘は、
錯覚に陥ったランス嬢の胸を
蜂蜜のように甘く濡らしました。
それによって彼女は、
ロンドン中へ波紋のように
広がりつつある噂を鎮圧する
ゴールデンタイムを、
ダルトン氏とのロマンチックな再会と、
彼の手の中にある
プロポーズ用のダイヤモンドだけを
想像しながら、
虚しく浪費してしまいました。

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フェアファクス兄妹。
何て罪なことをしたのでしょう。
ランス嬢を傷つけまいとして
やったことが、結果的に
もっと傷つけることに
なるかもしれないのに。
ランス嬢のことを考えるなら
本当のことを言うべきでした。
おそらく2度とランス嬢を
訪れることのないイアンを
ひたすら待ち続けるであろう
ランス嬢が気の毒です。
イアンだって、
ロンドン中を駆けずり回りながら
必死でローラを探すほど、
彼女のことを愛していて、
ローラ以外の女性なんて
屁とも思わないのに、
自分でも知らないうちに
ランス嬢に期待させるような言葉を
言ったことにされたのは気の毒です。