
73話 ダンビルパークに到着した翌日の午前、ローラは散歩へ出かけましたが・・・
昼食のために邸宅に戻った彼女は、
そろそろ、
自分の本分を思い出しました。
彼女は食事を終えた後、
子供たちを勉強部屋に呼んで欲しいと
執事に頼みました。
まもなく、父親からもらった
シェパードの子犬たちと
芝生の上を転げ回っていた
ダニエルとジョージが
呼ばれて入って来ました。
3人は勉強部屋に集まって
腰を下ろしました。
ジョージとダニエルは、
とても緊張したまま
向かいに座っている先生を
見つめました。
澄んだ灰色の目に、
赤味を帯びた金髪をきれいに結い上げた
優しい印象の先生で、
恐れるようなところなど
何一つない姿でしたが、
彼らは非常に萎縮していました。
数日前、
新しく来る家庭教師の先生に
無礼な態度を取れば、
すぐに追いかけて来て
罰を与えると脅して行った
叔父のせいでした。
しかし、少年たちの気持ちを
知る由もないローラは、
ただ子供たちが初めて家庭教師に会って
緊張しているだけだと思いました。
ローラは、
子供たちの緊張をほぐすために、慎重に
子供たちに近づくことにしました。
ローラは最初から、
本もノートも筆記用具も、
一つも持って来ませんでした。
用意されていた黒板も、
わざと後ろ向きに置きました。
いきなり本を開けば、
ひきつけでも起こしかねないのが
目に見えていたからでした。
彼女は彼らに、一切、
勉強の話を聞きませんでした。
ただ、普段どのように時間を
過ごしているのか、何が好きで
何が嫌いなのかについてだけ
質問しました。
少年たちはグズグズ答えました。
しかし、時間が経つにつれ、
ラテン語文法で、
自分たちを拷問するだろうと思っていた
先生が、勉強の話を口にしないので、
彼らの緊張は、
次第に解けて行ったようでした。
何よりも、
自分たちの目の前にいる先生が
とても優しく微笑みながら
自分たちを見ていました。
きれいな女性が笑顔で
関心を寄せてくれているのに、
心のドアを固く閉ざす少年など
いませんでした。
彼らは尋ねられるままに
スラスラと答え始めました。
彼女は子供たちの話に
耳を傾けました。
少年たちは釣りや水泳、
森で果実を採ったり、
パチンコを作ったり、
ウサギの罠を仕掛けるのが好きで、
ほとんどの時間を、
それに費やしていました。
家にいる時にすることは、
空腹を満たし、
厩舎の馬たちを怒らせ、
父の猟犬たちと遊ぶことだけでした。
彼女は彼らに、
好きな本があるかと尋ね、
彼らは数冊の探偵小説と
冒険小説のタイトルを
先を争って話しました。
彼女は小説の内容を話してほしいと
頼みました。
彼らが順番をめぐって
喧嘩をしようとすると、
彼女は、
小さなゲームで順番を決めて
子供たちに話をさせました。
子供たちは、
多少、落ち着きはないものの
完璧な起承転結で
内容を話すことができました。
知能が劣っていない証拠でした。
負けたのが悔しくて
鼻息を荒くすることはあっても
潔く敗北を認める様子を見るに、
根っからの分からず屋というわけでも
ありませんでした。
もちろん、
いささか血の気が多い面は
ありましたが、それは傍で、
辛抱強く導いてくれる人間が
いないために生じている
問題のようでした。
彼女は少年たちと、
いくつかの簡単なゲームをしました。
数字の計算ゲームと単語当てゲーム、
イギリスの歴代王の名前を当てる
ゲームでした。
子供たちは、
先生の意図を知らずに遊ぶのが
ただ楽しいのか、ワクワクしながら
ゲームに没頭しました。
ゲームを通じてローラは、
自分の生徒たちを、具体的に
把握することができました。
子供たちの知能に、
不足はありませんでした。
記憶力や推理力など、
脳の能力に問題がないので、
授業をすれば、ある程度、
頭の中に何かを入れることは
可能なようでした。
しかし問題は、それを、
どうやって入れるかということでした。
彼らは、ゲームをする時以外は、
何かに、
きちんと集中できませんでした。
じっと座っていることに耐えられず、
しきりに腰をひねって
机に顔を埋めました。
落ち着いて座って何かをする訓練を
受けたことがないので当然でした。
このように座っていることさえ
耐えられない子供たちに、
どうやって頭の中に、何かを
入れることができるだろうか。
ローラは、一応、
基本的な子供たちの状態を
把握したので、
今日すべきことは終わったと思い、
子供たちを再び遊んでいた所へ
行かせました。
子供たちは脱走犯のように
息を切らしながら
勉強部屋から駆け出しました。
ローラは勉強部屋の椅子に座って
頬杖を突きました。
そして、
あの子たちを、どう教えればいいのか
悩み始めました。
ローラは今、
教師たちが、よくぶつかる難題に
直面していました。
自分とは正反対の性格の子供たちを
任させることになったのでした。
性格も、育った環境も、
正反対とも言える子供たちを。
自分と全く違う生徒たちを引き受けた時
教師は二つの選択肢を前に
葛藤することになります。
子供たちを、
自分の授業スタイルに合わせるか。
それとも、自分が
子供たちの気質に合わせていくか。
ローラはじっくり考えた後、
後者を選ぶことにしました。
子供たちを自分に合わせる自信が
ないからではなく、
子供たちにとって、
その方が良いと思ったからでした。
彼女が通った学校は、
教養のある淑女を育てるという名目で
ダンスの授業以外の運動は
禁止していました。
それでも暖かい季節には、月に1、2度
郊外へ遠足に行きました。
生徒たちは、その時になってようやく
思う存分、
体を動かすことができました。
彼女はその時間を、
幸せなひとときとして、
記憶していました。
友達とボートに乗って、
岩の上によじ登って、テニスをして、
花を摘んで服を飾りました。
振り返ってみると、
それは楽しかっただけでなく、
体の健康にも
プラスの影響を与えました。
卒業して初めて、
その程度の体育活動さえ許されない
女学校が、
数え切れないほどあることに
気づきました。
そのため、
ほとんどの名門校出身の淑女たちは
体が虚弱でした。
舞踏会で、
淑女たちが踊って倒れることが
しばしば起こるのも
その理由からでした。
それが社交界では、女性の魅力として
受け入れられたりしましたが。
しかし、彼女は内心、
子供を産んで死ぬ女性が
これほど多い理由には、
女学校の運動不足も、
少なからず影響しているに違いないと
思っていました。
そのため、ローラは、
もし自分が学校の教師になって
学校の運営に影響を与えられる
立場になったら、生徒たちに、
もっと体育活動をさせようと
しばしば、考えたものでした。
幼少期の身体活動は、成人期の健康と
密接に関連しているに違いないので。
そのような点で、ダニエルとジョージは
幸運な子供だと言えました。
誰にも邪魔されず、
泥にまみれ、森を駆け抜けて、
のびのびと大きくなれるのは、
この上ない祝福だと思いました。
ローラは、
彼らが学校に行く前までは、
元気に走り回らせたいと思いました。
どうせ規律は、
パブリックスクールが教えてくれるので
それまでは存分に、幼年期を
満喫させてあげたいと思いました。

翌日、ローラは、
2人の少年を連れて外に出ました。
彼らが、あれほど好きな森と川を
見物させて欲しいと頼んだのでした。
彼らは、自分たちが好きなことに
関心を持ってくれる人ができると、
とても嬉しくなり、
先生の手を握って森へ行きました。
巨大な樹木で構成された森は
湿っぽくて暗かったけれど、
良い香りがしました。
彼らは、
自分たちがずっと木登りをして来た
樹齢100年以上のエルムを見せ、
あらゆる虫が沸く沼地や、
ウサギがよく捕まる罠を仕掛けた
低木の茂みの間を教えてくれました。
彼女は彼らと午後いっぱい、
ずっと森の中を歩きながら地理を学び
少年たちが、そこで、
どのように遊ぶかを知りました。
最初は森を案内され、少年たちが
遊ぶのを見物するだけでした。
しかし、時間が経つにつれて、
少年たちとローラが互いに慣れてくると
ローラは見物だけするのを止め、
その代わりに、
彼らと一緒に遊び始めました。
一緒にリスを追いかけ回したり、
ドングリを拾ったり、罠を作ったり、
釣りをしたり、陣取りや
昆虫採集をしたりしました。
最初は、子供たちのように
走ること自体が不可能でした。
元気いっぱいの少年たちと
一緒に遊ぶのに、
彼女は虚弱過ぎました。
女学校を卒業した後、
舞踏会で踊ること以外、
運動することなく過ごして来たので
当然でした。
一日中、地面を走り、転げ回り、
木によじ登って、邸宅に戻る時には
手足が、
鉛のように重くなっていました。
しかし、1週間ほど経つと、
ローラの虚弱な体も、少しずつ
身体活動に順応し始めました。
体が慣れたら、心も変わりました。
いつの間にか汗まみれになって
子供たちと鬼ごっこをして、
土埃の中に這い込んで
何かを採集することに、
新鮮な喜びを感じ始めました。
しばらく子供たちと
何も考えずに走り回った後、
頭がすっきりして、
脈拍が心地よく鼓動しました。
最初は悩みの種だった、
生徒たちの活動性を、
ローラは次第に気に入りました。
いたずら好きで
血の気が多かったけれど、
泥にまみれて育った子供たちらしく
心身ともに逞しかったです。
彼らは、自分の遊び仲間になった
新しい家庭教師に
驚くほど早く心を開きました。
ローラのように、
きれいで優しい先生が、
自分たちがすることに
深く関心を持ってくれるので、
少年たちとしては当然のことでした。
一方、ローラの授業のやり方を見た
フェアファクス夫人は、驚きのあまり
口を閉じることができませんでした。
ローラが子供たちのために
あそこまでするとは
思わなかったからでした。
一目見ただけで、
大切に育てられたお嬢様だと
分かったので、
勉強も型通りに教えるのだろうと
考えていました。
勉強部屋で単語合わせをして、
テストを受けさせて、
時々、お菓子や飴などで
子供たちを言いくるめるだけだろうと
考えていました。
ところが予想に反して、
ローラは、毎日のように、
少年たちと森へ走って行き、
夕方頃、全身を泥だらけにして
帰って来ました。
服のあちこちが破れて、
葉っぱを貼り付けたままの状態でした。
フェアファクス夫人は、
ローラがなぜそこまでするのか
十分、理解していました。
自分の息子たちが、
どれほど気が散りやすく、
同じ場所に座っていることに
耐えられないかを
把握していたからでした。
ローラは、その点に1日で気づき、
子供たちに何かを教えるのに
最も適切な方法を考え出したのでした。
それは、
自分たちを理解してくれる大人として
子供たちから愛情を得ることでした。
フェアファクス夫人は、それだけで
ローラがどんな人なのかが
分かりました。
彼女は、ローラが賢い女性だと
思いました。
オリビアもまた、母親と同じくらい、
ローラの授業態度に驚きましたが、
母親ほど、ローラの意図を
理解することはできませんでした。
彼女が考える淑女の振る舞いは、
いついかなる時も、
品位を失わないことでした。
オリビアの目には、
ローラが淑女時代の自分を
すっかり失ったように
見えるだけでした。
たかが金儲けのために、
淑女の品位を失うなんて、
とんでもないことでした。
しかし、それは完璧な叔父を奪った
ローラへの嫉妬から出た考えに
過ぎませんでした。
ローラはもう淑女ではないので、
淑女らしく振舞っていないと
非難するのも滑稽だということを
実は、彼女も知っていました。
しかし、オリビアには
他に方法がありませんでした。
それ以外に、ローラから、
あら探しをできるような部分が
全くなかったからでした。
ローラが来た初日、
彼女と階段で出くわし、
彼女が予想とは異なり、
優れた美人だということを知った後
オリビアは、
さらに怒りがこみ上げて来て、
何とかローラの短所を探そうと
目を光らせました。
しかし、ここ数日、
オリビアが発見したのは、
ローラが正しい歩き方と
優しい言葉遣い、上品な身振りの
持ち主だということだけでした。
淑女らしいというレベルではなく、
王族のように優雅でした。
ローラの短所を探そうとした
オリビアは、観察を続けるほど、
むしろ自分の境遇への不安感だけが
さらに大きくなりました。
ロンドンの貴族のお嬢さんたちは
皆、あのように優れた教養で
武装しているのだろうか。
3年後、ロンドンへ上って
デビューすることになったら
存在感を示すことができるのだろうか。
オリビアは不安感から、
ピアノと絵の勉強に没頭し、
本も、もっと読み始めました。
しかし、不安は収まりませんでした。

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ローラが子供たちと一緒に
森を駆け回っているなんて、
イアンは、
想像もしていないと思います。
けれども、その姿を見たら
惚れ直してしまうのでは
ないでしょうか。
服が破けていても、
葉っぱが張り付いていても、
イアンの目には、
ローラが最高の美人に見えるに
違いありません。
フェアファクス夫人も、
なぜ、イアンがローラを好きなのか
理解できたと思います。