
74話 ローラがダンビルパークへやって来てから、1週間が過ぎました。
素知らぬふりをしながら、
チラチラとローラを観察してきた
フェアファクス夫人は、
そろそろ好奇心の限界を感じました。
イアンが気に入ったお嬢さんが
どんな人なのか、
もっと詳しく知りたいという気持ちが
爆発してしまったのでした。
今までは、
ローラが邸宅に慣れるよう
配慮する意味で放っておいたけれど
これ以上、我慢できませんでした。
彼女は、朝食の時間に、
小さなイアンを紹介してあげると
言って、
午前中に一緒にお茶を飲もうと
ローラを誘いました。
ローラは小さなイアンに
会えるという期待感から
喜んで同意しました。
フェアファクス夫人は、
応接室に座ると、使用人に、
乳児室にいる小さなイアンを
連れてくるよう命じました。
待っている間、ローラは
フェアファクス夫人に、
紙に包まれた何かを渡しました。
フェアファクス夫人は包みを開けると
小さな絵本が現れました。
フェアファクス夫人は、
これは何なのかと尋ねました。
ローラは、
いつか小さなイアンに
プレゼントをあげると
ダルトン氏に約束した。
数ヶ月前に作ったのに、
渡すのが今になってしまったと
照れくさそうな顔で答えました。
ローラは、
ダルトン氏に幼い甥がいることを
知った直後、仕事の合間を縫って
プレゼントを作りました。
女学校時代、
フランス語を習ったばかりの時に読んだ
「ラ・フォンテーヌ寓話集」の中で
一番面白い寓話を選んで作った
本でした。
数ヶ月前に完成したものの、
その後、様々な事情が重なり、
渡すことができませんでした。
そしてペンドルトン家を離れる際、
タウンハウスに
置いて来てしまいました。
ダンビルパークに出発する直前に
思い出し、アンを通じて
無事に持って来たのでした。
フェアファクス夫人は
ローラが差し出した本をめくりながら
驚きを隠すことができませんでした。
赤い革の装丁に包まれた本の中には、
ローラが自ら手書きで写した
八編の寓話が収められていました。
並んでいるページの片方に
原語であるフランス語が、
もう片方には
ローラが翻訳した英語が書かれており
大きな文字の下には
ローラが自ら描いた水彩画が
可愛らしく空間を埋めていました。
隣に座っていたオリビアが
母親の方へ身を乗り出して
本を見ました。
紙の上に刺繍でも施されたかのような
美しいフランス語を目の当たりにして
オリビアはひどく驚きました。
けれども、表面上は、
大したことないというように
つんと澄ましながら、ローラに
フランス語もできるのかと尋ねました。
ローラは頷きました。
オリビアは、
「どのくらいですか?」と尋ねました。
ローラは、
読むことも、話すこともできるし
会話も可能だと答えました。
オリビアは、
家庭教師に教わったのかと尋ねました。
ローラは女学校時代に習った。
ネイティブの先生と仲が良かったと
答えました。
オリビアは、ローラの答えに
すっかり惹きつけられました。
フランス語は、
彼女の日常生活を支配している
関心事なので、オリビアは
ローラが、どれだけ学んだのか、
どんな教材を使ったのか、
一つ一つ聞きたいと思いました。
しかし、オリビアは、
自分がローラに対して、
それほどまでに関心を寄せていることに
プライドが傷つきました。
彼女は興味がないふりをして、
平然とテーブルにある
クッキーをもぐもぐ食べました。
しかし、オリビアが
どれほど動揺しているのか、
ローラはお見通しでした。
もちろん、13年間オリビアを育てた
フェアファクス夫人も同じでした。
オリビアだけが
自分の感情を隠せていると
固く信じているだけでした。
二人の成熟した女性たちは
視線を交わし合い、
オリビアに内緒で笑いました。

すぐに乳母が子供を連れて
応接室に入って来ました。
フェアファクス夫人は子供を受け取り
抱き締めました。
そしてローラの方に体を傾けて
子供を見せました。
目の前の赤ちゃんフェアファクスの姿に
ローラは思わず
感嘆の声をもらしました。
皆、口では可愛いと言っても
可愛くない赤ちゃんも結構いるのが
実情でした。
しかし、小さなイアンは、
どこから見ても
完璧な赤ちゃん天使でした。
淡褐色の縮れ毛に栗色の瞳、
ほんのり赤い頬と済んだ瞳、
もぞもぞさせている
ふっくらとした指。
可愛くない所が、
1つもありませんでした。
ローラは、
鼻水とよだれを垂らしながら
自分を見る赤ちゃんに
自分の体を近づけました。
そして、囁くように
子供の名前を呼びました。
子供はまるで、
彼女の言葉を理解したかのように
ローラをじっと見つめました。
そして、すぐに、
にっこりと微笑みました。
ローラも思わず笑い声を上げました。
友達の赤ちゃんを見たことは
ありましたが、
こんなに愛らしい子は初めてでした。
子供はローラに向かって
手を伸ばしました。
ローラは、子供が
自分の服に付いているリボンの飾りを
つかもうとしていることに
気づきました。
ローラは体をもっと子供に近づけ、
子供はその飾りをいじりました。
フェアファクス夫人は、
うちのイアンは人見知りをしない。
叔父と名前だけ同じで、
性格は全く違うと言いました。
ローラは自分の服に付いている
フリルをつかむ小さな手を見て
胸がドキドキしました。
ローラは、
こんなに可愛い赤ちゃんは初めてだと
言いました。
フェアファクス夫人は、
小さなイアンを、
ローラの胸に抱かせました。
ローラは小さなイアンを抱いて
自分が作った本を見せたり、
胸に抱いたまま、
戯れたりもしました。
子供は見知らぬ人の胸の中でも
キャッキャッと笑いました。
子供の授乳の時間になったため、
乳母が階下へ降りて来て、
子供を連れて行きました。
ローラは残念な気持ちで
応接室を出て行く
その姿を見つめました。
フェアファクス夫人は、
次にまた見せてあげると
ローラに約束しました。
ローラとフェアファクス夫人は、
しばらく小さなイアンについて
話を交わしました。
生まれた季節はいつか。
寝返りはできるのか。
「お母さん」と言えるのか。
赤ちゃんについての
ありふれた会話でしたが、
子供好きな女性と
子育て中の女性が交わすことのできる
この上なく楽しい語らいでした。
一方、赤ちゃんが好きでもなければ
育ててもいないオリビアは、
そんな2人の会話が退屈でした。
彼女は、2人の会話が
一時的に途切れた隙を突き、ローラに
もしかして、
クリスティン・サーモンという人を
知っているかと尋ねました。
ローラは、
記憶のページをめくりました。
やがて、頻繁にお茶会に訪れていた
1人の女性を思い出しました。
彼女は、
はい。サーモン嬢は、
よく、お茶会に来ていたと
答えました。
オリビアは、
親しかったのかと尋ねました。
ローラは、それを否定し、
顔見知りだっただけだと答えると
フェアファクス嬢と親しい人なのかと
尋ねました。
オリビアは、クリスティンが
自分の友達のリディアの従姉で、
その人がペンドルトン家のお茶会に
よく行くと聞いたからと答えました。
ローラは、
自分が来る前から、
オリビアは自分のことを
知っていたのですねと確認しました。
オリビアは、
「名前だけです」と答えました。
ローラは頷きました。
オリビアは溜め込んでいた疑問を
次々と口にし始めました。
オリビアは、ローラが
ロンドンの社交界に長くいたのか。
何年いたのかと尋ねました。
ローラは具体的な年数を
教えてあげました。
オリビアは目をパチパチさせました。
驚くほど長い時間でした。
それなら、
自分がこの世で過ごした年数と
ほとんど同じくらい、社交界で
過ごしたことになるのではないかと
思いました。
オリビアは、ローラへの反感を
しばらく忘れてしまいました。
彼女は、
いつも、雑誌と新聞の社交界欄を
貪るように読んで収集した
社交界の名士たちの名前を口にし、
その人たちを、
知っているかと尋ねました。
ローラにとって、ほとんどの人が
挨拶を交わしたり、
一緒に話をしたことがあり、
さらに、彼らや彼らの家族の結婚式、
葬儀、洗礼式まで
参加した経験がありました。
ローラは、その事実を
喜んで教えてあげました。
オリビアは心臓がドキドキしました。
目の前に、とんでもない大物が
座っている気がしました。
非常に関心が高かったけれど
まともに知っているロンドンの淑女は
叔母のジャネット・フェアファクス
だけでした。
当然のことながら、オリビアは
ジャネットを羨望しました。
17歳のジャネット嬢は、
社交界では、まだ新人でしたが、
13歳の少女オリビアには
完全に大人に見えました。
彼女は、去年のクリスマスに
邸宅に来て時間を過ごしたジャネットを
忘れることができませんでした。
ロンドンの流行で
全身を飾ったジャネットは、
堂々としていて
洗練されて見えました。
オリビアは叔母の後をついて回って
社交界について尋ねました。
ジャネット嬢は、
自分を憧れの目で見つめる可愛い姪に
全てを事細かに教えてあげました。
オリビアの質問の半分以上は
ジャネットが
経験したことのないことでしたが、
ジャネットは、
知らないという言葉の代わりに
想像と推測で経験不足を隠しました。
フェアファクス夫人は、
オリビアが3年後に、
ロンドンの社交界にデビューすることと
うちの坊ちゃんとお嬢さんの家で
一緒に暮らすことになると話しました。
ローラは、
ウィリアム・フェアファクス氏と
ジャネット嬢ですか?
と尋ねました。
フェアファクス夫人は、
ジャネット嬢がオリビアを
助けてくれると言っていたと
答えました。
ローラは、
それはいいことだ。
保護者と指導者と
同じ家に住むことになるので、
奥様も安心だと言いました。
フェアファクス夫人は、
2人とも、
信頼できる紳士、淑女なので
オリビアのデビューについては
何の心配もしていない。
本人は、ダンスにしろ、絵画にしろ
何一つ、
まともに身についていないと言って
地団太を踏んで
やきもきしているけれどと言いました。
オリビアは「お母様」と呼んで
母親を制止しようとしましたが、
フェアファクス夫人は
聞こえないふりをして
話を続けました。
フェアファクス夫人は、
オリビアが、
特にフランス語が弱いと言って
毎日、先生を付けて欲しいと
大騒ぎしている。
1年ほどオリビアを担当してくれた
先生がいたけれど、
婚約者が思ったより早く
身を立てたとかで、突然、
結婚すると言って去ってしまった。
おかげで、オリビアは、
フランス語の授業を受けられなくて
不安に思っていると話しました。
ローラはオリビアを見つめました。
自分の至らなさを遠慮なく明かす
母親のせいで、恥ずかしくなったのか
顔が赤くなっていました。
ローラは、
フェアファクス嬢は向学心が強い。
それは良いことだ。
しかし、ロンドンの社交界を
それほど恐れる必要はない。
ヨークシャーの社交界と変わらないと
話しました。
オリビアは、
「変わらないのですか?」と
聞き返すと、
ジャネット叔母の話によれば、
ロンドンの令嬢たちは、
フランス語を母国語のように使いこなし
基本的に、楽器を5種類以上も
嗜んでいるそうだし、
文学から哲学まで、
あらゆる分野に精通していると
訴えました。
しかし、ローラは首を横に振りました。
ローラは、
ジャネット・フェアファクス嬢が
過ごす社交界と、
自分が過ごした社交界が違うならともかく
それは大げさだ。
あそこも人が住む場所なので、
人々の教養も才能も千差万別だと
話すと、オリビアに、
今まで学んだことについて
教えて欲しいと頼みました。
オリビアは素直に、
文学、数学、歴史を始めとする
基本教科と、絵、ピアノ、ダンスだと
素直に教えました。
ローラは、
それだけ学んでいるなら、
今すぐデビューしてもいいくらいだと
言いました。
オリビアは、
それは本当なのかと尋ねました。
ローラは、
もちろん、本当だ。
フェアファクス嬢より
学んでいない人でも、
いくらでも、たくさんの友達を作り、
紳士たちから
ラブレターをもらっていると
答えました。
ジャネット叔母が話していたこととは
全く違っていたので、
オリビアは混乱していました。
叔母は、自分の絵とピアノの腕前を見ると
このままロンドンへ行けば
きっと恥をかくだろうと
ひどく脅していました。
しかし、ローラは
ジャネット叔母よりずっと年上で、
長く社交界に身を置いていた人でした。
常識的にジャネット叔母より
ローラの言葉を、より信頼するのが
正しいことでした。
オリビアは、
ローラに対する反感も忘れ、
これまで友達と回し読みした
ロンドン社交界のガイドブックと
デビュー前の淑女たちの間で
流れている話と実際の社交界が
はたして同じなのか、あるいは違うのか
自分の心の中にあった疑問を
すべて打ち明けました。

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よだれと鼻水を垂らしている
他人の子供を抱けるって、
本当に子供が好きでなければ
できないことだと思います。
小さなイアンの手には
よだれが付いていたかもしれないのに
その手で服を触られても
少しも嫌がらなかったし、
乳母が連れて行った時に
残念そうな顔をしているのを見た
フェアファクス夫人は、
イアンの嫁としてのローラに
合格点をあげたと思います。
今日の画像はAIで作成しました。
ウサギとカメはイソップ寓話ですが
これを元にラ・フォンテーヌが
執筆したそうです。