
85話 ローラはホワイトフィールドへやって来ました。
ローラは驚いて
さらに窓に近づきました。
先が見えませんでした。
木と木の間にさえ
びっしりと生い茂った白樺の木以外
何も見えませんでした。
白、白、白一色でした。
オリビアは、誇らしげな声で
何か話していましたが、
ローラには何も聞こえませんでした。
それほどまでに
魂が抜けてしまったように
なってしまったのでした。
彼女は、こんな光景を
生まれて初めて見ました。
ダンビルパークの森は
壮大で原始的でした。
あちこちに見られる巨木や
生い茂る草木、野生の花や果実。
入った瞬間、圧倒される
壮大な緑の海でした。
ローラはダンビルパークの森で
生き生きとした活気力を
感じ取っていました。
しかし、今、目の前に広がる
ホワイトフィールドは、
ダンビルパークとは違い
夢幻的で神秘的でした。
まるで夢の中の世界に
迷い込んだかのように、
あるいは、
催眠にかかったかのようでした。
鮮やかなコントラストを描く
白い樹皮と黒い模様。
その上で揺らめく、
木漏れ日の黄金色の欠片。
森の屋根を成す緑の葉っぱたち。
その間から見える、
薄い水色のヨークシャーの空。
ダンビルパークの森が
神様が設計した遊び場なら、
ホワイトフィールドは
神様が苦心して作り上げた
芸術品でした。
馬車に乗って
白樺の道を走る十数分の間、
彼女は、ぼんやりと
窓の外ばかり眺めていました。
瞬きをすることさえ惜しくて
たまりませんでした。
この美しさを長い間、両目に
焼き付けておきたいと思いました。
できれば永遠にでも。
しかし、全てには終わりがあるもの。
馬車はまもなく
長く続いた白樺の森を抜け、
小川に架かる橋の上を走り始めました。
その時になってようやくローラは
自分がホワイトフィールドに
夢中になっていることに気づきました。
そして自分の心臓が、
ドキドキと脈打っていることも。
彼女は震える心を落ち着かせました。
幸いなことに、
窓の向こうに伸びているきれいな庭木が
彼女に落ち着きを
取り戻させてくれました。
彼女はいつもの自分に戻り、
微かに笑みを浮かべながら、
向かい側に座っているオリビアに、
今、通って来た白樺の森に対する
無難な賛辞を送ることができました。

馬車は、
美しく整えられた庭園を通り抜けると
邸宅の前に停まりました。
御者が戸を開けると
2人の淑女はゆっくりと踏み台を踏んで
馬車から降りました。
ローラはゆっくりと顔を上げて
邸宅を見つめると、すぐに
白樺の森を通り過ぎる時に感じた
朦朧とした陶酔とはまた違った
畏敬の念に駆られました。
ホワイトフィールドホールは、
両側に広がる5階建ての豪邸でした。
全体的に角ばった形をしていましたが
随所に曲線の形が垣間見えました。
1階の階段と2階のバルコニーをつなぐ
ギリシャ風の5本の柱、
テラスの上に立って
空に向かって手を伸ばしている
女神像たち。
イギリスでは珍しい
ギリシャ式の建築物でした。
ローラは邸宅をしばらく見上げ、
その優美な美しさに感嘆しました。
ローラは、
ダルトン氏の自尊心と、その愛情を
理解することができました。
ここを自分の基盤とする人なら、
常にここを愛し、離れている時も
一瞬たりとも
忘れることができないだろうと
思いました。
ローラが邸宅を見上げている間、
ローラのそばに立っていたオリビアが
邸宅の扉を見つめながら
「ラムズウィックおじさん!」
と叫びました。
ローラは驚いて
邸宅の扉に目を向けました。
黒い取っ手がついた扉が開き、
黒いスーツを着た男が
すっと出て来て、彼女たちに
少しずつ近づいて来ました。
白髪が多くて背が低い老人でした。
彼は慌てた様子でオリビアの前に立ち
「こんにちは。 お嬢さん」と挨拶をし
どうしたのかと尋ねました。
オリビアは、
遊びに来た。去年の冬に会ってから
ほぼ一年ぶりだと答えると、
ラムズウィックに、
膝は大丈夫なのかと尋ねました。
ラムズウィックは、
おかげさまで、
とても良くなったと答えました。
オリビアは、
手のひらを空に向けると、
そばに立っているローラに向かって
手招きしました。
そして、彼女のことを、
自分の家に新しく来た家庭教師で
名前はローラ・ペンドルトンとだと
紹介しました。
ラムズウィックはすぐに頭を下げて
ローラに挨拶をすると、自分は
ホワイトフィールドホールの執事の
ラムズウィックだと
自己紹介をしました。
ローラは膝を曲げて、
頭を軽く下げながら、
ラムズウィックに挨拶を返しました。
ラムズウィックは、
ダンビルパークに
新しい家庭教師の先生が来たことと
当主がロンドンに滞在している間、
その人に、大変世話になったことを
聞いていると告げました。
ローラは、
世話をした以上に、
たくさん貰ったと答えました。
その時、オリビアは、
ラムズウィックの後ろを
キョロキョロ見回しながら
「ところで、おじさんは?」
と尋ねました。
ラムズウィックは、
今、弁護士と話をしていると
答えました。
オリビアは、
「へえ、 そうなんですか」と
答えると、
不思議そうに首を傾げました。
ラムズウィックは、
再びローラに目を向けると、
先生が訪ねてくれる日を
首を長くして待っていた。
どうぞ、中へ入ってください。
当主の代わりに
自分がホワイトフィールドホールを
案内すると伝えました。
ローラは、
訪問客を決して受け付けないことで
有名な所だと聞いているので
貴重な機会だと言って喜びました。
ラムズウィックは、
その通りだと返事をすると、
ローラを案内しました。
その時、オリビアは、
そっとローラの腕を掴むと、
先生が邸宅を見学している間、
自分は花園に咲いている花を
見て来る。
後で図書室で会おうと言って、
馴染みのある建物の裏側へ
走って行ってしまいました。
二人は屋敷の中に入りました。
1階の廊下を通るとドアが現れました。
ラムズウィックは
ドアを大きく開けました。
すると、目の前に、
横幅が広くて奥行きのある、
細長い部屋が広がっていました。
ロングギャラリーでした。
ローラは、
そこに一歩足を踏み入れました。
長く続く壁全体に
数百点の絵が掛けられていました。
ローラはラムズウィックに続いて
ゆっくり歩きながら
絵を見つめました。
大小様々な絵を見ていたローラは、
すぐに一般貴族の邸宅の絵とは
違う点を発見しました。
大抵、ギャラリーには
先祖の肖像画や、
家門に関連した王族の絵が
飾られているものでした。
ところが、
ホワイトフィールドホールの
ロングギャラリーは、
それと共に、様々な風景画や静物画
版画が混ざっていました。
ラムズウィックは、
ダルトン家は代々、
美術への愛情が深く、美術品の収集を
とても重要な余暇活動だと考えていた。
先代の当主は、とりわけ情熱家で、
よくヨーロッパへ行っては、
彫刻や絵を買い集めることを
楽しんでいたと話しました。
ローラはゆっくりと絵を見ました。
芸術品愛好家である祖母のもとで育ち
絵を見る目が並外れているローラは、
皆レベルの高い絵だということに
気づきました。
特に、いくつかの絵は、
現在フランスやイタリアで
かなり認められている画家たちの
作品なので、ローラは、
先代ダルトン家の当主たちの眼識に
驚嘆せざるを得ませんでした。
続いてラムズウィックは
2階の居間やダイニングルームなどを
見せてくれました。
ローラは、ラムズウィックに続いて
ゆっくりと歩きながら、
まるで美術館に来たような
気分になりました。
壁のどこにでも絵が掛かっていて、
美しい彫刻が立っていました。
それだけではなく、
邸宅を埋め尽くしている家具や
窓枠からも品位が感じられました。
美しいだけでなく、
長い歳月をかけて大切にされ、
管理されてきたものでした。
ローラは30分ほど、
邸宅の中を案内された後、
気分が爽快になりました。
目の届く所のどこにでも、
美しいものが調和して
配置されていました。
ホワイトフィールドホールは、
邸宅全体が
美術館のようなものでした。
ダルトン氏が
美術を愛するようになったのは
当然のことでした。
ホワイトフィールドホールを
約1周したラムズウィックは、
最後に、
約束の場所である2階の図書室へ
ローラを連れて行きました。
2つの大きなドアを開けて中に入ると
ローラは一瞬言葉を失いました。
ホワイトフィールドホールを
歩き回りながら感じた
爽やかな気分とはまた違った感情が
彼女の心を揺さぶりました。
衝撃的でした。
ホワイトフィールドの図書室は、
大学の図書館を連想させました。
手を伸ばしても届かないほど
高い本棚が、壁一面に
びっしりと並んでいて、本棚の横には
移動式の梯子が用意されていました。
3階まで吹き抜けになっている
メゾネット構造で、
本棚の間にある階段を使って
上に上がると、また別の本棚に
出会うことができました。
ローラは、一通り
図書室に目を通しました。
目の届く所はどこも、ぎっしりと
本が詰め込んでありました。
これほど多くの本を見たのは、
ロンドンにある大型図書館だけでした。
そこは、ロンドン市民全体のための
空間だったのに対し、
ここは私有地でした。
一つの家門で、
これほど多くの本を保有しているのは
見たことも聞いたことも
ありませんでした。
ローラの心臓が激しく鼓動しました。
「先生!」
混乱した気持ちで、
図書室をキョロキョロ見回していた
ローラの耳に、
オリビアの声が聞こえました。
声がした方に顔を向けると、
オリビアが手を振っているのが
見えました。
オリビアは、
図書室の片隅に置かれた机に
座っていました。
机の上には本が何冊か積まれていて、
その横に、
美しいバラ模様の陶器に入った
お茶とクッキーが置かれていました。
ローラはオリビアに近づきました。
オリビアは、
邸宅を全て見て来たかと尋ねました。
ローラは「はい」と答え、
美しい所だったと感嘆しました。
オリビアは
「そうですよね?」と聞き返すと
後で庭も見に行こう。
花園に貴重な草花がたくさんある。
どれも、とてもきれいだと教えました。
ローラは、
きっと美しいだろうと
返事をしましたが、
自分は、どこよりも、
この図書室に一番驚いた。
なぜ、本がこんなに多いのかと
尋ねました。
そばにいたラムズウィックは、
この数百年間、
先代が集めてきた書籍だけで
数万冊に上るけれど、
この本の5分の1は、
現在の当主が集めたものだ。
当主は、この邸宅に
絵画と彫刻が多過ぎるので、
本を集めて
バランスを取らなければならない。
感性は知性の補佐を受けるべきだと
言った。
そして、ここにある本は全て
ダンビルパークと共有しているので
先生も必要であれば、
いくらでも持って行っても大丈夫だと
告げました。
ローラの瞳がキラキラ輝き
唇に笑みが広がりました。
隠せない喜びの光でした。
ローラはラムズウィックに
お礼を言うと、
オリビアの肩をそっとつかみ、
少しの間、一人にしてもらえるかと
尋ねました。
オリビアが「はい」と答えると
ローラは、
そそくさと書架の奥へ入り、
本を探し始めました。
オリビアは、
ローラが遠く離れていることを
確認すると、
そばにいるラムズウィックに
手招きしました。
ラムズウィックは
彼女の背の高さに合わせて
頭を下げました。
オリビアは、
そんなラムズウィックの耳元に
口を近づけると、
叔父から話を聞いたかと
囁くように尋ねました。
ラムズウィックは、
何の話かと聞き返しました。
オリビアは、少し眉を顰めると
叔父も、 このくらいのことは
ほのめかしておくべきだったのにと
ぼやきました。
彼女はラムズウィックに、
叔父が好きな女性が
あの先生だと教えました。
ラムズウィックは首を回して
書棚の片隅で本を探している
淑女の後ろ姿を見ました。
きちんと結い上げた美しい赤金色の髪と
華奢な首筋が見えました。
その瞬間、彼の脳裏に、
かつてイアンが見つめながら
ため息をついていた。
スケッチブックの中の女性の姿が
浮かび上がりました。
ラムズウィックは、
先ほどから、
どこかで会ったことがあるような
気がしていたと叫ぶと、
オリビアは指を唇に当てて
「シーッ!」と叫びました。
ラムズウィックは、
すぐに口を閉じると、
もしかして、聞こえたのではないかと
気を揉みながら、
ローラの後ろ姿をじっと見つめました。
幸い、ローラは、
革装丁の本を一冊広げ、
長い首を下げたまま、
読みふけるのに夢中になっていました。

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これだけの広い邸宅を管理するのに
一体、何人の使用人が必要なのかと
そればかり気になってしまって(笑)
私も、おチビ様のように
使用人の人数と給与の合計を
ChatGPTに、聞いてみました。
使用人は、
約 50〜100人前後が
普通に必要と考えられる。
給料は、
住み込み・食事付きであることが前提で
執事 年収30〜50ポンド
約 60万円〜100万円
コック / 台所係 年収14~45ポンド
約 30万円〜90万円
下働きのメイド 5~15ポンド
約 10万円〜30万円
だそうです。
家庭教師の給料が執事と同額か、
それより高いことに驚きでした。
イアンがローラに提供した
年150ポンドは、
破格な給料であることを
改めて確認しました。
ホワイトフィールドの何もかもが
気に入ったローラ。
ジョアンのように、
ホワイトフィールドに住みたいから
イアンと結婚する・・・
ということには、ならないですよね。
残念です。