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149話 メイド志望の若い女を門番は中に入れました。
ゆっくり見て選ぶように。
最終決定した後に連絡をくれれば
またアルデンを訪問すると、
簡潔な報告を済ませたロビスが
手で合図を送ると、
待機中だった侍従たちが
近づいて来ました。
最新流行の家具や装飾品はもちろん、
家事用品まで。
大邸宅一軒を埋め尽くしても余るほどの
多様な品々が紹介された冊子が
テーブルの上に整然と、
積み上げられて行きました。
オデットは、
戸惑いを隠せない眼差しで、
山積みのカタログの山を
見つめました。
この邸宅を飾った
インテリアコーディネーターが
訪ねて来ました。
ローザンの別荘を改装する仕事を
引き受けて欲しいと、
バスティアンから
依頼されたとのことでした。
オデットは、
ロビスに返事をする代わりに
もしかして、トリエ伯爵夫人から
連絡は来ていないかと
落ち着いて尋ねました。
ロビスは、
それは自分の権限外のことなので
答えにくいと、ひどく気まずそうに
返答を回避しました。
ため息を飲み込んだオデットは、
窓の向こうに広がる快晴の空へ
視線を移しました。
依然として、オデットは
電話を使うことができませんでした。
手紙を送ることも
禁止されていました。
幸い数日前から、
郵便物が届き始めたけれど、
オデットが待ち焦がれていた
肝心の名前は見えませんでした。
ロビスは、
これはローザンで奥様を世話する
使用人のリストだ。
意見があれば反映すると告げました。
オデットは、
しばらく考える時間をもらえないかと
途方に暮れた顔で了解を求めました。
幸い、ロビスは
理解すると言うように頷きました。
執事が退くと、寝室は
再び深い静寂に包まれました。
松ぼっくりをくわえてきた
マルグレーテが、
一緒に遊ぼうとせがむように
足元をグルグル回りましたが、
オデットは、
ただ空中を見つめていました。
バスティアンに譲歩する気配は
微塵もありませんでました。
このまま手をこまねいていたら、
ローザンの別荘に閉じ込められるのも
時間の問題のようでした。
トリエ伯爵夫人に
相談をしたかったけれど、
外部と徹底的に
断絶させられている今
できることはありませんでした。
何とかして、
トリエ伯爵夫人に連絡を取ろうと
決意を固めた瞬間、
ロビスが戻って来て、
最も重要なことを失念していたと
謝罪しました。
そして、穏やかな笑みを浮かべながら
オデットに近づくと、
新しいカタログを1冊渡しました。
多彩なテーマで飾られた赤ちゃん部屋と
そこに必要なものを紹介した
冊子でした。
オデットは、
うっかりそれを受け取りました。
最初のページをめくると、
童話の中の妖精が
住んでいそうな部屋が現れました。
オデットの顔色を窺っていたロビスは
子供部屋に、特に気を遣って欲しいと
ご主人様が直接要請したそうだと
そっと一言、付け加えました。
しばらく躊躇っていたオデットは、
細かく震え始めた手で
次のページ、そしてまた次のページを
めくっていきました。
一度も子供部屋を飾ることを
考えたことがありませんでした。
ふと、それに気づいた
オデットの眼差しが深くなりました。
表現するのが下手だけれど、
それでも家族を大切にして
愛する気持ちは格別だと思うと
ロビスの優しい声が、
物思いに耽っていたオデットを
我に返らせました。
家族。
オデットは、
限りなく見知らぬものとなってしまった
その単語を、
静かに心の中で繰り返しました。
老執事は、
このような干渉は越権行為であることを
承知しているけれど、
それでもどうか、ご主人様の真意を
察して欲しいと懇願しながら
頭を下げました。
オデットは喉元まで上がって来た言葉を
どうしても口に出せないまま、
テーブルの上に視線を落としました。
いつの間にか日差しは、
可愛いベビー用品がいっぱいの
カタログの上まで伸びていました。

モリーは、素早く脱いだ
ぼろ服を詰め込んだカバンを
庭の倉庫の後ろに隠しました。
冬場は、
人の足が遠のく場所でした。
押し潰されたボンネットのせいで
崩れた髪の形を整えたモリーは、
続いて、コートの中に着て来た
メイド服の身だしなみを整えました。
糊の効いた
真っ白なエプロンの先には、
この家門を象徴するKの頭文字が
鮮やかに刺繍されていました。
惨めに追い出された後も、
このメイド服を捨てなかった選択が
今、まさに光を放つ瞬間でした。
準備を終えたモリーは
冷たい表情で邸宅に向き合いました。
あの女が全てを台無しにしました。
最悪のスキャンダルに巻き込まれた
オデットが、
奈落の底に落とされた時までは
心底喜びました。
指一本動かさずに
復讐を果たしたも同然だったから。
しかし、まさか、
これほどまでに運が向いて来るなんて
夢にも思いませんでした。
もう、これ以上、幸運を望むのは
難しいだろうけれど。
まさか、
命を奪おうとしているのだろうか?
カバンの奥深くに隠して来た
茶筒を取り出したモリーは
目を細めました。
テオドラに託された任務は、
クラウヴィッツ少佐の邸宅に忍び込み
女主人が飲むお茶の葉を
入れ替えるだけという
簡単なことでした。
最大の難関だった正門を
無事通過したので、
すでに半分は成功したも同然でした。
おそらく毒だろう。
詳細な説明はありませんでしたが
モリーは様子を窺いながら
大まかな状況を把握しました。
薬剤師を探し回る伯母を見た時、
すでに予想していたことでした。
この贈り物が、
オデット宛というのは意外でしたが。
無関係な相手に腹いせをする
テオドラ・クラウヴィッツが
滑稽でしたが、どうせ自分とは
関係のないことでした。
互いに最も大切なものを
壊そうとするのなら、
それほど悪くない戦略のようにも
思えました。
古物商の孫は
乞食姫に目が眩んでいた。
持っているのは、
そこそこの顔一つだけの女に、
狂って暴れるなんて。
英雄だの何だのと言ってみても
結局、ありきたりの、
つまらない男に過ぎませんでした。
一度、互いを思う存分
噛みちぎってみろ。
モリーは、仕える主人に
人生を捧げた伯母のように
生きたいという気持ちが
ありませんでした。
望むのはただ一つ、
約束された成功報酬だけでした。
この戦いの勝者は
すでに決まっているようだけれど、
テオドラ・クラウヴィッツが滅びる前に
そのお金をもらうには、
今回が最後のチャンスでした。
腕時計を確認したモリーは、
躊躇うことなく、雪に覆われた庭を
横切って行きました。
長い間、近くで
観察してきたところによると、
オデットは、かなり規則正しい
生活習慣を身に着けていました。
夫の出勤時間に合わせて起きて
簡単な朝食をとり、
邸宅の大小の用事を処理しました。
今頃は、午前中の業務を
終えているところでした。
その次は、お姫様のお茶の時間。
このジメジメした人生を
変える時間でした。

あの子、
モリーにそっくりじゃない?
速足で歩いて行くメイドを見た侍従が
とんでもない質問をしました。
しばらく立ち止まったドーラは、
眉を顰めて廊下の先を見つめました。
小柄なメイドが
階段を上っていました。
うつむいた姿勢とは裏腹に
服装は、非の打ちどころがないほど
きちんとしていました。
間違いなく、
新入りのメイドの姿でした。
昨夜、
また飲み過ぎたのではないかと
呆れたように笑ったドーラは、
急いで食品貯蔵庫へ向かいました。
新たに配達された食材の状態を
確認している間に、
正午が近づいて来ました。
新しいメイドを採用するための
面接をしに行く時間でした。
使用人の休憩室の前を
通りかかった時、
「新しく雇った台所のメイドに
モリーに似た子がいましたか?」と
またもや、くだらない話を聞きました。
ドーラは真剣な顔で
料理人に向き合いました。
料理人は、
先ほど、茶筒を持って行った
メイドのことだ。まるで、
モリーのような顔をしていたと
話しました。
ドーラは、
体格の似ている子は一人いるけれど
顔は似ていないはずだと
返事をしました。
料理人は、
あの鷲鼻は
間違いなくモリーだったけれど、
確かに、
あの子がここにいるはずがない。
見間違えたようだと、
大したことではないというように
肩をすくめて去って行きました。
しかし、ドーラは、
しばらくその場に留まりました。
お茶は特別管理品目でした。
食品貯蔵庫にあるキャビネットに
別に保管して、
常に鍵をかけていました。
そして、その鍵を管理するのは
メイド長の仕事でした。
釈然としない気分に囚われた
ドーラは、腰に下げた鍵の束を
慎重に確認してみました。
キャビネットの鍵は
確かにそこにありました。
食品貯蔵庫で、
モリーに似たメイドを見た記憶も
ありませんでした。
では、その子は、一体どこから
お茶を持って来たのだろうか?
なかなか解消されない疑問を
噛み締めていたドーラは、
モリーに似たメイドが
消えていった方向へ
足を向けました。
主人夫妻のための茶菓子は、
三階の給湯室で
別途用意していました。
茶筒を持って行ったのなら
目的地はそこだったはずでした。
ドーラは、
いつもより焦った足取りで
階段を上り始めました。

給湯室を出たモリーは、
その隣にある掃除用品保管庫に
身を隠しました。
まもなく女主人のお茶を
準備するメイドが現れました。
見知らぬ顔なので、
モリーを追い出した後に、
新しく入れたメイドのようでした。
息を殺したモリーは、
保管庫のドアの隙間から
外の動きを探りました。
給湯室に入ったメイドは、
すぐに再び姿を現しました。
白い湯気が立ち上るティーカップと
クッキーの皿をのせた盆を
手にしていました。
そのメイドが
廊下の向こう側へ消えると、
モリーは、
静かに倉庫を抜け出しました。
茶葉のすり替えに成功したので、
あとは急いで
この邸宅を出るだけでした。
知り合いに会う確率が高い
使用人通路は危険だと判断した
モリーは、
邸宅の中央玄関へと続く階段へ
向かい始めました。
ちょうど廊下の角を曲がった頃、
反対側から、
歩いて来るメイドを発見しました。
あろうことか、
同じ部屋を使っていたメイドだと
気づいたモリーは、
慌てて背を向けました。
幸い、相手は
まだ彼女を見ていないようでした。
頭をさらに深く下げたモリーは、
来た道を急いで戻り始めました。
再び保管庫に隠れて
適切な時期を伺うのが良いと
決心をしたのと同時に、
キャンキャンと
犬の吠える声が響き渡りました。
モリーは、
今にも悲鳴を上げそうな口を塞ぎ、
視線を落としました。
松ぼっくりをくわえて来た
女主人の犬が
モリーをじっと見つめながら
尻尾を振っていました。
慌てたモリーは、
さらに足早に歩き始めました。
しかし、マルグレーテは
しつこくつきまとい、吠えました。
倉庫に隠れるのは間違っていると
判断したモリーは、
まず犬を抱き上げて
騒ぎを鎮めました。
その時、背後から、聞き慣れた声が
聞こえて来ました。
この邸宅のメイド長でした。
「モリー・・・?」
しばらく止まっていた足音が
再び近づいて来ました。
モリーは何も聞こえないかのように
ただ前を向いて歩きました。
全てを台無しにした犬は、
世間知らずの無邪気な顔で
尻尾を振っていました。
「何とまあ、モリー!」
使用人通路のドアを開けたと同時に
確信に満ちた叫び声が
聞こえて来ました。
これ以上、芝居を続けるのは
無意味だと判断したモリーは、
全力で走り始めました。
後を追ってきたメイド長は、
しばらくして
引き返さなければなりませんでした。
息が詰まりそうなくらい
奥様を呼ぶ悲鳴が、
邸宅の平穏を引き裂いたからでした。
犬を降ろしたモリーは、
転がるように走って階段を下りました。
やっとの思いで
邸宅を抜け出したものの、
すでに非常事態を知らせる鐘の音が
鳴り響いていました。
再び変装して正門を通過するのは
難しそうでした。
次善の策を選ぶことにしたモリーは
慣れた森へ向かって
全力で走って行きました。
激しく吠えながら追いかけて来る
白い犬と一緒でした。
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まずバスティアンがすることは、
オデットの軟禁状態を
解消することではないでしょうか。
体調が万全ではないので
外出は禁止するとしても、
せめて手紙や電話のやり取りくらい
させてあげて欲しい。
オデットの意見を聞かないまま、
彼女のアルデン行きの準備を
進めてしまえば、
彼女が戸惑うのは当然だと思います。
少しだけ、二人の関係が
良い方向に向かいつつあったのに
それが、
台無しになってしまいそうです。
モリーもとんでもないことを
しでかしましたから・・・
お金のためなら、
良心の呵責に苛まれることもなく
平気で犯罪に手を染める
モリーが恐ろしいです。
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