
108話 ランス嬢は、ダルトン氏のことで、ローラが適切に助言してくれたことを思い出しました。
ランス嬢は、ペンドルトン嬢が
自分の勘違いとダルトン氏の気持ちを
知っていたに違いないと思いました。
彼女は、春のピクニックのことを
思い出しました。
逃げたペンドルトン嬢と
彼女を追いかけて来たダルトン氏。
ランス嬢は、ダルトン氏が
ペンドルトン嬢の出自を知って
彼女を裏切ったと思っていました。
しかし、もしかすると事実はその逆で
むしろダルトン氏がペンドルトン嬢を
熱烈に愛していたのに、
彼女が、その気持ちを
拒んだのかもしれませんでした。
なぜ、その考えが
浮かばなかったのだろうか。
自分は無意識のうちに
彼女を軽んじていました。
生まれが良くないから。老嬢だから。
財産がないから。
ロンドンの人々の中で
最も分別があって、最も自分のことを
考えてくれていた人なのに・・・
真実が彼女の自我を裸にしました。
その裸の体は、
彼女が持つ20歳の肉体とは全く異なり
みすぼらしく歪み、虚弱な姿でした。
自分が賢いと思っていました。
階級に目がくらんだ父親よりも、
金に命をかける母親よりも、
無鉄砲な友達よりも、ずっと
優れている人間だと思っていました。
しかし、自分は彼らと変わらない。
ただの愚かな、
20歳の小娘に過ぎませんでした。
ランス嬢は
両手で顔を覆いました。
すぐに手のひらが、
涙でびっしょりになりました。
失恋した女性の感傷的な涙ではなく
真の自分と向き合った者だけが流せる
苦い自覚の涙でした。

緑のチェック柄のドレスに
白いショールを羽織ったローラが
邸宅の玄関を出ました。
2人のメイドが荷物を持って
彼女の後から付いて来ました。
邸宅の前には、濃い茶色の四輪馬車が
停まっていました。
待機していた
ホワイトフィールドの御者が、
メイドと一緒に荷物を積み込みました。
その間に、ペンドルトン嬢は
馬車に乗り込みました。
彼女は、早くこの家を離れたいと
思っていました。
一人で考えを整理する時間が
必要でした。
ダルトン氏の気持ちが
他の女性に向けられていると感じたのは
初夏でした。
突然、姿を消していた彼が再び現れ、
ランス嬢の仲間たちと交流し、
自分に相手を見つけて欲しいと頼んだ
あの時でした。
友情で武装したダルトン氏の態度を見て
ローラは、彼の気持ちが
自分に向いているという信念を
完全に捨て去ったのでした。
しかし、それは演技でした。
仮面でした。
彼は、愛に対して防御的な自分を
欺くために
ランス嬢を利用したのでした。
荷物をすべて積み終えると、
メイドは挨拶をして邸宅に戻り
御者は御者台に座りました。
ペンドルトン嬢は窓の外に顔を出して
出発するよう頼みました。
御者は、すぐに掛け声とともに
手綱を引きました。
馬は長く嘶くと、
前へ足を踏み出し始めました。
その時、
「止まれ」という命令が聞こえました。
ローラは邸宅の入口を見ました。
玄関の前にすらりとした男性の影が
立っていました。 ダルトン氏でした。
御者はすぐに馬車を止めました。
彼が馬車に近づいて来ました。
ローラは焦り、御者に向かって
このまま出発してと叫びました。
しかし、彼は御者に
手綱を離すよう命じました。
御者は当然、
主人の言うことを聞きました
ダルトン氏は許可も得ずに
馬車のドアを開けました。
ローラは拳をギュッと握りました。
ローラは、
自分が自分の足で
どこかへ行くこともできないのかと
抗議しました。
ダルトン氏は、
今起きたことについて、
何の話し合いもすることなく
去るつもりなのかと尋ねました。
ローラは、
話すことはないと答えました。
ダルトン氏は、
話すことがないほど、
この問題が取るに足らないものなら
自分を避ける理由もないのでは?
自分に怒る理由もないはずだと
主張しました。
ローラは冷たい目で
ダルトン氏を見ました。
ローラは、
どんな話し合いをする必要があるのか。
あなたが自分を騙すために
ランス嬢を弄んだ理由?
自分を手に入れるために
嘘で武装していた経緯?
と尋ねました。
ダルトン氏は、
弄んだという表現は適切ではない。
自分とランス嬢の間には、
ペンドルトン嬢と
ウィリアムの友情以上のものは
なかったので、
自分を不届き者扱いしないで欲しい。
自分は30年の間、
誰が自分をどう思おうと気にせずに
生きてきた。
そんな自分に、
ただ一つの例外ができた。
それが、あなただ。
こうなった以上、全てを打ち明ける。
自分たちが初めて出会った舞踏会で
自分はあなたを愛するようになった。
ロンドンでずっと
あなたのそばをうろついていた理由は
友情のためではなく愛のためだった。
しかし、あなたは
自分を望んでいなかったので、
悩んだ末に、
まるで他に心に決めた女性がいるように
振る舞った。
森の中の小屋で、自分は
心に留めている淑女がいると
言ったけれど、
その女性はペンドルトン嬢、
あなただったと打ち明けました。
ローラは言葉を失いました。
ダルトン氏は、
そのことについては後悔していない。
もしあなたを騙さなければ、
あなたは決して
ダンビル・パークの家庭教師にならず
このように
ホワイトフィールドに来ることも
なかっただろう。
あなたを諦めることは不可能なので、
やむを得ない選択だったと話しました。
ローラは、
自分をここまで連れて来たところで
何が変わるというのか。
たとえ自分が
あなたを愛するようになったとしても
自分たちは恋人以上の
何になれるというのか。
まさか、自分と
結婚しようとしているわけでは
ないですよねと尋ねました。
ダルトン氏は、
なぜ、できないのかと尋ねました。
ローラは、
あり得ない。
自分たちは生まれの違いが・・・
と答えました。
ダルトン氏は、
それが自分たちの関係の
核心的な問題だ。
一言や二言で説得できないことは
分かっている。だから・・・
と告げると、
彼は馬車の中に座り、
ドアをバタンと閉めました。
そして御者台に向かって
出発を命じました。
ペンドルトン嬢は驚いて
体を震わせました。
ダルトン氏は腕を組み、
行く途中でゆっくり話そうと
告げました。

馬車が
ホワイトフィールドの森を抜けて
見慣れた牧師館を通り過ぎる間も、
2人の間には
何の会話もありませんでした。
ダルトン氏はずっと、ローラの顔を
じっと見つめていました。
ローラは、そんなダルトン氏を
無視するかのように
窓の外だけを見つめていました。
彼女は、
自分が怒ろうが、問い詰めようが、
目の前の男性が
自分が先に話を切り出すのを
待っていることを
感じ取ることができました。
しかし、ローラはどうしても
言葉を見つけることが
できませんでした。
落ち着いた外見とは裏腹に、
ローラの心の中は
修羅場と化していました。
彼は自分を愛していると言いました。
ランス嬢でも、
別の知らない淑女でもなく
ローラ・シェルダンを。
身の程知らずの片思いだと思いました。
一生、持病のように抱えて
生きなければならない痛みだと
思っていました。
しかし、彼も自分と同じ気持ちでした。
確かに喜ぶべきことであり、
彼女の心の片隅は
確かに喜んでいました。
馬車に一人きりだったら、
ほんの少しの間でも、
感情に全てを委ねて、幸せの涙を
流していたかもしれませんでした。
しかし、彼女のより大きな部分、
彼女の強みであり短所でもある
過度に発達した分別は、喜びを鎖で
ギューギューに縛り付けていました。
ローラは、
ダルトン氏がランス嬢に
大きな過ちを犯したと責めました。
ダルトン氏は、「そうなのですか?」と
聞き返しました。
ローラは、
ランス嬢に、取り返しのつかない傷を
負わせてしまった。
ロンドンは保守的な場所だ。
ある男性と
結婚の約束をしたという噂が広まった
女性は、決して良い夫を
得ることはできない。
たった20歳の女性が経験するには
過酷なことだと話しました。
しかしダルトン氏は、
ランス嬢が
人気のある準男爵家の淑女で
縁談話が絶えないと、
彼女の友人たちが自慢していたと
反論しました。
ローラは、
それは評判に傷が付いてない時の話だと
言い返しました。
ダルトン氏は、
ペンドルトン嬢がそう言うなら、
ランス嬢には別の機会に謝罪するので
彼女の話は、これで終わり。
自分たちには、
もっと重要な問題があるではないかと
言うことで、ランス嬢の話題を、
まるで役に立たない紙くずのよう
片付けてしまいました。
鎖で縛られた喜びが
少し小さくなりました。
ローラは窓の外を見ながら
17歳の自分を思い出しました。
ジョン・アシュトンがロンドンを離れ、
彼の恋人であったことを
皆が知っているロンドンで、
経験しなければならなかった
全てのことを。
彼女が、
貞操を失ったのではないかという
噂が広まり、さらには
妊娠したのではないかという
根拠のない噂まで流れました。
女性たちは、ローラが
まるで街の女であるかのように
話すのを嫌がり、紳士たちは、
女性に対する礼儀とは言い難い
陰険な親切で、彼女を侮辱しました。
あの頃の記憶は、ローラの胸に
数えきれないほどの傷を残し、
29歳になった今でも
時折、彼女を傷つけました。
ランス嬢も
同じようなことを経験するだろう。
準男爵令嬢という肩書があるので、
自分よりはマシかもしれませんが、
ローラはランス嬢が、
純真でありながらも
プライドの高い淑女であることを
知っていました。
彼女がそのような目に遭えば、
壊れてしまうだろうと思いました。
自分が紹介した男性のせいで・・・
ローラは彼をまっすぐ見つめると
「ランス嬢と結婚してください」と
頼みました。
ダルトン氏の表情が固まりました。
ローラは、
彼の心に傷を与えることだと
分かっていながらも、
意を決して、力強く言いました。
ローラはダルトン氏に、
彼のせいで危機に陥った女性を
救って欲しいと頼みました。
ダルトン氏は、
自分は、塔に閉じ込められた姫を
救うために、
火を吹く竜に向かって走る
騎士ではないと反論しました。
しかし、ローラは、
悪役にはなってはいけない。
彼女は、
あらゆる面で素晴らしい妻候補だ。
あなたとお似合いだし、
結婚を通じて相互利益を・・・と
説得している途中で、
「やめろ!」と、
彼が突然、声を荒げました。
ダルトン氏は、
自分が誰と結婚するかについて
干渉されたくない。
特に、あなたには・・・と
抗議しました。
彼の整った顔が歪みました。
ダルトン氏は、
あなたは自分の気持ちを知りながら、
ランス嬢の心配ばかりしている。
彼女の評判、彼女の未来、
彼女の結婚。
彼女はあなたにとって何なのか。
舞踏会で、よそよそしく挨拶を交わす
ただの友達の1人に
過ぎないのではないか。
あなたは、もう
自分があなたを愛していることと
あなた以外の女性と
結婚したくないということを
知っている。
それなのに、どうして
自分に他の女性と結婚しろと
言うのか?
そんなに自分の気持ちは、
どうでもいいものなのか。
あなたの勧めが
自分を傷つけていることを
あなたは知らないのか。
あるいは・・・自分があなたにとって
そんなに意味のない人間なのかと
抗議しました。
彼は、明らかに
傷ついた声をしていました。
ダルトン氏は、
自分は紳士ではない。
決して紳士だったこともない。
自分は生きたいように生きて、
望むものを得るために
他人の目など気にしない人間だ。
結婚するのに、愛以外の条件はない。
そして、その愛を
ただ、あなたにだけ感じている。
だから、条件や利益だのという言葉で
自分を説得しないように。
あなたが、そうであればあるほど、
自分の心は岩のように固くなるだろう。
そして岩になった心が
あなたを洞窟へ追い込み、入口を
永遠に塞いでしまうかもしれないと
話しました。
ローラは彼を説得するのを
諦めることにしました。
彼は頑固な男性で、思っていた以上に
自分に対して強い感情を抱いてました。
ローラは、
出過ぎた真似をしてしまった。
ダルトン氏の結婚は
ダルトン氏が決めることだと
謝りました。
しかし、怒った彼の表情は
少しも和らぎませんでした。
ダルトン氏は、
自分が誰と結婚するかは
すでに決まっている。
しかし、
本当に結婚できるかどうかは
あなた次第だと告げました。
ローラは、
どうか、その決定を
自分に押し付けないで欲しい。
自分はダルトン氏を
喜ばせることができないと
言いました。
ダルトン氏は、
一度頷くだけで、あなたは自分を
世界で一番幸せな男にしてくれると
主張しました。
ローラは、それは、
自分があなたのためにできない
唯一のことだと返事をしました。
ダルトン氏は、
その理由を尋ねました。
ローラは、
分別のある人間なら、
分不相応な縁談を
諸手を挙げて歓迎したりはしない。
配偶者や子供たちを不幸にすることが
目に見えているからと答えました。
ダルトン氏は、
そんなに世間が怖いのか?
他人の陰口や
冷たい視線を避けることが、
ペンドルトン嬢の
唯一の人生の目的なのかと
尋ねました。
ローラは、
自分の人生の目的は
正しく生きること。
自由も愛も結婚も社会の秩序を乱さず
自分にとって大切な人を
不幸にしない範囲でのみ
成り立つべきだ。
それが自分の信念としている価値観だと
答えました。
彼は呆れたように笑うと、
自分と結婚することを、
まるで犯罪を犯すかのように
考えているのですねと
皮肉を言いました。
ローラは、
ダルトン氏を傷つけてしまったのなら
申し訳ないと謝りました。
ダルトン氏は、
謝らないで欲しい。
何の慰めにもならないと答えて
ため息をつくと、
両手で顔を強く擦りました。
ローラは、
苦しむ彼の姿を見るのが辛くて
再び視線を窓の外へ向けました。
しばらく沈黙した後、ダルトン氏は、
一つだけ聞くけれど、
他のことは全てさておき、
自分を愛する気持ちが
少しもないのか? 一瞬でも構わない。
自分を見て胸がときめいたり、
深夜に自分のことを思い出して
寝返りを打ったり、
自分との未来について
想像したことは一度もなかったのかと
尋ねました。

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ランス嬢は、
自分の過ちに気づけて良かった。
今のところ、
お先真っ暗かもしれませんが
捨てる神あれば拾う神ありで
きっと彼女を助けてくれる人が
現れると思います。
今のダルトン氏は、まるで北風のよう。
ローラは、
教養、知識、親切、慎ましさ、
分別などの防寒着を身にまとって
貴族社会での身分による差別という
極寒の中で耐えて来た。
そのローラの防寒着を
ダルトン氏は愛の力で
脱がせようとしているけれど、
長年培って来た価値観を変えるのは
そう簡単ではないと思います。
特に、それが自分を守るための
盾であれば。
でも、人のことばかり心配している
ローラに腹を立てる
ダルトン氏の気持ちも理解できます。
今のダルトン氏は、
ローラに避けられて、
意気消沈していた後に
思いがけず、自分の気持ちを知られ
性急さに拍車がかかっていると
思います。
少し前のように、
ゆっくりローラとの絆を深め、
彼女をじわじわと温める
太陽になり、彼女が自ら
防寒着を脱げるように
導いて欲しいです。