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169話 バスティアンの次の手は?
日常が揺らぎ始めた。
オデットは、
これ以上、避けられなくなった
その事実を、
諦めたように受け入れました。
目の前に証拠を突きつけられると
心がさらに乱れました。
入念に準備したティータイムは
オデットの計画と
大きく異なっていました。
今日のために用意した
新しい夏用ブラウスは
着ることができなくなりました。
アイロンをかけている間に、袖口を
焦がしてしまったためでした。
修理が不可能なほどでは
ありませんでしたが、
時間が迫っていたため、
やむを得ず、別の服を
選ばなければなりませんでした。
不運はそこで止まりませんでした。
ティーテーブルを用意している時に
客の人数に合わせて用意した
ティーカップの1つを
割ってしまいました。
慌てて雑貨店へ駆け込みましたが、
オデットが買った物と同じ
ティーカップは売り切れていました。
悩んだ末に、
最も色合いと形が似ているものを
選びましたが、
セットのように見えるのは
やはり無理でした。
その事実に心を痛めていたのと同時に
むせ返るような煙の匂いが
漂って来ました。
オデットは、ようやく
オーブンに入れておいたプラムパイを
思い出しました。
すでにミスを挽回する方法が
なくなっていた後でした。
オデットは、
静かにため息をつきながら
ティーカップを置きました。
焼きたてのパイを振る舞う計画は
中止になりましたが、幸いにも
あらかじめ作っておいた
他の料理があったため、
危機を免れることができました。
ラズベリージャムを塗って
焼いたクッキーとバラのゼリー、
そしてフルーツケーキまで。
どれも心を込めて準備したものでしたが
それでもなお胸が痛むのは
自分自身への
失望感のせいのようでした。
そして、その苦悩の果てには、
このすべての不運の始まりである
男の名前がありました。
ティータイムが終わりに近づいていた頃
そういえば、昨日マリーさんが
素敵な紳士とデートをしたという噂が
あるそうですね?と
教師の妻が、突然、質問して来ました。
オデットは、
落としそうになったティーカップを
慌てて握り直しました。
引きつった口角を上げている間に、
向かいの席に座っていた婦人が
マリーさんの従兄が
ロスバインを訪れたそうだけれど
もしかして、その人かと尋ねました。
結局、オデットは
「・・・はい、そうです」と
再び情けない芝居の役者となりました。
込み上げて来る怒りは深く飲み込み、
その代わりに
滑らかな笑みを浮かべました。
オデットは、
久しぶりに従兄に会って、
一緒に昼食を取ったと話しました。
婦人は、
事前に自分たちに教えてくれていたら
挨拶をしたのにと残念がりました。
従兄は、隣の村にあるホテルに
泊まっている。そこで会ったので
紹介する機会がなかったと、
オデットは自分でも驚くほど
巧みに嘘をつきました。
幸いにも皆、素直に
信じてくれている様子でした。
ところが、
ようやく全てが片付いたと思った
矢先に、教師の妻が、
マリーさんの家族は、
皆、容姿端麗なようだ。
目が覚めるほどの美男子だと聞いた。
この村に来る際は、
是非一度、合わせて欲しいと
困ったお願いをして来ました。
「それは・・・」と
適切な返事を考えていたオデットが
口を開いたと同時に
呼び鈴が鳴りました。
オデットは目を大きく見開いて
玄関を見つめました。
雑談をやめた女性たちの視線も
一斉に同じ場所へ向かいました。
子供たちの悪戯だという結論に
達した瞬間、
再び呼び鈴が鳴り響きました。
応接室の窓の外を眺めていた教師の妻が
「なんてことでしょう!」と
感嘆の声を上げました。
そして、
どうやらマリーさんの従兄が
来たようだと告げるや否や、
すべての女性たちが
一斉に窓の前に集まりました。
呆然としたオデットは
最後に席を立ちました。
薄灰色のスーツを着た長身の男性が
玄関のポーチの下に立っていました。
一目で招かれざる客の正体を見抜いた
オデットは、
思わず悲鳴を上げそうになった唇を
慌てて押さえました。
再び鳴る呼び鈴の後に、
丁重なノックの音が続きました。
あの男が、
自分の名前を呼ぶかもしれないという
不吉な予感がしたのは、その時でした。
突然、
目の前が真っ暗になったオデットは、
どうか、そのような不幸なことだけは
防げますようにと祈りながら
玄関へ走って行きました。
ドアを勢いよく開けると、
予想通り、その顔が見えました。
オデットは、「早く来ましたね」と
先手を打つことで
バスティアンの口を封じました。
その間に、後から付いて来た
女性たちが
バスティアンを注視していました。
一歩間違えれば、
嘘がばれてしまうかもしれない
状況でした。
呆気にとられる
バスティアンを見つめながら、
オデットは「手伝ってください」と
唇の形だけで囁きました。
眉間にわずかな皺を寄せた
バスティアンでしたが、
ほどなくして、余裕のある表情を浮かべ
柔らかな笑みを口元に湛えました。
彼の協力的な態度を確認したオデットは
ようやく一息ついて
バスティアンのそばに近づきました。
そして、従兄を夕食に招待した。
確か、集まりが終わった後に
来ることになっていたけれど、
何か間違いがあったようだと、
適当な言い訳をし、切実な眼差しで
バスティアンを見上げました。
バスティアンは、すんなりと頷き
従妹の言う通りだと
調子を合わせました。
そして、
好奇心に満ちた目を輝かせている
女性たちの前に近づくと、
約束の時間を間違えてしまったことで
大変、迷惑をかけて申し訳ないと
丁重に頭を下げることで
謝罪の意を示しました。
それから、バスティアンは、
約束の時間に合わせて、また来る。
皆様が
楽しい時間を過ごせますようにと
告げると、
持ってきた花束とチョコレートの箱を
オデットの腕に抱かせ、
自然に状況を収拾しました。
しかし、様子を窺っていた教師の妻が
ここまで来てくれたのに、
そんな苦労をする必要はない。
大丈夫なので、中に入ってくださいと
思いがけず、
バスティアンの退場を阻止しました。
見守っていた他の女性たちも、
この村には、
他に行くべき場所もないのに、
こんな風に去ってしまったら、
自分たちの気持ちが
落ち着かないだろうと賛同すると、
「そうですよね、マリーさん?」と
オデットに同意を求めました。
言葉に詰まったオデットは
助けを求める眼差しで
バスティアンを見つめました。
悩んでいたバスティアンは、
女性たちの配慮に感謝した後、
従妹も同じ考えであれば
従うことにすると、
思いがけない返答で
期待を裏切りました。
今や皆の視線は
オデットに集中していました。
「お客様が許可してくださったので
どうぞお入りください」と
すでに決まっている答えを口にする
オデットの声が細かく震えました。
静かに彼女を見下ろしていた
バスティアンは、ニッコリ笑って
玄関の敷居を越えました。
オデットは絶望的な気持ちで
巨大な不運の後を追いました。

階段を上る2人の足音が、
金色の埃が舞う午後の陽射しの中に
染み込みました。
軽やかで柔らかな足取りが先頭に立ち
重々しく節度ある足取りが
後に続きました。
調和のとれたリズムを奏でながら
続いていた足音は、寝室に着いてから
ようやく止まりました。
窓際のテーブルの上に
茶菓子の盆を置いたオデットは
客が帰るまで、絶対に降りて来ないでと
厳重な命令を下しました。
バスティアンは、
戸口に寄りかかりながら、
オデットの寝室を見回しました。
ベッドとクローゼット、
そして化粧台が一つ。
最低限の家具だけを備えた
質素な部屋でした。
新しく張り替えたばかりのような
きれいな壁紙とは違い、
床板はひどく古びていました。
家を全て修理する前に
逃げなければならなかった
オデットの切実な気持ちの一片を
垣間見たようで、
ふと口の中が苦くなりました。
「お答えください、
カール・ロビスさん」
いつの間にか、目の前まで
近づいて来ていたオデットが
彼を急き立てました。
バスティアンは、
化粧台の上に置かれている
金の櫛を見ていた視線をそらして
オデットと向き合いました。
そして、彼女をじっと見つめていた
バスティアンは、
従妹は、
その名前が気に入らないようだと
とんでもない冗談を言いました。
オデットは呆れて空笑いをし、
あなたと言葉遊びをするつもりはないと
言い放ちました。
バスティアンは、
それでもマリー・ベラーよりは
マシだと思うと言い返すと、
オデットは「バスティアン!」と
叱るように名前を呼びました。
バスティアンはハハハと笑いながら
頷きました。
バスティアンはオデットに
もう降りるように、
許可が下りるまで、ここで、
おとなしくしていてあげると告げて
肩をすくめて見せると、
颯爽と寝室を横切って
窓辺に置かれたテーブルの前に
座りました。
足を組んで座ったまま
ティーカップを持つ動作が
憎らしいほど、
ゆったりとしていました。
ついに家に足を踏み入れた
バスティアンは、
驚くほど図々しい態度で
客たちと挨拶を交わしました。
さらには、カール・ロビスという
とんでもない偽名まで
でっち上げながら。
会わない間に、頭が
どうかなってしまったのではないかと
心配になるほどでした。
次のプログラムに移る時間になっても
女性たちの関心は全て、
マリー・ベラーの従兄にだけ
集中していました。
そしてカール・ロビス役の
バスティアンは、
かつてない親切を示しました。
見かねたオデットが割って入らなければ
集まりのために準備したレースの図案は
無駄になっていたはずでした。
その約束は必ず守って欲しいと
最後のお願いの言葉を残したオデットは
急いで寝室を後にしました。
1人残されたバスティアンは、
いっそう落ち着いた目で
窓の外を見つめました。
樹齢の長い柳が並ぶ川辺と村が
一幅の絵のように広がって見えました。
ティーカップを置いたバスティアンは
もう一度ゆっくりと
オデットの寝室を見回しました。
装飾はあまりなく質素でしたが、
それでも、あちこちに
主人の痕跡が残っていました。
手織りのレースで作った家具のカバー。
形がきれいな飲料瓶に挿された
バラの一輪。
サイドテーブルの上に積まれている
本の山。
化粧台の鏡に貼ってあるメモ。
生活の痕跡がにじみ出ている
空間であることを、
ふと悟ったバスティアンの眼差しが
冷たく沈みました。
もうオデットは
安定を取り戻したと言った
伯爵夫人の言葉は、
どうやら虚言ではなさそうでした。
新たな出発。 その切実な夢が、
ついに叶ったように見えました。
習慣的に取り出していたタバコの箱を
握りしめたバスティアンは、
女たちの笑い声が微かに聞こえて来る
向かいの窓の前に近づきました。
裏庭に置かれた屋外用テーブルを
囲んで座っているオデットと客たちが
レースを編んでいました。
貝殻と小石で囲まれた花壇は
花が咲き乱れ、その隣の小さな畑では
新鮮な野菜が育っていました。
オデットが心を込めて育てた
生活の風景に違いありませんでした。
バスティアンは、
見慣れているようで
見知らぬオデットを
しばらく見つめていました。
口数は、それほど多くは
ありませんでしたが、
それでもオデットは
集まりの主催者としての役割を
しっかり果たしました。
時折聞こえてくる澄んだ笑い声が
まるで心地よい音楽のように
感じられました。
バスティアンは、
安堵と虚脱感が入り混じった笑みを
浮かべながら
テーブルの前に戻りました。
オデットが置いて行った茶は
すでに冷たくなっていました。
集まりが終わるまで、
バスティアンは黙って
その場を守りました。
客に別れの挨拶をする程度の礼儀は
尽くすべきだと思いましたが、従妹が
あまりにも不快そうだったので、
無礼を犯すことにしました。
オデットが戻って来たのは、
家を出た客たちが、村のあちこちに
散り散りになった後でした。
オデットはバスティアンに、
もう全部終わったので
帰るようにと告げました。
彼は、
確か、夕食に招待したと
聞いたような気がするけれど
違っていたかと、淡々と聞き返して
席を立ちました。
オデットは、ハッとして
唾を飲み込みました。
オデットは、
「やめて。あれは、ただ・・・」と
言い訳をしようとしましたが
バスティアンはオデットに
お腹が空いたと告げると、
包帯を巻いている手首を
見下ろしていた目を上げて
オデットを見ました。
彼女は、どうしてよいか分からず、
すぐに深いため息をつきました。
赤くなった目元に包まれた
青緑色の目が、
夕方の光の中で透明に輝きました。
オデットはバスティアンに、
一体なぜ、そんなに痩せたのかと
尋ねました。
バスティアンは、
忙しいからだと答えました。
それでも、
食事はきちんと取るべきだったと
オデットが非難すると
バスティアンは、
飢えさせて追い出そうとする
冷酷な従妹が、
言うべきことではないと思うと
言い返すと、クスクス笑いながら
オデットとの距離を縮めて行きました。
バスティアンは、
もう少しだけ一緒にいよう。
話すことがあると告げました。
最後の一歩を残したのは、
ひび割れた壁を崩すための
戦略でした。
準備が整うまで降りて来ないでと
厳しい警告を残したオデットは、
お茶の盆を持って
逃げるように寝室を去りました。
作戦が成功したことを確認した
バスティアンは、
躊躇うことなく妻の後を追いました。
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母親が生きていた頃は、
いつか皇室に戻る時のために
厳しく躾けられ、その後は
賭け事に溺れている
飲んだくれの父親と、妹の面倒を
見なければならなかった。
2人の世話からは解放されたけれど
バスティアンとは、
雇用主と雇用者の関係が継続したまま。
しかし、
まだ離婚は成立していないものの
ロスバインへやって来たことで
ようやく自由になれたオデットは
誰かのためではなく、
自分のために生きられるように
なったのではないかと思います。
ようやく手に入れた自分だけの生活を
守るために、オデットはバスティアンに
あれこれ指図しましたが、
彼女が遠慮なくバスティアンに
接することができるようになることが
今後の2人の関係を良くするために
必要なのではないかと思いました。
ところで、
このオデットが住んでいる家は
セキュリティ上、
問題ないのですよね?
美しい女性が
1人暮らしをしていることは
とっくに広まっているでしょうから
オデット目当てに、
誰かが侵入しようとすることも
あり得るのではないかと思います。
そう考えると、今だけでも
バスティアンがいてくれて有難いと
オデットが思ってくれればいいのにと
思います。
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