
118話 ローティス嬢は、雇用主の言葉を信じているのかと尋ねました。
ローラが答えられないでいると
ローティス嬢は、
契約書でも書いたのかと尋ねました。
ローラは、
ローティス嬢さえ差し支えなければ、
そのようなことを言う理由を
聞きたいと言いました。
ローティス嬢は、考え込むように、
黙々と葉巻を燻らせました。
ソファーに寄りかかって座り、
煙を吐く彼女の姿は
人を魅了する何かがありました。
ローラは唐突に、
彼女に恋人はいないのだろうかと
気になりました。
かなりの美人で、裕福で、
恋愛をするのに遅くない年齢でした。
きっと目の高い紳士たちは
放っておかないはずでした。
やがて、ローティス嬢は
葉巻を押し潰して消しました。
ローティス嬢は、
結婚適齢期を過ぎた頃から
自立の準備を始めたという
ローラのことを強い女性だと言い、
もし自分が25歳で
持参金もない状況だったら、
拳銃で自ら命を絶っていた。
前に言った通り、
自分は家庭教師になるくらいなら
強盗になる人間だけれど、この足で
強盗をするわけにはいかないと
話しました。
褒め言葉なのか侮辱なのか
曖昧な話し方のため、
ローラは再び困惑しました。
ローティス嬢は、
しかし現実は残酷だ。
あなたがグラント女学校を
首席で卒業していようと、
5か国語を操ろうと、
あなたは50ポンドの価値しかない。
家庭教師として未来を設計できるのかと
尋ねました。
ローラは首を振りました。
ダンビルパークに来る前に
職業紹介所を転々とし、
骨身に染みるほど実感した現実でした。
それでもローラは、自分の立場を
弁護したいと思いました。
ローラは、
家庭教師になることは
自分の能力を活かすことではなく、
むしろ地中に
埋めてしまうことだということを
分かっている。
多くの雇用主が家庭教師に料理をさせ
洗濯物を畳ませ、
クリーニング店に
使い走りをさせている。
しかし、自分には
これしか選択肢がなかった。
そして、
自分は自分の選択に忠実だったと
弁解しました。
ローティス嬢は、
それなら、他に選択肢があれば
違っていたということですよねと
尋ねました。
ローラは
「えっ?」と聞き返しました。
ローティス嬢は、
もし、1年で200ポンド以上
稼げる仕事があったとしたら
あなたは、その仕事を選んだかと
尋ねました。
ローラは、
・・・違法ではなく、良心に背かず、
命の危険もなかったならば・・・
選んだだろうと答えました。
ローティス嬢は
ローラをじっと見つめました。
黒い瞳が輝いていました。
ローティス嬢は、
では今、別の選択肢を提案する。
翻訳者になるのはどうかと
尋ねました。
ローラは目を見開きました。
ローティス嬢は、
今読んでいるその本を翻訳したら
どれくらい時間がかかるかと
尋ねました。
ローラは、
・・・おそらく、半年から8ヶ月ほどと
答えました。
ローティス嬢は、
その程度の分量の本1冊の翻訳料は
150ポンドだ。
あなたは言語に才能があり、誠実だ。
ジェーンがそう言っていたし、
自分が直接見てもそうだ。
あなたは翻訳者になることができると
断言しました。
ローラは体が震えました。
彼女は、
まず読んでいたページに栞を挟んで
本を閉じ、そばに置いた後、
震える両手を膝の上に置きました。
ローラは、
自分のような者を、出版社が
受け入れてくれるだろうかと
尋ねました。
ローティス嬢は、
あなたのような者とは、
どんな者かと尋ねました。
ローラは、
女性で・・・翻訳経験もなくて・・・
と答えると、ローティス嬢は、
能力さえ十分なら、編集者は
あなたが女性でなくタコでも
仕事を任せる。
経験がないことも問題ない。
自分は出版業者を多く知っていて
信頼できる人たちに
あなたを紹介するつもりだと
話しました。
ローラの顔が真っ赤になりました。
驚きと感謝の感情が溢れ、
普段の穏やかな姿を
失ってしまいました。
人生に新たな可能性が、
思いがけない人を通じて、ゆっくりと
目の前に開かれていました。
彼女は口ごもりながら
感謝の言葉を述べました。
するとローティス嬢は、
自分にはあなたを助ける義務がある。
グラント校長の弟子であれば、
彼女のビジョンを
実践しなければならないからと
話しました。
それから、彼女は甘く微笑むと、
あなたはジェーンを助けて
出版社で働けるようにしてくれた。
あなたがいなければ、
自分はジェーンに
会うことはできなかっただろうと
話しました。
その時、ガタガタという音と共に
ハイド嬢の部屋のドアが開き、
カササギの巣のような髪に
適当にガウンを羽織った姿で
ハイド嬢が部屋から出て来ました。
彼女は目を擦りながら
ソファーに近づきました。
彼女は、
随分、寝過ぎてしまったようだ。
頭が痛いと言いました。
ローティス嬢は、
昨日、飲んだラム酒のせいだと
指摘しましたが、ハイド嬢は
そんなに、たくさん飲んでいないと
反論しました。
ローティス嬢はハイド嬢が来ると、
隣に掛けてあった杖を片付けました。
ハイド嬢は自然に
彼女のそばに座りました。
ローティス嬢はハイド嬢に
先ほど、ペンドルトン嬢に
翻訳の仕事をしてみるよう提案したと
話しました。
ハイド嬢は目を擦っていた手を離し、
ペンドルトン嬢を見ると、
「翻訳?ぺンドルトン嬢にぴったり。
承諾しましたよね?そうですよね?」
と尋ねました。
ペンドルトン嬢はニッコリ笑うと
家庭教師より3倍は稼げるだろうから
当然だと答えました。
ハイド嬢は、
嬉しそうな顔で手を叩きました。
ローティス嬢はハイド嬢に、
これから自分が知っている編集者たちに
ペンドルトン嬢を紹介する。
同席する機会が多くなるだろうから、
食事の予約をする時は、
席をもう1つ用意するようにと
指示しました。
ハイド嬢は「はい」と返事をすると
ニコニコ笑いながら、
すぐにローティス嬢の首に抱き着き
心からのお礼を言いました。
ローティス嬢の顔が
微かに赤くなりました。
ローラは
彼女の顔をじっと見つめた後、
すぐに視線をそらしました。
なぜか、彼女の赤くなった顔が
自分にも伝染するような気がしました。

その後、ローラは、ハイド嬢と共に
ローティス嬢に付いて回りました。
講演会やサイン会、朗読会でローラは
多くの出版業者を紹介してもらい
一緒に食事をしました。
ローティス嬢はローラのことを
5か国語に堪能な秀才であり、
オックスブリッジの卒業生に劣らない
学問的見識を持つ人材だと
紹介しました。
ローティス嬢がローラを
翻訳者としてデビューさせようとする
意図を読み取った出版業者たちは、
競ってローラと原稿の契約を
結ぼうとしました。
ローティス嬢が、これまで
原稿を提供していた出版社と決別し、
新しい出版先を探しているという
噂があったためでした。
ローラは慎重に
キャリアの第一歩となる作品を
選びました。
すぐに彼女の前に
ふさわしい原稿が現れました。
あるドイツ人の神父が書いた
随筆集でした。
出版社は、この一冊の翻訳料として
100ポンドを提示しました。
ローラは原書を受け取り、
ざっとめくりながら、
これくらいなら、
2ヶ月で終わらせられるだろうと
考えました。
ローラの胸は
自信でいっぱいになりました。
自分自身の存在が
この上なく心強く感じられました。
今、自分の力で
貧困から抜け出すことができ、
幸運や偶然に頼らなくても、
いくらでも不自由なく、
暮らして行けるようになったのでした。
ローラは、
ローティス嬢とハイド嬢が見守る中、
正式に契約を締結しました。
「万歳!」
街に出るとすぐに、ハイド嬢は
両腕を空に上げて力強く叫びました。
通りかかった人々が
彼女をチラッと見ました。
契約書を持ったローラは
顔を赤らめました。
恥ずかしいからではなく、
嬉しかったからでした。
彼女が、もっとお淑やかでなければ、
ハイド嬢よりも大きく
「万歳!」と叫んだはずでした。
ハイド嬢は、
これからペンドルトン嬢は
お金持ちになって、
大きな家に住みながら
四輪馬車を乗り回し、
何人もの使用人を雇うことになると
言いました。
ローラは、
まだ初めての本を契約したばかりなので
分からないと反論しましたが、
ローティス嬢は首を振ると、
10年間コツコツ働けば、
ジェーンの言う通りになる。
翻訳能力は、出版界で貴重に扱われる
才能だからと言いました。
ローラの心臓がドキドキしました。
まだ訪れていない未来について
楽観しし過ぎてはいけないと
思いながらも、心は限りなくときめき
喜びに満ちていました。
期待できる収益が増えるにつれて、
いつも心の片隅にあった未来への不安が
雪が解けるように消えて行きました。
3人は、
夕陽がゆっくりと沈んでいく
オレンジ色の歩道を
ゆっくりと歩きました。
ローティス嬢は、
今日みたいな日に、
ただ家に帰るのも何なので、
どこかに寄って食事をしてから
帰らないかと提案しました。
ローラは、
普段よりずっと明るい声で
ベアトリーチェへ行こう。
今日は自分が奢ると言いました。
3人は有名なイタリアンレストラン
ベアトリーチェへ向かいました。
しかし、5時半にもかかわらず、
すでにテーブルは満席でした。
支配人は、テーブルが空くまでに
1時間はかかるだろうと謝罪しました。
彼らは別の選択肢を考えました。
しかし、今日のような記念すべき日に
ただの普通のレストランで
食事をするのは嫌だというのが
共通の考えでした。
彼女たちはウェイティングリストに
名前を書いた後、
レストランの近くの
鉱泉水ホールへ向かいました。
鉱泉水ホールは
無料で鉱泉水を飲むことができる
バースの名所でした。
建物も広々として美しく、
人と交流したり約束をするのに適した
社交の場でもありました。
ホールに到着した彼らは、
美しいカクテルグラスに入った
鉱泉水を1杯ずつ受け取り、
中央ホールを歩き始めました。
ホールの中は、
普段通り人で賑わっていました。
人混みに押し流されるのに
飽きた彼女たちは、
隅の窓際に席を取りました。
そして鉱泉水を飲みながら
軽い談笑を交わしました。
ローラは、
少なくとも1年に3冊以上の本を
翻訳したいと、
未来について語りました。
そのようにして稼いだお金を
父から受け継いだ遺産と合わせれば
不自由なく暮らせるだろうと
思いました。
ローラは、
もしかすると10年後くらいに、
田舎に小さな学校を建てることも
できるだろう。
昼は子どもたちを教え、
夜に翻訳の仕事をすれば、
とてもやりがいのある生活に
なるだろうと言いました。
ハイド嬢は、
ペンドルトン嬢なら、
農家の子どもたちを1人残らず
オックスブリッジに送り出しても
おかしくない。
ペンドルトン嬢は
生まれつきの先生だからと
嬉しそうに応じました。
2人が盛り上がって話している間、
ローティス嬢はずっと無言でした。
そうして30分ほど経った頃、
彼女が低い声で2人を呼び、
誰かが自分たちを見ていると
告げました。
2人は目を丸くして
ローティス嬢を見ました。
ハイド嬢は
「誰ですか?」と尋ねました。
ローティス嬢は、
分からないけれど、
誰かの視線を感じる。
30分間、目を離さずに
自分たちをじっと見ていると
答えました。
ローラは、
もしかしてローティス嬢の
ファンではないか。
近づいて、
知っているふりをしたいけれど
同行者がいて、できないとか・・・
と、慎重に意見を述べました。
しかし、ローティス嬢は首を振り
ファンだったら、
とっくにサインを依頼して来たはず。
推測するに、
相手は間違いなく男性だと言いました。
ローティスさんの顔には
不快感がはっきりと表れていました。
ローラは、
自分たちの中の誰かに恋をした
紳士がいるようだ。
おそらく自分たちの中で最も美しい
ローティス嬢だろうと、
雰囲気を和らげるために、
再び優しく話しかけましたが、
ローティス嬢の表情は
和らぎませんでした。
ハイド嬢は、
まず、ホテルに戻ろう。
ここを出てすぐに貸切馬車に乗れば
自分たちに付いて来られなくなると
提案しました。
彼らは早足で
鉱泉水ホールを抜け出しました。
そして通り過ぎる貸切馬車の1台を
急いで捕まえ、
ローレリアホテルへ向かいました。
ホテルに戻った彼女たちは
リビングに集まり、悩みました。
一体、あの視線の主は誰なのか、
なぜ、あれほど、
しつこく見つめて来たのか。
誰なのかは知る由もありませんでした。
バースは混雑していて、
そのうちの半分は男性だからでした。
しかし、なぜ見ているのかについては、
きっと不潔な企みがあるに違いないと
ローティス嬢は断言しました。
彼女は、
女性に関心があれば、
すぐに接近するのが正常な行動だ。
一か所で30分以上見つめ続けるなら
それは動機が不純か、
正気を失った人間であることは
明らかだと主張しました。
ローラは、それほど極端には
考えていませんでしたが、
彼女の不安を
理解することができました。
女性にとって男性の視線は、時に
危機の前兆となり得るからでした。
ハイド嬢は顎をさすりながら
自分たちの中で
誰を狙ったのだろうか。
ペンドルトン嬢?自分?
それともローティス嬢?
と呟きました。
ローティス嬢が、
もしかすると3人全員かもしれないと
返事をすると、
ローラは身震いしました。
3人全員だったら、
本当におかしい人だと呟きました。

![]()
ローラがハイド嬢に蒔いた
親切と思いやりの種が
ローラの翻訳者としての道を開く
大きな花を咲かせました。
イアンにとっては危機だけれど(笑)
ローラは、
ダンビルパークに戻らなくても
自分だけで生きて行ける道を
見つけてしまいました。
イアン、早くバースに来ないと、
二度とローラを
手に入れられなくなってしまいます。
鉱泉ホールで
彼女たち(おそらくローラだけ)
を見つめていたのは
イアンかジョン・アシュトンだと
思います。
でも、奥さんが亡くなってすぐに
喪服姿で、ペンドルトン家に
現れたジョン・アシュトンなら
いけ図々しく
ローラに声を掛けて来そう。
すると、イアンなのでしょうか。