
119話 鉱泉水ホールでローラを見つめていたのは誰なのでしょうか?
ローティス嬢は杖の柄を弄りながら
1人で歩き回っている時に
出くわしたりすると
厄介なことになるかもしれない。
自分たちは、
できるだけ貸切馬車を利用し、
1人で移動しないようにしよう。
何よりも、
自分たちが泊まっているホテルを
知られてはいけない。
ここで待ち伏せされたら
手も足も出ないと警告しました。
ハイド嬢とローラは頷きました。
その夜、ローラは、
ネグリジェを着てベッドに座り、
これから翻訳作業をする原書を
読んでいました。
すると、ドアをノックする音が響き、
「もう眠りましたか?」と
ローティス嬢の声が聞こえて来ました。
ローラはベッドから出て
「いいえ。お入りください」と
答えました。
黒いガウンを着たローティス嬢が
杖をついて、
ゆっくりと部屋に入って来ました。
そして、
ローラが寝ていなくて良かったと
言いました。
ローラは、
どうしても、早く寝られなくて・・
と答えた後、
何か用事ですか?と尋ねました。
ローティス嬢は、
ガウンのポケットに手を入れたまま
ローラをじっと見つめていました。
とても心配そうな顔でした。
彼女は、
どうやら、鉱泉水ホールで感じた
あの視線の対象は、
ペンドルトン嬢だと思うと告げました。
ローラは、その理由を尋ねました。
ローティス嬢は、
大抵の男性は
自分のことを好きではない。
近づくと杖で殴られることを
本能的に知っているようだ。
ジェーンも、
男性を惹きつける女性ではない。
魅力的な子だけれど、何と言うか、
あまりにも、すらりと背が高く、
個性的だから。
しかし、ペンドルトン嬢は違うと
答えました。
ローラは、
自分に劣らず2人とも魅力的だ。
そして、
これまで自分が生きてきた中で
観察した限り、
紳士たちの趣味は様々だと
言いました。
ローティス嬢は、
自分は確率のことを話している。
ペンドルトン嬢には、
繊細で穏やかな美しさがある。
男性が望んでいるのは
あなたのような女性だと
主張しました。
ローラは何と答えたら良いか困り
口を閉ざしました。
ローティス嬢は頻繁に、
ローラをこのように困らせました。
遠慮がなく率直で、飾ることのない
ストレートな性格のためでした。
感情を噛み砕いて表現し、
本心を遠回しに伝えることに
慣れているローラにとって、
ローティス嬢には、
本当に困惑させられました。
ローティス嬢の、
そのような性格が魅力的であることも
否定できませんでしたが。
ローティス嬢は、
もちろん、自分は
あなたの外見を褒めようとして
真夜中にあなたを
訪ねたわけではない。
社交界では飽きるほど
その話を聞かされただろうし、
自分の趣味は独特なので、
あなたよりも、
ジェーンのような女性の方が好き。
自分はあなたに
お願いしたいことがあって来たと
話しました。
ローラは
「お願いしたいこと?」と
聞き返しました。
ローティス嬢は、
視線の主が現れて、
あなたに害を及ぼそうとする気配が
見えたら、他の誰でもなく、
自分に知らせるようにと言いました。
ローラは
「警官ではなくて?」と
聞き返しました。
ローティス嬢は、
警官たちは、事件が起こるまでは
女性の言葉を信じてくれない。
事件が起きた後でも女性のせいにする。
でも、自分は完全に
あなたの味方だと言いました。
ローラは、
自分に何かが起きたら、
ローティス嬢が、
どのように行動するか分からないので
約束できないと、
躊躇いがちに答えました。
するとローティス嬢は
しばらく口を閉ざした後、
ポケットに入れていた手を
出しました。
驚いたことに、彼女の手には
手のひらほどの大きさのピストルが
一丁握られていました。
ローラは両手で口を押さえました。
ローティス嬢は、
あなたが銃を撃てるなら
これを渡していただろう。
しかし、あなたは
木で作ったパチンコすら
撃ったことのない人だろう。
だから、
自分が代わりにやってあげると
言いました。
ローティス嬢が旅行中に
常に銃器類を携帯していたことは
知っていましたが、
安全なイギリスの土地でも
所持しているとは思いませんでした。
ローラは
ローティス嬢の手に握られた銃から、
彼女が世間に対して
不信感を抱いていることを
読み取りました。
世間は安全だという漠然とした信念に
自分の命を委ねられない人。
それがローティス嬢でした。
ローラは首を振ると、
イギリスには法律があり、
私的な復讐は、決して社会で
容認されるものではないと
言いました。
しかし、ローティス嬢は、
イギリスは武人たちが築いた
剣と槍の国だ。
父の時代までは、名誉の決闘が
若者たちの一般的な文化だった。
自分は、自分の身内が傷つくのを
見ていられない。
特に淑女ならなおさらだと告げると、
銃を再びポケットに入れました。
ローティス嬢は、
自分の願いは、この銃を使うことなく
あなたが無事にバースに滞在して
去って行くことだと告げると
お休みなさいと挨拶をし、
そのまま背を向けて、
ドアの方へ向かいました。
ローラは、
彼女がわずかに引きずる左足を
じっと見つめました。
その瞬間、彼女の直感が
ある考えを呼び起こしました。
彼女はローティス嬢を呼びました。
彼女は振り向きました。
ローラは、
もしかして、その足は、
男性にそうされたのかと尋ねました。
ローティス嬢は、
一瞬、表情が固まったかと思うと、
すぐに微かに笑いました。
100年生きたかのような
無数の喜怒哀楽が溶け込んだ
微笑みでした。
ローティス嬢は、
17歳の時に、結婚しようと
しつこく、まとわりついて来た
紳士がいた。
自分が、大叔母の
有力な相続人であることを
知っていたから。
自分は何度も彼を断った。
寄宿時代に、自分は男性と結婚しても
幸せになれないと悟っていたから。
彼は、自分が相続したお金と一緒に
アフリカへ行くと知ると
すぐに追いかけて来て、
銃で自分を撃った。
もし彼が泥酔状態でなければ、
日頃から、飽きるほど褒めていた
自分の瞳に
銃弾を命中させていただろう。
自分の左膝は、二度と元通りに
動かなくなった。
しかし、それは自分にとって
何の問題でもない、と答えると
お休みなさいと告げて、
部屋を出て行きました。

バースの秋は
穏やかに過ぎて行きました。
ローラは、ホテルに一人で残ることが
多くなりました。
ローティス嬢は、
本の宣伝のためのスケジュールが
ぎっしり詰まっており、
いつもハイド嬢と
同行していたためでした。
ローラはずっと
翻訳の仕事に集中していました。
最初はかなり緊張して作業しました。
他国の言語を読み書きするのは
慣れていましたが、
正式な翻訳の仕事は
初めてだったからでした。
しかし、彼女が選んだ作品は
文章に飾り気がなく語彙も単純でした。
数ページの作業をしているうちに、
自信をつけたローラは、
プレッシャーから解放され、
仕事がもたらす楽しさに
没頭して行きました。
そんなある日、ローラは、
息詰まるような閉塞感を覚えました。
そして、自分が1週間ずっと
ホテルの外に出ていなかったことに
気づきました。
ローラはペンを置きました。
そして帽子とコートを用意して
外に出ました。
鉱泉水ホールでの事件から、
1週間も経っていました。
ローラはそのことを
ローティス嬢ほど
深刻に受け止めていませんでした。
紳士が淑女を見つめることは
社交界では、よくあることであり、
バースはどこへ行っても
人でごった返していました。
わざわざ人目につかない場所へ
行かない限り、
危険な目に遭うことはないだろうと
ローラは信じていました。
ローラはホテルを出て、
ゆっくりとバースの中心街を
歩き始めました。
まず鉱泉水ホールで鉱泉水を1杯飲み
書店に立ち寄って本を見てから、
デザート店へ行って
チョコレートの箱を買おう。
ローラは、
久しぶりに外を散歩して、
爽やかで楽しい気分になりました。
彼女は軽やかな足取りで
鉱泉水ホールへと歩いて行きました。
ところが、
ホテルと鉱泉水ホールの
中間辺りまで来たところで、
彼女は、何となく、
すっきりしない気分を
感じ始めました。
背後から妙な気配を感じたのでした。
ローラは振り返りました。
彼女の後ろには誰もいませんでした。
ローラは自分の気のせいだろうと思い
再び足を速めました。
しかし、100メートルほど進むと
再び、同じ気配を感じました。
彼女は振り返りました。
しかし、そこには誰もいませんでした。
そんなことが
5回ほど繰り返されました。
もしかして、鉱泉水ホールで
自分たちを見ていた人だろうか?
ローラはホテルに戻るために
周囲を見回しながら
貸切馬車を探しました。
しかし、普段は
よく走り回っていた貸切馬車が、
今日は目を皿にして探しても
見当たりませんでした。
あのまま、
ホテルの部屋にいるべきだった。
いえ、今は、
こんなことを考えても無駄。
とりあえず鉱泉水ホールへ行こう。
あの前には、
いつも貸切馬車が待機しているから。
でも、その人が、
同じように馬車に乗って
自分を追いかけて来たらどうしよう?
そうしたら、宿泊先がバレてしまう。
ローラは途方に暮れました。
宿泊先がバレたら、自分だけでなく
ハイド嬢とローティス嬢も危険になる。
その人が狙っているのは
自分ではないかもしれないから。
自分の力で、その人を撒かなければ。
ローラは、
とりあえず何も知らないふりをして
歩きました。
すぐに目の前に2つの道が現れました。
左側が鉱泉水ホールへ行く道でした。
ローラは、まるで鉱泉水ホールへ
1人で向かうかのように、
左に曲がりました。
そして角を曲がった瞬間にすぐ見える
ベーカリーに入りました。
鉱泉水ホールへ行く度に立ち寄る
常連の店でした。
ローラは、
カウンターに立っている店主に
素早く事情を説明しました。
店主はローラを裏口へ案内しました。
ローラは裏口を蹴って開けて
外へ飛び出しました。
そして人通りの少ない路地の
商店街の間を走り始めました。
ローラは、
はっきりと感じることができました。
ずっと音を立てずに付いて来た気配が
今、自分の後を付いて
走って来ていました。
タタタと走ってくる足音は
間違いなく男性のものでした。
女性の力では振り切るには
不十分でした。
靴はとても歩きにくいし、
着ているドレスの裾幅は狭く、
歩幅が制限されました。
逃げ場を探して
キョロキョロしていたローラは、
狭い路地を見つけました。
路地の向こうには、
バースの中央噴水広場があり、
その前には
オペラ劇場と博物館が並んでおり、
常に交通が混雑する場所でした。
そのため、常に交通整理をする
巡査たちがいました。
ローラは路地へすっと入り、
中央の噴水の方へ走り始めました。
背後の足音も
続いて路地に入って来ました。
ローラが
ちょうど路地を抜け出した瞬間、
彼女はある男性と正面衝突しました。
「キャッ!」
ローラは男性の胸に
顔をぶつけてしまいました。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
紳士の慌てた声が聞こえました。
ローラは顔を覆いながら、
頷きました。
しかし、全く大丈夫では
ありませんでした。
辛い香辛料を振りかけられたように
鼻がツンと痛んで、
涙が出て来そうなほどでした。
彼女は痛さ半分、恥ずかしさ半分で
耳が赤くなりました。
ローラは恥ずかしそうな声で、
突然、飛び出して来たことを
謝罪しながら、
紳士の顔を見上げました。
その瞬間、
ローラは凍りついてしまいました。
舌や身振り、そして精神や魂までもが。
「ローラ?」
12年前を最後に
自分の人生から去った男性。
ジョン・アシュトンが
彼女の目の前にいました。

2人は黙って、
互いを見つめ合いました。
帽子の下に垂れた赤い髪。
濃い茶色の肌。
堀の深い顔立ち。紫色の瞳。
がっしりとして逞しい肩と胸板。
ローラは、歳月を感じさせず、
いまだに若々しくて
美しいジョンの顔に、記憶の中の
初恋のぼんやりとした残像が
鮮明になるのを感じました。
全く、何も変わっていないと
思いました。
ジョンはローラの肩に手を置き、
「ローラ・・・
一体どうして、ここにいるのか。
いや、まず怪我をしていないか?」
と尋ねました。
彼女は首を振り、
大丈夫。何ともないと答えると
肩に置かれた彼の手を
そっと押し退けました。
彼は素直に手を引きました。
ジョンは、
ところで、なぜ、
あんな人通りの少ない路地から
飛び出して来たのかと尋ねました。
ローラは、その時になって
ようやく我に返りました。
自分は追われていたのでした。
ローラは振り返って路地を見ました。
自分の後をつけていた男性は、
影すら
見つけることができませんでした。
ローラは、
10日前に鉱泉水ホールで感じた
視線について、
1人で街を歩いている時に
後を付けられたことについて、
逃げながら感じた、
どっしりとした足音について
説明しました。
彼女の話を聞きながら
ジョンの顔は固まりました。
ローラは、
それで、こちらに逃げ出した。
道路には、
いつも巡査がいるからと話しました。
ジョンは、
よくやったけれど、巡査たちは
あなたを宥める以外に
他にできることはなかっただろうと
返事をすると、
路地の方をじっと見つめました。
ジョンは、
その男を殴って
バースから追い出すことを
提案しました。
ローラは首を振り、
物理的な力で問題を解決するのは
法律家らしくないと断りました。
ジョンは、
自分が弁護士になったことを
知っていたのかと尋ねました。
知ろうとしなくても仕方がなかった。
あなたは有能だと
イギリス中に噂が広まっていたからと
答えました。
彼はクスッと笑って
ローラに腕を差し出しました。
そして、
とりあえず、歩こう。
歩きながら、
あなたを追いかけていた男を
どう振り切るか考えてみようと
提案しました。
ローラは素直に彼の腕を掴みました。
そして一緒に歩き始めました。
彼女は、彼と並んで歩いている
この状況が信じられませんでした。
呆れてしまい、
とても気まずくなりました。
ローラは12年間
彼を許そうと努力してきました。
彼の裏切りは
理解できるものだったからでした。
彼には病気の両親と
8人の幼い弟妹がいました。
持参金が一切ない17歳の少女よりも、
成功を保証してくれる女性を選ぶのは
ある意味当然のことでした。
たとえ彼が
自分をからかっていたとしても。
2人の未来を描いたのは、
たとえ自分自身だけだったとしても。

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ジョンは、
ローラがバースにいることを
知らなかったので、やはり
ローラの後を付けているのは
イアンではないかと思います。
ローラの後を追って来たけれど
彼女に近づくことはできない。
でも、彼女の姿を見たくて
こっそり後を付けているのかも
しれませんが、
ローラを怖がらせてどうするの?
恐怖で逃げている時に
昔の恋人に会って、
しかも腕まで組んでしまった。
ローラが、
運命を信じる、夢見がちな
女性だったら、
あっという間に、2人は
元の鞘に収まってしまうと思います。