
120話 ローラは昔の恋人に再会しました。
ローラは、
彼の事業が順調に進み、
家庭と健康に平安が訪れるように。
たとえ、元々辛い自分の生活が
さらに辛くなったとしても、
彼だけは幸せであるようにと、
毎晩、彼のために祈っていました。
それは一種の修練でした。
恨みや裏切りの感情を乗り越え、
許すことができる人になろうとする
修練でした。
「人生がレモンをくれたら、
レモネードを作れ」という言葉のように
ローラは傷を乗り越える
最も合理的な方法を実践したのでした。
しかし、実際に12年ぶりに彼と会うと、
ローラは恨みの気持ちが芽生えるのを
止めることができませんでした。
彼女の変化は、
今日に限ったことでは
ありませんでした。
彼女は、最近、彼のために
祈ることを止めていました。
アンを通じて
彼が自分を探しているという手紙を
受け取った時、ローラは、自分が彼を
完全に許せていなかったことに
気づきました。
12年前に彼に感じた裏切りの感情は
心の奥深くに隠れていただけで、
消え去ったわけでも、
変わることもありませんでした。
ローラは自分の感情に気づいたのは
ダルトン氏に対して
固く閉ざしていた心に
亀裂が入った時期と
同じであることを知っていました。
心から制御不能なほど
溢れ出し始めたのは、
ダルトン氏への愛情だけではなく
抑え込んでいた
人間的な感情全体でした。
しかし、本心を簡単に見せない態度は
依然としてローラを
強く守っていました。
彼女は、ジョン・アシュトンに
昔のことを責める代わりに、
冷静に彼の腕を掴んで歩きました。
外見は、バースに遊びに来た
仲の良い若い夫婦のように見えました。
状況が状況なだけに、
ローラは彼の助けが必要でした。
彼に対する憎しみとは別に、
ローラは彼と一緒に歩くことに
安心感を覚えました。
彼はがっしりとした体格の
男性でした。
成長期には、鍛冶屋の父と共に
熱した鉄を叩きながら育ち、
成長後は、
グランチャード夫人の支援により
乗馬やフェンシングなどを学び、
人並外れて逞しくなったのでした。
12年前、彼のそばにいると、
いつも心強く、
頼もしく感じられたものでした。
空から岩が雨のように降って来ても
彼と一緒なら、
少しも傷つかないだろうと思いました。
全て思い違いだったけれど。
彼は、
視線を感じる。まだ付いて来ていると
呟き、
怖いもの知らずだ。
エスコートしている男性がいるのに
諦めないなんて、
あなたへの愛情が並大抵ではないと
批判しました。
ローラは、
自分が対象がどうかは分からない。
自分と一緒にいる他の女性を
探そうとして
付いて来ているのかもしれないと
穏やかな声で答えました。
しかし、ジョンはそれを否定し
対象は間違いなくローラだろう。
あなたと一緒に過ごしている女性たちが
どれほど魅力的であろうと、
あなたより美しいはずがないと
言いました。
ローラは何も言いませんでした。
しばらく沈黙が流れましたが、
すぐに彼は、
バースの郊外に、以前雇っていた
看護師が住んでいる。
あなたが無事に逃げられるよう
手助けしてくれるだろう。
まだ、歩けそうかと尋ねました。
ローラは頷きました。
どれくらい時間が経ったのか。
シルクの生地を広げた
ショーウィンドウと、
ドアマンが入口を守っている
高級ホテルが立ち並ぶ街並みが、
徐々に塗装が剥がれたドアや
古びたパブがひしめき合う
みすぼらしい姿に
変わって行きました。
2人は、赤いドアの家の前で
立ち止まりました。
彼はドアノッカーを握り、
ドアをトントンと叩きました。
すぐに、夫人用の帽子をかぶった
痩せた中年の女性が現れました。
「まあ、アシュトンさん」と
驚くチェルシー夫人に、
彼は帽子を脱いで挨拶をし、
少し中へ入っても大丈夫かと
尋ねました。
チェルシー夫人は、
「いくらでもどうぞ」と答えたので
2人は家の中に入りました。
ジョンは彼女に
ローラが置かれている、
おおよその状況について話しました。
夫人は、深く同情した表情で
ローラを見つめました。
ジョンはチェルシー夫人に、
自分は旧友として、この女性を
無事に家に帰らせなければならない。
夫人の助けがなければ不可能だと
訴えました。
チェルシー夫人は、
何でも話して欲しい。
アシュトン氏のような紳士のお願いなら
何でもする準備ができていると
返事をしました。
アシュトン氏は、
ローラとチェルシー夫人に
ローラがチェルシー夫人の服を借りて
それを着て家を出て行く。
手に籠を持ち、
老婦人のようにゆっくり歩けば、
おそらく、
この家の家政婦に見えるだろうという
自分の計画を話しました。
ローラは、
チェルシー夫人に付いて
彼女のクローゼットに入りました。
確かに、見事な計画でした。
チェルシー夫人の服は、
少なくとも流行から
50年は過ぎたような、
古風な服ばかりでした。
ウエストラインが強調されていない
ゆったりとしたラインと
田舎っぽい柄の生地。
さらに帽子は、
年配の女性でさえかぶらない
古びたボンネットだけでした。
ローラは、紺色のドレスに
ぼろ同然の灰色のショールを羽織り
頭には、
大きな茶色のボンネットをかぶり、
そして、買い物に行くかのように
買い物籠を一つ持ちました。
ローラは玄関を出ました。
そして、
背中を丸めたふりをして俯き
顔を隠しながら、ゆっくりと
チェルシー夫人の家から
離れ始めました。
通りを歩く十数分間、
ローラは背後で
何の気配も感じませんでした。
ついに男性を振り切ったのでした。
ローラは大通りで出会った
貸切馬車に乗りました。
その時になって
ようやく全身の緊張が解れました。
彼女は頭にかぶっていた
古くて重いボンネットを脱ぎ、
椅子の背もたれに
体を深く預けました。
ジョン。12年ぶりに彼に会った。
書店の窓ガラス越しに微かに見た人は
ジョン・アシュトンで
間違いありませんでした。
ローラは深呼吸をしながら、
不快にドキドキする心臓の鼓動を
抑えようとしました。
彼に助けられた以上、一度は、
また会わなければならない。
お礼を言わなければならないから。
でも、それが最後。
もう二度と彼の顔を見ることは
ないだろう。
馬車がホテルの前に止まりました。
ローラは料金を払って、
馬車から降りました。

ローラは頭の中で
ローティス嬢のスケジュールを
思い起こしました。
今日、彼女は、
ある伯爵夫人のサロンで
本を朗読することになっていました。
集まりは夕方まで続くので、
自分の服装について
言い訳をする必要はなさそうでした。
ローラは何も考えずに
スイートルームへ上がりました。
しかし、客室のドアを開けると、
リビングには
ハイド嬢とローティス嬢がいました。
なぜ、
こんなに早く帰って来たのだろう。
ローラは戸惑いました。
彼女は、ようやく自分の服装について
どう説明するかを考えました。
ジョン・アシュトンについて隠すのは
難しいと思いました。
道を歩いていて
見知らぬ紳士の助けを借りて
その知人の服を借りて着たというのは
変に聞こえるだろうから。
しかし、悩んでいたのも束の間、
ローラは、2人が自分の服について
全く気にしていないことに
気づきました。
ハイド嬢は真剣な表情で、
ローティス嬢は考え込んでいるように
目を伏せていました。
ローラは彼女たちに近づき、
何かあったのかと尋ねました。
ハイド嬢は
ローラをじっと見つめました。
困惑と心配が入り混じった
眼差しでした。
ローティス嬢は、
今日、サロンである噂を聞いた。
あなたと深い関係があるため
予定より早く帰って来たと
口を開きました。
ローラは
「どんな・・・?」と尋ねました。
ローティス嬢は、まるで
ボールを味方にパスするかのように
ハイド嬢を見ました。
ハイド嬢は唇を噛みしめ、
躊躇った後、ため息をついて、
コーンウォールの
ペンドルトン家の領地と邸宅が
競売にかけられるそうだ。
すでにペンドルトン家の
ロンドンのタウンハウスも
売りに出されていると話しました。
ローラは、
とりあえずソファーに座りました。
そして落ち着いて両手の指を組み
膝の上に置きました。
ローラは、
どうして、そうなったのかも
聞いているかと尋ねました。
ハイド嬢は、
長男が手掛けた建設受注事業に
途中で問題が生じたらしい。
次男のチャールズ・ペンドルトンが
ギャンブルの借金を返すために
投資家のお金に手を出したという噂が
広まっていると答えました。
ローラは、
そのことが、
皆の噂の種となっているなら
チャールズ・ペンドルトンは
結局、ギャンブルの借金を
返せなかったのだろうと言いました。
ハイド嬢は頷くと、
投資家が起こした訴訟の弁護士費用を
払わなければならないので
ギャンブルの借金清算は
夢のまた夢であることは明らかだ。
チャールズ・ペンドルトンが
海外に逃亡するかもしれないと、
借金取りたちが、
彼を債務者の刑務所に送ったそうだと
話しました。
ハイド嬢は話を終えると、
ペンドルトン嬢の顔を
じっと見つめました。
つばの広いボンネットが
ローラの顔に影を落とし、
顔色を確かめるのが難しかったけれど
しかし表情を見ると、
悲しんだりショックを受けてはおらず
ただ淡々と考えている顔でした。
すぐにローラは、
ジョアン・ジェンセン嬢が
婚約者を失った。
ペンドルトン家のタウンハウスを
気に入っていたのに残念だと
話しました。
ハイド嬢は驚いて
目をパチパチさせました。
ローラは、
タウンハウスも、
コーンウォールの邸宅も
きちんと管理できる所有者が
現れて欲しいと言うと、
言いたいことが終わったように、
口を閉ざしました。
ハイド嬢はローラに
大丈夫かと尋ねました。
ローラは、
何を言っているのかというように
ハイド嬢を見ました。
彼女は、
ペンドルトン嬢が
非常にショックを受けると思っていた。
コーンウォールのペンドルトン家は
名高い大貴族の家系であり、
ペンドルトン嬢にとっても
大きな誇りだったはず。
もちろん、あの家が
ペンドルトン嬢に対して
残酷だったことは
承知しているけれどと、
戸惑いながら話しました。
ローラは微かに微笑むと、
自分は、ペンドルトンの姓を
名乗っていただけで、
一度も、そこに属したことがない。
自分は家を捨てた
ドロレス・ペンドルトンと
アメリカ人の画家
ルイス・シェルダンの娘だ。
そして、それが自分にとっての
本当の誇りだ。
自分は、
愛を求めて旅立つ決心をした母を尊敬し
母の夫として
申し分のなかった父を愛していると
告げました。
ハイド嬢は驚いて呆然としました。
そうなるのも当然でした。
かつて社交界に身を置いていた
ハイド嬢は、貴族たちが
どのように考えているのかを
よく知っていました。
貴族にとって家門は
アイデンティティそのものでした。
数百年に渡り受け継がれて来た
高貴な血への執着は、
巨大な自意識を生み出し、
家門が勢いを失うと
自ら死を選ぶケースも
数え切れないほどありました。
そのため、
ペンドルトン嬢の傷心を案じて
ローティス嬢を説得し、
サロンを急いで抜け出したのでした。
突然、ローティス嬢が、
杖の先で床をドンと叩きました。
そして、立ち上がると、
結構だ。ならば、それでいい。
今日の夕食は
ベアトリーチェで取ろう。
サロンから帰る途中に
予約をしておいたので、
前回のように、温泉ホールで
時間を潰す必要ないと告げました。
ローティス嬢のおかげで
雰囲気が一新されました。
ローラは彼女に、
にっこりと微笑みかけると、
親切なローティス嬢は、
自分を慰めるために
そうしてくれたのかと尋ねました。
ローティス嬢は、
そんなはずがない。
シャンパンを開けるつもりだった。
あなたへのペンドルトン家の仕打ちを
ジェーンから、
大まかに聞いていたからと答えました。
3人は夕焼けの街を、ゆっくり歩いて
ベアトリーチェへ向かいました。
そして、新鮮なチーズが層をなした
大きなピザと
様々な種類のパスタを思う存分食べて
シャンパンを飲みました。
冗談と笑いに溢れた夕べでした。
食事が終わって外に出ると、
ローラは近くのデザート店で
チョコレートを1箱買いました。
3人はチョコレートを分け合いながら
ガス灯で明るく照らされた
バースの街を歩いて
ホテルに戻りました。
その夜、ローラはシャワーを浴び
ふわふわのネグリジェを着て
ゆっくりと眠りにつきました。
今頃、チャールズ・ペンドルトンは
生まれて初めて訪れた、
汚く陰湿な刑務所で、恐怖に震えて
縮こまっているだろうし、
長男のジョン・ペンドルトンは
気弱な彼らしく、酒に酔って
1人で泣いているに違いない。
そして、
名門の家長という誇りを持ち、
一生を傲慢に生きてきた
ジェラルド・ペンドルトンは、
むしろ死を望みながら
拳銃を弄んでいることだろう。
他人の不幸に容易に同情を感じる
ローラであったにもかかわらず、
彼女は彼らのために
一言も祈りませんでした。
ジェラルド・ペンドルトンの悪徳は
それほどまでに、ひどくて醜かった。
世界で最も寛大な人でさえも
血縁の悲劇に、
涙を一滴も流させないほど。

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イアンがペンドルトン家に
ローラの代わりに復讐することを
ローラが
心良く思わないのではないかと
フェアファクス氏が
心配していたけれど、
杞憂に終わりました。
ローラは伯父一家に対して
いい気味だとは
思っていないでしょうけれど
当然の報いを受けたと
思っているのではないでしょうか。
ペンドルトン家の没落に
イアンが関わっていたことを
ローラが知る日が来たとしても
彼女がイアンを責めることは
ないだろうと思います。
それにしても、イアンはいつまで
ストーカーをしているのでしょうか。
ローラの気持ちがジョンに
傾くことはないでしょうけれど
彼の方は違うと思います。
ジョンは焼け木杭に火を付けようと
必死になりそうな予感。
イアン、早く阻止しなければ!
ところで、
「人生がレモンをくれたら、
レモネードを作れ」という言葉は
アメリカの作家・俳優である
エルバート・ハバードが、
1910年代に、亡き俳優の追悼文の中で
使ったのが起源と言われているそうで
その後、デール・カーネギーが
1948年の著書「道は開ける」の中で
この言葉を紹介し、
世界的に定着したそうです。
ローラが、
この言葉を知っているのは、
年代的に・・・と思いましたが
気にしないことにします。