
125話 イアンはローラの泊っているホテルの真向かいにある帽子店に滞在しています。
しかし、倉庫に居を構えてから
1週間が経った今日、
ローラがホテルの外に姿を現しました。
彼女を見つけると、
体が先に動きました。
すぐにフロックコートを着て、
矢のように帽子屋を抜け出しました。
そして彼女の後を追い始めました。
見ることができるのは
後ろ姿だけでしたが、
彼はローラの正面の姿同様、
後ろ姿も愛していました。
リンゴのように美しい頭の形。
黄昏の空に似た赤金髪の毛。
姿勢の良い後ろ姿。
貴族的な歩き方。
恋しさに愛らしさが加わり、
心臓は破裂しそうに
ドキドキしました。
彼は羊飼いに従う羊のように
従順に彼女の後を付いて行きました。
時折、彼女が振り返る度に素早く隠れ
その横顔をそっと覗き見て、
幸せを嚙み締めていました。
しかし、どのくらい歩いたのか。
ローラは、
鉱泉ホールへ続く道の角を曲がると、
突然、逃げ始めました。
幸せに浸りながら
彼女の後を付いて行ったイアンは、
ローラに続いて走りました。
彼女を手放したくありませんでした。
自分の視界から
消えて欲しくありませんでした。
もう少しだけ自分の目の前にいて。
1分でも多く・・・
イアンが強欲過ぎたのだろうか。
それで神が罰を与えたのだろうか。
ローラが路地を抜けようとしたその時
ついに彼女は、ジョン・アシュトンに
出会ってしまいました。
イアンが防ぎたかった最悪の状況が
起こったのでした。
イアンは彼が
ジョン・アシュトンであることを
直感しました。
バースに来た直後、イアンは、
ジョン・アシュトンに
法律相談をした知人に
彼の容姿について尋ねる手紙を
送ったのでした。
彼の容姿に大きな感銘を受けた知人は
手紙で詳しく描写してくれました。
背が高く、がっしりとした体格。
赤い髪。 紫色の目。 淡い茶色の肌。
そして男性の心まで溶かす
素敵な笑顔。
ローラと向かい合って立ち
彼女の肩を掴んでいるあの男と
まさに一致していました。
彼はローラをエスコートし始めました。
イアンは魔法にかかったように
2人に付いて行きました。
彼の目には、
腕を組んだ2人の腕だけが
映っていました。
燃え上がる嫉妬心が放つ
むせ返るような煙に、
彼は窒息してしまいそうでした。
彼は、ローラの感受性が
最も鋭かった時期に
彼女の心を奪った男でした。
あのように一緒に歩いているうちに
昔の恋の思い出が蘇ったりしたら・・
「絶対にダメだ!」
彼はすぐに2人の間に飛び込み、
組んでいる腕を離したいと思いました。
しかし、わずかな理性が
彼を引き止めました。
とりあえず我慢しろ。
ジョン・アシュトンが1人になった時
彼女への関心を断ち切れと
警告する方がはるかに賢明だ。
ローラとアシュトンは
しばらく歩いた後、
ある家に入りました。
彼は近くに隠れて待っていました。
すぐに、ローラが変な服を着て
家を出て来るのが見えました。
彼は、ローラが自分を振り切るために
変装したことに気づきました。
あんなことまでするなんて
何てことだ。
一体自分は何をやっているのか。
いくら会いたかったからとはいえ、
ローラを追いかけてはならなかった。
彼は自分の行動を反省しながら
去っていくローラを見守りました。

2時間後、
ジョン・アシュトンが家を出ました。
イアンはすぐに彼の後を追いました。
そして、
石橋が屋根のように空を覆う
人気の少ない川辺で、
「少々、失礼します」と
イアンは彼を呼び止めました。
ジョン・アシュトンが振り返ると
2人は向き合う形になりました。
近くで見ると、
よりハンサムな男でした。
イアンは、恋敵の端正な容姿が
癪に触って仕方がありませんでした。
イアンは彼が
ジョン・アシュトンであるかどうかを
尋ねました。
ジョンは、そうだと答えると、
イアンが誰なのかについて尋ねました。
彼は、
ヨークシャーのイアン・ダルトンだと
答えました。
ジョンは、
ヨークシャーのダルトン家のことかと
尋ねました。
イアンは頷きました。
ジョン・アシュトンは
すぐに帽子を脱いで頭を下げると
このように会えて光栄だ。
数年前に顧問弁護士の職を
提案してくれたけれど、
あの時は申し訳なかった。
若い弁護士の指導をする必要があり
他の仕事に余裕がなかったと告げると
すぐに胸のポケットから
名刺入れを取り出しました。
そして、
一昨年に、事務所を拡張して
ケンブリッジ州に移転した。
相談が必要な場合は
いつでも呼んで欲しいと告げると
好意的な笑みを浮かべて
名刺を差し出しました。
笑うと頬に深いえくぼができて、
印象が眩いほど素敵になりました。
イアンは煮えくり返る胃を
無理に落ち着かせながら
首を振ると、
申し訳ないけれど、あなたに
法律相談をするようことはないと
断りました。
アシュトンは不思議そうな顔で
イアンを見ました。
イアンは、
ローラ・ペンドルトンという女性を
知っているかと尋ねました。
ローラの名前が出ると、
アシュトンの顔から笑顔が消えました。
イアンは、
自分とローラが、数か月に渡り
大切な関係を築いて来たこと。
自分は彼女にプロポーズし、
自分たちの結婚は決まったも同然だと
告げました。
アシュトンは、名刺を
再び名刺入れにしまいました。
笑顔がすっかり消えて
冷たい顔をしていました。
アシュトンは、
あなたがローラを
追いかけていた男かと尋ねました。
彼が彼女を名前で呼んだので、
イアンは心の中で歯ぎしりをしました。
イアンは、
その通りだと答えました。
アシュトンは、
結婚が決まったと言いながら、
なぜ泥棒のように
彼女の後を追いかけているのか。
プロポーズをしたのは本当かと
尋ねました。
無礼な言葉遣いに
イアンは眉を顰めました。
アシュトンは、
もしかしてプロポーズをしたのに
断られ、未練を断ち切れずに
彼女の周りを
うろついているのではないか。
前者か、それとも後者か?
いずれにしても
無様な振る舞いであることは
確かだけれどと、
皮肉なニュアンスが、はっきりと
感じられる声で言いました。
イアンは拳をギュッと握りました。
イアンは、
あなたの知ったことではない。
大切なのは、彼女の心が
自分にあるということ。
彼女の心の中には、
12年前に一瞬すれ違っただけの男の
居場所などないと言いました。
アシュトンはクスッと笑いました。
片方の口角を上げた、
かなり不快な笑みでした。
アシュトンは、
あなたは自分の存在に
不安を感じているのですね?
彼女の気持ちが自分に傾くのを恐れて
このように、
直接牽制しているのですね?
あなたが持っている
土地の大きさとは違って、
自信がとても小さくて可愛らしいと
皮肉を言いました。
イアンの拳に、
何度も力が入りましたが、彼は
ローラの顔を思い浮かべながら、
拳を握ったり、手を開いたりして
力を抜きました。
イアンは、
恋に落ちた男は
愚かなことをするものだということを
あなたも分かっているだろう。
あなたと自分は1人の女性を愛しており
その女性の選択だけを待っているから。
しかし、
あなたと自分は天と地ほど違う。
なぜなら、
今、彼女の心を射止めている男は
自分だからと言うと、
冷ややかに微笑みました。
そして、かつて
彼女の心を射止めていたとしても、
今、彼女の心は自分のもの。
だから、無駄な希望を捨てて
天に帰った妻を最後まで悼むように。
妻の墓に草も生えていないのに、
昔の恋人を探し回るのは
見苦しい行為だからと言うと、
イアンは、もう用がないというように
背を向けて歩き始めました。
その彼の背中に向かって
アシュトンは、
彼女が自分と逃げようとしたことを
知っているかと尋ねました。
彼の足が止まりました。
アシュトンは、
かつて、彼女は自分に
全てを委ねようとしていた。
体と心、未来、全てを。
自分が彼女を選んでいたら、
今頃は、7人くらい
子供を産んでいたはずだ。
彼女が決意するまでに、
自分たちの間に、どれほど多くの
キスやスキンシップがあったのか
想像できないかと尋ねました。
イアンはゆっくりと体を回しました。
これ以上ないほど、
顔が冷たくなっていました。
イアンは、
恋敵の機嫌を損ねるために
ローラを辱めるアシュトンの意図に
怒りが込み上げました。
すぐに、
あの美しい顔を潰してしまえば、
これ以上の望みはありませんでした。
しかし、あくまで暴力は
最後の手段であるべきでした。
彼は力を込めて握った拳を
再び開いて、怒りを抑えました。
イアンは、
2人の間の問題は
自分の知ったことではないし
彼女に対しても失礼なので、
少し黙ってくれないかと
言い放ちました。
しかし、ジョン・アシュトンは
意に介しませんでした。
彼は、
あの頃、自分たちは
ロンドン中に噂が広まるほど
一緒に行動していた。
公的な場だけではない。
暗いテラスで、2人だけの馬車の中で
静かな公園と庭園で、
自分たちは一緒に過ごした。
17歳の女性と22歳の青年が
2人きりで何をしていたのだろうか。
想像したくなくても
自然と浮かんで来るだろう?と
イアンを挑発しました。
彼の額に、
微かに血管が浮き出ました。
イアンは、
黙るようにと警告しました。
しかし、アシュトンは、
イアンを田舎の地主様呼ばわりすると
由緒ある家柄の当主だからといって、
全ての人を
黙らせるわけにはいかない。
あなたが愛している女性が、
かつて鍛冶屋の息子に
身を投げ出そうとしたことを
認めるように。
もしかすると、すでに彼女は
最初の貞操を、自分に
捧げているかもしれないと・・・
挑発し続けましたが、
その言葉が終わる前に、イアンの拳が
ジョン・アシュトンの顔に
突き刺さりました。
その後は、
救いのようない喧嘩でした。
もつれ合って地面を転がりながら、
なりふり構わず拳を叩きつけました。
ジョン・アシュトンは、
がっしりした体格の分、
力も強かったけれど、イアンほど
戦いに長けてはいませんでした。
イアンは10代の頃、
漕艇部の主将を務めながら、
いじめを行ったり、
父親の名前を出して練習を怠る
部員たちを叱るために、
時々、拳を振るわざるを
得なかったからでした。
熟練したパンチで
アシュトンを倒したイアンは、
彼の左脇腹を立て続けに蹴り、
完全に
瀕死の状態にしてしまいました。
クソッ、最初から
喧嘩をするつもりはなかったのに。
埃まみれの服を着替えたイアンは、
先程の喧嘩を思い出しながら
ため息をつきました。
それでも後悔していませんでした。
あの男はローラの名誉を
傷つけようとしたからでした。
彼はトランクを整理すると
いつも通り窓辺に立ちました。
窓の向こうには
ゴシック様式で建てられた
ローレリアホテルが
手が届きそうなほど近くに
立っていました。
彼は、
光が漏れ出ている窓を
一つ一つ指で触れてみました。
無事に帰って来た、ローラ?
彼は心の中で呟きました。
ごめんなさい。
あなたを怖がらせるつもりは
なかったんだ。
これからは、二度と逃げさせない。
私を許してくれ。
彼は低くため息をつきました。
彼女は
どの部屋にいるのだろうか。
どのような人々の間で
どのような扱いを
受けているのだろうか。
どうか、
あなたが幸せに過ごせるように。
そして春には、
またダンビルパークに
戻って来て欲しい。
あなたに、もう一度
チャンスを貰いたい。
あなたを幸せにできる男であることを
証明したい。
だから、
どうかジョン・アシュトンには
心を許さないで欲しい。
あの男と何度キスをしたとしても、
自分とのキスを忘れないで欲しい。
彼は自分の懇願が届くことを
願いながら、
声を出さずに訴えました。
ところが、突然、後ろから
ウンウン唸る声と共に
帽子の箱が、あちこちに動く
鈍い音が聞こえて来ました。
すぐにウィロー氏が、
再びイアンの狭い巣に現れました。
彼は、
昼にイアン宛に手紙が届いた。
戻って来たら、
渡そうと思っていたけれど、
先ほどは、慌ただしくて・・・
と言い訳をした後、
ジャケットの内ポケットから
取り出した手紙の束を渡し、
再び狭い在庫の間を
通り抜けて消えました。
手紙を持ったイアンは
窓に背を向けて立ち、
手紙にざっと目を通しました。
一番上にある手紙は
ラムズウィックからでした。
彼は、すぐに手紙を取り出して
開いてみました。
簡潔な文字で、
先月の土地賃料や債権利息などの
精算金額が一目でわかるように
整理された文書でした。
差出人はラムズウィックでしたが、
手紙の内容は
土地の管理人が作成したものでした。
彼はラムズウィックに
トランクを送って欲しいという
手紙を送った際、
以前雇った土地管理人を
再び雇うように伝えました。
目の下が弛んでいる
詐欺師のような顔つきの
男のことでした。
彼は意外にも仕事ができました。
たくさん食べて
どこでも葉巻を吸っていたため、
ラムズウィックは
彼を非常に嫌っていましたが、
横領したり、賄賂を受け取るなどの
不正行為は一切しませんでした。
数字をじっくり確認した彼は
頷くと、手紙を折りたたみました。
次の手紙は
ダンビルパークの姉と
オリビアからのものでした。
ラムズウィックを通じて
自分がバースに行ったことを
知ったようでした。
彼は手紙の開封を
一旦、保留しました。
自分に向けた姉の小言
(また、そんな所まで
追いかけて行ったの?
ペンドルトン嬢を
少し放って置くよう言ったのに)と
オリビアの冷やかし、
(まあ、叔父さん、
とてもロマンチックね!)を
予想できたからでした。
想像するだけで疲れました。
一通の手紙だけが残りました。
それは意外な人物から
来たものでした。
「ウィリアム?」
彼は手紙を開きました。

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今の時代ならイアンは
ストーカーと呼ばれ、
下手をするとローラに
接近することさえ
許されなくなるところ。
でも、ローラを怖がらせたことを
反省しているので許します(笑)
ジョン・アシュトンに
先に手を出したのも悪かったけれど
ローラを侮辱されたせいなので
それも許します(笑)
ジョン・アシュトンは
妻が亡くなった途端に、
すぐにローラに会いに来たり
イアンを挑発するために
ローラを侮辱までして、
本当に、いけ好かないです。
ローラは、
こんな男との駆け落ちに失敗して
良かったのです。
そのおかげで、
アシュトンとは雲泥の差がある
イアンと出会えたのだから。