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187話 ベルクとロビタとの間に戦争が勃発しました。
「総員、戦闘配置!」
艦長が下した戦闘配置命令は
瞬く間に戦艦全体へと
行き渡りました。
待機していたレイバエル号の
乗組員たちは、一糸乱れぬ動きで
戦闘位置へと移動しました。
艦橋の甲板に出たバスティアンは
望遠鏡を通して戦況を窺いました。
ロビタの艦隊は
最大速力で退却していました。
本隊は防衛線の向こう側で
様子見を続けていました。
交戦の規模を拡大させる意思は
なさそうでした。
トロサ諸島本島の東北部海域で、
デメル提督が指揮する
ベルク海軍第5戦艦戦隊と
ロビタ偵察艦隊の間で
交戦が発生しました。
すでに味方の勝利は確実でしたが、
バスティアンは
後方を追撃する決断をしました。
遅れた敵の駆逐艦を拿捕することが
目的でした。
開戦から
1か月が経とうとしているけれど、
北海戦線は膠着状態が続いていました。
まるで矛と盾が一歩も引かずに
真っ向から対峙しているかのような
有様でした。
ロビタ大洋艦隊は
ベルク本土を攻める海路を開くために
総力戦を展開し、ベルク北海艦隊は
敵軍の南下を阻む防衛線を構築して
その門に固く閂を掛けました。
艦隊の規模では
ロビタが優勢でしたが、
トロサ諸島の本島一帯を掌握した
ベルクが、補給と機動力の面で
優位に立っていました。
まずは防御に専念し、
敵軍の戦力損失を誘導する作戦を
展開していましたが、
このような膠着状態を続けることは
味方にとっても損害でした。
北海を封鎖したロビタ大洋艦隊のせいで
海上補給路が断たれました。
大陸の南端を迂回する代替案は
ありましたが、その航路は、
少なくとも二倍の時間がかかりました。
猛スピードで南進を続ける陸軍の
ペースに合わせるには、
あまりにも力不足でした。
「指揮艦の信号旗が上がりました!
青色です!」
甲板へ駆けつけた通信兵が
待ちわびていた知らせを伝えました。
青い旗。
自律的な作戦遂行を許可するという
意味でした。
観測を終えたバスティアンは
艦橋に戻り、指揮席に着きました。
砲弾の煙が晴れた海を見つめる眼差しが
一層冷たく沈みました。
「取り舵15度、針路075」
艦長の操舵指示に従って
旋回した戦艦は、いよいよ本格的に
ロビタの駆逐艦を追撃し始めました。
潮流の激しい海域に差し掛かると
波は艦橋の窓を叩くほど高く
荒れ狂いました。
両軍とも、
慎重を期している海でしたが、
バスティアンは躊躇いませんでした。
艦橋に集まった将校たちは息を殺して
次の命令を待ちました。
皆緊張した表情でしたが、
その眼差しからは、
強い信頼感が滲んでいました。
バスティアンは、
まるで帰るための橋を
焼き払ってしまったかのように
見えました。
ただ勝利のためだけに
献身していましたが、
他の勇敢な指揮官とは
一線を画していました。
ただ、命じられた任務を
冷徹に遂行するだけ。
それ以外には何に対しても、
さらには自分の命にさえ
未練を持たないかのように無念でした。
皮肉なことに、その虚無が
バスティアン・クラウヴィッツを
さらに強くしました。
クラウヴィッツ少佐の艦艇は
決して沈没しない。
その冗談は、いつの間にか
定説となりつつありました。
レイバエル号の乗組員たちにとっては、
どんな迷信よりも強い力を与える
勝利のお守りでした。
「現針路を維持。両舷前進、全速」
望遠鏡で目標を確認したバスティアンは
落ち着いて命令を下しました。
待機していた将校と水兵たちは
迅速に艦長の指示を伝えた後、
それぞれの場所に戻りました。
速度を上げて紺碧の海を切り裂いて進む
レイバエル号は、
すぐに群れから遅れたロビタの艦船に
追いつきました。
「目標に接近。 本艦の射程内」
しばらくして、
待ち望んでいた報告が届きました。
バスティアンは船首へ歩み寄り
敵艦を確認しました。
すでに命中弾を受け、
船体の損傷が大きかったです。
下手をすれば、
沈没させてしまうところでした。
「主砲は待機、副砲のみ射撃せよ」
バスティアンの決定は
電信兵を通じて砲塔に伝えられました。
しばらくして砲弾装填完了を知らせる
返信が届きました。
「敵艦が旋回します!
発砲すると思われます!」
切羽詰まった叫び声が聞こえましたが
バスティアンは動揺しませんでした。
ロビタの駆逐艦は、
すでに攻撃力の8割を失っている
状態でした。
砲撃戦が繰り広げられたとしても、
味方に有効な打撃を与えるのは
困難でした。
「面舵10度、変針」
バスティアンは抑揚のない
淡々とした声で命令を出しました。
激戦を目前にした瞬間でも、
前方を見つめる眼差しは
ただ静まり返っていました。
「面舵10度、変針完了!」
指示通りに行ったことを知らせる
報告が聞こえたのと同時に、
「発砲開始!」と
次の命令が下されました。

本日付の新聞に、
クラウヴィッツ少佐の記事は
掲載されていませんでした。
オデットはその事実に安堵し、
道端に置かれたベンチの端に
座り込みました。
オデットの一日は、朝刊を買うために
雑貨店を訪れることから始まりました。
戦争が始まってから
身に付いた習慣でした。
息を整えている間に、
真夏の太陽が空高く昇りました。
早朝から、
暑さが猛威を振るっていました。
今日も猛暑が続くようでした。
オデットは、ぼんやりとした目で
人影のない村の広場を見つめました。
毎日市場が開かれていた場所には
強い日差しと埃だけが
満ちていました。
総動員令が下されると、
村の若い男性のほとんどが
徴兵されました。
しばらくの間、
生き別れをする家族の涙が
乾きませんでした。
オデットの友人となってくれた
集まりのメンバーたちも皆、
夫を戦場へ送り出しましたが、
数日前には、
村の教師の戦死の知らせが
伝えられました。
彼の妻は、
戦死通知書を受け取るや否や
気絶してしまいました。
オデットは、
血の気のない手を上げで
乾いた顔を拭いました。
昨日、
教師の葬儀が執り行われました。
遺体さえも収容できなかったため
棺の中には、
血のついた軍服と認識票だけが
ぽつんと置かれていました。
母親は、声を張り上げて
泣いていましたが、
分別のない子供たちは
無邪気に走り回っていました。
その惨たらしい光景の前で、
オデットは、どうしても
慰めの言葉さえ
口にできませんでした。
他の弔問客も同様でした。
正時を告げる礼拝堂の鐘の音が
熱い風に乗って流れて来ました。
引き続き、
戦場へ向かった夫のための
祈りの会を終えた村の女性たちが
通りに出て来ました。
マリー・ベラーとして生きている
オデットは、その集まりに
参加できませんでした。
しかし、本来の身分を明かしても
同じだという事実を思い出して、
力なく笑いました。
今や自分たちは他人でした。
偽りの結婚は終わりを迎えました。
バスティアン・クラウヴィッツは
もはや自分の夫ではないので、
自分には、
いかなる権利もありませんでした。
「あの、マリーさん」
オデットの方をチラチラ見ていた
一人の女性が、
ベンチの前に近づきました。
食料品店の奥さんでした。
彼女は、
変な噂を聞いた。
以前、自分たちの村を訪れた
マリーさんの従兄のことだけれど
もしかして嘘を・・・と言いましたが
急いで追いかけて来た中年の女性が
どうして、
そんな余計なことを言うのかと
非難しながら、
二人の間に立ちはだかりました。
食料品店の奥さんは、
どうして、邪魔をするのか。
言えないことを
言っているわけでもないのに。
陰で、こそこそ言うより、
直接答えを聞く方がいいではないかと
非常に理不尽そうな顔で
反論しました。
しかし、結局、
押し寄せて来た群衆の手によって
連れられて行きました。
申し訳ない。
皆、神経質になっているせいで、
あのような態度を取ったことを
理解して欲しいと、
曖昧な笑みを浮かべて謝罪した
夫人も去ると、再び静寂が訪れました。
オデットは、
静かにため息をつきながら
席を立ちました。
戦争が勃発すると、
英雄の名前が再び浮上しました。
バスティアンの写真が掲載された
新聞や宣伝物が
帝国全土に広まっていました。
正体がばれるのも時間の問題でした。
この村を離れる時が来た。
オデットは淡々と現実を受け入れ
足を進めました。
熱気が立ち上る広場を通り過ぎると、
家へと続く川沿いの道が現れました。
オデットは柳の木陰に
ぼんやりと立ったまま
煌めくさざなみが立つ小川を
見つめました。
バスティアンと共に
この道を歩いた日々の記憶が蘇ると
すぐに目頭が熱くなり、
喉が詰まりそうになりました。
一生懸命涙を堪えながら
歩き出しましたが、オデットはすぐに
立ち止まってしまいました。
あなたの本心は何だったの?
オデットは、
毎晩バスティアンに手紙を書き、
毎朝その手紙を破りました。
最も激しい戦線で戦っている人。
無駄な未練でバスティアンの心を
混乱させたくありませんでした。
涙で霞んでいた視界が再び晴れると
オデットは、
再び足早に歩き始めました。
返してもらったリボンの意味を
噛み締めているうちに、
家が近づきました。
バスティアンは、
すでに全てを整理し終えていました。
オデットは煩悶を断ち切りながら
玄関のドアを開けました。
その音を聞いて駆けつけて来た
マルグレーテは
尻尾を振って彼女を迎えました。
かなり成長した子犬たちも
よちよち歩きで
母犬の後を付いて来ました。
オデットは赤くなった目で
バスティアンから贈られた
奇跡を見つめました。
震える唇の上に浮かんだ
悲しい幸せの微笑みは、
まもなく姿を消しました。
一瞬、目の前が真っ白になり、
足がふらつきました。
オデットは、
かろうじて壁に手をついて
倒れる体を支えました。
ようやく安堵したのも束の間。
口いっぱいに酸っぱい唾液が広がり
激しい吐き気がこみ上げて来ました。
フラフラしていたオデットは
ついに玄関の前に、
どさっと座り込んでしまいました。
「オデット!」
驚いたマルグレーテが吠える声の間に、
聞き慣れた声が聞こえて来ました。
オデットは口を押さえながら
そちらに顔を向けました。
家の前に停まっていた車から降りた
ジェンダス伯爵が
慌てて駆け寄って来ました。

「敵艦を拿捕だと!
君は自分が海賊だとでも
思っているのか?」
総司令官の怒号が
矢のように飛んで来ました。
丁重に敬礼をしたバスティアンは、
落ち着いた足取りで
司令部の会議室の敷居を
越えました。
レイバエル号は、
ロビタの駆逐艦を拿捕し、
本島の軍港へ帰還しました。
降伏した敵軍は全員
捕虜収容所に移送され、
艦艇は隔離措置が取られました。
作戦は成功しましたが、
総司令官は非常に怒り、
緊急会議を招集しました。
むやみに蜂の巣を突くなと
警告したはずなのに。
下剋上でも起こすつもりか?と
怒るライエン提督に、
人の良さそうな笑みを浮かべた
デメル提督が
自分が許した作戦なので、
責任も自分が負うと、
バスティアンを弁護し始めました。
興奮した将校たちの視線が
一斉に彼に集中しました。
これは、全てデメル提督のせいだ。
毎回そうやって庇うから、
軍律の恐ろしさを知らないのだ!
一介の少佐に、
主力艦の指揮を任せるのも
行き過ぎた特権だと考える。
会議室は、
輪唱のように繰り返される
言い争いで騒がしくなりました。
バスティアンは、
対岸の火事でも見物するかのように、
無関心に状況を傍観しました。
命がかかる戦場でも
派閥争いは相変わらずでした。
むしろ再び敵と戦いに行く方が
マシかもしれないと思いました。
もう何の役にも立たなくなった
敵艦を、なぜ引っ張って来て
こんな騒ぎを起こしたのか。
一度自分の口で言ってみろと
バスティアンは促されました。
彼は、捜索する予定だと
決まった答えを冷静に口にしました。
あそこに何があるのかと聞かれると
バスティアンは、
探せば分かると思うと答えました。
明確な目的もなく、
このような真似をしたということかと
呆れる将軍たちの前でも、
バスティアンは、
ただ超然としていました。
すでに予想していた反応なので
特に驚くことはありませんでした。
もう起きてしまったことだから
仕方がない。
君が引き起こしたことだから、
君が収拾するようにと、
総司令官は、まず、
バスティアンの味方をすることで
過熱した雰囲気を収めました。
待ち伏せをしている敵から
被害を受けるようなことがあれば
それは全て君の責任になる。
手ぶらで戻って来たら、
それも問責の対象となることを
肝に銘じろ。
バスティアンを見つめる
ライエン提督の眼差しが
冷たく輝いていました。
喜んで命令に従ったバスティアンは
踵を返して司令部を去りました。
そしてしばらくして、
拿捕した敵艦を捜索する作戦が
始まりました。
白兵戦に備えて武装した
偵察隊の先頭には
クラウヴィッツ少佐が
立っていました。
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今までのバスティアンの様々な言動を
振り返ってみると、
彼がオデットのことを愛していることが
分かりそうなものだけれど、
バスティアンは愛の言葉を
全く口にしないので、
オデットが彼の真意を測りかねるのも
無理はないと思います。
せめて「ハニー」の一言でも
言っていたら良かったのに・・・
オデットが、
新聞でしか、バスティアンの安否を
知ることができないのが切ないです。
マルグレーテと子犬たちが
慰めとなっているけれど、
これもバスティアンからの
プレゼントだと思うと、
悲しくなってしまうのでしょうね。
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いつも、たくさんのコメントを
ありがとうございます。
軍関係の専門用語が
頻繁に出て来ていて、
その類に全く知識がない私は
冷や汗ものですが、
調べながら、何とか訳しています。
もし間違っていましたら
ご容赦くださいませ。
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