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201話 オデットとバスティアンは勝利を記念する祝賀会でダンスを踊っています。
バスティアン・クラウヴィッツの
ワルツは相変わらず完璧でした。
砲弾の破片を除去する手術を受けた足を
内心、心配していたオデットは、
ようやく安心しました。
バスティアンは巧みに
オデットをリードしながら、
ワルツのステップを踏み続けました。
わずか数ヵ月前まで、
全身が引き裂かれて、砕かれて
身動きするのもままならなかった
男だとは信じられないほど
優雅な踊りでした。
車椅子に乗って、松葉杖をついて、
再び両足で歩き、走れるようになるまで
バスティアンは懸命に
リハビリに励みました。
筋肉の断裂による痛みのせいで
一晩中、眠れなくても、翌日には
必ず訓練に臨みました。
疲れ果てて倒れてしまった
バスティアンの世話をしていた夜
オデットは、しばしば泣きました。
もともと傷だらけだった体は、
今では無傷の場所を見つけるのが
難しいほど
ひどい状態になっていました。
できれば苦痛を
分かち合いたかったけれど、
オデットにできることは、
せいぜい鎮痛剤を飲ませた
バスティアンを胸に抱いて
寝かしつけることが全てでした。
そんな夜を重ねているうちに、
トロサ諸島の長い冬が去り、
春が来ました。
そしてバスティアンは日に日に
強健になって行きました。
そして、
北海でも花が咲き始めた頃には
日常生活に不便がないほど
自由に動けるようになりました。
バスティアンが初めて1人で
散歩に出かけた途中で、
摘んで来てくれた野花を、オデットは
看護日誌を書いているノートの間に
入れて、大切に保管しました。
一連のターンを終えたオデットは
皆が自分たちを見ていると、
ため息をつきながら
愚痴をこぼしました。
バスティアンは、
再びオデットの腰を抱き寄せて
次の動作へと進みました。
彼は、
お姫様があまりにも美しいからだと
言いました。
オデットは、握り合った手に
そっと力を込めて、
からかわないでと、
バスティアンを叱りました。
けれども、すぐに笑ってしまいました。
オデットは、
だから、しばらくは
距離を置こうと言ったのに、
もう自分たちの仲は
公然となってしまったと嘆きました。
バスティアンは、
望んでいたことだと返事をすると
穏やかな笑みを湛えている目で、
オデットを見つめました。
精巧に細工された宝石でできた
ティアラが、シャンデリアの光の中で
煌びやかな光を放っていました。
長くて、まっすぐな首に沿って下りた
バスティアンの視線は、
光が溜まっている
まっすぐな鎖骨を通り、
深く切り込んだドレスのネックラインに
触れました。
胸と肩の半分が露出する
このドレスのせいで、数日間、
「そこはダメ」と、オデットに
叱られなければなりませんでした。
それでもバスティアンは、しばしば
首筋に嚙みつくふりをする
悪戯をしました。
途方に暮れている顔が、
とても愛らしいお姫様のせいでした。
再びターンが続くステップが
巡って来ました。
イミテーションの宝石の欠片と
銀糸で飾られた
オデットのドレスの裾が
まるで光の波のように揺れました。
バスティアンは満足げな目を上げて
楽園の海が煌めくような
青緑色の目を見つめました。
オデットは、
バスティアンの体が回復して
本当に良かったと
微かに震える声で囁きました。
バスティアンは、
すでに毎日、確認していなかったかと
平然とした冗談で返事をすると、
オデットは眉間にしわを寄せながら
握り合った手に力を込めました。
しかし、その瞬間も、口元に
優しい笑みを浮かべていました。
オデットは、
あなたは本当に強い人だ。
自分はあなたを誇りに思う。
だからこそ、この世界が
あなたを大切にして欲しいと
願っていると、勇気を出して、
長い間、心に秘めていた
真心を伝えました。
バスティアンは彼女に、
美しい世界を
プレゼントしてくれました。
だからオデットも、
彼の輝かしい世界になってあげたいと
思っていました。
しかし、バスティアンは、
どうしよう。あなたの願いとは
違う決断を下してしまったようだと
返事をすると、
一段と落ち着いた眼差しで
オデットと向き合いました。
皇帝はバスティアンに
伯爵の位を授ける。
国を救った英雄であり、
姫の夫を礼遇するために下した
決定だと告げました。
バスティアンは、
自分には、すでに公爵の爵位があるので
爵位は、その一つで十分だと
忠実な臣下らしい礼儀を尽くして
拒絶の意を伝えました。
その返事を聞いた皇帝は、
確かに、北海艦隊の将兵たちは、
君のことを「トロサの公爵」と
呼んでいるそうだねと言って、
呆れ果てたように
笑い声を上げました。
バスティアンは、
帝国が自分に授けてくれた爵位だと
信じている。
だから自分は、
これ以上のことを望んでいないと
淡々と、
本心をありのまま伝えました。
平民の代表。 平民の自尊心。
平民の誇り。
ある瞬間から、名前の後ろに
そんな修飾語が
付くようになったことを
バスティアンは、よく知っていました。
そのおかげで、
過分な声援と信頼を受ける指揮官として
戦争を遂行することが
できたということも。
それなら、クラウヴィッツ提督の栄誉は
彼らのものとして残しておこうと
思いました。
バスティアンが守りたい信義でした。
じっくり考え込んでいた皇帝は、
最後にもう一度聞くけれど、
本当に爵位を辞退するのかと
訪ねました。
バスティアンは、
今のままで十分だ。
代わりに報奨金を与えてくれるなら
ありがたくもらうと
代替案を提示しました。
それを聞いた皇帝は
呆れたように空笑いをしました。
そして、しばらくして
豪快な笑い声を上げました。
契約が成立したという意味でした。
静かな眼差しで
バスティアンを見つめていた
オデットは、
皇帝と単独で謁見して
下した決定なのかと尋ねました。
バスティアンは、
伯爵の爵位を与えると言われたけれど
それを断ったと答えました。
オデットは、それは自分の望みとは
関係ないことだと答えると、
明るい笑みを浮かべながら
首を振りました。
オデットは、
自分は、あなたがそのような方法で
尊重されることを
望んでいるわけではない。
爵位とかはどうでもいい。
あなたの決定を尊重すると
言いました。
バスティアンは、
平民の妻になってもいいのかと
尋ねました。
いくらでもできる。すでに、
やってみたことがあるからと
答えるオデットの
音楽のような調べを奏でる声が
大宴会場に満ちている
ワルツの旋律を消しました。
バスティアンは、微かに熱を帯びた
ため息をつきながら
皇宮の庭園に面している窓の向こうへ
目を向けました。
ここでも、ラッツの空を横切る
大観覧車が見えました。
「行こう、オデット」と
バスティアンが囁きました。
当惑したオデットが
「今? どこへ?」と聞き返しても
バスティアンは、
ただ平然としていました。
その間に、ダンスの終わりが
近づいて来ました。
提督と姫は、
ワルツが最初に始まった場所で
再び向かい合いました。
美しいフレスコ画で飾られた天井と
クリスタルのシャンデリアを
一瞥したオデットの視線が
再びバスティアンに向けられました。
ドレスの裾をそっと持ち上げて
膝を曲げると、
バスティアンも丁重に頭を下げて
応えてくれました。
母親の悲劇が始まった場所で、
オデットは、
母親から受け継いだ運命と
決別しました。
もう残りの人生は全て
自分のものになるはずでした。
オデットは完璧な自由の中で
バスティアンを見つめました。
首をまっすぐに伸ばした彼は、
目で大宴会場の入り口の方を
指しました。
オデットは、あり得ないことだと
思いました。
名実共に今日の主役が、
勝手に席を離れるなんて。
しかも皇帝が主催した宴会なのに。
しかし、バスティアンを
思い留まらせる機会は
与えられませんでした。
最初のダンスを終えて退場した
バスティアンは、
静かに大宴会場を抜け出しました。
悩んでいたオデットは、
適切な時を見て、彼の後を追いました。
オデットは声を低くして、
バスティアンの名を呼びながら
皇宮の廊下を歩きました。
大庭園が見える回廊に入った瞬間
突然、飛び出した大きな手が
彼女の手首をつかみました。
柱の後ろから現れた
バスティアンを見たオデットの唇から
恨みと安堵が混じった
ため息が漏れました。
バスティアンはニコッと笑うと
握り締めていた将校帽を被りました。
オデットのショールとハンドバッグも
すでに彼の手の中にありました。
オデットが承諾の返事をする前に
バスティアンは
大股で歩みを進めました。
煌びやかな勲章の輝きと
星の光のように輝く水色のドレスの裾は
まもなく回廊の端に消えて行きました。
提督と姫が、宴会の途中で
一緒に姿を消した。
その噂が皇宮全体に広まるまで、
それほど時間はかかりませんでした。

フレベ大通りを走った車は、
ラッツ公園の西側の出入口の前で
停まりました。
遊園地へと続く道でした。
まさか、こんな姿で
遊園地に行くのかと、
当惑しているオデットとは違い、
バスティアンは
平然と車から降りました。
そして、
自らオデットが降りるドアを
開けました。
オデットは、
家がすぐそこなので、
着替えてから行こう。
この格好では、あまりにも・・と
躊躇しましたが、バスティアンは
今日も姫の家に泊まる予定なので
待機する必要はない。
もう休んでいいと、
運転手に指示することで
オデットの反論を遮りました。
そして遊園地に向かって
オデットをエスコートし始めました。
オデットは仕方なく
バスティアンに従いました。
すでに大勢の人々の視線が
彼らに注がれていました。
今さら、服を着替えたからといって
変わることはなさそうでした。
遊園地は、戦勝記念祭を楽しむために
訪れた行楽客で賑わっていました。
客引きたちの力強い掛け声と
屋台で売っている甘いお菓子の香りが
そよ風に乗って広がって来ました。
闇が深まるにつれて、
色とりどりの明かりが、
より鮮明になって行きました。
オデットはバスティアンの手を握り
童話の中の世界のような遊園地を
歩きました。
自分たちに気づいた通行人の視線が
やや負担ではありましたが、
それよりも、
長い間、夢見て来た瞬間が与えた
喜びの方が大きかったです。
妖精の糸。
カルスバルの遊園地で見たのと
同じ名前の綿あめの屋台を見つけた
オデットの目が丸くなりました。
待機列が長いことを確認した
バスティアンは、
まず屋台の向かい側にあるベンチに
オデットを座らせました。
そして、お姫様は
ここで待っているようにと告げて
ニッコリ笑ったバスティアンは
オデットの返事を待たずに
屋台へと向かいました。
綿あめを買うために
列に並んでいる彼の姿を
じっと見つめていた
オデットの顔の上に
晴れやかな笑みが浮かびました。
「お母さん!お姫様!」
綿あめを持って
オデットの前を通りかかった
ある幼い少女が
びっくりして足を止めました。
きまりが悪くなったオデットが
微笑みながら手を振ると、
子供は嬉しそうに
ピョンピョン飛び跳ねて笑いました。
その光景を見た子供たちが
どっと押し寄せて来たため、
しばらく、オデットは
挨拶するお姫様の人形役を
演じなければなりませんでした。
道化師の扮装で風船を売る露天商が
敵対的な視線を送り始めた頃になって
ようやく、バスティアンは、
綿あめを持って帰って来ました。
オデットは震える手で
白い雲のような綿あめを
受け取りました。
甘い香りが鼻先をかすめると
目頭が熱くなりました。
しかし、オデットは
悲しみに沈むことは
ありませんでした。
その代わりに、
今この瞬間の幸せだけを考えようと
決意を固めた瞬間、
柔らかい感触が唇をかすめました。
バスティアンが口に入れてくれた
綿あめでした。
オデットは、
思わずそれを受け取って食べました。
舌の上でとろける綿あめは、
本当に嘘のように甘く、オデットが
目をパチパチさせている間に、
バスティアンは綿あめを
もう一口食べさせてくれました。
一歩遅れて周囲の視線を意識した
オデットの頬が赤くなりました。
耳たぶまで赤くしたオデットは
「もう行きましょう」と言って
逃げるようにベンチから
立ち上がりました。
バスティアンは
素直に応じてくれました。
手をつないで、
夢のような光に染まった遊園地を
歩きました。
勇気を振り絞ったオデットは
手に持った綿あめを食べながら
童話のように美しい世界を
見物しました。
バスティアンは、甘いものが
あまり好きではないようでしたが、
それでもオデットが
綿あめを差し出すと、
素直に食べてくれました。
この綿あめの味を、オデットは
永遠に忘れることはないだろうと
思いました。
いつでも、
また買って食べられるけれど、
決して今日のような味には
ならないはずでした。
メリーゴーランドと
空中ブランコを通り過ぎた
バスティアンは、
幸いにも行列が長くないと言って
大観覧車の前に
オデットを連れて行きました。
長年憧れて来た美しい光が
恋人を出迎えてくれました。
「クラウヴィッツ提督!」
バスティアンに気づいた
観覧車の管理人が
嬉しそうに近づいて来ました。
そのせいで、
並んでいた皆の注目が2人に集まり
続いて英雄の名前を連呼する歓声と
拍手の音が、
祝福のように降り注ぎました。
管理人は、
今日のような日に、どうして2人は
ここにいるのかと尋ねました。
バスティアンは、
観覧車に乗りに来た。
今日一番やりたいことだったと
答えました。
管理人は、
なんとまあ、一生の光栄だと喜ぶと
嬉しそうな子供のような顔で
力強く敬礼をしました。
クスッと笑ったバスティアンは
簡単な敬礼をすることで
調子を合わせました。
2人の順番が回って来ると、
管理人は先頭に立って
搭乗口に向かいました。
オデットはバスティアンの手を握って
観覧車に乗り込みました。
それと同時にドアが閉まりました。
定員に満たない観覧車は、
2人だけを乗せたまま
搭乗口の前を通り過ぎました。
これは自分から英雄へのプレゼント。
どうか楽しい時間を過ごしてくださいと
管理人の声が響き渡りました。
オデットは、
あなたのおかげで
贅沢を味わうことができたと言うと
ようやくリラックスして笑いました。
観覧車は、
今や遊園地を埋め尽くした人々を
見下ろすことができる高さまで
昇りました。
オデットは好奇心に満ちた目で
観覧車の窓の外を眺めました。
空へと昇って行く気分は
漠然とした想像よりも
はるかに素晴らしいものでした。
あそこに自分の家が見える。
そして、あそこは・・・と
子供のように喜びながら
バスティアンの方を見たオデットの目が
一瞬、ぼんやりしました。
オデットは目を丸くして
観覧車の床に跪いている
バスティアンを見下ろしました。
目が合うとバスティアンは
6月の空のように微笑みました。
そして、
制服のポケットから取り出した
小さなベルベットの箱を
ゆっくりと開けました。
その中に置かれた指輪を、
オデットは一目で見抜きました。
愚かな過ちを犯したあの日、
バスティアンが買ってくれた
まさに、あの指輪でした。
柔らかな低温の声が、
「オデット・テレジア・
マリー・ロール・シャルロッテ
フォン・ディセン」と
オデットの名前を呼びました。
そして、
「あなたを愛しています。
私と結婚していただけますか?」
とバスティアンは、
この上なく真実な告白で
プロポーズしました。
じっと彼を見つめるオデットの瞳が
澄んだ透明な光で輝き始めました。
いつの間にか観覧車は、
フレベ大通りの端にある皇宮が
見えるほど高い空まで昇りました。
オデットは、
かろうじて涙を堪えながら
頷きました。
バスティアンは
静かな笑みを浮かべながら、
ようやく持ち主を見つけた指輪を
オデットの手にはめました。
青いダイヤモンドで作った花が
白い手の上でぱっと咲きました。
バスティアンは落ち着いて立ち上がり
オデットと向き合いました。
涙ぐんだ顔で笑うオデットは
眩しいほど美しかったです。
バスティアンがキスをしようとした瞬間
オデットは急いで首を横に振って
「まだです」と言いました。
バスティアンは眉を顰めながら
頷きました。
オデットは指輪をはめた手で
バスティアンの手を包み込むと
「私をたくさん愛してください。
私もあなたをたくさん愛します」
と告げました。
長い睫毛が落とす影が、
赤く染まった目元の上で
ゆらゆらと揺れました。
「うん、そうするよ」と
バスティアンは喜んで約束しました。
その間に観覧車が頂上に達しました。
澄んだ闇が降り注ぐ夜空は
星の光でいっぱいで、
はるか彼方に遠ざかった足元の世界は
明かりで輝いていました。
観覧車の窓の向こうを眺めたオデットは
満面の笑みを浮かべながら
「今です、バスティアン」と
急かしました。
その理由に気づいたバスティアンは
ハハハと声を出して笑いながら頷き
キスをしました。
永遠の愛の誓いを込めて。
一番高い空の上で。
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観覧車に乗り損ね、
綿あめを食べ損ねたあの日から4年。
ようやくオデットの悲願が叶いました
オデットはその願いを
バスティアンへの手紙に
書き綴ったけれど、
まさか、バスティアンは、
自分が、一番輝いている日に
その願いを叶えてあげるなんて。
そして、契約ではなく、
愛を告白しながらのプロポーズ。
バスティアンは、
観覧車でプロポーズをしようと
ずっと計画を立てていたのでしょう。
もしかしたら、バスティアンは
一度くらい、指輪を捨ててしまおうと
思ったことがあったかもしれません。
けれども、バスティアンは、
その指輪がオデットに似ていると
思っていたので、
捨てることができなかったのだと
思います。
観覧車の一番高い所で
キスをして欲しいという
オデットの気持ちが
痛いほど分かりました。
ロマンティックな気分を
味わいたいというオデットの気持ちを
バスティアンが理解してくれる人で
良かったです。
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