669話 ゲスターの罠にかかったサーナット卿は怪物を退治することになりました。
◇怪物との戦い◇
人間の大きさほどもある
巨大な蛆が、
サーナット卿の前を
にょろにょろと通り過ぎました。
彼は、慌てて後ろに下がりました。
それでも、人間の大きさの蛆は
まだ小さい方で、
それよりも大きな蛆が
あちこちに散らばっていました。
サーナット卿は、
できるだけ、それらを
見ないようにしながら、
素早く足を動かしました
通路の脇の狭い溝から、
死体が腐ったような臭いが
漂って来ました。
一体、ゲスターは自分を
どこに送って来たのか。
ふと、サーナット卿は
これはゲスターの陰謀ではないかと
疑いました。
彼がラティルに関わることで
悪いことをしたりしないと
信じたかったものの、
ゲスターは人格が腐った黒魔術師なので
しきりに、サーナット卿は、
彼のことを怪しみました。
しかし、
そこまでひどくはないだろうと
その考えを否定すると、
サーナット卿は
下水溝付近で腰を曲げて
匂いを嗅いだ後、
鼻をふさいで内側に移動しました。
そして、再び鼻から手を離すと、
先ほどより、
少し臭いが薄くなっていました。
サーナット卿は元来た道を戻り、
反対方向へ歩いて行きました。
臭い匂いのする場所を
どのくらい歩いたのか。
今度は蛆のような怪物ではなく、
一見すると、
巨大なハエのような怪物が
徐々に姿を現しました。
蛆とは違い、その怪物は
サーナット卿に興味を示して
近づいてきました。
彼は剣を抜きながら、
ゲスターを罵倒しました。
ようやく、そのハエのようなものを
何とか斬り倒しながら進んで行くと、
別の怪物が現れました。
あれか?
それは、蛆やハエとは違い、
とても美しい姿をしていました。
真っ白な翼は鳥の翼に似ていて、
その下から見えるまっすぐな脚は
人間の脚のように見えました。
カールしたプラチナ色の髪が
翼の上に広がって揺れていました。
ゲスターは、
後ろから見ると、
天使のようだと言っていたので、
サーナット卿は、
あれではないかと思いました。
サーナット卿は剣の柄に手をかけ、
ゆっくりと怪物に近づきました。
三、四歩、歩いた頃、
サーナット卿に背を向けていた怪物は
ゆっくりと彼の方を振り返りました。
サーナット卿は、
カボチャの種を除くと、
中身が空になるというゲスターの説明を
思い出しました。
胃がムカムカしてきましたが、
サーナット卿は歯を食いしばって
怪物に飛びかかりました。
しかし、
怪物の翼が巨大な唇のように広がり、
彼を飲み込もうとしました。
予想以上に長い戦いの後、
ついに、サーナット卿の剣は、
怪物の首を斬り落としました。
首が落ちると、
怪物の翼は再び元の場所に戻り、
だらんと垂れ下がりました。
サーナット卿が
服に飛散った血を拭った瞬間、
不気味な寒気が彼を貫きました。
それから、サーナット卿は
遅ればせながら、
これをどうやって運べばいいのかと
考えました。
◇喜ぶゲスター◇
幸いなことに、それから約30分後、
ゲスターが現れて、
サーナット卿と怪物を、
怪物倉庫として使われている建物に
移動させました。
コーヒーを飲んでいた吸血鬼たちは、
恐ろしい怪物を見て驚き、
後ずさりしました。
そして、これは何かと尋ねる吸血鬼に
ゲスターは、
この怪物は「中空の天使」といって
本物の天使ではない。
人を食べるために、
天使の真似をしていると説明しました。
それから、ゲスターは
死んだ怪物を見下ろすと、
思い出したかのように、
サーナット卿に労いの言葉をかけ、
ラティルの所へ行かないのかと
尋ねました。
彼は、退勤したので行く必要はないと
当たり前のような口調で答え、
他に捕まえる怪物はいないのかと
尋ねました。
ゲスターは、まだいないと答えると、
サーナット卿は、
それでは、これで失礼します。
と言って、
そのまま外へ出て行きました。
何人かの吸血鬼が
サーナット卿をからかうように
急いで後を追いかけました。
ゲスターは、その後ろ姿を見て、
目だけで笑いました。
それを見たグリフィンは、
どうして、
そんなに汚らしい顔をしているのかと
言って、舌打ちをした後、
しまったと思って
頭を隠しましたが、
ゲスターは口笛を吹きながら
別の部屋へ歩いて行きました。
グリフィンは、
何なんだ?
もっと気になるんだけど。
と呟きました。
◇怒っている?◇
翌日の早朝、
執務室に入ったラティルは
持って来たコーヒーカップを
机の上に置き、
自分に付いて来たサーナット卿を
見つめました。
彼は穏やかな表情で、
ラティルの後ろへ行くと
背筋を伸ばしました。
昨日、ラティルと
側室の話をした人とは思えないほど
淡々とした様子でした。
ラティルは
サーナット卿の表情を見て、
彼は傷ついているところを
表に出さないようにしていると、
推測しました。
こんな時、心の声を
聞けたらいいのにと思いました。
ラティルは夜通し書き上げた書類を
次々と机に積み上げながら、
机の上に置かれた鏡を通して
頻繁にサーナット卿の顔を
確認しました。
彼の表情は絵に描いたように、
何の変化もありませんでした。
ラティルは、
コーヒーを飲みましたが、
我慢できなくなり、自分の方から、
昨日の、
側室になるという話ですが・・
と切り出しました。
ところが、サーナット卿は
ラティルが言い終わる前に、
キャンセルして構わないと
答えました。
全く予想外の返事でした。
ラティルは、
キャンセル?
と聞き返すと、
我慢できなくなって、
後ろを振り返りました。
彼は、100年来の平穏を
取り戻したかのように、
「はい」と落ち着いて答えました。
ラティルは、困惑しながら
その理由を尋ねました。
サーナット卿は、
側室に迎えるのを、
数ヶ月、延期すると言ったのは
皇帝だと、眉を顰めて答えました。
ラティルは、
あっ、それはそうだけれど・・
と返事をすると、目をパチパチさせて
再び前を向きました。
確かに、
数ヶ月の延期を提案したのは
ラティルでした。
しかし、彼女は
ペンにインクを染み込ませながら
首を傾げました。
サーナット卿は、数カ月の延期を
素直に受け入れたのに、
なぜ、こんなにモヤモヤするのかと
不思議に思っていたラティルは、
自分は、数ヶ月延期したいと
言っただけで
キャンセルするとは言っていないと
抗議しました。
サーナット卿は、
それは分かっているけれど、
キャンセルしてもいいと言っていると
冷静に答えました。
子供の頃、サーナット卿は
頑固なラティルを忍耐強く、
説得していましたが、
今の彼の態度は、
まさにそんな感じでした。
ラティルは、
キャンセルする理由を尋ねました。
サーナット卿は、
自分は近衛騎士団長で
ラティルの騎士だからと答えました。
ラティルは、
それは、分かっているけれど、
それと何の関係があるのかと
尋ねました。
サーナット卿は、ラティルには、
すでに、何人も恋人がいると
答えました。
ラティルは、再び、
それが何の関係があるのかと
尋ねました。
サーナット卿は、
わざわざ、自分まで、
その中に入る必要はないと
答えました。
ラティルは
サーナット卿に拳で殴られたような
衝撃を受けました。
ラティルは、
どうしてなのかと
ぼんやり尋ねると、
サーナット卿は眉をひそめながら、
どうせ、皇帝は、
自分を側室にするのは
気まずい立場だったし、
考えてみれば、自分も
皇帝の側室になる必要はない。
だから、キャンセルすると答えました。
彼女は、サーナット卿に
怒っているのかと尋ねました。
サーナット卿は否定しましたが、
ラティルは、そのように見えると
主張しました。
けれども、それは嘘で
サーナット卿は、
全く怒っているように
見えませんでした。
ラティルは、
サーナット卿の淡々とした答えより、
その沈んだ瞳に困惑しました。
ラティルは、彼がとても
怒っているのではないかと思いました。
◇ミロの特産物◇
昼頃、ゲスターは
ラティルに怪物倉庫に来て欲しくて
人を送って来ました。
彼女は、依然として戸惑ったまま
倉庫に向かいました。
その中に入ってすぐに、
彼女の目に飛び込んで来たのは、
低くて広々とした台の上に置かれた
初めて見る奇妙な怪物の死体でした。
ラティルは、
これは何なのかと尋ねました。
ゲスターは、
新たに捕まえた怪物で
「中空の天使」と呼ばれている。
ラナムンを襲ったダークリーチャーを
調べていたら、
この怪物の成分が見つかったので、
きちんと比較するために、
手に入れたと答えました。
ラティルは、
何か、わかったのかと尋ねました。
ゲスターは隣の部屋に移動して、
ラナムンを襲った
ダークリーチャーたちを見せました。
怪物の横にあるガラスの箱の中には、
土の塊のようなものが
一握りずつ入っていました。
ゲスターは、
この成分を分析したところ、
この怪物を作るために、
多く使われていたのは
ミロにしかない特産物で、
先ほど、見せた新しい怪物が
主に出現する場所もミロだと
答えました。
ミロと聞いて、ラティルは
その国の王女であり、
聖騎士団の団長である
ザリポルシ姫のことを思い出しました。
彼女とミロの王と王妃は
タリウムに恨みを抱いていたので、
もしかして、邪悪な力に
手を染めたのだろうか。
こちらも、
黒魔術師を抱えているしと
ラティルは思いました。
◇変わってしまった◇
ラティルは、
ザリポルシ姫とミロのことを
考えているうちに、
サーナット卿のことを
少し忘れることができました。
ラティルは悩みながら執務室に戻ると
コーヒーを飲みました。
もしも、ザリポルシ姫たちが、
黒魔術師のイメージが最悪な状況で、
露骨に彼らの力を借りたとしたら
実に情けなくて馬鹿げたことでした。
ラティルは黒魔術師のイメージを
変えるために、
怪物と黒魔術師を戦わせる計画を
立てていました。
しかし、彼女たちのせいで、
その計画が台無しになるかと思うと
呆然としました。
そんな中、昼食を食べに
サーナット卿がやって来ると、
ラティルは側室の話題を避けるため、
ゲスターの所へ行って来たことを
打ち明けました。
すると、サーナット卿は、
ラティルの机の上に
ほぼ、そのまま置いてある
ケーキを見ながら、
その怪物は、
昨日、自分が捕まえて来たと
話しました。
ラティルは、
サーナット卿が捕まえて来たのかと
尋ねると、彼は
「はい」と返事をしました。
ラティルは、
ケーキを少し食べながら、
この件について、
ミロの王と王妃とザリポルシ姫が
関係しているだろうかと
尋ねました。
サーナット卿は、
そうかもしれないし、
そうでないかもしれない。
いずれにせよ、
自分たちに害があるなら、
戦って勝てばいいと
自信満々で答えました。
ラティルは満面の笑みを浮かべ、
我らがサーナット卿は素晴らしい。
これはご褒美です!
と言って、
ケーキを刺したフォークを
口元に差し出しました。
しかし、彼は口をギュッと閉じて
ラティルを見下ろすだけでした。
彼女は、フォークも使ってないし
ケーキにも口を付けていないと
決まり悪そうに説明しましたが、
サーナット卿は首を横に振り、
ラティルの手を
テーブルに押し下げました。
そして、皇帝と自分は今、
主と騎士の間柄だ。
自分は皇帝の騎士だけれど、
恋人ではないので距離を置くべきだ。
皇帝の評判のためにも、
このままの方が良いと言いました。
ラティルの顎が落ちました。
サーナット卿は、
単に「側室にならない」と
通告したわけではなく、
彼はラティルとの間に距離を置き
恋人にならないと話していました。
ラティルはフォークを置いて
立ち上がると、
本気で言っているのかと尋ねました。
彼は「はい」と答えました。
ラティルは、自分の瞳が
揺れているのを感じました。
それを見て、
眉を顰めたサーナット卿は
気を悪くする必要はない。
これは当然のことだと言いました。
ラティルは、
サーナット卿が変わってしまったと
思いました。
◇真夜中の訪問◇
ラティルは仕事を終えて、
部屋に戻りましたが、
腸が煮えくり返り、
ここ数日間、続けていた夜の仕事が
できませんでした。
書類を見ていると、サーナット卿の
冷ややかな顔が思い出され、
怒りがこみ上げてきました。
耐えきれなくなったラティルは、
上着を持って宮殿を抜け出し、
サーナット卿の邸宅に向かいました。
邸宅の塀を越え、玄関の扉を叩くと、
扉の内側から、
眠そうな声が聞こえてきました。
どちらさまですか?
と聞かれたので、ラティルは
皇帝だ!
と答えましたが、
いたずらだと思われ、
あっちへ行け!
と追い払われました。
扉越しに
遠ざかる足音を聞いたラティルは、
再び扉を叩きました。
今回は、何も言わずに扉がパッと開いて
怒った執事の顔が現れましたが、
ラティルがいるのを見て、
陛下!
と慌てて叫びました。
ラティルは執事に
サーナット卿のことを尋ねました。
執事は挨拶するべきか、
答えるべきか決めかねて
体を揺らしていましたが、
ラティルに挨拶をした後、
彼は部屋にいると答えました。
ラティルは、
サーナット卿を呼んで欲しいと
頼みました。
執事は慌てて階段へ向かいましたが、
すでに音を聞きつけたのか、
サーナット卿が階段を下りてきました。
ガウンのボタンを
留めていないようでしたが、
騎士のように颯爽と降りて来ました。
サーナット卿は、眉を顰めながら、
こんな夜中に、
何の用事で来たのかと尋ねました。
人間サイズの蛆だなんて
想像するだけで気持ち悪いです。
マンガでは、
あまり露骨に書いて欲しくないですが
マンガの127、128話で
湖でラナムンを襲った
ダークリーチャーが
結構、グロテスクに
描かれていましたので、
この怪物も・・・
今から、想像はしないことにします。
いくらゲスターが
ライバルを減らしたいとはいえ、
サーナット卿の愛を失わせるなんて
本当にひどいと思います。
そんなことをしても、
ゲスターがラティルの一番になることは
ないと思います。
サーナット卿のラティルへの愛が
失われてしまい、
ラティルは焦っていますが、
今まで、サーナット卿の気持ちを
踏みにじるようなことを
してきたので、
これで、少しは
サーナット卿の愛の有り難みと
他の側室たちからの愛に
気づくことを期待します。
愛の反対は憎しみではなく
無関心だとおっしゃいましたが、
サーナット卿も、
ラティルへの愛を失ったことで
まさに彼女に
無関心になったと思います。