497話 対抗者のふりをして捕まっていた聖騎士をどうするか、ラティルは悩んでいます。
◇ロードのお願い◇
ラティルは聖騎士に
少し待って欲しいと告げると、
聖騎士に声が届かず、
姿も見えない所まで
ゲスターを引っ張って行った後、
彼の腕を離し、
話があると言いました。
ゲスターは緊張したような目で
ラティルを見つめました。
彼女は、
帰らなければならないと告げると
ゲスターの肩に入っていた力が
少し抜けました。
彼は、
自分が何か違うことを言うと
思っていたのだろうかと、
ラティルはゲスターの態度を
訝しみましたが、目下の急務は、
あの聖騎士の処遇でした。
ラティルは、あの聖騎士を
どこか近くの神殿に
預けることができるかどうか
尋ねました。
ゲスターは躊躇いながら
後ろを振り返った後、
ラティルにぴったりくっついて
「帰るのですか?」と
聞き返しました。
鼻の奥に触れる息に
ラティルはビクッとしました。
あの狼のような顔が
思い浮かびました。
ゲスターは、
聖騎士に会話を聞かれないように
このように
くっ付いただけだということを
知っていましたが、
あの顔を思い浮かべると、
訳もなく耳元が痒くなり、
仮面を剥がしてみたい衝動に
駆られました。
そんなことをすれば、
ゲスターは驚くだろうかと考えました。
ラティルは、
自分が突然いなくなれば
大騒ぎになるので、
帰らなければならない。
ゲスターには、聖騎士を
近くの神殿に預けて欲しいけれど
大丈夫かと尋ねました。
ゲスターは頷き、
自分が黒魔術を使ったことは、
適当に言い繕う。
実際のところ、ほとんどの人は
黒魔術と白魔術を、
きちんと区分することもできないと
言いました。
ラティルは「そうですね」と
返事をすると、ゲスターは
ラティルをギュッと抱きしめました。
ラティルは、
彼の胸の中に顔を埋めて
目を閉じました。
身体が絶壁から落ちるような感じがして
素早く周りの風景が変わっていくのが
感じられました。
数秒後、目を開けて顔を上げると、
いつの間にか風景は
ゲスターの部屋に変わっていました。
眩暈がしたので眉をしかめました。
ゲスターは、
ラティルの額の辺りを軽く撫でながら
大丈夫かと尋ねました。
仮面の間から覗く
彼の目つきが気になったラティルは
額を手で撫でながら
大丈夫だと答えました。
ゲスターは、
聖騎士を神殿に預けて、
彼と別れたら戻って来る。
もし自分が、
適当な時間に戻って来なければ、
何か用事ができたと思って
待ち続けないようにと忠告しました。
ラティルが頷くと、ゲスターは、
かすかに笑ったかと思ったら
あっという間に消えました。
がらんとした部屋に
1人残されたラティルは
数秒前まで彼が立っていた
床を見下ろしました。
訳もなく、探るように
普通の床を靴の先で叩きましたが、
自分がバカなことをしていると思い、
近くのソファーに腰掛けました。
フカフカのソファーに身を沈めると、
狐の仮面をかぶった
ランスター伯爵、ゲスター、
狼のような顔をした男の顔が
次々と思い浮かびました。
ラティルは髪の毛を弄りながら
眉をひそめました。
ゲスターは黒魔術と記憶と
仮面を受け継いだ
「ゲスター」なのに、
どうして仮面の下の顔が
変わっていたのか。
黒魔術で、
しばらく顔を変えたのかと考えました。
この状況で、
それが重要なことではないことは
わかっていましたが、
ラティルは気になりました。
その時、誰かが窓を叩きました。
窓辺を見ると
グリフィンが窓枠に座って
窓を嘴で突いていました。
ラティルは窓を開けてあげると、
グリフィンは興奮して中に入り
羽をばたつかせながら、
自分の羽を見て欲しい。
昨日と何が違うかと尋ねました。
ラティルは、
昨日、グリフィンに会っていないので
分からないと答えました。
どうやらグリフィンは
ラティルに会いに来たのではなく、
通りすがりにラティルを見つけて
話しかけて来たようでした。
ラティルは、
グリフィンが羽を自慢して、
ふざけている間、
ぼんやりと小さな頭を撫でました。
それから、ふとラティルは、
ゲスターがグリフィンについて
話していたことを思い出し、
グリフィンに忙しいかと
尋ねました。
グリフィンは「はい」と答えましたが、
嫌な予感がしたのか、
答えるや否や、逃げようとしました。
しかり、ラティルは、
グリフィンのライオンの尻尾を、
素早く捕まえました。
グリフィンは悲鳴を上げて
ひっくり返りました。
グリフィンは、
きれいなしっぽが抜けてしまうと
抗議しました。
ラティルはグリフィンに謝った後に、
お願いしたいことがあると
言いました。
グリフィンは、
お願いではなくて脅迫だ。
なぜ尻尾を引っ張るのかと
文句を言いました。
ラティルは聞こえないふりをして
さらに尻尾を2、3回引っ張ると、
グリフィンに、
暇なら、タナサンの首都へ行って、
そこの様子を見てきてくれないかと
尋ねました。
グリフィンは怒って、
羽をばたつかせましたが、
それが無駄だと分かると、
タナサンにはギルゴールが
行っている。
自分は彼のそばに行きたくないと
息巻きました。
ラティルは、
遠くから見て来てくれるだけでいい。
全く便りがないから心配だと言うと、
グリフィンは、
ギルゴールを心配するなんて
とんでもないと嘆きましたが、
ラティルは、再びお願いしました。
それでも、グリフィンは嫌なのか
しきりに嘴をピクピク鳴らし、
怒りのこもった尻尾で、
神経質に床を叩きました。
しかし、
しばらくしてグリフィンは、
ロードがお願いするので、
言うことを聞いてあげると言いました。
◇勇気を出す方法◇
ラティルは本宮へ戻る途中、
半分凍った湖と、
その上に垂れ下がった枯れ枝を見て
立ち止まりました。
あっという間にハーレムの中が
がらんとしてしまった感じがしました。
大神官はお守りを作るために
最近は運動もあまりしていないようだし
百花は、あれこれ調べものが多くて
忙しそうで、
ラナムンとギルゴール、
それにゲスターまでいないので
ハーレムの半分が
空っぽになったようでした。
この時期さえ過ぎれば
全て良くなるのではないかと
思ったラティルは、身なりを整えて、
再び本宮へ歩いて行きました。
しかし、その日の夕方、
業務を終えたラティルが
ゲスターの部屋で待っていても
ゲスターは戻って来ませんでした。
焦ったラティルは、
しきりに時計を確認しましたが、
夜明けになっても、
ゲスターは戻って来ませんでした。
もしも、
適当な時間に戻って来なければ
用事ができたと思って
待ち続けないようにと
言われましたが、
どんな用事ができて
帰って来られないのかと考えると、
ラティルは、
さらに心配になりました。
ラナムン、 ギルゴールに続き
ゲスターまで
連絡が途絶えたかと思うと、
不安がなかなか収まりませんでした。
ゲスターは、ラナムンたちとは
別のケースだからと、
無理やり考えようとしましたが、
無駄でした。
とにかく、ここで、
夜更かしするわけにはいかないので
ラティルは朝5時になると
部屋に戻りました。
2日間まともに眠っていないせいか、
頭がぼんやりとして、
目がかすんでいました。
ラティルはよろめきながら
ベッドへ歩いて行き、顔も洗わずに
ベッドに倒れ込みました。
ゲスターを待ったのは
2日間でしたが、
その前にラティルは何日も
毎晩歩き回っていたので
疲れが溜まっていました。
しかし疲れた状態でもラティルは
「陛下」という声を聞くや否や
目を大きく開けて顔を上げました。
くるりと体を横に回すと
ゲスターが立っていました。
ラティルは
急いで起き上がりました。
ゲスターはラティルのそばに来て座ると
聖騎士が自分に付いて来ようとしたので
神殿に置いてくるのが大変だったと
遅くなった言い訳をしました。
ラティルは、
そうでなくても心配事が多かったので
帰って来てくれて良かったと言い、
あの聖騎士を
神殿に置いて来ることが
できたかどうか確認しました。
ゲスターは、
できなかったと答えました。
ラティルは、
置いて来なかったのかと
聞き返すと、ゲスターは、
神殿に聖騎士を置いて
去ろうとしたところ、
国境の村で会った、あの聖騎士たちが
その神殿にやって来たと
暗い表情で答えました。
ラティルは、
それは本当なのかと聞き返すと、
ゲスターは、
百花繚乱の聖騎士のおかげで
自分の身分は証明されたけれど、
それでも、
まだ疑いが解けなかったので、
彼らも首都に行く途中だから
一緒に行こうと言われたと答え
ため息をつきました。
そして、皆で首都に行く途中、
抜け出すのが大変だったけれど、
トイレへ行くと言って
抜け出して来たと話しました。
ラティルは顔をしかめながら、
あの聖騎士たちは
本当に執拗だと言いました。
そもそも、
黒魔術師たちの集まりに行ったのも
その聖騎士たちのせいだし、
彼らのせいで、
ゲスターが戻って来るのが
遅れたことにも腹が立ちました。
しかし、考えてみれば、
捕まっていた百花繚乱の聖騎士を
助けることができたのも、
数多くの黒魔術師を救い、
アニャドミスの所へ行くのを
防ぐことができたのも、
彼らのおかげでした。
しかし、ラティルは
イライラしていたので、
その考えを脇へ追いやりました。
そして、ゲスターは、
あの聖騎士たちに
一緒にいた女はどこに行ったのかと
聞かれたけれど、
別の道を通って首都へ向かったと
伝えた。
後で首都に着いたら、
ラティルを迎えに来ると説明しました。
そして、ゲスターは、
少し未練のこもった目で
ラティルを見つめながら、
彼女と2人で首都へ行きたかったと
呟きました。
ゲスターの弱々しい声を聞いて
ラティルは心が痛んだので、
彼の手をギュッと握りました。
そして、
聖騎士たちと一緒に行くのは
危険なのではないかと心配しました。
ゲスターは、
怖いけれど大丈夫だと小さな声で囁き
痛ましい目でラティルを見たので、
彼女は、さらに心を痛めました。
臆病なゲスターが、一日中、
聖騎士たちの顔色を
窺っていることを考えると、
ラティルは、心配が募りました。
ラティルは、ゲスターが
自分のせいで苦労しているようだと
言うと、ゲスターは首を横に振り、
勇気を与えてくれれば大丈夫だと
返事をしました。
ラティルは、
どうすればいいのかと尋ねると、
ゲスターは目を閉じました。
彼の長い睫毛が
かすかに震えていました。
ゲスターのことを
心配していたラティルは、
彼が、突然目を閉じたので、
戸惑いました。
勇気を与えてくれと言って
目を閉じるというのは
キスをしてくれという
ことなのだろうか。
ラティルは、
しっとりとして柔らかそうな
ゲスターの唇を
ぼんやりと見つめました。
ゲスターに、
「キスして欲しいの?」と
聞いてもいいのだろうか。
しかし、そんなことをしたら
雰囲気がおかしくなりそうだ。
もし、キスして欲しいと思って
目を閉じたのでなければどうしよう。
黒魔術師同士の勇気を交わす方法が
別にあるとしたらどうしようと
ラティルは考えを巡らしていましたが
躊躇いながらも、ゆっくりと
ゲスターの唇に近づきました。
答えは分からないけれど、
違うなら、違うって
ゲスターは言うだろうと思いました。
ところが、唇が重なる前に、
ラティルの横から、「格好悪い」と
声が聞こえてきたので、
ラティルは驚いて
ゲスターを押し退けてしまいました。
そして、ラティルは、
声が聞こえてきた方を見ると、
レッサーパンダが、ラティルの枕の間に
人形のように座っていました。
ラティルは、ポカンと口を開けて、
いつ来たのかと尋ねましたが、
答えを聞く前に、
ゲスターが飛んだ方向から
何かが壊れるような音がしました。
そちらの方を見ると
すでにゲスターは消えて
彼の姿は見えませんでした。
ラティルは、
ゲスターが霧のように消えたと
呟くと、レッサーパンダは
奴は飛ぶように走って消えたと
言い返しました。
ラティルはため息をついて
レッサーパンダを見つめると、
ぽっちゃりした足を前に出し
ここにも勇気を入れて欲しいと
笑いながら頼みました。
ラティルはレッサーパンダに、
なぜ、ここにいるのかと尋ねると
レッサーパンダは、
ロードに会いに来たら、侍女たちが、
座らせておいてくれたと答えました。
ため息をついたラティルは、
布団をかぶって横になりました。
◇避難所◇
ゲスターとラナムン、
ギルゴールのことが
気になってはいるものの、
翌日もラティルは、
現実の仕事に追われました。
ラティルは、
避難所の件を担当する大臣から
まだ表面の補強が終わっていないけれど
首都の避難所が完成したので、
一度、見てみないかと聞かれました。
ラティルは、午後に時間を割いて
外へ視察に出かけました。
ラティルは、
もう出来上がるなんて、
随分、早かったと褒めると、
大臣は、
いつ敵が攻め込むか分からないので
人員をたくさん投入し、
夜を徹して作ったと答えました。
ラティルは、
馬車に乗ってずっと移動していると
外から、到着したと叫ぶ声が
聞こえてきました。
馬車の外へ出ると、
土と砂で覆われた
整地していない敷地に建てられた
長方形の平たい1階建ての建物が
見えました。
建物は丈夫そうに見えましたが、
美しく調和した
首都の他の建築物とは違い、
それだけ異質に見えました。
ラティルは、
仕方がないけれど、
見た目が格好悪いと指摘しました。
大臣は、
防御用に作ったものなのでと
言い訳をすると、
このような避難所が
首都だけで4つあると説明しました。
ラティルが建物の近くに立つと、
作業員たちに、
あれこれ指示していた建築業者が
急いで駆けつけて来て、
ラティルに挨拶しました。
彼女は、避難所の外壁を叩きながら
「これは完成形ではないと
言っていたよね?」と
大臣に確認しました。
彼は、自分が答える代わりに、
建築業者に目を向けました。
建築業者は、
この外側をもっと厚くするけれど、
これだけで、怪物たちが体当たりしても
数時間は十分耐えられるだろうと
答えました。
ラティルは、
「そうかな?」と疑いました。
建築業者は、
「もちろんです」と答えると、
ラティルは、建物の外壁に、
一度体当たりしました。
外壁は粉々に崩れ落ちました。
建築業者は、ポカンと口を開けて、
壊れた壁と丈夫な皇帝を
交互に見つめました。
ラティルは、
もっと丈夫にしなければならない。
自分も防げない避難所が
どうやって怪物たちを防ぐのか。
うまく作れば避難所だけれど、
作れなかったら
大型の墓になる可能性があると
言いました。
戸惑っていた建築業者は、
鳥肌が立つような
ラティルの表現を聞いて
ようやく目を鋭く輝かせ、
「はい」と急いで答えました。
ラティルは、
自分よりも建築業者の方が詳しいし、
避難所までの道も・・・
と言っている途中で言葉を止めたので、
建築業者と大臣は、皇帝が、
また何か指摘するのではないかと思い
緊張しました。
しかし、今回、ラティルが
言葉を止めたのは、
建物がずさんに見えたからではなく、
避難所の屋根に座っている
グリフィンを見つけたからでした。
ラティルは、人々が、
集団で転ぶといけないので、
避難所に来るまでの道も
きちんと整備するようにと指示すると、
急いで馬車に乗り込みました。
ラティルは、
タナサンに行ってきたグリフィンが
どんな情報を持ってきたのか
気になりました。
宮殿に着くと、
すぐにラティルは部屋に上がり、
扉を閉め、窓を開けました。
すぐにグリフィンが
中へ飛び込んで来ました
ラティルは、
見て来た? どうだった?
タナサンの状況は?
どうして誰からも連絡が来ないの?
と矢継ぎ早に質問を浴びせると、
グリフィンは急いで口を開きました。
前話のゲスターは
結構、カッコいいと思いましたが、
今回は、いつもの
大人しいふりをしているゲスターに
戻っていたので、がっかりしました。
やはり、ゲスターはゲスターですね。
以前は、グリフィンに、
今回は、レッサーパンダに
ラティルと良い雰囲気に
なっているところを
邪魔されたゲスター。
今回は、ラティルが
ただ突き飛ばしだけなので、
それ程、ゲスターへのダメージは
なかったのではないかと思いましたが、
何かが壊れるような音が
ゲスターが床にぶつかった音だとしたら
かなり痛い思いをしたのではないかと
思います。
それでも、
聖騎士たちに怪しまれないように
きちんとタナサンへ戻ったということは
ゲスターも、きちんと任務を
遂行する人だからなのだと思います。