500話 ラティルはギルゴールに何を尋ねたのでしょうか?
◇剣の持ち主◇
ラティルはギルゴールに
タナサンの仕事が終わったので、
もう家に帰るのかと尋ねました。
何の変哲もない質問でしたが、
ギルゴールの目元が和らぎ、
彼は 「家?」と聞き返しました。
ラティルは、
他の表現を使うべきだったのか、
言葉を間違えてしまったのかと
考えましたが、人前なので、
「はい、家です。」と
平然と答えて頷きました。
ギルゴールは、
妙な笑みを浮かべたまま、
すぐには答えませんでした。
ラティルは、
やはり温室を家と呼んだのは
ひどすぎたのかもしれない。
けれども、温室は温室でも
改造した温室だし、
温室をくれと言ったのは、
ギルゴールだからと思いながら
訳もなく水を飲みました。
幸い、2、3口飲む頃、
沈黙していたギルゴールは
家に行くと答えました。
しかし、それを聞いたアイニは、
今回の仕事が終わったら、
自分とラナムンに訓練をさせると
言っていたではないかと
抗議しました。
ラティルは、
そんな約束をしていたから、
すぐにギルゴールが
返事をしなかったのだと思いました。
ラティルは目をパチパチさせて
ラナムンを見ました。
彼は彼女と目が合うと
家に帰っても構わないと
即答しました。
それから、何が気に入らないのか
急に眉を顰めて
アイニを見つめました。
するとアイニは肩をすくめて
何やら目配せをしました。
ラティルは、チラッと
再びラナムンを見ました。
ラナムンはアイニの目配せの
意味を理解したのか、
眉をしかめていました。
一体、何なのか。
ラティルは首を傾げました。
ここで苦労している間に
互いに仲間意識でも芽生えたのか。
2人が言葉を発することなく、
会話を交わす姿は
あまり好ましく思えませんでした。
しばらく騒がしかった雰囲気が
あっという間に落ち着きました。
アイニは目を伏せて
自分の手だけを見つめ、
ラナムンは頬杖をついて
物思いに耽っていました。
ギルゴールは皮肉な笑みを浮かべて
お茶ばかりすすっていました。
副団長は、目をあちこちに
キョロキョロさせながら、
訳もなく自分の剣の鞘を触りました。
しばらく、ラティルは、
時計の音がカチコチ聞こえてくるのを
聞いていましたが、
とうとう我慢ができなくなり、彼らに
自分を除いた3人で
何か約束でもしたようだと
堂々と尋ねました。
すぐに、ラナムンは、
約束ではない。
自分の実力不足を感じたので
今回の事件が終わったら、
もっと本格的な本当の訓練を
受けてみたいという話を
ギルゴールにしたと
冷たく答えました。
ラティルは、本当の訓練?と
聞き返し、訓練なら、
いつも演舞場で受けていたけれど、
あれは偽物の訓練なのかと尋ね
ギルゴールを見つめました。
彼は、自分1人だけ
蚊帳の外のような雰囲気で
のんびりしていましたが、
ラティルの視線に気づくと、
以前、お弟子さんには
少し話したことがあるけれど
対抗者の剣をきちんと使うためには
再び鋭気を掻き立てなければならないと
言ったのを
覚えているかと尋ねました。
ギルゴールが何と答えても
反論する準備をしていたラティルは、
意外にも、
すでに交わした話が出たので、
「覚えている」と、渋々答えました。
それは正確には、
ギルゴールがサディを対抗者だと
信じていた時に、
話してくれたことでした。
ラティルは、
それは、どういう意味かと尋ねました。
ギルゴールは、
その鋭気を掻き立てる過程が
本当の訓練だ。
演舞場で100回、1000回と
剣を振り回しても、
剣を鋭くすることは
できないということを、
2人に教えたと答えました。
ラティルは、
少し変な気分になりました。
自信のない所を、
そのままにしておいては
いけないことは分かっているけれど、
ラナムンとアイニとギルゴールの間に
そのような重要な話が出たというのが
なんとなく気になりました。
ロードと対抗者の件に関しては、
いつも、自分が中心になって
話を聞いていたから、
そう感じるのかもしれないと
思いました。
ラティルは、
必ず剣を研がなければならないのかと
言おうとしましたが、止めました。
アニャドミスは
ロードの身体を持っているので、
彼女を退治するためには
剣を研ぐことが必要だと
分かっていたからでした。
ラティルは、
訳の分からない寂しさを
見せることなく、ギルゴールに、
家に立ち寄ってから、
ラナムンとアイニを連れて行くのかと
尋ねました。
彼は、鋭気を掻き立てるためには
どうしても出発しなければならないと
答えました。
ギルゴールの容赦ない返事に
ラティルは落ち込んでしまいました。
連絡が来ないだけでも気になって、
こんなに遠い所まで探しに来たのに、
また行ってしまうことに
ショックを受けました。
アイニは、
ラティルの顔色を読んだのか、
ラティルがラナムンと離れるのが
嫌みたいだと呟きました。
そして、ラティルが彼女を見ると、
アイニは、
新婚だからなのかもしれないけれど
グズグズしていても無駄だ。
怪物が次々と現れる前に
解決しなければならない。
むしろ、早く実力をつけて
事件を解決したほうがいいと
付け加えました。
ラティルは、アイニがラナムンを
名前で呼んでいることが気になり、
決まりが悪そうにアイニを見つめると
再び水を一口飲みました。
タナサンまで来て苦労していた間に、
アイニとラナムンの距離が
かなり近くなったような気がしました。
その時、ギルゴールが
手を何度か叩きました。
その音に、ラティルは気を取り直して
顔を上げると、
ギルゴールは腰から対抗者の剣を外し、
テーブルの上にポンと置いて
笑いました。
彼は、そんなに仲良く
話している場合ではない。
対抗者は3人いるのに
剣は1本だと言いました。
アイニは眉をひそめて、
それは、どういうことなのか。
1人だけ剣を使って、他の対抗者は、
剣を使えないということなのかと
尋ねました。
ギルゴールは、
そういうことではない。
しかし、最後の瞬間、
この剣を使う人は1人なので、
そろそろ、剣の持ち主を
決めるべきだ。
この剣を誰が使うのかと
尋ねました。
◇日の当たる場所◇
いきなり剣の持ち主を
決めろと言われても、
その場ですぐに決めるのは
難しかったので、
結局、剣の持ち主を決めるまでは
本物の訓練は見送ることにし、
一行は皆で一緒に
タリウム宮殿に帰ることにしました。
アイニは、すぐにでも訓練に
出発したがっているようでしたが、
ギルゴールとラナムンは、
ラティルの「家に帰ろう」という言葉に
すでに乗せられていたので、
アイニは1人で訓練に行きたいと、
言い張ることはできませんでした。
しかし、一行は、
タリウムへ帰る準備を
しなければならなかったし、
タナサンの方でもタリウムへ
お礼の品を用意したがったので、
一行は、翌日も
滞在することになりました。
その間、ラティルは
聖騎士たちのせいで
遅れて到着したゲスターと会い、
仮面をかぶって顔を変えた後、
以前、黒魔術師たちを閉じ込めた
地下の空洞へ行きました。
生活必需品が全て用意された所なので
彼らはそれなりに元気そうでしたが、
窮屈な思いをしていたのか、
ラティルが現れると
やっと来た。
いつまで自分たちを
閉じ込めておくのか。解放しろと、
静かに抗議しました。
黒魔術師たちは思ったより静かだと
ラティルが指摘すると、ゲスターは
人を避けているからと答えました。
ラティルは黒魔術師たちが
落ち着くのを待ち、
彼らが疲れ果てて静かになると、
黒魔術師たちが望むことが復讐なら、
残念ながら、
ロードの力を借りることは
諦めるように。
自分が望むのは復讐ではなく、
安定と和合だと話しました。
黒魔術師たちは集まってラティルを、
正確にはサビを見ました。
彼らは、まだサビを本当のロードとして
認めるべきかどうか曖昧なようでした。
一般の人々が
対抗者に対する幻想があるように、
黒魔術師たちも、ロードに対して、
ある典型的な幻想があるようでした。
しかし、ラティルは
ロードであることを認められるために
黒魔術師たちの前で、
とんでもない行動をする気など
ありませんでした。
ラティルは、
彼らがそのように自分を見つめても
他の人がロードになることはない。
何を期待していたのかは
分からないけれど、
急に自分が邪悪になることもないと
ぶっきらぼうに話すと、
初めにラティルを仲間だと勘違いし
助けてくれた朱色のローブが手を挙げ
安定と和合は抽象的な言葉だけれど、
正確に何をしようとしているのかと
尋ねました。
ラティルは、
日の当たる場所で、
黒魔術が普通の魔術の一つとなると
答えました。
想像がつかないのか、
黒魔術師たちは、
「日の当たる場所?」「普通?」と
ぼんやりと呟きました。
ラティルは、
自分の言葉の意味は
アカデミーで白魔術を習うように
黒魔術も
学べるようにするということだと
付け加えました。
それを聞いた黒魔術師たちは
その場で固まってしまいました。
全く想像も
できなかったことのようで、彼らは、
アカデミーだなんて、あり得ないと
呟きました。
ラティルは、
否定的な人たちだと思いました。
呪いなどは
大衆化できないけれど、
骸骨を目覚めさせたりするのは
上手く覚えれば、
捜査官たちに有用ではないか。
十分、日向に出られる余地が
ありそうだと思いました。
しかし、横からも
視線が感じられたので、
チラッとゲスターを見ました。
意外にも、
仮面をかぶっているゲスターも
微妙な視線でラティルを
見つめていました。
彼と目が合うと、
口角をそっと上げましたが、
その形が妙に穏やかそうで、
いつもとは明らかに違う
笑顔になったので、
ラティルはぎょっとしました。
彼女は前を向くと、
こういうことに関心がなく、
平穏な人生は必要なく、
ただ陰で復讐して
死にたい人はいるかと尋ねました。
何人かが手を上げました。
中には黒魔術師という理由で
ハンサムなのに
人気がないと言われていた
紺色のマントも含まれていました。
ラティルは笑いながら、
そのような人たちは
去っても構わない。
自分の言葉に、
少しでも関心のある人だけが
残るように。
復讐を代わりに
することはできなくても
復讐するのを邪魔はしないと
告げました。
その大胆な発言に、黒魔術師たちは
再びざわめき始めました。
手を挙げた紺色のマントも
信じられないような様子で、
去りたければ、
素直に去らせてくれるという
ことなのかと尋ねました。
ラティルは、
遺言状だけ書いて行ってと
答えました。
紺色のマントを含めて
手を上げた人たちが
皆、手を下ろしました。
それを見たラティルは
感激した表情で、胸に手を当てながら
皆が自分の言うことに
同意してくれて有難い。
一緒に頑張ろうと告げました。
それからゲスターと一緒に
タリウムの宮殿に戻ったラティルは、
午後5時に迎えに来て欲しいと
約束をすると、ゲスターに、
黒魔術を日の当たる所へ
持って来るのは、
そんなにとんでもないことだと
思うかと尋ねました。
ゲスターは、
そんな話を初めて聞いたせいだ。
気にしないようにと答えました。
ラティルは、呪いにかけられて
血を噴き出していた、
自称暗殺者の最期を思い出し、
ぎこちなく笑いました。
黒魔術を大衆化するためには
そのようなことを
減らさないといけないと思いました。
ラティルは、
自分は黒魔術について
よく知らないので、
この仕事は、ゲスターに
たくさん手伝ってもらう必要があると
告げました。
ゲスターはラティルに
心配しないようにと返事をしました。
ラティルは、あの黒魔術師たちを
完全に味方にして欲しいと頼むと、
ゲスターは、
ラティルの手を握って
しばらく黙っていましたが、
頷きました。
◇歓呼◇
その日の夕方、ラティルは
仕事をできるだけ早く終わらせると、
ゲスターの助けを借りて、
再びタナサンにある自分の客室に
戻りました。
その後、王に夕食を招待された
ラナムンとギルゴール、アイニ、
ゲスター、カルレイン、
百花繚乱の副団長と共に、王の家族と
食事をすることになりました。
食事中の話題は、
専ら、吸血蝶の事件の犯人である
男爵についてでした。
彼は、まだ犯行の目的や
彼の背後にいる者について
打ち明けていないようで、
男爵は、
黒魔術を覚えるほど悪辣なので
簡単には話さないと
王は説明しました。
それでも人数が多いせいか、
前日、ラティルと王の2人だけで
話をした時よりは、
リラックスした雰囲気でした、
ラティルも今度は
きちんと食事ができました。
そして食事を終えた後、
ラティルは散歩をするために
ギルゴール、ラナムン、
アイニ、ゲスター、カルレイン、
副団長と一緒に、
大きな馬車に乗って外に出ました。
表向きは散歩でしたが、もしかして
散らばった吸血蝶がいないか、
他の怪物が侵入していないかを
調べるためでした。
タナサン王は、
国境付近に現れた怪物に関して
まだ知らないようでした。
ところが、
ラティルが馬車の窓を開けて
広場付近へ行った時、
窓越しに見えるラティルに
気づいた人々は、
ラティルの元へ駆けつけて
歓呼し始めました。
不思議に思って、窓越しに手を振ると
人々はさらに歓声を上げ、
ラティルの名前を連呼しました。
吸血蝶事件の時、
派手に顔を見せたせいで、
ラティルに気づいている人が
多いようでした。
ラティルは、
このような反応を期待して
出てきたわけではありませんでしたが
いざ歓呼を聞くと嬉しくなり、
馬車の外に出て、
両手を大きく振りました。
人々の歓声は、
さらに大きくなりました。
その様子に面喰ったアイニは、
窓越しに見える光景を
ぼんやりと眺めながら
皇帝は、意外と
あのようなことが好きなのだと
呟きました。
ギルゴールは
妙な笑みを浮かべて
ラティルの横顔を見ました。
聖騎士たちと一緒に
タナサンにやって来たゲスターが
どのような経緯で彼らと別れ、
ラティルと合流したのか。
彼女と聖騎士たちが、
再び会って話をしたかどうかは
書かれていませんでした。
次のお話にも、
それは書かれていなかったので
読者の想像にお任せという
ことなのでしょう。
けれども、
タナサンで会った聖騎士たちは、
かなり疑い深かったので、
しばらくして、また登場し、
ラティルを悩ませることも
あるかもしれないと思いました。
もし、登場しなかったら
モヤモヤしそうです。
もしかして、アイニも
承認欲求が強いのかもしれません。
父親の陰から抜け出し、
カリセンの皇后としてではなく、
1人の対抗者として、
人々に称賛されることを
望んでいるような気がしました。