705話 ラティルはサーナット卿に、他の女性と結婚するよう勧めましたが・・・
◇サディかサビ◇
ラティルは、
その言葉を口にしたことを
後悔しました。
サーナット卿が
すぐに答えなかったので、
自分は、バカ者中のバカ者だと
ラティルは自分を責めました。
サーナット卿の答えは明らかで、
おそらく、彼は
結婚すると答えるだろうと
思っていました。
ところが、彼は
嫌です。
と返事をしました。
ラティルは目を丸くしました。
他の人とは結婚したくないの?
そう思った瞬間、
口元の筋肉が緩んだので、
すぐに、ラティルは体面を保ちました。
ラティルは、
どうしてなのか。
気が変わったのかと尋ねると、
サーナット卿は、
他の女性と結婚する気はないと
答えました。
自分とも結婚しないのにと
ラティルが恨み言を言うと、
サーナット卿は、
将来、自分が未婚で死んだら、
「サーナット卿、
陛下のせいで結婚できなかった。」
と墓碑に刻むよう頼んでおくと
返事をしました。
その言葉に、
ラティルが驚いていると、
サーナット卿は、
その言葉を墓碑に、
ぎっしり刻んで欲しいと頼んでおくと
言った後、自分は
他の女性と結婚するつもりはないと
断言しました。
ラティルは口をポカンと開けて
サーナット卿を見ました。
良い気分よりも、
狼狽える気持ちの方が
大きくなりました。
この人は今、
何を言っているのかと思いました。
サーナット卿は吸血鬼なのにと
ラティルが皮肉を言うと、
サーナット卿は、
とにかく、墓を作るとしたら、
そうするという意味だと
返事をしました。
ラティルは、
自分が結婚しろと勧めたのにと
サーナット卿を非難すると、彼は、
そんなことは聞いていないと
否定しました。
この吸血鬼は、今、自分に
喧嘩を売っているのだろうかと
ラティルは呆れましたが、
その気持ちを抑えながら、
他の女性と結婚してしまえと
言い放ちました。
しかし、サーナット卿は
一発殴りたくなるような表情で
誰と結婚しろと言うのか。
サディ?それともサビ?と
尋ねました。
一体、この人は何を考えて
そんなことを言うのか。
サディもサビもラティルであり、
それをよく知っているサーナット卿が
なぜあんな風に言うのか、
訳がわかりませんでした。
さらに良くないのは、
サーナット卿の言葉のせいで、
再び、微かな希望が
湧き出てしまったことでした。
その時、階段の上で
人の気配が感じられたので、
ラティルは口をつぐみました。
階段を下りてきた侍女は
ラティルを発見すると、
驚いた顔で挨拶しました。
腰を上げながら彼女は、
サーナット卿の強張った表情を
チラッと見ました。
侍女がいなくなると、
ラティルは階段を半分ほど、
素早く上りました。
さっと後ろを振り向くと、
サーナット卿はその場に立ち、
ラティルを見上げていました。
ラティルは
唇をピクピクさせましたが、
何も言わずに、
階段を再び上り始めました。
◇もしかしてサプライズ?◇
サーナット卿は愛の感情を失った。
そのせいで、
まだ混乱している状態なのか。
それとも、
他に考えがあるのだろうか。
自分のことが好きなように
振舞ったりすることもあるし、
他の女と結婚するのも嫌だと言う。
なぜ、あんな風に出てくるのか
理解できない。
ラティルは夜明けまで
窓際にしゃがんでいました。
タッシールの提案と
サーナット卿の行動が、
仲良く交互に姿を現しました。
悩んでいたラティルは、
翌日の午前、一人で
宮殿をこっそり抜け出しました。
ラティルは、
サーナット卿と戯れながら走った道を
一人で走って行き、
彼が連れて行ってくれた洋品店の前で
立ち止まりました。
用品店の扉が半分ほど開いていて、
中から光が漏れていました。
ラティルが扉を開けると、
リンリンと鐘の音が鳴りました。
程なくして店主が現われ、
ラティルを見た彼は、
サーナット卿と一緒に
来た人ではないかと尋ねました。
ラティルは、
そうだと返事をすると、
洋品店の中を見回しながら、
この前、見せてもらった
サーナット卿の礼服は、
ここに長く保管していたのかと
尋ねました。
側室の誓約式に備えて
礼服を作ったのなら、
少なくとも数ヶ月は
保管されていたはずだと
考えたからでした。
店主は、
随分、長く保管していた。
持って行って欲しいと頼んでも、
持って行かずに
何度も保管してくれと頼まれたので
とても息詰まる思いだった。
あのように、とても高価な物を
保管しているのは
気になるし疲れると、
ぶつぶつ文句を言いながら、
窓に掛けてある、
いくつかの日除けを上に上げました。
そして、お嬢さんも
服を仕立てるのかと尋ねると、
ラティルは、
サーナット卿の礼服を、
持って行きたいと答えました。
ラティルの言葉に店主は驚き
目を丸くしました。
ラティルは、
本人でないと困るのかと尋ねると、
店主は困惑した顔で、
先程、上げた日よけを
再び下ろしました。
店主が言葉に詰まっていると、
ラティルは、
返事をするよう促しました。
店主は困惑しながら、
二人で来た後に、
サーナット卿が礼服を取りに来たので
もう、ここにはないと答えました。
側室になることを拒否した直後に
礼服を取りに来たなんて。
これは、どういう意味なのかと
ラティルは眉を顰めました。
彼女は店主に、
それは本当なのかと確認しました。
彼は、それを聞いていないのかと
尋ねました。
店主の声が、だんだんゆっくりになり、
彼の顔色は真っ青になりました。
何か良くない想像を
しているようでした。
ラティルが肩をすくめると、
店主は、この場から
逃げ出したいという顔をしました。
ラティルは、
そうなんだと納得すると、
自分が来たことは、サーナット卿に
言わないで欲しいと頼み、
扉を開けて外へ出ました。
ラティルの心は混乱していました。
その時、再び扉が開く音がしたので、
ラティルは後ろを振り返ると、
店主が開いた扉を押さえて
立っていました。
ラティルは、
どうしたのかと尋ねると、
店主は緊迫した表情で、
サーナット卿は、
決して二股をかける人ではない。
サーナット卿は、絶対に、
そのような意地悪はしないと
主張しました。
ラティルの顔色が暗くなると、
店主は、さらに熱心に扉を振りながら
本当だ。 事情があって
先に持って行ったはずだ。
だから、一度きちんと
話をしてみてと訴えました。
ラティルはお礼を言うと、
だらだら歩き始めました。
ラティルもサーナット卿が
二股をかけるとは思いませんでした。
もしかして、サーナット卿は、
自分で礼服を持っていることにし、
今は混乱しているけれど、
後で、少し心が落ち着いたら、
それを着て自分の前に現れて
驚かせるつもりなのかと
考えていると、
ラティルの口元が上がりました。
それならいいと思った彼女は
口角を手で覆って、
急いで宮殿に駆け込みました。
◇再び裏切られたくない◇
サーナット卿に関する問題を
片付けたラティルは、
再び仕事に没頭しました。
毎日すべき業務も多く、
怪物関連の報告も、あちこちから
多く出て来ていました。
ラティルは仕事の合間に
タッシールの提案に関しても
慎重に検討しました。
一番思慮深いタッシールが
慎重に提案したことなので、
嫌でも検討せざるを得ませんでした。
タッシールは、
レアンとアイニが
連絡を取り合うかもしれないので
レアンを許すふりをした後、
その波がどこに広がるか
見てみようと言いました。
しかし、
もしレアンを許した後に、彼が
アイニと手を切ったらどうしよう。
無理にレアンを許したのに、
アイニと関われなくなったら
どうしよう。
レアンを解放したら、
もっと事が緻密になり、
むしろ調査が、
もっと難しくなったらどうしようと
考えました。
しかし、タッシールは
この計画の成功率が
58%だと言いました。
それは、半分を少し超える数値でした。
タッシールは
ラティルが知っている人の中で
指折り数えられるほど
賢い人でした。
しかし、予想できなかった
変化要因が突然現れると、
彼の徹底した計画も
崩れる可能性がありました。
最初にアニャドミスを
捕まえそうになった時も
そうでした。
すべてがタッシールの手のひらの上で
繰り広げられていたけれど、
突然議長が現れ、彼の手のひらを
叩きつけてしまいました。
結局、事がうまく運んで
アニャドミスを封印できたけれど、
当時問題になった議長は
まだ自由でした。
彼がまた変化要因として
現れる可能性はないのか。
彼がまた変化要因として現れた時、
今度はすぐに対応できるだろうか?
レアンも賢い。
タッシールと頭脳戦を繰り広げたら
どちらが勝つだろうか?
でも、タッシールが
成功率が低いと言いながらも
この計画を出したということは、
この計画がそれなりに成功率が
最も高いという意味ではないかと
考えました。
ラティルは幼い頃、
いつも自分の味方だった兄を思い出すと
心が重くなりました。
実はラティルは、
58%という数値のために
躊躇っているのではありませんでした。
「許すふり」であっても、
とにかく、そういうことになれば
しばらくは、笑って彼を
見守らなければなりませんでした。
ラティルは、
再び家族に裏切られることに
恐怖心を抱いていました。
◇大泣きするザイシン◇
ザイシンとカルレインは
退屈でたまらない馬車旅行の末に、
ついに公爵家の邸宅に
到着しました。
使いの者も、
大変だったのは同じなのか、
しばらく、ここで待ってもらえれば
公爵を呼んで来ると疲れた声で
告げると、先に馬車の外へ出て
本館へ走って行きました。
その後、カルレインも
ゆっくり馬車から降りました。
ザイシンは、
彼の後に続いて降りる代わりに、
馬車の中で待たないかと
扉越しに尋ねました。
カルレインは、
もし、襲撃されたら、
ここで襲撃者たちを
食い止めた方がいいだろうと
無愛想に答えると、ザイシンは
哀れな表情を浮かべました。
カルレインは、
その表情はどういう意味なのかと
尋ねました。
ザイシンは、
何でもない。
ただ少し心配になっただけだと
答えると、窓から顔を出して
大きな屋敷を見回しました。
しばらくして、使いが
アイニによく似た少年を連れて
現れました。
大きな目をした少年は
カルレインを見ると、
練習したように手を差し出して、
彼に挨拶をし、
来てくれたことに感謝し、
皇帝にも感謝の気持ちを
伝えて欲しいと言いました。
彼はカルレインを大神官と
勘違いしていました。
カルレインは、
ブルブル震える小さな手を見下ろすと、
馬車の中から
ザイシンの手を引っ張り、
こちらが大神官だと紹介しました。
アイニの弟の顔が、
あっという間に赤くなりました。
大神官はアイニの弟に
会えて嬉しいと挨拶すると、
すぐに、
前公爵夫人はどこにいるのかと、
尋ねました。
大神官は、
子供が恥ずかしがると思って、
先に前公爵夫人の居場所を
聞いたのでした。
それから大神官は
先にアイニの弟と握手を交わすと、
馬車から出て来ました。
アイニの弟は、
ギクシャクしながら
二人を母親の元へ案内しました。
途中で合流した執事が
扉を開けると、ベッドの上に
意識を失って横になっている
女性が見えました。
アイニの弟は、
治療が可能かどうか
息を殺した声で尋ねました。
大神官は、
もちろん可能だ。
筋肉が全部落ちる前に
到着して良かったと大声で叫びながら
大股でベッドへ歩いて行き、
前公爵夫人の額に手をかざしました。
しばらくして彼が手を引くと、
前公爵夫人が目を輝かせました。
アイニの弟は母親を呼びながら
彼女の元へ駆けつけ、
母親を抱きしめると、
公爵夫人は当惑した顔で
子供を抱きしめました。
頭が混乱して、
今、どのような状況なのか
分からない前公爵夫人は、
アイニの名前を口にしました。
弟は、
母親が姉の後を追おうとしたので、
自分が部屋に閉じ込めたのを
覚えているかと尋ねました。
母親は、そこまで覚えていると
答えると、弟は、
その後、食事を持って来たら
母親が倒れていて
頭から血を流していた。
壁紙に血がついていたので、医者は
母親が怒りのあまり、
壁に頭をぶつけたのではないかと
話していたと説明しました。
前公爵夫人は、
私が?
と聞き返しました。
アイニの弟は、
興奮して、そうしたようだと
説明すると、
前公爵夫人は納得し、
両手で顔を覆って
すすり泣き始めました。
アイニの弟は
母親をギュッとと抱きしめて
一緒にすすり泣きました。
ザイシンはその姿に
もらい泣きしながら
袖で目元を拭いました。
カルレインが、
泣いたらいけないと、
ザイシンのわき腹を突いても、
彼は泣き続けました。
カルレインは首を軽く横に振ると、
前公爵夫人とアイニの弟が
少し落ち着いた頃、
もしかして家の中に変な物を
入れたことがあるかと尋ねました。
その言葉にザイシンは面食らって
カルレインを見ました。
変な物ですか?
前公爵夫人は、
息子の背中を軽く叩くと
目を大きく見開いて尋ねました。
何か知っているような表情でした。
カルレインは、
もしかしたら大きな物ではなく、
隠しやすい
小さなものかもしれないけれど、
そんな品物を家の中に入れたり、
他の人から預かったりしなかったかと
尋ねました。
前公爵夫人は、
二番目の子供の顔色を窺いながら
少しの間、荷物だけ預かって欲しいと
アイニに頼まれたと、小さな声で
躊躇いながら答えました。
そして、その後、
どうしたのか、
何か問題でもあるのかと
驚いた声で尋ねました。
カルレインは、
全て、それらを
取り除かなければならない。
家の中の至るところで、
悪い気が感じられる。
邪悪で暗い気だと答えました。
前公爵夫人の瞳が揺れました。
アイニの弟は母親の手を握り、
揺れる目で彼女を見つめました。
しかし、前公爵夫人は
娘の遺品を取り除くことに
躊躇しました。
しかし、じっとしていたザイシンが
泣きながら前公爵夫人に近づくと、
今は、公爵のことを
考えなければならないと訴えました。
前公爵夫人は
よろよろと立ち上がりました。
涙を流し続けるザイシンは、
この家の家族のように見えました。
ザイシンは、
今、公爵に残された家族は
前公爵夫人だけだ。
母親の力と支えが、
今の公爵にとって
誰よりも力になるだろうと
言いました。
自分の正面で、大神官が
あんなにすすり泣いていると、
公爵夫人は、
さらに悲しくなりました。
彼女は涙を
ぽつりぽつりと流しながら
頷きました。
前公爵夫人は、
アイニが死んだという知らせに
興奮していましたが、
ザイシンの神聖力を受けているうちに
いつの間にか、
少し落ち着いたようでした。
アイニの弟は、怯えた目で
前公爵夫人を眺めていましたが、
彼女が頷いて、腕を伸ばすと、
過去の悲しみが押し寄せて来て、
わあわあ泣き始めました。
ひとしきり泣いて落ち着くと、
前公爵夫人は、
アイニの物を全て持って来て
ザイシンに差し出しました。
彼女の手はずっと震えていましたが、
それでも気持ちは変えませんでした。
ザイシンは、
帰る途中で、うまく処理すると
告げました。
ザイシンとカルレインは
馬車にその品物を積み終えると
公爵家を去りました。
公爵邸から少し離れた所で
ザイシンは、
あの品物は、
ただの普通の荷物のようだけれど、
なぜ、あえて
暗い気が感じられると嘘をついて
受け取ったのかと、
ずっと気になっていたことを
尋ねました。
カルレインは、
ご主人様が、
そのようにさせたと答えました。
その言葉に驚いたザイシンは、
どうして皇帝が
それを知っていたのかと
尋ねました。
カルレインは、
違っていたら、それでいい。
一応、探ってみろと言われたと
答えました。
サーナット卿は、
一度、ラティルへの愛情を
失ったけれど、
彼女との思い出まで
失ったわけではないし、
彼の性格や好みが
変わったわけではなく、
ラティルの騎士としての
忠誠心も失われていないので
再びラティルのことを
愛し始めても
おかしくないと思います。
ただ、以前のように
まっさらの状態で、ラティルを
好きになっていくのではなく
ラティルを好きだった時の
辛い思い出が残っている中で
彼女を愛し始めたので、
ラティルを愛さないよう、
抗っているように思います。
サディとサビなら結婚すると
言ったのは、
ラティルが2人のどちらかに
化けている時は
彼女は皇帝ではないし、
側室もいないので
ラティルを独り占めにできると
思ったのかもしれません。
ぶっつけ本番にしては、
驚くほど見事に
お芝居を演じきった大神官。
内心、焦っていたかも
しれませんが、
そんな様子を見せることなく
涙、涙の迫真の演技が最高でした。
大神官が嘘をついても
大丈夫なのか心配ですが、
ラティルや、その仲間たちと一緒に
戦っているうちに、大神官も
必要な時には、人を騙してもいいと
考えるようになったのかも
しれません。