721話 レアンはアナッチャの住居へ行くことにしました。
◇隠れるラティル◇
ラティルが現れると、
トゥーラは反射的に後ろを見ました。
幸い、昨日のように、妹の夫たちが
たくさん付いて来てはいませんでした。
今日は味方を連れて来なかったようだと
トゥーラは皮肉を言いましたが、
ラティルは動じることなく
両手を差し出し、
さあ、こっちへちょうだい。
と要求しました。
ラティルの目が、
トゥーラの横に置かれたヘウンの頭に
向けられると、
トゥーラはカッとなって
ヘウンは物ではないと主張しました。
ラティルは、
分かった、それ、ください。
と言い直しました。
トゥーラは低い声で
「ラトラシル」と呟き、
歯ぎしりしましたが、
ラティルは瞬きもしませんでした。
ラティルは、
渡してくれないなら帰ると告げました。
トゥーラは、
このまま帰ってしまえば、
遺言状についても
聞くことができないと脅しました。
しかし、ラティルは、
気になるけれど、
必ずしも聞かなくても大丈夫だと
ニコニコ笑いながら話すと、
トゥーラも一緒に笑い、
自分も、どうでもヘウンが
体を取り戻す必要はないと
言い返しました。
しかし、
ラティルが後ろを向くや否や
頭を上げて、
鼻で笑っていたトゥーラは、
「チェッ!」と悪態をつくと、
ただ言っただけなので、
行かないでと頼みました。
ヘウンはトゥーラを
悲しい目で見つめました。
虚勢を張るなら
10秒くらい耐えろと
言ってあげたかったです。
しかし、そんなことを言えば
トゥーラのプライドが
さらに傷つくと思いました。
ラティルは、
よく考えましたね。
と言うと、すぐに振り向いて
両手を差し出し、
それください。
と要求しました。
トゥーラは歯ぎしりしながら、
ヘウンの頭を差し出しました。
トゥーラは、
頭を壊すなと注意すると、
ラティルは、
今日は隅で震えていないのかと
皮肉を言いました。
トゥーラは、カッとなって
ラトラシル!
と叫びましたが、
何の役にも立ちませんでした。
ラティルは足で椅子を引っ張ると
その上にどっかりと座り、
膝の上に頭を乗せました。
トゥーラは、
ラティルがヘウンの頭の上に手を上げて
あちこち振っているのを
不安そうな目で見つめました。
トゥーラが、
本当に、きちんとやれと言うと、
ラティルは分かったと答えました。
ラティルは、
アリタルの記憶の中で経験した感覚と
ヘイレンに力を吹き込む時の感覚を
思い出しました。
その「力を」外に出せば、
何かできると思うけれど、
思ったほど
簡単ではありませんでした。
しかし、力を使うことに慣れれば、
自分にも役に立つ。
自分の秘蔵の武器である本音を読む力を
自然に使えるように
なるかもしれないと思いました。
ラティルは訓練するつもりで
ヘウンの髪の毛の上で
ずっと手を動かしました。
ヘウンは、
あるわけがない心臓が
ドキドキする感じがして、
しきりに
目を閉じたり開けたりしました。
その時、
扉の向こうから
アナッチャを呼ぶ大きな声が
聞こえて来ました。
ラティルは、とっさにマントで
ヘウンの頭を包むと、
そちらへ首を向けました。
幸いにも、先程入って来た時に、
カーテンを全て閉めた状態でした。
声の持ち主が、
アナッチャを呼びながら
扉をドンドン叩きました。
トゥーラは歯ぎしりしました。
先帝の側室で、
特に子孫を残した側室には
ある程度、待遇を良くするものなのに
あれだけ傲慢に
「アナッチャ」と呼んでいると、
腹が立ちました。
ラティルは、誰かがアナッチャを
侮辱したからといって
怒ったりはしないけれど、
声の持ち主が誰なのか
気になってきました。
宮殿に住んでいる人の中で
誰があんなことができるのかと
思いました。
トゥーラは、ラティルに
彼女の側の人かと尋ねましたが、
ラティルが
階段を上がって行くのを見て
びっくりし、
どこへ行くのかと尋ねました。
ラティルは、
隠れに行く。
自分の側の人ではないと答えました。
ラティルの側の人ではないと
言っているけれど、
彼女の部下以外に、
ここに来る人がいるのだろうか。
宮殿を訪れる貴族や
滞在する貴族の中で、
アナッチャと親しくなりたがる
貴族はいませんでした。
トゥーラは眉を顰めて
窓の方へ歩いて行き、
カーテンをほんの少し開けました。
一人が扉を叩いていて、
その後ろに・・・
くそっ!レアン。
トゥーラは悪態をつくと、
カーテンを閉めて、
後ろに下がりました。
なぜ、レアンが来たのか。
来たのが、彼なら、
確かに、ラティルが呼んだのでは
ありませんでした。
レアンとラティルとの関係も、
自分とラティルとの関係に
負けず劣らず、
ぎくしゃくしていたからでした。
トゥーラはヘウンを連れて来るために
振り向きました。
レアンが、どんな理由で来たとしても
彼を避けなければなりませんでした。
ところが、トゥーラは振り向くや否や
とても驚いて、少し眩暈がしました。
ヘウンがいなかったからでした。
あの馬鹿な妹が!
隠れなければいけないのは
私なのに、
なぜ、お前が隠れるんだ!
と悪態をつきましたが、
別の部屋からアナッチャが出て来て
彼の腕を振り、
隠れるようにと指示しました。
トゥーラは頷いて、
暗闇の中に身を隠しました。
信頼できない妹だけれど、
とにかくヘウンを連れて行ったので
二人で隠れているはずだと
思いました。
再び、扉の外で
アナッチャの名を叫ぶ声がしました。
彼女は、トゥーラが消えたことを
確認してから扉を開けました。
傲慢な表情で立っていた人は、
アナッチャが現れると、
横に退きました。
アナッチャの名前を呼んでいた時から
分かっていましたが、その人は、
少しもアナッチャに
礼儀正しくありませんでした。
傲慢な人が避けると、美しい青年が、
後ろ手に立っている姿が
露わになりました。
アナッチャは不愉快な表情で
レアンを見つめました。
彼は、ラトラシルとは違う意味で
イライラする人物でした。
そんな皇子が、
日差しの下に堂々と立っていると、
アナッチャは、
激しい憎悪を抱きました。
アナッチャはレアンに
どんな用事で来たのかと尋ねました。
レアンは、
久しぶりに近くで
過ごすことになったので、
挨拶に来たと答えると、微笑みながら
自然に家の中に入りました。
アナッチャは、
自分の家に入ってもいいとは
言っていないと抗議し、
憎たらしいレアンの後頭部を見ながら
彼の後を追いかけました。
レアンは、
正確には自分の妹の家だと
訂正すると、アナッチャは、
その妹に嫌われて、レアンは
追い出されたのではないかと
言い返しました。
レアンは、
とにかく自分たち二人とも
この家の主人ではないと言うと、
後ろ手を組んだまま、
ラティルとトゥーラが
向かい合って座っていたテーブルへと
歩いて行きました。
アナッチャは早足で追いかけました。
アナッチャは、
何しに来たのか。
挨拶に来たのなら、
もう帰れと促しました。
しかし、レアンは
テーブルからニ脚の椅子が
引っ張り出されていると
指摘しました。
アナッチャは、
自分がそうしたかっただけなのに、
それをしてはいけないのかと
抗議しました。
レアンは、
アナッチャの好みに
眩暈がしそうだと言って、
家の中をゆっくりと見回しました。
アナッチャは、その行動だけでも
腹が立ちました。
あいつは、本当に
何をしているのかと思いました。
アナッチャは、
帰れと言ったはず。
ラトラシル皇帝も、自分の家で
こんなに勝手な真似はしないと
抗議すると、レアンは、
そうなんですか?
と聞き返すだけで、
アナッチャがわざと
ラティルと比較しても、
気分を害しませんでした。
笑いながら床や家の中の物を
注意深く見ているだけでした。
アナッチャは拳を握りしめて
レアンを睨みつけました。
しかし、レアンを押し退けて
追い払おうとすれば、
彼が連れて来た大柄な腹心が
出てくるだろうし、だからといって
宮殿の真ん中で
黒魔術を使うこともできませんでした。
アナッチャはレアンの髪の毛を
全部抜いてしまいたくなりました。
レアンは、
いい家だけれど、
まるで二人で一緒に
使っている家のようだ。
わざと、このように飾っているのかと
尋ねました。
アナッチャは、
そんなことは、
どうでもいいではないかと
抗議すると、レアンは、
何か気になるし、自分は
トゥーラに会ったことがあるからと
返事をしました。
アナッチャは、
そんなことは気にするなと
言おうとしましたが、
レアンの言うことに
言葉を失いました。
彼女は、以前、トゥーラが
レアンの息の根を止めに行ったけれども
それができずに帰って来たことを
思い出しました。
レアンは、そのことを
言っているのかと怪しみました。
アナッチャは、
レアンとトゥーラは
いつも会っていた。
一緒に大きくなったからと
誤魔化すと、レアンは、
トゥーラが死んだ後に会ったと言うと
トゥーラが座っていた椅子の背もたれを
手で掴みました。
アナッチャは、
片方の口角を上げながら、
死んだ人に会ったなんて、
レアンの心の中に
やましいところがあるようだ。
トゥーラに何か罪でも
犯したのかと尋ねました。
すると、レアンは、
アナッチャが、死んだトゥーラと
一緒に暮らしているのは
罪を犯したからだろうかと
尋ねました。
アナッチャは、
消えろ!
と叫ぶと、
その無礼な言葉に腹心の表情が
険悪になりました。
レアンは手を振って、
腹心を抑えながら微笑むと、
突然、階段を上り始めました。
アナッチャは
心臓が落ちそうになりました。
階段の上には部屋が一つしかなく、
先ほど、ラトラシルが
ヘウンの首を持って
逃げた場所でもありました。
何をしているの?
アナッチャは、
急いでレアンを追いかけましたが
腹心が、前に立ちはだかりました。
退け!
アナッチャは歯ぎしりしながら
命令しましたが、
腹心は瞬きもしませんでした。
その間にレアンは
2階の部屋の中に入り、
余裕で内部を見回しました。
クローゼットを除いて、
誰かが身を隠すような場所は
ありませんでした。
レアンは、
そこまでゆっくり歩いて行くと、
クローゼットの扉を
バタンと開けました。
レアンは心臓が落ちそうになりました。
ラティル?
クローゼットの中に
うずくまっていたのは彼の妹でした。
ラティルは、
体を丸めたまま座っていました。
レアンは慌てて彼女を見つめ、
一言、言おうとしましたが、
その前にラティルは
外へ出てお腹を突き出しながら、
母親の敵と自分が一緒にいたことを
母親に告げ口するつもりなのか。
そうしたければ勝手にすればいい。
自分は少しもやましくないと、
言い放った途端、
レアンを押し退けて
一人で階段を下りてしまいました。
レアンは口をポカンと開けて
妹の後ろ姿をチラッと見ると、
大きく開いたクローゼットの方へ
顔を向けました。
中には何もありませんでした。
ハンガーにかかっていた服は
部屋の両側でひっくり返っていました。
レアンは再び向きを変えて
階段を降りると
ラティルを呼びました。
◇隠れた理由◇
レアンとラティル兄妹が
行ってしまうと、
トゥーラは闇の中から抜け出し、
急いで階段を上りました。
アナッチャも扉を閉めて
その後を追いました。
パッと開かれたクローゼットが
空っぽになっているのを見た
トゥーラは、震える声で
ヘウンを呼びました。
彼は下の階の隅にいたので、
上の階で何が起こったのか
分かりませんでした。
ラティルが怒って出て行き、
レアンがその後を追いかけたのを
見ただけでした。
しかし、2人ともヘウンの頭は
持っていませんでした。
トゥーラが、再びヘウンを呼ぶと、
幸いクローゼットの下から
「ここだよ」と
かすかな声が聞こえて来ました。
トゥーラが、もう一度
ヘウンを呼ぶと、
彼は下にいると答えました。
トゥーラは
クローゼットの床板を持ち上げました。
ヘウンはその下にいました。
彼は、
皇帝がクローゼットの床板を外して、
自分をこの中に入れたと
説明しました。
ヘウンの説明にトゥーラはほっとして
ため息をつきましたが、
不安が消えると、
怒りがこみ上げて来ました。
一体どうして、ラティルは先に隠れて
事をこじらせたのか。
彼女は隠れなくても良かったのにと
ブツブツ文句を言いました。
しかし、
トゥーラの後ろにいたアナッチャは
舌打ちをし、ラティルはわざと、
そうしたのではないかと
言いました。
トゥーラは馬鹿ではなかったので
その話を聞くや否や
直ちにアナッチャの言うことに気づき
目を大きく見開きました。
トゥーラは、
ラティルがレアンではなく
自分の味方になってくれたなんて
とんでもないことだと驚きました。
◇あの女◇
客用宮殿に戻る途中、腹心は
先ほどの慌ただしい光景を
思い浮かべながら、
なぜ皇帝は怒っていたのかと
尋ねました。
レアンは微笑むだけで、
答えませんでした。
腹心はすぐに話題を変え、
中でトゥーラ皇子を発見したかと
尋ねました。
レアンは、
怪しい情況ではあったけれど、
何も見ていない。
見たのは妹だけだと答えました。
腹心は頷くと、
当分の間、
皇帝の顔色を窺いながら、
静かに過ごした方が
いいのではないか。
今日の件もそうだけれど、
あまりにも早く皇帝に憎まれると、
また監禁生活を
送ることになるのではないか心配だと
慎重に話しました。
腹心は
レアンの端正な笑みを見て
心配を募らせました。
レアンは思ったより監禁生活を
うまく過ごせて
いなかったからでした。
腹心は、
指示は自分たちに下して
皇子は平和に過ごしている姿を
皇帝に見せた方が
良いのではないかと勧めました。
しかし、レアンは
そうはいかない。
わざわざ、ラティルに
見ろと言っているのにと
返事をしました。
レアンの意味深長な言葉に
腹心は、どういう意味なのか
再び聞こうとした時、
すたすた歩いていたレアンが
誰かを見つけて立ち止まりました。
腹心もその人に気付き、
顔をしかめました。
あれは、前に皇子の肩に
ぶつかった女ではないかと言いました。
◇なぜ、レアンは来たのか◇
レアンは頭がいいから
自分の意図に気づいたかもしれない。
怒ったふりをして
アナッチャの住まいを
飛び出したラティルは
レアンと違う方向へ歩いてから
自分の執務室へ向かいました。
なぜ、レアンは、あそこへ来たのか。
トゥーラがアナッチャと一緒にいると
疑ったのだろうか。
それとも、ただアナッチャが
嫌いだからだろうか?
ところが、ラティルが
ちょうど執務室付近に到着してみると
カルドンが泣きながら
扉の前で待っていました。
ラティルを発見すると、
カルドンは急いで
彼女に近づいて来ました。
ラティルがロードだと
疑い始めた時から、
彼女を何とかするために
あれこれ企てているレアン。
けれども、
レアンに考える暇も与えないまま
ラティルが続けざまに
言葉を言い放ったことで、
一瞬、ラティルが
ロードであることを忘れ、
二人が仲が良かった頃のことを思い出し
つい、ラティルを
追いかけてしまったのではないかと
思いました。
アナッチャは、
ラティルに助けられたことを
苦々しく思っていたかも
しれませんが、トゥーラは
ずっと敵対してきたラティルが
レアンではなく、
自分の味方をしてくれたことを
驚くと共に、
少し感動したような気もします。