686話 ラティルは手紙の上に誰の印影を見つけたのでしょうか?
◇手紙を書いた人◇
ラティルは、眉を顰め、
首を傾げました。この印影を
どこかで見たことが
あるような気がしました。
ラティルはサーナット卿にも
印影を見せました。
黒魔術師は、
椅子の周りをぶらぶらしながら
しきりにラティルの顔を
のぞき込みました。
サーナット卿は
ダガ公爵家の印影のようだと
呟きました。
考え込んでいたラティルは、
その言葉にはっとし、
そうだ、ダガ公爵家の印影だ。
ということは、手紙を書いたのは
アイニではないかと思いました。
ラティルは、
ちらっと黒魔術師を見ました。
黒魔術師は、
椅子に腰を下ろしたり
立ち上がったりを
繰り返していました。
ラティルと目が合うと、
黒魔術師は首を横に振り、
椅子の後ろに立ちました。
ラティルは黒魔術師に
アイニ元皇后と知り合いかと
尋ねました。
黒魔術師は、
ラティルのすぐそばまで近づき、
知り合いではないと答えました。
ラティルは手紙を開封しました。
手紙には、
ザリポルシ姫を慰める言葉が
溢れていました。
聖騎士団長だった彼女が、
ラトラシル皇帝の
陰険な計略にかかって堕落したのが
残念だという内容が半分、
公爵家も、ラトラシル皇帝と
タッシールという者のせいで、
似たような侮辱を受けたという内容が
残りの半分を占めていました。
ザリポルシ姫に
黒魔術師に関する情報を与えたのは
アイニであることは確かでした。
彼女は、どうやって
黒魔術師のことを
知ったのだろうかと呟くと、
ラティルは手紙を
サーナット卿に渡しました。
彼が手紙を読んでいる間、
黒魔術師は、
マントに手をこすり続けました。
ラティルは、
他のコートのポケットにも手を入れて
他に手紙がないか探したところ、
5通の手紙を見つけました。
サーナット卿は、それらを
机の上に並べながら、
すべて、
公爵家の印章が押されていると
呟きました。
そして、ラティルに、
わざわざ印章の押してある手紙だけ
保管したのだろうかと尋ねました。
ラティルは、
そうかもしれないと答えました。
手紙の内容は、
ほとんど似たり寄ったりで、
ほとんどが慰めの言葉と悪口でした。
その時、
ずっと顔色を窺っていた黒魔術師が
「あの・・」と慎重に口を開きました。
ラティルとサーナット卿は、
同時に、そちらへ顔を向けました。
黒魔術師は、
半分、手を上げたり下げたりしながら
アイニ元皇后は、
ダガ公爵の件や、
黒魔術師を、
宮殿に匿っていたこともあるので、
黒魔術師の中には、
アイニ前皇后に
好感を抱いている人が少しいると
説明しました。
ラティルが黒魔術師を
じっと見つめると、すぐに彼女は、
自分は違うと付け加えました。
それでも、ラティルは
黒魔術師の方をじっと見つめたので
黒魔術師は頭を下げました。
しかし、ラティルは、
黒魔術師を見ようと思って
見ていたのではなく、
そちらの方向を
眺めていただけでした。
黒魔術師の頭頂部が見えると、
ラティルは拳を握り締めました。
ラティルはロードである上、
ロードの仲間まで
従えているにもかかわらず、
対抗者の名声を得て
勢いに乗っていました。
一方、アイニは
対抗者であるにもかかわらず、
黒魔術に関わったという
汚名を着せられました。
そんな中、アイニは
タッシールに攻撃され、
ラティルは彼の肩を持ちました。
アイニはラティルに
恨みを抱いていたに違いないと
思いました。
ラティルは最初の手紙も、
封筒に戻しました。
サーナット卿は、
全ての封筒を手に持つと、
どうするつもりなのか。
この手紙はアイニ皇后が書いたに
違いないけれど、手紙の中に
彼女の名前は
はっきり出て来ていないと
指摘しました。
サーナット卿は、
手紙の一通を差し出すと、
ラティルは、それを指で弾きながら
ここには、
公爵家としか書いていないし、
印影も公爵家の印影だと呟きました。
サーナット卿は、
アイニ元皇后は公爵家を去ったので
この手紙で彼女を
捕まえることはできないと言いました。
ラティルは、
それが問題だ。
確か今の公爵は、
アイニの弟だと思ったけれど
彼は何歳かと尋ねました。
サーナット卿は、
詳しい年齢は分からないけれど、
まだ幼いと聞いていると答えました。
ラティルは、手紙を
扇のようにひらひらさせながら、
先程、黒魔術師が座っていた椅子に
座りました。
この手紙を、
証拠として差し出せば
どうなるだろうか。
これを見た人たちも、
弟がこの手紙を書いたとは思わず
アイニを疑うだろう。
しかし、それでもカリセンでは
アイニを守ろうとするだろう。
すでに彼女は皇后ではないし、
権力者が警戒するような
権力者でないけれど、
カリセン唯一の対抗者いう名分は
まだありました。
カリセンの人々は、自国のためにも
アイニの名誉を
護ろうとするはずでした。
彼女が黒魔術師と一緒にいた件も、
すでにカリセンでは、
うやむやになっていました。
黒魔術師は、
続けて中を見るかと慎重に尋ねました。
ラティルは、もう全部見たと
答えると、
手紙を持って立ち上がりました。
黒魔術師は、
自分が中をもっと調べてみようかと
もじもじしながら尋ねると、
ラティルは承知し、
先程、頼んだことも
しっかり調べるように、
彼女の能力に期待していると
答えました。
◇今度はカリセンへ◇
ラティルは、グリフィンの背中から
執務室の窓に素早く移動し、
サーナット卿は、
その後を追いました。
再び小さくなったグリフィンは、
ラティルの机の上を
ぴょんぴょん飛び跳ねながら、
自分の背骨がダメになるかと思ったと
抗議しました。
グリフィンが走るたびに
先程、机にこぼれたインクが
飛び散りました。
インクが
そのままであるところを見ると、
誰も入って来ていないように
見えました。
ラティルは、
すぐに席に座って鐘を鳴らしました。
中に入って来た侍従長は、
めちゃくちゃになった机と
床までこぼれたインクを見て
しばらく寝ていたのかと
尋ねました。
ラティルは、
居眠りしていて、
肘でインク瓶を倒してしまったと、
姿を隠したグリフィンを
肘打ちしながら答えました。
侍従長は、
何度も扉を叩いたのに、
返事がなかったと心配すると、
持ってきた書類に
インクが付かないように
高い本の上に置きました。
侍従長が再び鐘を押すと
秘書が入って来て、
茶色の布で机の上を
きれいに拭きました。
侍従長は、
確認済みの書類の上に、紙が何枚か
積み重なっているのを見て、
随分休んでいたようだと呟きました。
ラティルは、
秋のせいか、少し疲れやすいと
笑ってごまかすと、
侍従長の視線が、
ぱっと開かれた窓と窓枠に付いている
木の葉に触れました。
サーナット卿は、
そっと移動して、
その前に立ちはだかりました。
侍従長は、尋ねる代わりに、
そうなんですね。
と呟いて、ため息をつくと、
再び外に出ました。
侍従長と秘書が出て行くと、
ラティルは安心して
椅子にもたれかかりました。
サーナット卿は、
懐に忍ばせておいた手紙を
ラティルの机の中央に置くと、
どうするつもりなのかと
尋ねました。
グリフィンは細い足で、
手紙を縛った紐を引っ張って
遊んでいました。
ラティルは、
揺れているグリフィンの
ライオンの尻尾を触りながら、
その手紙を証拠として使うには、
現在、ダガ公爵家の印章を
持っている弟が
証言しなければならないと
答えましたが、彼は姉を
裏切ることができるだろうかと
尋ねました。
サーナット卿は、
目をキョロキョロさせながら
可能だと思うと答えました。
ラティルは片方の口角を上げると
そうですね。
と言いました。
そして、ラティルは
もう少し考え事をした後
手紙をサーナット卿に渡し、
再び立ち上がりました。
そして、グリフィンに、
もう一度、
出かけなければならないと
告げました。
またですか?
どこへ行きますか?
と尋ねるグリフィンに、
ラティルはカリセンへ行くと答えると
グリフィンを窓から投げました。
グリフィンは、あっという間に
体が大きくなりました。
ラティルは、
おやつをポケットに入れると、
窓枠に足をかけましたが、
サーナット卿は、
少し待って欲しいと言って
ラティルを捕まえました。
彼女が振り向くと、
サーナット卿は慌てた顔で
なぜカリセンへ行くのかと
尋ねました。
ラティルは、
用事があると答えましたが、
サーナット卿は、
危険だと言って止めました。
ラティルは、
危険なことはしないと返事をすると
サーナット卿が掴んでいる
服の裾をさっと引き抜きました。
ラティルが
グリフィンの背中に乗ると、
グリフィンが
お前は来るな!
とサーナット卿に警告しながら
飛び立ちましたが、
サーナット卿は
窓枠から飛び上がると、
グリフィンの尻尾を掴んで
乗り込みました。
グリフィンは悲鳴を上げ、
この吸血鬼を必ず振り落とすと
言い張りましたが、
サーナット卿は落ち着いて
グリフィンの上に這い上がり、
ラティルの後ろに座りました。
グリフィンは怒りながら、
空に飛び上がりました。
ラティルのポニーテールが
再びサーナット卿の顔を
叩きましたが、
サーナット卿は目を閉じて
忍耐しました。
ラティルは、
グリフィンの首を抱きしめながら、
なぜ、付いて来るのかと
サーナット卿に尋ねました。
グリフィンは怒っていましたが、
ラティルはご機嫌でした。
少しずつサーナット卿が
昔のような姿を
見せているからでした。
私は陛下を
守らなければなりません。
その返事に、ラティルは
自然と口元が上がるのを隠すために
正面だけを見つめました。
サーナット卿は
ラティルの肩が揺れるのを
見ましたが、
知らんぷりをしました。
誰が誰を守るんですか!
ロードがお前を守るんだ。
この弱虫のひよっこめ!
グリフィンが
暴言を吐きましたが、
誰も気にしませんでした。
随分、経ってから、
サーナット卿は、
動物の仮面たちは、
皇帝がいなくなって
心配しているのではないかと
尋ねました。
ラティルは、
ポケットからおやつを取り出すと
彼らのことは放っておけばいい。
先に約束を破って、
自分勝手なことをしたのだから、
勝手にやらせておけばいい。
それでも、そのおかげで
黒魔術師を懐柔できたけれどと
答えました。
◇動物の仮面の言い訳◇
暴れていた
ダークリーチャーたちの動きが、
ある瞬間、突然止まりました。
カルレインは、
振り回していたナイフを下ろし、
眉をひそめました。
どうしたんでしょう?
鹿の仮面が
横に近づいてきて尋ねました。
何だっていいだろう?
虎の仮面は気にせず
ダークリーチャー2匹を相次いで
歯で裂きました。
鼠の仮面は
「うぇっ」と声を出しながら
横を通り過ぎました。
カルレインは目を細めました。
動物の仮面が勝手に歩き回っても、
ダークリーチャーたちは
びくともしませんでした。
カルレインは、
動かないダークリーチャーを
近くで見つめ、
走っていく鹿の仮面の角を
引っ張りました。
鹿の仮面は悲鳴を上げながら、
どうしたのかと尋ねました。
カルレインは、他の場所へ
移動してみると答えました。
ここはどうするのかという
鹿の仮面の問いかけに
カルレインは返事をせず、
自分が連れて来た吸血鬼たちを
連れて行きました。
最初から、
カルレインが連れて来たのは
彼らだけでした。
動物の仮面たちは、
ロードの命令を破って
勝手に彼に付いて来ただけでした。
しかし、動物の仮面たちは
互いに見つめ合うと、
再びカルレインを追いかけました。
デーモンは、
ロードが知ったら嫌がると思うと
ため息をつきながら呟きました。
カルレインも同意しましたが、
ここまで来た動物の仮面を追い返せば
それこそ時間の無駄でした。
カルレインは、
地図に表示されている3つの丸のうち、
彼が来た場所に最も近い場所へ
移動しました。
おお、何てこった。
犬の仮面が呟きました。
巨大な空間には、
白い旗を持ったダークリーチャーが
一匹だけいて、
その足元に封筒があるのを
鹿の仮面は見つけ、
急いで走って行きました。
カルレインは鹿の仮面に近付き、
何と書かれているかと尋ねました。
手紙には、
ロードと誤解が解けて合意したと
書かれていました。
カルレインは眉を顰め、
鹿の仮面は手紙を軽く叩くと、
近づいて来た熊の仮面に渡しました。
ロードは、
ダークリーチャーを操る
黒魔術師に会って
何かをしたようだと
カルレインが呟くと、鹿の仮面は、
これまでのロードたちは、
後ろから指示したり、
先頭で戦ったりしていましたが、
今回のロードは指示しておいて、
こっそり戦っている。
本当におかしいと、
ぶつぶつ不平を漏らしました。
カルレインは、ラティルの話に
思わずピクッと頬が動きましたが
真顔で鹿の仮面の角を振りました。
鹿の仮面が、痛いと叫ぶと
カルレインは、鹿の仮面を放しました。
そして、動物の仮面たちが、
ロードの命令に背いておきながら
文句を言ったことを責め、
今後、ロードに会おうだななんて
ゆめゆめ考えるなと警告し、
ロードが指示を出したのに
勝手に振舞ったことを非難しました。
虎の仮面は、
ロードのことは好きだけれど
まだ赤ちゃんだから、
ロードの言葉に従うのはちょっと・・・
と反論しようとしましたが、
カルレインは無視して背を向けました。
彼は自分の部下だけを率いて
まっすぐタリウムへ走りました。
タリウムに着くや否や、
カルレインはデーモンだけを連れて
宮殿に戻りました。
カルレインは、
ダークリーチャーを斬った時に
汚れた服を着替えた後、
すぐに執務室を訪れました。
ラティルに、何が起こったのか
聞きたかったからでした。
しかし、執務室の前に立った彼は、
執務室の中に、人の気配が
全く感じられないことに気づきました。
カルレインは、ラティルが
どこへ行ったのだろうと思いました。
◇アイニの弟◇
アイニの弟は幼かったけれど、
多くのことを経験していました。
平凡な貴族の子供のように
過ごしていたのに、
突然いじめられるようになり、
今度は、公爵になってしまいました。
領地を治める方法が分からないので、
最初から、教育を受ける必要が
ありました。
子供は残った家族のために
努力しましたが、
いくら努力しても、日が経つにつれて
授業について行くのが
難しくなりました。
幼い公爵が
憔悴しきって帰って来ると、
母親は、
いっそのこと、管理人を雇おうかと
心配そうに尋ねました。
しかし、アイニの弟は
誰も信じられないので、
勉強して、自分がやると、
断固として返事をすると、
力なく自分の部屋に戻りました。
部屋の中は暗く、
幼い公爵は何も考えずに
燭台の前へ歩いて行くと、
火を点けました。
とても疲れていました。
早く服を着替えて、
休みたいと思いましたが、
火をつけるや否や、燭台の後ろに
人の姿が見えました。
叫び声を上げようとしている子供に
その人は「しーっ」と合図をしました。
その人は、アイニの弟に挨拶をすると
聞きたいことがあると、
話を切り出しました。
大して戦力にもならなかった
動物の仮面たちを、
なぜ、カルレインが
連れて行こうとしたのか
分かりませんが、
カルレインは、ずっと前から
動物の仮面たちから
ロードに会わせろと
急かされていて、
その機会を窺っていたけれど
今回の作戦に、
ちょうどタッシールとゲスターが
参加しないことから、
動物の仮面たちを
戦いに参加させるという名目で、
ラティルと動物の仮面たちを
引き合わせたのかもしれないと
思いました。
ところで、
鹿の仮面の角を引っ張っても
仮面は脱げないし、
痛がっていたので、
鹿の仮面は、仮面ではなく、
それが素顔なのではないかと
思いました。
いつから狐の仮面が
動物の仮面たちの仲間になったか
分かりませんが、
彼らに警戒されないため、
自分も彼らの仲間だと思わせるため
仮面をかぶって彼らに近づき、
徐々に、影響力を強くして行き
いつしか狐様と呼ばれるように
なったのではないかと思いました。
何か変だと思いながらも
何も言わない侍従長。
ラティルが密かに
何かしたのではないかと
心配していたかもしれませんが
彼は大臣たちのように
あれこれ言わないので、
ラティルは、それについて
感謝してもいいと思います。